戦後史断章

2018年8月25日 (土)

なぜ、今、サマータイムか?/戦後史断章(32)

サマータイムが話題になっている。
五輪組織委員会が猛暑対策として安倍首相に要請し、首相が検討を自民党に指示した。1808112
東京新聞8月11日

日本では、第二次世界大戦敗北後の連合国軍占領期にGHQ指導下で、1948年(昭和23年)4月28日に公布された夏時刻法に基づき、同年5月2日の午前0時から9月11日にかけて初めて実施された。
以後、1951年(昭和26年)9月7日に打ち切られるまで実施された。
私は微かな記憶があるが、まだ幼かったのでどういう影響があったか記憶にない。

一方、1970年代から夏時間が定着している欧州では、健康面への悪影響から廃止を求める声が広がっているという。
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サマータイム、EUで廃止論 是非判断へ世論調査

知り合いの会社で、入力した顧客の誕生日が1日前に変わる不具合が見つかったという話題があった。
原因はサマータイムで、、「誕生日時は当日の0時」と設定してあるものが1時間繰り上がって「前日の23時が誕生日時」として認識されたとのことだという。

これを聞いてY2Kのことを思い出した。
1999年12月31日から2000年1月1日に変わる時、コンピュータの記憶装置が当時は西暦の下2桁を使用していたことへの対処である。
991231から000101と変わることで時間の経過が認識されないということで大きな社会問題になった。
当時に比べ、ICT化は生活の隅々にまで浸透している。
「システム会社の特需」などと言ったレベルを超えて大きな混乱が起きるであろう。

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2018年8月16日 (木)

際立つ今上天皇のリベラル性/戦後史断章(31)

昨日の戦没者追悼式における天皇のお言葉を見てみよう。
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ごく当たり前のようにも思えるが、毎年同じわけではない。
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東京新聞8月16日

明確な戦争に対する反省と今年新たに戦後の平和が強調された。
現在、「昭和天皇に戦争責任はない」という考えが多数説であろう。
それは立憲君主制においては「君主無答責」という考え方があるからである。
日本大百科全書の解説を見てみよう。

君主は、その行為について、だれに対しても政治上・法律上の責任を負わない、という原則。イギリスでは古くから「王は悪をなさず」King can do no wrong.ということばによってこの原則が憲法上の慣習として認められてきた。したがって中世以来、イギリスにおいては、悪政に対する責任は大臣が負うものとされ、大臣に対する弾劾制度が発達した。こうして君主無答責の原則は、立憲君主制をとる国に共通なものとなった。戦後の日本では、天皇は国政に関する権能は有せず、天皇の行う国事行為については内閣が責任をとるとされる。国事行為には内閣の助言と承認が必要である(憲法3条)ということがその法的根拠と考えられる。また、天皇は、象徴的地位にあること(憲法1条)、摂政(せっしょう)は在任中訴追されないこと(皇室典範21条)などから、刑事法の適用を受けることはない。しかし民事上の責任は免れないものとされている。

しかし、戦前・戦中の最高意思決定者は天皇だったのであり、昭和天皇の戦争責任は免れないのではないか。
東条英機から開戦の手順を聞いた昭和天皇は、「うむうむ」と応じたという。
東条からその様子を聞いた湯沢三千男内務次官のメモを遺族が保管していた。

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 メモによると、東条は十二月七日夜、首相官邸に呼び出した湯沢に「戦争開始と国民の処置を決定した」と通告。「陛下の命令を受け一糸乱れることのない軍紀の下、行動できるのは感激に堪えない」と発言した。
 昭和天皇については「いったん決めた後は悠々として動揺もない」「(報告には)うむうむとおっしゃられ、いつもと変わらなかった」「対英米交渉に未練があれば、暗い影が生じるだろうが、そんなことはなかった」と述べたとしている。
開戦前夜、東条首相「すでに勝った」 政府高官のメモ見つかる

東条の責任はもちろんであるが、やはり昭和天皇も無答責で済ませるわけにはいかないだろう。
今上天皇はその辺りの経緯も踏まえておられるのであろう。
今上天皇が敗戦を迎えたのは11歳の時であった。1808142
東京新聞8月14日

