追悼

2018年11月29日 (木)

破滅文士型コラムニスト・勝谷誠彦/追悼(133)

コラムニストの勝谷誠彦さんが亡くなった。
57歳で、肝不全だった。
兵庫県尼崎市の開業医の家に生まれ、灘中・灘高を経て、早稲田大学第一文学部を卒業、文藝春秋社に入社。
退社後、フリーランサーとして活動した。181129
東京新聞11月29日

昨年の兵庫県知事選の出馬し、固い地盤を持つ現職の井田敏三氏に敗れたものの、65万票近くを獲得している。
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今年8月21日に、激しい腰痛に襲われ、そのまま入院した。
劇症肝炎という病名だったが、アル中であり、入院中から隠れて飲酒していたらしい。
辛口で攻撃的な文章が多かったが、根は繊細な精神の持ち主だったはずである。
いつか旅するひとへ』潮出版社(9808)という本を読んだとき、テレビでの印象とは異なり、フラジャイルな人だと感じた。
2007年9月 2日 (日) 偽装国家

なお、偽装国家―日本を覆う利権談合共産主義 』扶桑社(0703)という著書があり、何よりも偽装を侮蔑・嫌悪してきたはずの人が、「偽装国家」の元締めともいうべき安倍晋三首相とは意気投合していたようで、不可解である。
2018年9月 3日 (月) 公文書管理と偽装国家の本領/メルトダウン日本(24)

政治的には右翼的な発言が多いが、田中康夫氏が当選した長野県知事選では田中氏を応援した。
2010年8月 9日 (月) 長野県知事選をめぐる感想
市民派的感覚も持ち合わせていた。

灘中へ進学するほどだから、小学生時代は成績優秀だったはずである。
灘高時代の同級生に精神科医の和田秀樹氏、イスラム学者のハッサン中田氏等がいる。
東大も受験して失敗しているというから、コンプレックスを内蔵していたのかも知れない。

早稲田一文の同期生だった森谷明子さんと一時期結婚していた。
2017年7月 7日 (金) 森谷明子『春や春』/私撰アンソロジー(48)
なお作家の小川洋子さんも同期である。⇒2014年2月 4日 (火):小川洋子『博士の愛した数式』/私撰アンソロジー(31)
早稲田一文というのは、作家・モノ書きの集まる学部だが、この学年は特に傑出していたと言えよう。

才能を評価する鑑識眼は一流だっただろうから、コンプレックスに輪をかけたのかも知れない。
最近はめっきり少なくなった太宰治や田中英光などと似ている破滅型文士と言えるが、天賦の才を破滅させたのは、自分に対する「甘え」ではないだろうか。
入院中も飲酒を断てなかったことが証明している。
天国ではきっぱりと断酒して才能を発揮されることを。
合掌。

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2018年10月27日 (土)

ミスター半導体・西澤潤一/追悼(132)

半導体の世界的権威で、文化勲章、米国電気電子学会(IEEE)エジソンメダルなどを受賞した元東北大総長の西澤潤一さんが、21日、仙台市内で死去した。
92歳だった。
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東京新聞10月27日

西澤さんは、何よりも独創性を重んじた人として知られる。
技術開発には、改良・応用技術開発=セカンダリーな独創と基礎からの開発=プライマリーな独創とがある。

たとえば、奇妙な現象にAが気が付き、Bが着目して、Cがアイディアを思いついて、Dが実験で確かめ、Eが理論的に体系づけて、Fが実用化し、Gが工業化した。
A、B、C、D、E、F、Gそれぞれが広義の独創者である。
それぞれが重要であるが、種子から育てていこうとする風土が日本には欠けている。
独創的な成果を生むには、思考の原点において自由でなければならない、というのが西澤さんの意見だ。
2009年10月10日 (土) プライマリーな独創とセカンダリーな独創

