みちのく探訪

2012年10月28日 (日)

みちのくの小京都・角館/みちのく探訪(2)

秋田県仙北平野の北端に位置する角館は、みちのくの小京都と呼ばれている。
8月の旅行のとき、初めて訪れた。

町の中を流れる2つの川、桧木内川と玉川にはさまれて町並みが広がっている。
Photo
http://www.city.semboku.akita.jp/sightseeing/spot/07.html

角館は桜が有名であるが、8月の旅行で初めて訪れた。
⇒2012年8月27日 (月):大川小学校の悲劇と避難誘導の難しさ/因果関係論(20)・みちのく探訪(1)

角館に着いたのが、ちょうど昼飯時だったので「しちべぇ」という処で、昼食。
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稲庭うどん派ときりたんぽ派に分かれたが、私はきりたんぽにした。

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暑い盛りだったが、比内地鶏のスープが旨かった。

角館は、歴史ある武家屋敷の街並みから、「みちのくの小京都」と呼ばれている。
小京都とは、古い町並みや風情が京都に似ている街に名づけられた愛称である。
室町時代以降、各地の大名が京都を真似た町づくりをし、それが小京都の起源となった。

街の骨格は1620年(元和6年)角館地方を治めていた芦名義勝によって造られた。
街の設計上有名なのは、「火除(ひよけ)」と呼ばれる広場を中心に、北側は武家屋敷が建ち並ぶ「内町(うちまち)」に、南側は町人や商人が住む「外町(とまち)」に分けていることである。
この町割りが390年後の今日も、ほぼ変わらず残っている。
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http://www.digi-came.com/jp/modules/pguide2/index.php?id=14

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内町風景。外町方向を望む。
お上りさんの常として、代表的な武家屋敷をいくつか拝見した。

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茅葺き屋根が武家の面影を残している。

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イタヤ細工の実演。

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岩橋家。樹齢300年以上の柏の木がシンボルとなっている。

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古い味噌屋の安藤醸造。同行の婦人は、使っているとかで、わざわざ買って帰っていた。

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2012年8月27日 (月)

大川小学校の悲劇と避難誘導の難しさ/因果関係論(20)・みちのく探訪(1)

知人たちのグループの東北旅行に便乗した。
昨年、一緒に龍谷ミュージアムに行った人たちで、私以外は小学校以来の仲間である。
⇒2011年11月30日 (水):龍谷ミュージアム/京都彼方此方(3)
秋田、岩手、宮城の3県を2泊3日で訪ねるというなかなかハードな旅行だった。
足手まといになることに躊躇いもあったが、車いすまで用意してくれるという好意に甘えさせて貰うことにした。

最終日の昨日は、松島のホテルを朝発って、先ず石巻に行った。
みな、実際に被災地の現場に行ってみたいという思いを持っていたようである。
沼津に現住している人間が過半なので、津波の状況を現認しておきたいということでもある。

日和山公園から俯瞰的に港の様子などを眺めたが、誰ともなしに、大川小学校に行こうということになった。
前夜、小学校時代の思い出話に花を咲かせたことが、潜在的な意識として働いたのだろうか。

大川小学校の悲劇については、津波で児童74人、教職員10人が亡くなったことで「3・11」の災害の中でも大きく伝えられている。
学校は、北上川の河口近くに位置している。
Photo
http://kaikaedoki.seesaa.net/article/207189187.html

児童の避難誘導に関して、学校側の対応が適切なものであったか否かが問われている。
今日の東京新聞にも、26日に公表された石巻市教育委員会の調査結果に関する記事が載っていた。
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東京新聞120827

 校内の三つの時計は3時37分で止まっており、津波はその時間に校舎に到達したとみられる。当時学校にいた近所の男性によると、児童や先生が校庭を出て交差点に向かって裏山沿いの道を歩いていた時、前から来た津波にのまれた。とっさに裏山を駆け上がった児童たちが難を逃れた。
 学校に一番近い高台は学校の裏山。なぜすぐに裏山に逃げなかったのか。保護者の多くがその1点に疑問を持っているが、詳細な経緯は不明だ。

http://kaikaedoki.seesaa.net/article/207189187.html

詳しい状況について知らないが、学校側の責任を問うことはいささか酷ではなかろうか。
しかし、学校が避難場所に指定されていたことも含め、反省点はあると思われる。
児童を含む多数の生命が喪われたのは事実であり、どうすれば良かったのか、検証は必要であろう。
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校舎は津波の威力を伝えるかのように破壊されたままの状態である。
日頃陽気なTさんが、大粒の涙を流していた。
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校庭も一部雑草地に化しつつある。
賑やかな声が弾んでいただろうことを考えると辛い。
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子供たちはどんなに怖かっただろうか。
私も、声を立てることはなかったが、熱いものがこみ上げてくるのを抑えきれなかった。

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