現行憲法では天皇は「象徴」であるとされているから、名実ともに無答責であるが、この敗戦時の体験がリベラルの立場にたっていることの原体験であると思われる。
A級戦犯容疑者岸信介を敬愛する安倍首相と対極的である。
2016年8月 9日 (火) 天皇陛下のお気持ちと護憲/日本の針路(285)

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東京新聞8月16日

安倍政権に比べ、今上天皇リベラル性は際立っている。

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2018年7月 6日 (金)

オウム真理教の死刑囚の死刑執行/戦後史断章(30)

オウム真理教の元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚(63)らが、6日死刑が執行されたことが報じられている。
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【号外】オウム・松本死刑囚ら刑執行

未だに詳細が不明な部分も多く、不可解な事件であったが、一つの時代が終わったと言って良いだろう。
しかし、再び起こらないとは言えない。

オウム真理教の代名詞とも言える地下鉄サリン事件が起きたのは1995年3月であった。、
もう23年前になるが、記憶は明瞭である。
既に前年から、ヨガ同好会のような組織から生まれたオウム真理教という教団が関与したのではないかと推認される犯罪が連続していた。
物情騒然とした雰囲気のびきの年明けであったが、新年早々に阪神淡路大震災が起きた。
⇒2015年1月17日 (土):阪神淡路大震災から20年/日本の針路(99)

ますます社会不安的な状況人sっていた時、「地下鉄サリン事件」が起きた。
2015年3月20日 (金) 地下鉄サリン事件から20年/戦後史断章(19)

オウム真理教の特徴の一つは、代表(教祖)の松本智津夫が冴えない風貌であったのに対し、幹部に高学歴者が多いことだった。
・青山吉伸:京都大学法学部
・村井秀夫:大阪大学理学部物理学科→大阪大学大学院
・早川紀代秀:神戸大学農学部→大阪府立大学大学院
・中川智正:京都府立医科大学
・遠藤誠一:帯広畜産大学→京都大学大学院
・土谷正実:筑波大学農林学類→筑波大学大学院
・豊田亨:東京大学医学部
・富永昌宏:東京大学理学部→東京大学大学院
・廣瀬健一:早稲田大学理工学部応用物理学科
・林郁夫:慶應義塾大学医学部
・上祐史浩:早稲田大学理工学部電子通信学科→早稲田大学大学院
⇒2011年11月25日 (金):オウム真理教事件と知的基礎体力(?)

彼らのように、学力において秀でていると思われる人間がなぜ簡単にマインドコントロールされてしまったのか?
たとえば、富永昌宏は、高校時代(灘高)、3年連続で「大学への数学」誌の学力コンテストで全国1位になったというし、青山吉伸は在学中に司法試験合格している。
相当な秀才であったことは間違いないだろう。

毎日新聞社の牧太郎氏(サンデー毎日の編集長等を歴任)や菅直人元首相らは、「知的基礎体力」という言葉を使っているが、私は「知的基礎体力」という言葉がよく分からなかったし、今も分からない。
文脈からすると、「柔軟に幅広く状況に応じて判断する力」のようであるが、要は、自分で判断をすることを放棄し、他者の判断に身を委ねてしまっているからのように思える。

昨年の学習指導要領の改訂により、カリキュラムが段階的に改変されることになっている。
新しい学習指導要領の狙いはアクティブラーニングすなわち未知の問題に対して、自ら主体的に学習する姿勢の涵養である。
オウム真理教の幹部たちは、受験秀才ではあったが、問題意識を持って主体的に学ぶ能力に欠けていたように思える。
受験秀才はAIに叶わない。
もっとも「東ロボくん」プロジェクトが示すように、一般的な高校生がAI未満であることが深刻な問題であるが。

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2018年6月13日 (水)

新幹線通り魔殺人事件と不条理の模倣/戦後史断章(29)

9日22時前、神奈川県内を走行中の東京発新大阪行きの東海道新幹線「のぞみ265号」で無差別殺人事件が発生した。
車内は、突然の凶行に逃げ惑う乗客でパニックになったが、新幹線は小田原駅で緊急停車。車内アナウンスで警察が容疑者の男を確保したことが伝えられた。1806122
東京新聞6月12日

駆けつけた県警小田原署の署員が、切りつけたとみられる男を現行犯逮捕し、刺された3人は小田原市内の病院に運ばれた。
男性1人が首の右側を切られて死亡し、20代とみられる女性2人が頭や肩に重傷を負った。