そしてそれは日本で初めてノーベル化学賞を受賞した福井謙一博士の理論のバックボーンでもある。
米沢貞次郎、永田親義『ノーベル賞の周辺―福井謙一博士と京都大学の自由な学風』化学同人(9910)によれば、「京都大学が伝統的に持つとされる自由な雰囲気」である。

2009年のノーベル物理学賞は、光ファイバーによる情報通信への貢献を評価された元香港中文大学長のチャールズ・カオ博士と電荷結合素子(CCD)センサーの発明を評価されたウィラード・ボイル博士、ジョージ・スミス博士の3人に与えられた。
光ファイバーが授賞対象になるのであれば、当然、西澤さんが受賞してしかるべきだったと思う。
2009年10月 7日 (水) 今年のノーベル物理学賞と西澤潤一氏の研究

ノーベル賞には恵まれなかったが、日本を代表する独創の研究者だったことは万人が認めるところであろう。
合掌。

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2018年9月17日 (月)

さりげなく計算されつくした演技・樹木希林/追悼(131)

女優の樹木希林さんが亡くなった。
9月15日2時45分、東京都渋谷区の自宅で家族に看取られ、75歳で生涯を終えた。
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東京新聞9月17日

さりげない自然に見える演技だったが、計算された演技でもあったと思う。
私は、是枝裕和監督の「万引き家族」がカンヌ国際映画祭で、パルムドールに選ばれたというニュースを聞き、近くのシネコンで先行公開されていたのを観に行った。
期待に違わない作品で、いろんなことを考えさせられた。
日本的な感じもするが、それを超越した普遍性が審査員に響いたということだろう。001_2

是枝監督は、登場する各世代で、最もうまい役者に頼んだという趣旨のことを話していた。
日本映画史に残る名優であろう。

行動派でもあった。
2015年に東海テレビで放映された『戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅』では、ナビゲーター役を務め、残留孤児、原爆、特攻隊、沖縄戦など戦争の悲惨さについて、真剣に迫っていた。
沖縄をテーマにした回では、辺野古の新基地建設に反対する人びとが集うキャンプ・シュワブのゲート前に現れ、座り込みを続ける86歳のおばあ、島袋文子さんの手を握り、語り合った。

沖縄知事選の最中に、安室奈美恵が出身地である沖縄で25年の芸能活動にピリオドを打ったのと同期するかのようにこの世を去った。
行く末を見届けられなかったのは残念だろうが、安らかにお眠りください。
合掌。

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2018年8月28日 (火)

ちびまる子ちゃんの昭和の日常・さくらももこ/追悼(130)

国民的な人気アニメ「ちびまる子ちゃん」を生んだ漫画家のさくらももこさんが乳がんで亡くなった。
53歳という若さであり、余りにも早い死である。

「ちびまる子ちゃん」は、1970年代の静岡県清水市(現静岡市清水区)に暮らす山口百恵好きのおっちょこちょいな小学3年生・まる子が主人公だ。
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東京新聞8月28日

いつも味方になってくれる祖父の友蔵(ともぞう)や酒好きの父ヒロシ、叱り役のお母さん、ドライな性格のお姉ちゃんらの3世代6人家族に、親友のたまちゃん、お金持ちでキザな花輪クン、学級委員になることに全てをかける丸尾君ら個性的なクラスメートが加わって繰り広げる昭和のほのぼのとした日常を描く。連載は86年に始まり、90年のアニメ化で爆発的な人気に。同年10月に最高視聴率39・9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録するなど、平成のお茶の間で絶大な支持を集めた。
昭和の日常描く「ちびまる子ちゃん」 平成を駆け抜けた

評論家の中森明夫さんは「平成の初期はバブル崩壊や阪神大震災、オウム事件と暗い話題が多かったが、人々は昭和のように上昇しなくても、身の回りの楽しみ、小さな喜びを見つけていったのではないか。ちびまる子ちゃんはそんな時代を象徴する番組だった。SMAP解散、安室奈美恵引退と続き、平成の終わりを感じる」と語っている(同上)。た。

