富士山アラカルト

2014年9月 8日 (月)

御殿場二岡神社と村岡花子/富士山アラカルト(10)

御殿場市の東名御殿場ICの近くに、二の岡という場所がある。
東海の軽井沢と称する避暑地である。
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そこに二岡神社があるが、『花子とアン』で人気の村岡花子との縁が話題になっている。
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黒澤明監督の『椿三十郎』のトップシーンの社殿で使われ、北野武監督『座頭市』にも使われたたという雰囲気のあるロケ地である。
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境内にこの地方最古という石灯篭がある。
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村岡花子が二の岡を訪ねたのは大正5、6年の2年で、23、24歳の頃だという。
女性実業家の広岡浅子に招かれてである。
浅子は、鉱山事業を経営し、日本女子大の創立に尽力した女性である。

花子は、『夏のおもいで』の中で、次のように書いている。

二の岡で過ごした二夏は私の後年の生活をある程度決定したともいえる。
・・・・・・
その二岡神社の森で私もほとんど講義以外の時間を過ごした。

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講義というのは、広岡家が別荘を開放して開いていた夏期講習会のことである。
講習会には、婦人活動家の市川房枝も参加していた。
二岡神社の森は境内の南側にある、子之神川(宮川)の川辺が特にお気に入りだったという。

社務所(宮司の内海家?)の門に、「村岡花子と『赤毛のアン』の世界」展(弥生美術館)のポスターが貼ってあった。
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2014年8月13日 (水)

村山浅間神社とオールコック顕彰碑/富士山アラカルト(9)

幕末期の初代駐日総領事ラザフォード・オールコックは、日本の印象を大君の都―幕末日本滞在記』岩波文庫(山口光朔訳)(1962年4月)に書いている。
当時の日本の様子を第三者の目で描いた貴重な資料である。

オールコックは、1809年ロンドン郊外イーリングで生まれた。
パリに留学し、解剖学、化学、博物学を学び、仏語、伊語を習得し、外科医の資格を取得して軍医となり、イベリア半島で6六年間従軍した。
1844年外務省の募集に合格して、中国広東総領事等を経て、1859年日本駐在のイギリス総領事に任命された。
日英修好通商条約の調印、開港開市問題などで徳川幕府と交渉し、箱館に領事館を設置した。
1860年に富士・熱海のを、1861年長崎~江戸の国内視察旅行を行った。

富士・熱海の旅行の際に富士山に登った。
初めての外国人登山者である。

神奈川から東海道の吉原宿(現富士市)に入り、大宮、村山の地(現富士宮市)を経て富士登山をした。
大君の都―幕末日本滞在記』にこの旅行の詳細が書かれており、富士山の魅力を世界に広めた。
大君の都―幕末日本滞在記』 出版150周年に合わせ、NPO法人「オールコック卿顕彰会」(井出昇理事長)によって、村山浅間神社観光案内所の側に記念碑が建立された。
記念碑は高さ1.9m、幅2.5m、厚さ45cmで、赤富士と青富士思わせる2種類の石で富士山を形作っている。
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富士宮市村山にある村山浅間神社は、富士根本宮と称し、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。
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富士山を修験の霊山として開いた末代上人(1103年(康和5年)~?)が、現境内地に堂舎を構え、以後富士山に対する神仏習合の地として発展したという。
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境内のご神木に指定されているチョウの木は見事である。
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明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまで、興法寺という寺院があったという。
  「ふじさんカルタ」静岡新聞社(2013年7月)に次の1枚がある。

万延元年オールコックも富士登山

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2014年6月25日 (水)

白蓮の鈴と裾野市の佐野原神社/富士山アラカルト(8)

静岡県裾野市の佐野原神社で、6月22日、柳原白蓮が奉納し、今年5月に見つかった本坪鈴が一般公開された。
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静岡新聞6月23日

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佐野原神社はJR御殿場線の裾野駅に近い場所にあるが、子供の頃、境内でチャンバラごっこをしたことがある思い出の場所である。
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現在は隣接地域が、裾野駅前の区画整理区域になっていて、虫食い状態である。
佐野原神社の祭神は、二条為冬卿である。
為冬は「和歌の家」御子左家嫡流二条為氏の三男として生まれ、和歌の才能に恵まれた。
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後醍醐天皇の信任も厚かったが、南北朝の争いに巻き込まれ、足利尊氏らを討つため尊良親王に従って出陣したが、建武2(1334)年12月12日に斃れた。
明治維新後、国や地元有志の努力で残されていた将軍塚の前に社殿を建て、明治9(1876)年佐野原神社として創立された。
和歌に秀でた祭神を祀る神社に歌人が奉納するのは自然だ。