新幹線の車内では逃げようもない。
遭遇した乗客の恐怖はいかばかりだったか。
逮捕されたのは愛知県岡崎市蓑川町に住む、自称・小島一朗容疑者(22歳)だが、本名かどうかは不明である。
小島容疑者は、斧で殺害した動機を警察で聞かれ「むしゃくしゃしてやった」「誰でもよかった」と話しているという。
しかも殺害をしようと計画して東海道新幹線に乗ったとされており、無差別殺人をするのが目的だったことも判明している。

私は10年前の秋葉原無差別査証事件の「模倣犯:コピーキャット」のような気がする。
2018年6月 8日 (金) アキバ通り魔事件と働き方の問題/戦後史断章(28) 

現時点で報道されている小島容疑者の人物像は次のようである。

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 「(小島容疑者が14歳の時)しつけに関しては、何も私はしなくなりました」(小島容疑者の実の父親)
 両親と折り合いが悪く、祖母の養子になったという小島容疑者。中学生のときに不登校となり、その後、自立支援施設で6年以上生活したといいます。
 「うちにいたころは非常に真面目で、何か問題をおこすとか一切なかった」(自立支援施設代表)
 親族などによりますと、小島容疑者は3年前、高校卒業後に就職しましたが、1年足らずで退職したということです。この場所は、小島容疑者が去年まで使用していた部屋。「人生においてやり残したこと」として、「冬の雪山での自殺」などと自殺願望を示すメモが残されていました。そして・・・。
 「こんなところでごそごそしとるより、死んだ方がいいってね」(小島容疑者の祖母)
 去年12月、祖母の家を出ていったというのです。
 「仕事で挫折したもんだから、自信がなくなったんだろうな」(小島容疑者の祖母)

つまり、「家庭環境」と「仕事の挫折」である。
同様の要因が指摘されたのが、秋葉原事件であった。
「家庭環境の問題」は『万引き家族』が典型であるが、社会の縮図の凝縮のように思える。
2018年6月11日 (月) 『万引き家族』の評価を巡って/ABEXIT(49)

安倍政権の苦手なテーマであるが、「仕事」についても心許ない。
今国会の最重要テーマと言っている割にお粗末な審議である。
2018年2月18日 (日) 何のための「働き方改革」なのか/日本の針路(375) 
2018年3月 2日 (金) 何のための「働き方改革」なのか(9)/日本の針路(384)
2018年3月12日 (月) 政府の「働き方改革」の馬脚/日本の針路(393)
2018年5月27日 (日) 「働き方改革法案」を強行採決/ABEXIT(35)

労働体験の貧弱な世襲議員では「働き方」の本質に迫ることは難しいだろう。
「今年は明治維新150年」と同時に「マルクス生誕200年」である。
高プロを「残業代を払わなくて良い制度」と考えていると、手痛いしっぺ返しがある。

無差別通り魔殺人事件は、個人的な一過性の問題とは言えない。
今月のNHKEテレの『100分de名著』は、中条省平氏の解説による『アルベール・カミュ ペスト』である。
学生時代にかじった程度であるが「不条理」に向き合った作家として知られる。
この種の不条理は、社会のあり方を健全化して行かないと、増えこそすれ減ることはないだろう。

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2018年6月 8日 (金)

アキバ通り魔事件と働き方の問題/戦後史断章(28)

10年前、秋葉原の歩行者天国は人出で賑わっていた。
そこに起きた惨劇を予想し得た人は誰もいなかったであろう。
犯行を起こした当人以外には。
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東京新聞

青森県の進学校の出身ながら、静岡県の自動車部品工場で派遣労働者として働いていた25歳の若者が、歩行者天国に車で突っ込み、車から降りてナイフで通行人に無差別で切りかかった。
何という不条理に震撼させられた。
⇒2008年6月11日 (水)  秋葉原通り魔と心の闇

しかし、驚くべきことに、この不条理を実行した犯人を「神」に譬え、ヒーロー視する人が少なからず存在したことである。
⇒2008年6月22日 (日)  通り魔をヒーロー視する人たち

犯人の履歴等についてはすでに少なからぬ論評がなされている。
もちろん、このような凶行に至るには、育った環境等の複合的な要因があるだろう。
犯人は、動機や心情をかなり詳細にネットに投稿していた。
そこから読み取れるのは、強い敗北感である。