また、作家の吉本ばななさんは 「青春を共に過ごしたももちゃん、闘病は知っていましたが、いつも元気にメールをくれるから回復を信じていました。言いがたいほど淋(さび)しく、残念です。」とがんと闘いながらも、さくらさんが明るく元気なメールを届けてくれていたことを告白。「友だちとして、たくさんの楽しい思い出をありがとう。私たちの時代に、まるちゃんやコジコジをもたらしてくれて、ほんとうにありがとう。」と青春時代から変わらぬ友情に感謝した。
さくらさんの闘病知っていた数少ない親友、吉本ばななさん悲痛、友情に感謝

さくらさんは、今年亡くなった西城秀樹さんのファンで、亡くなった時に自身が闘病中でもあったが。次のようなメッセージを発していた。
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平成が終わりに近づき、昭和はますます遠ざかって行く。

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2018年8月 8日 (水)

辺野古移設反対のシンボル・翁長雄志/追悼(129)

膵の治療を続けていた沖縄県の翁長雄志知事が8日、沖縄県浦添市の病院で死去した。
67歳だった。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に強く反対し、保革を超えて移設反対派の支持を得てきた。
移設反対運動のシンボル的存在だった。

先月には、前知事が下した移設の承認決定を取り消しており、移設問題がヤマ場を迎えている時期であり、さぞや無念だっただろうと察する。
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東京新聞7月28日

翁長氏の死去に伴い、11月に予定されていた県知事選は、前倒し実施される。
果たして新知事は翁長氏の遺志を継ぐ側が就任するか、安倍政権側が就任するのか?
沖縄県民の意思が問われる。
それにしても心労が死期を早めたとすれば、そしてその可能性が大きいと考えるが、過酷なことだと思う。
沖縄の未来は「慰霊の日」に「平和の詩」を読み上げた相良倫子さんのような世代が、しっかりと築いていくと考える。
2018年7月23日 (月) 官僚の作文を棒読みするだけの安倍首相/ABEXIT(76)

次世代を信じて安らかにお眠りください。
合掌。

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2018年7月22日 (日)

シナリオ界の巨人・橋本忍/追悼(128)

黒澤明監督の「羅生門」や「七人の侍」など数多くの名作を手掛けた脚本家の橋本忍さんが19日、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去した。
100歳だった。
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東京新聞7月21日

昔、リサーチの仕事をやっていた頃、訴求力のある報告書を作成するため、シナリオ・ライティングの技法を学ぼうという話になった。
新井一『シナリオの基礎技術』ダビッド社(1968年)等を参考にしようとしたが、メンバーの歩調が合わず、長続きしなかった。
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橋本さんのシナリオの技術研鑽の方法として、次のようなことが伝えられている。1807222
東京新聞「筆洗」7月22日

日本映画の黄金期を支えた脚本の巨人であり、私も思い出の作品がいくつかある。

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 名作の数々を手がけた橋本さんは、骨格のしっかりした構成とスリリングなストーリー展開で知られた。「砂の器」(74年)に代表される回想形式で時間軸を巧みに交錯させる手法は圧巻。小説を映画化する際、原作にとらわれない構成の妙は、まさに“脚本の巨人”として他の追随を許さなかった。
 黒澤明監督との出会いが、脚本家人生の礎となった。初めて脚本化に取り組んだ芥川龍之介の短編「藪の中」を目にした黒澤監督が気に入り、映画化が浮上した。だが「(脚本が)ちょっと短いんだよな」と言われ、とっさに思いついて「羅生門」を入れ込み改稿。満足いかない出来だったところ、黒澤監督が手を入れた脚本に驚かされたという。橋本さんのひらめきを黒澤監督は見事に脚本に反映させていた。以降、黒澤監督の鋭い洞察で磨かれた橋本さんは「世クロサワ」を“黒子”として支えた。
 脚本だけでなく、マルチな才能の持ち主だった。無類の競輪好きとしても知られ、勝負事に強く、実業家としても頭角を現した。独立プロダクションを設立し、それまで“量産主義的”だった日本映画に、脚本重視の流れを生みだした。師である伊丹万作監督の教え通り「字を書く職人」に徹し「良い脚本から悪い映画ができることはあるが、悪い脚本から良い映画はできない」が信条だった。