柳原白蓮は、NHKの朝の連続ドラマ『花子とアン』の主要な登場人物である。
花子とは「赤毛のアン」を翻訳出版する村岡花子(吉高由里子)のことであり、花子の「腹心の友」として葉山蓮子(仲間由紀恵)がいる。
蓮子が、後に歌人として名を成すことになる白蓮事件で有名な白蓮(本名・燁子)である。

白蓮事件は、1921年(大正10年)10月20日、柳原白蓮が、滞在先の東京で出奔し、社会運動家で法学士の宮崎龍介と駆け落ちした事件である。
NHKのドラマでは、宮崎龍介は、宮本龍一という役名になっている。
父は孫文達を支援して、辛亥革命を支えた有名な革命家の宮崎滔天であり、龍介は編集者・弁護士・社会運動家として活動した。
今週は、カフェー・ドミンゴでブルジョアの妻である蓮子にケンカを売った龍介が、ケロッとして九州まで脚本を書いてくれるように会いに行くシーンで始まった。
つまり、龍介は、直情径行というか短絡的な男として描かれている。

新聞紙上で妻白蓮から夫への絶縁状が公開され、それに対して夫・伝右衛門から反論文が掲載された。
センセーショナルに世間を賑わしたであろうことは容易に想像できる。
時代の先端のさらに先をゆく女性だったのだろう。

6月23日の日経新聞の朝刊コラム「春秋」が書いているように、「女性の相棒モノ」が人気になっているようだ。
去年の『あまちゃん』もアイドルを目指す高校生コンビという設定だったし、評判のディズニー映画『アナと雪の女王』も姉妹である。
未だにレベルの低い性差別発言が止まらないが、心強いのは「同性の相棒」ということだろうか。

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2014年1月28日 (火)

『かぐや姫の物語』と富士山信仰/富士山アラカルト(7)

『かぐや姫の物語』というアニメ映画を見た。
高畑勲監督・スタジオジブリ制作である。
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http://kaguyahime-monogatari.jp/

今まで、アニメなんぞ、という気でいたが、堀越二郎を描いた宮崎駿の『風立ちぬ』が良かったので、アニメを再評価したところである。
言うまでもなく、『竹取物語』を原作とした作品で、ストーリーはほぼ忠実に『竹取物語』に添っている。
しかし、今日的な解釈がされているので面白かった。

『竹取物語』は日本人なら誰でも知っている最古の物語である。
紫式部は、『源氏物語』の「絵合」の巻において、『竹取物語』は「物語のいでき始めのおや」書いた。
しかし、その作者、成立時期等は不明である。
この機会に、注釈本を頼りに、読んでみた。

エンディングの部分は次のようである。

 大臣、上達部を召して、「いづれの山か天に近き」と問はせたまふに、ある人奏す、「駿河の国にあるなる山なむ、この都も近く、天も近くはべる」と奏す。これを聞かせたまひて、 

あふこともなみだにうかぶ我が身には死なぬ薬も何にかはせむ 

かの奉る不死の薬壺に文具して御使に賜はす。勅使には、つきのいはがさといふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべきよし仰せたまふ。峰にてすべきやう教へさせたまふ。御文、不死の薬の壺ならべて、火をつけて燃やすべきよし仰せたまふ。
 そのよしうけたまはりて、士どもあまた具して山へのぼりけるよりなむ、その山を「ふじの山」とは名づける。
 その煙、いまだ雲の中へ立ちのぼるとぞ、いひ伝へたる。

つまり、「ふじの山」の名前の由来が語られている。
それは、「不死の薬」の不死ではなく、「士どもを大勢引き連れて山に登った」ので、この山を「富士の山」と名付けた、としている。
その山は、「駿河の国にあなる」ということだから、世界文化遺産に登録された今の富士山に相違ない。