その背景には、派遣労働者という労働形態がある。

1986年施行。当初は「自由な働き方ができる」と働く側に歓迎されたが、企業側が契約期間終了で「雇い止め」にできるため、人手不足のときに一時的に雇う「雇用の調整弁」にされやすい。2015年9月、派遣先への直接雇用の依頼や、派遣元での無期雇用などの雇用安定措置を盛り込んだ改正法が施行された。
労働者派遣法

私は派遣元と派遣先の両方の企業の経験があるが、現実に派遣労働者の多くが非正規雇用である。
それが「正規-非正規」の格差を生んでいることは疑い得ない。
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東京新聞6月4日

安倍政権は「働き方」の問題を今国会の最大のテーマに掲げている。
2018年2月18日 (日) 何のための「働き方改革」なのか/日本の針路(375) 
2018年3月 2日 (金) 何のための「働き方改革」なのか(9)/日本の針路(384)

しかし、過労死遺族の前でへらへら笑う安倍首相の態度を見れば、この政権の体質が良く分かる。
立法根拠であるデータが実にいい加減なのだ。
2018年3月12日 (月) 政府の「働き方改革」の馬脚/日本の針路(393)
結果として裁量労働制については法案を取り下げたが、「高プロ制」については強行突破の構えである。
2018年5月27日 (日) 「働き方改革法案」を強行採決/ABEXIT(35)

しかし、何と高プロ制の根拠のアンケート調査は僅か2サンプルに過ぎず、うち9人は事後的に実施したものであるという。
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東京新聞6月8日

後付けで立法事実を作るのは、アリバイつくりということである。
こんなウソばかりの政権には当然引導を渡さなければならない。

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2017年8月 9日 (水)

『母と暮らせば』と『シン・ゴジラ』/戦後史断章(27)

長崎に原爆が投下されて72年。
長崎市の平和公園で拓かれた平和祈念式典で、田上富久・長崎市長は、今年7月の核兵器禁止条約の採択を「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間だった」と歓迎する一方、日本政府に対し、「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」と批判した。
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長崎市長、平和宣言で政府批判 「姿勢理解できない」

被爆地ならずとも、多くの国民が理解できないだろう。
⇒2017年8月 6日 (日):今こそ、主導して核兵器禁止を前に進めるべきだ/日本の針路(325)

去年の1月に公開された『母と暮らせば』は、井上ひさしさんの『父と暮らせば』を本歌とする山田洋次監督作品である。
長崎の原爆で死んだ息子(二宮和也)の亡霊と対話しながら生きる母(吉永小百合)の物語だ。
私は、現実世界(実数的世界)と幻覚の世界(虚数的世界)の複素的世界観の表現だと理解した。
⇒2016年1月14日 (木):母と暮らせば』と複素的な世界観/戦後史断章(24)

ユヴァリ・ノア・ハラリ『サピエンス全史-文明の構造と人類の幸福』河出書房新社((2016年9月)によるまでもなく、われわれは実の世界ばかりではなく、虚の世界にも生きている。
⇒2017年7月22日 (土):仲間ファーストの共謀3・記録を否定する山本地方創生相/アベノポリシーの危うさ(260)

虚の世界の全般的共有は難しいが、部分的な共有はしている。
特に、政治の世界は、吉本隆明が説いたように、「共同幻想」が本質とも言える。
⇒2012年3月19日 (月):吉本隆明の天皇(制)論/やまとの謎(58)
⇒2012年3月20日 (火):『方法としての吉本隆明』/やまとの謎(59)

であれば、「理念」こそが重要である。
日本国憲法の「戦争放棄」規定を虚構・幻想だと否定する人がいるが、その虚構・幻想を地球上に広め、定着させることが重要なのだ。

日本が世に出した代表的なキャラクター「ゴジラ」は、核エネルギーもしくは核兵器のメタファーと考えられる。
⇒2012年10月21日 (日):ゴジラは何の隠喩なのか?/戦後史断章(2)
それは、第五福竜丸事件に触発されて第一作が「水爆怪獣」として設定されたことからも首肯できる。
⇒2011年5月 9日 (月):誕生の経緯と香山滋/『ゴジラ』の問いかけるもの(1)