平成が終わるのと同期するように、昭和の巨人たちが亡くなっていく。
当然ではあるが、やはり寂しいものだ。
合掌。

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2018年7月20日 (金)

劇団四季という在野・浅利慶太/追悼(127)

劇団四季の元代表で、「キャッツ」「ライオンキング」のミュージカルを手掛けた演出家の浅利慶太さんが13日、悪性リンパ腫のため都内の病院で亡くなった。
85歳だった。
東京新聞のコラム「筆洗」(7月19日)は次のように書いている。

「モトシキ」という専門用語が演劇界にはある。ロシア語のようだが、日本語である。せりふが明瞭で鍛えられた俳優のことをそう呼ぶ▼「元四季」。劇団四季の出身者のことである。それほどその劇団の訓練は厳しい。「観客に聞き取れないセリフを話している俳優は舞台に上がってはならない」。そう語っていた、日本の演劇と興行を変革した演劇人が亡くなった。劇団四季の元代表で演出家の浅利慶太さん。

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東京新聞7月19日

 人脈の広さの原点は61年、開場を控えた日生劇場の役員に就任したことだった。28歳だった浅利さんは「ウエスト・サイド物語」の来日公演を企画したが、当時は外貨事情が悪く、政府の許可なくては外貨を使えなかった。そのため、浅利さんは大蔵大臣に直談判。じっくり話を聞いた大臣は「わがままはこれ限りにして」と言いながらも、関係部署に電話。「こういう質の高い作品を招くのは、意義のあること。希望に沿うようにしてあげてください」と指示した。故田中角栄元首相との出会いだった。
 58年に親友の石原慎太郎氏と安保反対の「若い日本の会」で活動。75年に石原氏が都知事選に出馬した時は選挙参謀を務め、さらに佐藤栄作元首相や中曽根元首相のブレーンになるなど、政財界に人脈を広げた。72年の佐藤元首相の退陣会見で「新聞記者は出て行け」と発言した時も、浅利さんが「1度だけテレビを通じて国民に語りかけられてはどうか」と進言したことが発端だった。83年にレーガン米大統領が来日した際、中曽根元首相との日の出山荘会談を演出した。

「石原慎太郎氏と安保反対の「若い日本の会」で活動」というのは時代の相として、若者は権力と対峙すべしという暗黙の了解があったのだろう。
石原慎太郎は老害とも言うべき存在になった。
2014年3月 9日 (日) 石原慎太郎の耄碌/人間の理解(3)

「今は昔」のこととしか言いようがないが、石原慎太郎も文学者だったのである。
2010年9月 9日 (木) 江藤淳の『石原慎太郎論』
そして、あえて言えば、私は文学者としての石原慎太郎は嫌いではなかった。
浅利慶太さんは、権力に近くはあっても在野であることの矜持は失わなかったと思う。
合掌。

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2018年5月19日 (土)

脳梗塞後遺症との闘い・西城秀樹/追悼(126)

昭和の歌謡史を情熱的な歌唱と激しいアクションで彩った歌手西城秀樹(本名・木本竜雄)さんが16日に死去した。
広島県出身で、63歳だった。
2度の脳梗塞に倒れ、懸命なリハビリを続けながら、最期まで「生涯歌手」にこだわった人生だった。

中国新聞は次のような号外を発行している。Photo_4

「絶唱型」と呼ばれた歌唱スタイルと、ダイナミックなステージだけでなく、ハウス食品「バーモントカレー」のCMでは「ヒデキ、感激!」などのキャッチコピーがお茶の間の人気になった。
さまざまな仕掛けの先駆でもあった。
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東京新聞5月19日