『竹取物語』は平安時代に成立したとされるが、平安時代を通じて、富士山はたびたび噴火を繰り返した。
竹取物語(全)』角川ソフィア文庫(2001年9月)には、およそ30年ごとに噴火したと書いてある。
富士山の噴火史-Wikipediaには、以下のような噴火があったと説明されている。

781年 (天応元年)噴火
800年〜802年(延暦19年)延暦大噴火
802年(延暦21年)1月8日 この噴火により相模国足柄路が一次閉鎖。
864年(貞観6年)貞観大噴火 青木ヶ原溶岩を形成した噴火。
999年 (長保元年)噴火
1033年初頭 (長元5年末)噴火
1083年 (永保3年)噴火

『竹取物語』の最後が、「その煙、いまだ雲の中へ立ちのぼるとぞ、いひ伝へたる」で締めくくられているのは、富士山の火山としての活動を物語っていよう。
現在の桜島のように、折に触れ、噴煙を上げていたのではないか。

1707年の宝永大噴火以後大きな噴火を経験していない現状は、平穏な時代というべきであろう。
しかし、貞観大噴火、宝永大噴火等の示すように、大規模な地震と連動して大噴火が起きている。
東北太平洋沖地震(東日本大震災)を経験したからには、油断はできない。
⇒2013年7月24日 (水):大噴火の前兆は捉えられるか?/富士山アラカルト(2)

富士市には、『竹取物語』と若干異なるかぐや姫伝説がある。
白隠禅師の「無量寿禅寺草創記」(1718年)は、「寺は雲門と名づく、赫夜姫(かぐやひめ)の誕育の跡なり、竹取翁の居所なり」と始まる。
かぐや姫は天子の求婚を振り切るために、岩窟に隠れ、コノシロと綿の実を焼いて、死を選んだと思わせ、その後、かぐや姫は富士山頂の岩窟に身を隠す。
いつしか、人々はかぐや姫のことを「浅間の大神として敬い、富士山のご神体であると思うようになった。
かぐや姫伝説

富士山が古くから信仰の対象となってきたことは世界文化遺産の登録が、「信仰の対象と芸術の源泉」となっていることでも示される。
その信仰は、「かぐや姫」の伝承と深い係わりがあった。

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2014年1月24日 (金)

富士山に降る雨は・・・/富士山アラカルト(6)

静岡新聞社から、『 みんなのふじさんカルタ』(2013年7月)発売された。
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http://www.at-s.com/sbsradio/program/asa/corner/2013/08/14/744823635.php

すでに在庫がなく、Amazonを見ても、中古品の扱いになっている。
私は、発売のニュースを聞いて、2セット注文した。
1つは、5歳の孫へのプレゼントとし、1つはわが家においておいて、孫が来た時に遊ぶ材料にしようと思ったのだ。

届いたカルタは、正直にいえば、5歳児には面白くないだろうな、という感じであった。

楽しみながら富士山の歴史、文学、芸術、環境、地質学・・・と
幅広い知識が 身に付いちゃうカルタです。

同上

しかし、内山絵里加さんという女子アナの読み手CDが付いているので、勝手に1人でも遊べる。
ランダムモードにすれば、毎回違う順番になる。
孫は12月が誕生日なので、誕生祝いに孫の家に行ったところ、結構遊んでいるらしい。

そこで正月に、親戚のものが集まった時に皆で遊ぶことにした。
孫は自分なりに得意札があるようで、その札についてはとても素早く、大人でも太刀打ちできない。
得意札は、意味など余り関係がない。
たとえば次の札である。

め:明治5年 女人禁制が 解かれたよ

そのような得意札の1枚に、次の札がある。

ね:年間に 降る雨水量は 25億トン

私の住んでいるところは、富士山湧水に恵まれている。
有名な柿田川も近くにある。
この降水量と地下水はどう関係しているか?