そして福島原発事故を体験した。
ヒロシマア、ナガサキに次ぐ被曝体験である。
昨年評判になった『シン・ゴジラ』の解読は多様であるが、福島原発事故との関係を抜きにはできないだろう。
⇒2016年8月 1日 (月):『シン・ゴジラ』と福島原発事故/技術論と文明論(60)

今年は、官僚の行動様式が話題になった。
『シン・ゴジラ』の見どころの1つは、官僚機構と危機対応である。
佐川宣寿、前川喜平、藤原豊、柳瀬唯夫氏らの思考と行動が国民の目に晒された。
主権者であるわれわれの判断が問われと言えよう。

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2017年8月 8日 (火)

民主党政権の「顧客満足度」から学ぶ/戦後史断章(26)

このブログを始めて10年。
入院してネットへ接続できなかった期間を除き、基本的には関心の向くままに書いてきた。
当初の想定とはだいぶ変わってきた。
想定していなかった最大の出来事は、やはり東日本大震災と福島原発事故だと思う。
⇒2011年3月11日 (金):大規模地震で日本国はどうなるのか?

私は2012年8月と2016年8月に東北旅行をしたが、2012年の時は、未だ爪痕が生々しい状態であった。
⇒2012年8月27日 (月):大川小学校の悲劇と避難誘導の難しさ/因果関係論(20)・みちのく探訪(1)
去年は直接の被災地へは出向かなかったが、南相馬市出身の知人の話等を聞くと、東日本大震災、とりわけ原発事故からの復興は未だ途上だと感じざるを得ない。

福島原発事故は廃炉の工程の入り口にも立っていない。
規制委の適合性審査は必要条件に過ぎないのに、合格したら可及的速やかに稼働させるというのは明らかに短絡だろう。
⇒2013年7月 9日 (火):規制委の安全性審査は必要条件ではあるが十分条件ではない/花づな列島復興のためのメモ(243)

政治・社会的には民主党への政権交代(とその失敗)が残念であった。
⇒2009年9月 1日 (火):総選挙における「風」と「空気」
政権交代の総選挙の盛り上がりは、戦後史の特筆すべき事象と言える。
自民党政権へのウンザリ感が、空前の風を呼び起こした。

似たような「風」の威力は、最近の都議選でも見られた。
自民党へのウンザリ感の受け皿となったのは、都民ファーストの会であり、民主党の後継である民進党は、戦う前から敗北していたのだった。
⇒2017年7月 2日 (日):都議選の結果は国政にどう影響するか/日本の針路(323)

民進党(旧民主党)は、なぜ、かくも人心から離れてしまったか?
マーケティングにおいて、顧客満足度は次のように表されるという。
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顧客満足度を高めている企業は「事前期待」を掴んでいる

つまり、期待か大きかった分、結果に落胆したのである。
そのガッカリ感が未だに尾を引いている。

現政権不支持の理由の第1位が「首相が信頼できない」であるにかかわらず、支持の理由は「他の政権よりマシ」である。
地方首長選に事例があるように、与野党対決型の選挙では結構反自民側が勝利しているケースが多い。

民進党は細野豪志氏が離党して新党を目指すという。
若狭勝氏の「日本ファーストの会」との合流・統合も噂されている。
どういう形で反自民党政権の受け皿が現実化するのか想定は難しいが、小異を捨てて大同に付くことが必要である。
小沢一郎氏の唱えている「オリーブの木」方式しかないのかも知れない。
次の総選挙では、野党統一候補を何人立てられるかが鍵になると思う。

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2016年8月28日 (日)

台風10号の経路と狩野川台風/戦後史断章(25)

台風10号の動きが不気味だ。
八丈島付近で発生し、南西方向に進んだ後、エネルギーを蓄えて、本州を狙っている。
あたかも意志あるものの戦略的行動のように見える。
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日本付近の進路予想

通常今頃は、日本の南の海上に太平洋高気圧が張り出すため、その北側を吹く西よりの風や、ジェット気流と呼ばれる上空の強い西風に流され、日本付近では北東方向に進む。
ところが10号は、日本付近で北西に変わると予測されている。
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台風10号 史上初ルートで本州接近・上陸へ

原因は、「いつもより東に偏った太平洋高気圧」と「寒冷渦」と言われる。
台風10号は、東日本に接近すると、寒冷渦の反時計回りの風に乗って、「東北太平洋側からの上陸」の可能性が高まっている。
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台風10号 史上初ルートで本州接近・上陸へ

