石原莞爾と2・26事件/満州「国」論(15)
昨日は2・26事件の発生から77年目の日であった。
昭和11(1936)年2月26日、陸軍の一部皇道派将校に率いられた1400名の兵が、首相・陸相官邸、内大臣私邸、警視庁、朝日新聞などを襲撃、陸軍省・参謀本部・警視庁などを占拠した。
大雪が降っていたことは、写真、映画などで私も見知っている。
翌27日に東京市に戒厳令が施行され、28日になると戒厳司令部の香椎長官は次のような「兵に告ぐ」というビラを撒く。
今からでも遅くないから原隊へ帰れ。抵抗する者は全部逆賊であるから射殺する。お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ。
このビラを読んだ兵や下士官たちは、「逆賊」という言葉に動揺し、大勢は帰順して、一部の幹部は自決し、残りは全員逮捕された。
斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害され、岡田啓介首相のは難を逃れたもの松尾伝蔵陸軍大佐が身代わりになって殺されるという大事件はあっけない結末を迎えた。
この事件については、膨大な研究書や文学作品がある。
人によって評価はマチマチだろう。
しかし、激動の時代を象徴する事件だったことは間違いないだろう。
昭和 6年 9月18日 満州事変
昭和 7年 1月 8日 桜田門天皇狙撃未遂事件
1月28日 上海事件
3月 1日 満州国建国宣言
5月15日 5・15事件(犬養首相殺害)
昭和 8年 3月27日 国際連盟を脱退
昭和11年 2月26日 2・26事件
昭和12年 7月 7日 蘆溝橋事件
昭和13年 4月 1日 国家総動員法公布
昭和16年12月 8日 日本軍真珠湾を奇襲
まさに日本が坂道を転がる如く、戦争の泥沼にはまり込んでいくのが分かる。
その出発点となったのは、満洲事変であったといってよいであろう。
満洲事変。
その立役者は、板垣征四郎と石原莞爾ということも、まあ定説といっていいだろう。
小澤征爾の名は、国際的に通用する日本人の代表格といっていいだろうが、征爾の名前は、板垣征四郎の征と石原莞爾の爾をとって命名された。
満州青年連盟などの運動に携わった征爾の父小澤開作は、2人に傾倒していた。
「智謀石原、実行板垣」と称せられていたように、石原莞爾は脳力に秀でていた。
謀略によって満洲事変を起こし、それを契機として約1万の関東軍をもって、あっという間に、23万といわれる張学良軍を撃破して満州を領有する。
関東軍の方針は領有から建国に転換し、満洲「国」を建国するが、敗戦と共にはかなく消えた。
満州国の建国の理念として、『五族協和の王道楽土』 というコンセプトである。
五族協和とは満州人、蒙古人、漢人、日本人、朝鮮人で、これらの民族が協力して 『多民族国家』 を形成し、欧米諸国のような覇道によらずに王道をもって治めると謳われた。
⇒2011年11月22日 (火):イーハトーブと満州国/「同じ」と「違う」(35)・満州「国」論(1)
満州「国」建設は、石原莞爾の主導によるものと考えていいだろう。
石原の構想は、満蒙領有論から満蒙独立論へ転向し、日本人も国籍を離脱して満州人になるべきだとした。
その背景に、石原独自の最終戦争論があった。
すなわち日米決戦に備えるためのステップとして満蒙独立があり、それを実現するための民族協和であった。
満州「国」建設を主導した石原莞爾は、2・26事件に対しては、断固鎮圧すべしという立場でブレなかった。
陸軍首脳の多くがどっちつかずの態度であったのに比して大きな違いである。
2・26事件が起きた時、石原は参謀本部作戦課長だった。
東京警備司令部参謀兼務で反乱軍の鎮圧の先頭にたった。
この時の石原の態度について昭和天皇は「一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく分からない、満洲事件の張本人であり乍らこの時の態度は正当なものであった」と述懐している。
もちろん 「正当」というのは、昭和天皇から見てである。
満洲事変や2・26事件の背景として、東北地方農村部の疲弊があった。
現在も、東日本大震災、とりわけ福島原発事故によって、東北地方に大きな犠牲を強いている。
1930年代の日本は世界恐慌の直撃を受けて大不況の真っただ中。特に東北地方は「昭和東北飢饉(ききん)」といわれる飢饉に襲われ、娘の身売りが相次いだ。2・26事件が起きた一因にはこうした農村の疲弊があったと指摘されている。
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2・26事件当時と現代の世相がどうしてもだぶってみえてしようがない。リーマン・ショック後の先行きが見通せない景気、大震災による東北地方の疲弊、震災と原発事故に対応が後手後手となっている政治への不信、そして、保身に走る政府首脳と国民そっちのけかのような政治家の権力闘争劇…。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110515/stt11051507010001-n1.htm
確かに、80年前の国情と重なる部分があるように思う。
「歴史は繰り返す」といわれるが、繰り返さないのが人間の知恵というものだろう。
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