 富士山の地下水や湧水(ゆうすい)は主に標高千~千八百メートル以上に降った雨や雪が染み込んで数十年間蓄えられたとみられることが、県の調査で分かった。また、水質汚染物質の硝酸イオンが茶畑の分布とほぼ一致する地域から比較的高濃度で検出され、地下水と人間活動との密接な関係がうかがえる結果となった。
 調査は県環境衛生科学研究所が「富士山地下水プロジェクト研究」として二〇一三年まで三年間にわたり実施。富士山の降水や周辺の地下水、湧水を分析したり、それらを基に地下水の流れを検証したりした。
 降水量などを基に、富士山に地下水として蓄えられる年間涵養(かんよう)量は二十四億トン、静岡県側は十八億トンと推定。標高五百メートル程度の降水が比較的地下の浅い部分を通って近くで湧き出し、より標高の高い場所の降水は地下深くに浸透して低いところから湧き出すという「階層構造」がうかがえた。
 富士山の地下水に多く含まれるとされるミネラル「バナジウム」は県内外の湧水と比べて濃度が高く、特に「御殿場泥流」と呼ばれる堆積(たいせき)物が広がる東側で際立っていた。
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http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20140112/CK2014011202000083.html

降水量や地下水の涵養量などは推計値であって、どの程度の精度があるのか分からないが、25億トンの雨が降って、そのうち24億トンが地下水になり、1億トンが河川水などの地表水や蒸発するのであろうか?
降水自体が、世界遺産富士山の恵みである。
⇒2009年7月30日 (木):富士山湧水の水文学
⇒2009年7月31日 (金):富士山湧水の湧出モデル
⇒2009年8月 1日 (土):富士山学の可能性

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2013年8月15日 (木)

広重の富士三十六景の三保松原/富士山アラカルト(5)

富士山の世界遺産登録に際しては、三保松原(静岡市清水区)の扱いを巡りひと悶着があった。
諮問機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)は、山体と一体ではないとして構成資産からの除外を勧告し、三保松原は除外されるのではという成り行きであった。
しかし、世界遺産委員会では、各国の委員が「題材にした芸術品は多い」などと除外勧告を疑問視する意見が相次ぎ、全25件を世界遺産を構成する資産にふさわしいと認め、一転して三保松原も登録を認めることになった。
⇒2013年6月23日 (日):富士山世界遺産登録を寿ぐ/花づな列島復興のためのメモ(234)

富士山の文化的価値を外国人に格付けして貰わなくても、という意見もあったが、私は外国人が関心を持ち、理解を深めることは大事なことであると思う、
三保松原に関しては、これぞ「芸術の源泉」という感じではなかろうか。
羽衣伝説は日本各地に存在するが、最も有名なのは、三保松原であろう。
浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」がある。

三保松原に舞台を設営して行う薪能については触れたことがある。
⇒2011年10月 9日 (日):三保松原で薪能を観る
文藝の素材としても、『万葉集』巻3-296に次の歌がある。

廬原の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思ひもなし

以来、多くの和歌に詠まれている。
しかし、何と言っても絵画であろう。

歌川 広重という浮世絵師は、昔は安藤広重として知られていたように思う。
しかし、安藤は本姓、広重は号であり、両者を組み合わせて呼ぶのは不適切であるし、広重自身もそう名乗ったことはないということで、現在は歌川広重と呼ばれる。

天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛する機会を得た。
天保4年(1833年)には代表作といわれる『東海道五十三次絵』を制作した。
東海道の宿場町「由比宿」の本陣跡地に、東海道広重美術館がある。

『東海道五十三次絵』の中の1枚に、「江尻 三保遠望」がある。
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https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige031/

家康が埋葬された東照宮のある久能山から清水港を眺望した図。
清水港は、天然の良港として物資の輸送が盛んに行われた。
行き交う舟の多さから、溢れる活気が伝わってくる。
対岸に見えるのが三保松原である。

広重の『富士三十六景』にも、「駿河三保松原」がある。
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http://www.tomoiki.tv/fuji36/main.html

実際の富士山と三保松原の位置関係と異なるというが、広重は、三保松原と富士山の組み合わせに拘ったのだろう。

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2013年8月12日 (月)

品川富士/富士山アラカルト(4)

江戸には富士山を眺める適地が何箇所かあったらしい。
昔、千駄木の某所の格安アパートに短期間住んだことがあるが、西日暮里の駅の近くに富士見坂という坂があった。
富士見がつく地名は、他にもあるらしい。

葛飾北斎の「富嶽三十六景」にも浅草や日本橋など、江戸の中心地からの構図のものが何枚かある。
品川は、東海道五十三次の第一宿であり、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。
落語の「品川心中」で分かるように、遊郭で賑わう場所だった。