史上初ルートと言われるが、本州中央に上陸した台風に狩野川台風がある。
1958年(昭和33年)9月27日、台風第22号が神奈川県に上陸した。
伊豆半島と関東地方に大きな被害を与えたが、特に狩野川流域で被害が大きかったことから、狩野川台風と命名された。
伊豆半島の状況について、狩野川台風-Wikipediaには、以下のように記されている。

雨は25日から降り始めたが、台風と前線の影響で26日にはわーとなり、台風の中心が伊豆半島に最も接近した26日20時から23時頃が最も激しく、湯ヶ島では21時からの1時間雨量が120ミリメートルにも達し、総雨量は753ミリメートルに及んだ。
この大雨のために、半島の中央部を流れる狩野川では上流部の山地一帯で鉄砲水や土石流が集中的に発生した。天城山系一帯では約1,200箇所の山腹、渓岸崩壊が発生[。旧中伊豆町の筏場地区においては激しい水流によって山が2つに割れたほどだった。同時に、所によっては深さ12メートルにもなる洪水が起こり、これが狩野川を流れ下った。この猛烈な洪水により、川の屈曲部の堤防は破壊されて広範囲の浸水が生じ、また途中の橋梁には大量の流木が堆積し、巨大な湖を作った後に「ダム崩壊現象」を起こしてさらに大規模な洪水流となって下流を襲った。旧修善寺町では町の中央にある修善寺橋が同様の状態になり、22時頃に崩壊し鉄砲水となって多くの避難者が収容されていた修善寺中学校が避難者もろとも流失した。さらに下流の大仁橋の護岸を削り、同町熊坂地区を濁流に飲み込み多数の死者を出した。この地区の被害が大きかったために、当時の首相である岸信介がヘリで視察に来るほどだった。旧修善寺町の死者行方不明は460人以上。その他、旧大仁町・旧中伊豆町など狩野川流域で多くの犠牲者が出た。
狩野川流域では、破堤15箇所、欠壊7箇所、氾濫面積3,000ha、死者・行方不明者853名に達し、静岡県全体の死者行方不明者は1046人で、そのほとんどが伊豆半島の水害による。

台風第22号は進路を北北東ないし北東に取って26日21時頃伊豆半島のすぐ南を通過し、27日0時頃に神奈川県東部に上陸した。
勢力は衰えていたが日本付近に横たわる秋雨前線を刺激し、東日本に大雨を降らせた。
27日1時には東京のすぐ西を通過して、6時には三陸沖に抜け、9時に宮城県の東の海上で温帯低気圧になった。
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狩野川台風-Wikipedia

今年の台風10号とは大分進路が異なる。
狩野川台風の被害は、静岡県では、空前絶後と言って良いだろう。
狩野川の洪水対策としては、狩野川放水路が、1951年6月に建設に着手されていたが、完成する前に狩野川台風の直撃を受けた。
完成したのは、それから7年後の1965年7月にであった。
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狩野川放水路-Wikipedia

平成27年の台風第18号では、上流域の天城山で400mm超の大雨を観測し、この放水路がなければ浸水被害もあり得たと言われる。

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2016年1月14日 (木)

『母と暮らせば』と複素的な世界観/戦後史断章(24)

山田洋次監督の『母と暮らせば』は、山田監督の「70年談話」に相当するものと考えられよう。
「戦後70年」だった昨年は、さまざまな議論が交わされた。
中でも、安倍首相は入念な準備の上に談話を発表した。
⇒2015年8月15日 (土):安倍首相の「70年談話」を読む/日本の針路(213)
その評価は人によってさまざまであろうが、「戦後レジーム」の否定は彼の一貫した主張である。
「戦後」とひと言で言うけれど、もちろん戦争があっての「戦後」である。
多くの戦死者、戦傷者、あるいは難民となた人々の上に戦後はある。

『母と暮らせば』は、井上ひさしさんに捧げたオマージュである。
井上ひさしさんの、『父と暮らせば』は、広島の原爆で死んだ父と生き残った娘との物語である。
『母と暮らせば』は、舞台を長崎に移し、死んだ息子・浩二(二宮和也)と生き残った母・伸子(吉永小百合)に変えた。
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http://hahatokuraseba.jp/