伊豆の河津町に、豊かな湯量で知られる峰温泉がある。
そこの喫茶店のカレーが好きだったという。1805182
東京新聞5月18日

48歳の時に最初の脳梗塞を発症し、8年後のに再発した。
右半身のまひと、会話をする際の言葉に障害が残ったが、「病気のおかげで多くのことに気付くことができた」と語っていた。
ほぼ同じ後遺症の私にとっては先達とも言えた。
苦しいリハビリももうしなくても良い。
ゆっくり休まれんことを。
合掌。

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2018年5月18日 (金)

ジャーナリストが受けた圧力・岸井成格/追悼(125)

毎日新聞元主筆でジャーナリストの岸井成格氏が、15日に肺腺がんで死去した。73歳だった。

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 東京生まれ。1967年慶応大法学部卒。同年毎日新聞社入社。ワシントン特派員、政治部長、論説委員長、主筆などを歴任した。
 コメンテーターとして、TBS日曜朝の情報番組「サンデーモーニング」などテレビやラジオなどに数多く出演。2013年から16年までTBSの夜のニュース番組「NEWS23」では、ニュースを分析し、掘り下げて伝えるアンカーを務めた。分かりやすい解説と歯に衣(きぬ)着せぬ発言で定評があり、14年には優れたテレビ作品などに贈られる「橋田賞」を報道番組の解説者として受賞した。16年にはTBSと専属契約を結んで「スペシャルコメンテーター」に就任した。
 著書に「大転換 瓦解へのシナリオ」「議員の品格」、主な共著に「政変」「政治家とカネ」などがある。
訃報 毎日新聞社特別編集委員 岸井成格さん73歳

岸井氏はニュース番組のアンカーとして、安倍政権を毅然と批判していた。

そして、『報道ステーション』(テレビ朝日)の古舘伊知郎や『クローズアップ現代』(NHK)の国谷裕子がキャスターを降板したのと同じ2016年3月をもって、岸井氏は膳場貴子キャスターとともに降板した。
 この一連の降板劇の背景にあったのは、言うまでもなく安倍政権からの圧力だった。メディアに睨みをきかせ、不都合な報道をおこなう番組には圧力をかける──これは安倍政権の常套だが、じつは官邸は、番組スタート時から、岸井氏に接近していた。
 2016年6 月に発売された、慶應義塾大学の法哲学ゼミで同期だったという佐高信との共著『偽りの保守・安倍晋三の正体』(講談社)で、岸井氏はこう語っている。
「「NEWS23」を始めてすぐの頃だと思う。安倍首相から官邸に来てくれと言われて、その時、菅とも顔を合わせた。安倍から「その節はお世話になりました」と挨拶されたんだけど、後で首相番連中が言うには、「岸井さん、あれはまずかった。どっちが総理かわからないですよ」と。私の態度がでかすぎたらしい(笑)」
 安倍首相が口にした「その節はお世話になりました」という言葉の意味は、岸井氏が晋三の父・安倍晋太郎の担当をしていたときのことを指しているらしい。岸井氏は「私は安倍のおやじさんの晋太郎には非常に可愛がってもらって、ある意味で逆指名的に私が彼を担当しているようなところがあった」と語っているが、外遊の同行では晋太郎の秘書を務めていた晋三と一緒だったという。
 だが、岸井氏は安倍首相の政策にはっきりと異を唱えた。
 なかでも2013年11月に特定秘密保護法案に反対する集会で呼びかけ人のひとりとなり、番組でも同法案を批判的に取り上げた。父・晋太郎との関係も深い「保守派」の人物だと認識していた安倍官邸は、この岸井氏の姿勢に激怒していたともいわれている。2014年12月には、安倍首相が『NEWS23』に生出演した際、街頭インタビューのVTRに「厳しい意見を意図的に選んでいる」と難癖をつけ、その後、自民党が在京テレビキー局に「報道圧力」文書を送りつけるという問題も起きた。
 こうしたなかで、岸井氏にはこんな出来事があった。岸井氏は企業の幹部に話をするという勉強会を長くつづけていたのだが、その場に菅義偉官房長官が突然、やってきたというのだ。
「(菅官房長官は)黙って来た。誰かから聞いて知ったんだろう。最初から最後までいたよ。終わると「今日はいい話を聞かせていただいて、ありがとうございました」と言って帰っていった。怖いよな」
「「どこで何を話しているか、全部知っていますよ」ということを見せているわけだ。「人脈も把握しています。岸井さんが動いているところにはいつでも入っていけますよ」というメッセージかもしれない」(前出『偽りの保守・安倍晋三の正体』より)
岸井成格が安倍官邸から受け続けた圧力の数々!安倍応援団による卑劣な「意見広告」攻撃の末、『NEWS23』降板に