「富嶽三十六景」の中に「東海道品川御殿山ノ不二」」と題する1枚がある。Photo

品川の御殿山は、江戸屈指の桜の名所だった。
幕末期に品川台場築造の土砂採取で一部が切り崩され、明治期には鉄道施設工事によって御殿山は南北に貫く切り通しとなり、桜の名所としての面影はなくなった。
上の絵には、花見をして楽しんでいる人々の姿と品川宿が描かれ、遠くに富士山が見える。

東京新聞の「東京どんぶらこ」という連載の7月27日付は、「北品川」である。2

品川神社と品川宿の富士講「丸嘉講」が築造した富士塚(品川富士)が紹介されている。
品川富士は、「丸嘉講」により1869年に築造が始められ、1872年に完成したという。
岩山を巡る石段が登山道で、途中には各地の富士講の講社名を刻んだ碑があるという。
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片麻痺が残る身体では富士登山は諦めざるを得ないが、富士塚ならば登れるかも知れない。
老人や女人など登山できない人が、ここに登り祈れば、富士登山と同じご利益があるという。

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2013年7月27日 (土)

讃岐うどんと讃岐富士/富士山アラカルト(3)

先日、丸亀製麺といううどんのチェーン店に入ったら、下図のようなポスターが目に入った。
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讃岐富士はいわゆる郷土富士、ご当地富士の1つであって、本名が飯野山である。
⇒2009年8月 3日 (月):固有名詞としての富士山と普通名詞としての富士山
Wikipedia-飯野山には以下のような説明が載っている。

讃岐平野にそびえ、近くには西に土器川、東に大束川が流れている。山が侵食によって、屋島のような台地状のメサと呼ばれる状態になり、その後さらに侵食が進み、ビュートと呼ばれる孤立した丘となった。麓付近は花崗岩で、中腹から上には硬い火山岩であるサヌカイト(安山岩の一種)で、山頂付近ではそのサヌカイトが風化した赤い粘土が堆積している。その整った形から地元住民の移動の目印となっている。
山麓には古くから飯依比古を祭る飯神社と坂元神社が鎮座し、麓から山腹にかけてはモモなどが栽培されている。山頂には巨人伝説で伝えられる巨人おじょもの足跡や、薬師堂、不動尊などがある。北には高松自動車道の坂出ジャンクションがあり、東西に高松自動車道が通り、北に瀬戸中央自動車道(正確には坂出ICまでが高松道の坂出支線)が分岐している。
2010年に丸亀市観光協会が4月22日を讃岐富士の日と制定した。

丸亀製麺というから丸亀市に本社のある会社かと思うと、なんとうどんのチェーン展開をする前は、ヤキトリ屋が本業だった。
株式会社トリドールという東証一部上場企業である。
同社サイトの沿革を見ると、昭和60年8月に焼き鳥居酒屋として創業している。
丸亀製麺としての展開は、平成12年11月の「丸亀製麺加古川店」(兵庫県加古川市)が1号店のようだ。

ポスターに掲出されている歌は、西行が詠んだものである。
讃岐では朝げにうどんが一般的なのだろうか?
知人の話だと、とにかく、うどんを良く食べるようである。

また、富士山麓の都市富士吉田市も、うどんで有名である。
太宰治風にいえば「富士にはうどんがよく似合う?」。
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http://blog.goo.ne.jp/green2466/e/3e206828a263ffc05d521098ec907105

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2013年7月24日 (水)

大噴火の前兆は捉えられるか?/富士山アラカルト(2)

「3・11」の直後の15日に、富士宮市を震源とするかなり強い地震が起きた。
⇒2011年3月16日 (水):『日本沈没』的事態か? 静岡県東部も震源に/因果関係論(9)
私が住んでいる三島市でもかなり大きな揺れで、市役所の震度計では震度4だったということである。

まだ「3・11」の被害の全貌も良く分からないときだったので、いよいよ『日本沈没』に描かれたような現象が現実化するのかと思った。
しかし、その後富士山は噴火するということもなく、今夏は、世界遺産効果もあって空前の富士登山ブームになっている。
⇒2013年7月17日 (水):富士山はどうしてできたか?/富士山アラカルト(1)