長崎医大の学生だった浩二は、8月9日に大学の講義を受講中に、原爆で一瞬のうちにこの世から消えてしまう。
原爆の爆風で浩二の使っていたインク瓶が変形して溶けていく映像が印象的だ。
物語は、亡霊の浩二と母の会話を軸として進む。

実の世界と虚の世界があるという考え方がある。
実軸と虚軸で構成される複素平面的世界観とでも言えよう。
虚軸は不可視ではあるが、深層の世界で作用している。
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【色即是空】の意味

浩二は亡霊であるから、浩二との会話は虚の世界である。
母の心の中の出来事とも考えられる。
もちろん虚の世界だけでなく、実の世界も描かれている。

実の世界の登場人物には、浩二の恋人だった町子(黒木華)や「上海のおじさん」(加藤健一)、町子と結婚することになる黒田(浅野忠信)などである。
町子は親身になって伸子の世話をしているが、伸子の「浩二のことはもう忘れて、いい人がいたら結婚しなさい」という説得を受け入れて、復員した同じ学校の教師の黒田と結婚する。
黒田は戦争で負傷した障害者で、戦争の犠牲者の一人である。

町子と黒田を結びつけるのは、浩二が遺したメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のレコードである。
甘く切ないメロディが効果を上げている。
「上海のおじさん」は闇市で逞しく商売するフーテンの寅さんのような人物である。
井上ひさしさんは、一時期浅草で渥美清と一緒に仕事をしていたことがあり、山田洋次監督の両者への思い入れの一端が窺われる。

昨年は1年を通してテロの印象が強かった。
理不尽なテロに屈してはならないだろうが、テロに対する戦いとしての空爆が解決の手段になるのだろうか?  
現在も、空爆によって多数の無辜の市民が犠牲になっている。
広島・長崎への原爆投下は、その極限的なものである。
また、ヨーロッパに逃れた大量の難民は、新たな問題の火種になっている。
負の連鎖である。

今年も年初から、サウジアラビアとイランの国交断絶や北朝鮮の水爆(?)実験など、世界は不穏な雰囲気に包まれている。
安倍晋三政権は、積極的平和主義を標榜して、集団的自衛権を軸とする安保法を成立させた。
他国の戦争に介入することが積極的平和とは、普通の感覚では理解しかねる。
常識的な平和主義に戻る年でありたい。

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2016年1月13日 (水)

沼津自由大学というトライアル/戦後史断章(23)

敗戦の翌年の昭和21(1946)年、沼津中学(現沼津東高)の昭和8年卒業生の同窓会が、開かれた。
同期生の少なからぬメンバーが戦死していた。
生き残った会員の中から、祖国と郷土の再興を誓う声が上がり、その根本は文化運動ではないかということになった。

同窓会は、「昭八会」と名付けられ、具体的な活動が始まり「沼津自由大学」と名付けられ、第1回が7月7日から14日にかけて連続講演会が開かれた。
講師には、各界の超一流人が名を連ねた。
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沼津史談会という集まりで、同会の会員でもあり昭八会のメンバーでもある矢田保久氏(100歳)が講演する予定だったが、当日体調がすぐれずピンチヒッターが立ったが、当時の資料などを閲覧することができた。
交通事情も良くない中で、よくこれだけの講師陣を揃えたと感嘆する。

昭八会の会員に朝日新聞の東京本社の記者がおり、そのツテを生かしたことが大きいだろう。
その他に、沼津中学の美術の教師を務めていた前田千寸(ゆきちか)という人の存在が大きかった。
沼津中学は、芹沢光治良、井上靖、大岡信という3人のペンクラブ会長を出している。
3人ともが、前田の薫陶を受けている。
『黯い潮』『夏草冬涛』(井上靖)、『人間の運命』(芹沢光治良)等の作品には前田千寸をモデルとした人物が登場している。

例えば、井上靖は、『青春放浪』で次のように書いている。

 この教師に、私は終戦後に、中学卒業以来初めてあって、彼が『日本色彩文化史の研究』という大著に取り組んでいることを始めて知った。私たちが中学生であった当時、前田さんはこの終生の仕事に既に取りかかっていたのであった。
   私は「黯い潮」という小説にその旧師の仕事を書かせてもらった。前田さんの仕事は河出書房から出た『むらさき草』という書物としてみのり、毎日出版文化賞を受けた。そして更に全部の仕事が岩波書店から出た『日本色彩文化史の研究』という大著として完成した。

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