東京新聞で、「3・11後を生きる」という連載をやっている。
7月20日は「富士山②」で、前兆現象が捉えられるか、という問題をテーマにしている。
富士山周辺地域で、少なからぬ異変が見られる。
⇒2012年1月31日 (火):活火山・富士山周辺で起きている地震
⇒2012年9月30日 (日):「火山の冬」と富士山噴火の可能性/花づな列島復興のためのメモ(147)
⇒2013年4月 7日 (日):河口湖の水位低下の原因は?/花づな列島復興のためのメモ(205)
⇒2013年4月 8日 (月):箱根の群発地震と富士火山帯の活動/花づな列島復興のためのメモ(206)
⇒2013年4月23日 (火):伊豆東部火山帯と大室山さくらの里/花づな列島復興のためのメモ(210)

富士山は、直近の大噴火である1707年の「宝永噴火」からすでに300年以上経過している。
富士山のマグマの量は100年あたり、約1億立米を出しているのだという。
これは大噴火を引き起こすのに十分な量ということだ。
300年たてば、いつ大噴火しても不思議ではないだろう。

科学雑誌「Newton」の2013年8月号は、富士山を特集している。
よく知られているように、静岡県東部地域のあたりは、3枚のプレートが重なっている。
ユーラシア、北米、フィリピン海で、3つのプレートが衝突しているのは、この地域だけである。
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東京新聞7月13日

フィリピン海プレートが北米プレートに衝突しつつ、ユーラシアプレートの下に沈み込んでいるのだという。
そのため、フィリピン海プレートが股裂き状態になって、その裂け目からマグマが上昇しやすくなる。Photo_2
「Newton]2013年8月号

かくして富士山は噴火を繰り返し、噴出したマグマが成層して、日本一の高さになったのである。
富士山の一生からすれば、現在のような均整のとれた姿は妻の間の姿である。
それを見ることができるわれわれは、幸せな時代に生まれ合わせたということだろう。 
そういう地質学的時間のスケールで考えると、人間の営みは、幻のようなものだ。

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2013年7月17日 (水)

富士山の世界遺産登録と登山ブーム/富士山アラカルト(1)

世界遺産への登録効果であろうか、富士山に登る人が急増しているようだ。
登山は中高年の間では根強い人気で、山岳事故のニュースも高齢者が多かった。
しかし、最近は、山ガールとかで、ファッショナブルな格好で山へ行く若い女性が増えているという。
それにしても富士山はやはり高山である。
それなりの準備は必要であろう。

 山梨県富士吉田市は10日、7月1日の山開きから7日までの1週間で、富士山の吉田口から入山した登山者が計1万5146人で、昨年の約1.5倍だったと発表した。また山小屋に泊まらずに登る“弾丸登山”と思われる午後9時から午前0時までの登山者数は2192人で、昨年の約1.8倍だった。
Photo
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130710/trd13071020540012-n1.htm

しかし上の写真のような様子を見ると、どんなものかと思ってしまう。
まさにラッシュである。
現在使用されている主な登山道には、静岡県側の「富士宮ルート」・「須走ルート」・「御殿場ルート」、山梨県側の「吉田ルート」の4ルートがある。
私も中学生のとき初めて登頂した。
最後は2001年であるが、その間に計10回ほど登っている。
登りは須走ルート、下山は御殿場口が多い。
御殿場口は大砂走りが豪快であるが、もうチャンスはないだろうなあ。

東京方面からの登山者は、吉田ルートが利用しやすいので、最も多い。
一般的な富士登山の期間は、山開きの7月1日から8月下旬までであるが、「梅雨明け10日」の間が最も気候が安定している。
新入社員教育の一環として富士登山をしていたこともある。
柔道部出身という猛者が、意外に高山病に弱かったりして、個性を把握するには好い機会だったが、事故のリスクから反対する意見があり、3年くらいで取りやめになった。

富士登山を安易に考えている人は多い。
富士山は、5合目までの道路や登山道も整備されていることから、登山知識を持たず高山の過酷な環境を知らずに登ろうとする者も多く、遭難の多さにつながっているといわれる。
弾丸登山という言葉を聞くが、やはり4000m近くの高山である。
それなりの準備は欠かせない。

また富士山は、遠方から眺めると優美であるが、登山道では一面が火山灰と溶岩の世界である。
「富士山は遠くから眺めるための山であり、登るための山ではない」と言われ、「1度も登らぬバカ、2度登るバカ」などとも言われる。
しかし、頂上に立った時の気分は格別である。
私は日本人のみならず、世界の人々が登頂する体験をしてほしいと思う。

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