官邸のメディア介入はすさまじい。
NHKの森友問題を追及していた記者が窓際に配置転換されるという。
 
 森友問題を最初に指摘した木村真豊中市議が15日、フェイスブックに〈大阪NHKの担当記者さんが、近く記者職から外されるということです!〉〈NHKが「忖度」したということなのか〉と投稿し、物議を醸している。
 これを受け、日刊ゲンダイが調べたところ、木村氏が言及したA記者は現在、大阪放送局の報道部の副部長だが、来月8日付で記者職を離れ、番組チェックなどを行う「考査室」へ異動する内々示が出されたという。
「考査室は、定年間際の社員が行くような部署で、悪くいえば“窓際”。A記者は昨年、森友問題が発覚した後、いち早く籠池前理事長のインタビューを行い『籠池に最も近い記者』とメディア関係者の間で一目置かれていました。今年4月4日の『財務省が森友学園側に口裏合わせ求めた疑い』をスクープしたのもA記者。文書改ざん問題など、検察の捜査が進んでいて、真相究明はまさにこれからというタイミングだけに、A記者も上層部に記者職を継続したいと伝えていた。なのに“考査室”ですからね」(NHK関係者)

そこまでやるか、という感じであるが、すべてのジャーナリストに圧力をかけられるものでもなく、信念を貫く人もいるはずだ。
結局は自分の首を絞めていることになろう。
ストレスがガンを誘発した可能性も否定できないが、安らかに眠りに就かれんことを。
合掌。

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2018年5月 9日 (水)

技術研究者から絵本作家へ・加古里子/追悼(124)

絵本作家の加古里子さんが5月2日亡くなった。
「だるまちゃん」シリーズ、「からす」シリーズ、『地球』『地下鉄のできるまで』をはじめとした科学絵本、『こどものとうひょう おとなのせんきょ』などの民主主義をテーマにした絵本などが代表作。
子どもたちの知的好奇心を刺激する多様な絵本を残した。

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5月2日に92歳で亡くなった福井県越前市出身の絵本作家、加古里子さんが武生(現越前市)で暮らした時期は7歳までと短かったが、古里に対する愛情は周囲が驚くほど深かった。近年は越前市のまちづくりにも協力を惜しまず、昨年8月には加古さん監修の「だるまちゃん広場」が武生中央公園にオープン。連日多くの子どもたちが絵本の世界観の中で、遊びながら加古さんが願った「生きる力」を育んでいる。
 「ふるさとはどこかとたずねられたら、もちろん、武生だと答えます」
 自叙伝的作品「未来のだるまちゃんへ」(文藝春秋)に古里への思いをつづった。2011年の越前市文化功労者表彰時に市から提案を受け開館した「かこさとしふるさと絵本館」のコンセプトを屋外に広げる形で、「だるまちゃん広場」の監修に力を注いだ。
 市の広場計画案に対し、加古さんが返した手書きの書面には自然科学の知識を生かしたアドバイスがびっしり。広場を見渡す市文化センターの壁には、加古さんが描き下ろした原画を基にした壁画「越前山歌(さんか)」(縦5メートル、横34メートル)が掲げられ、日野山、村国山に向かって歩くおなじみのキャラクターが子どもたちを見守っている。
 絵本館の谷出千代子館長(73)は15年に加古さん宅を訪れた際、武生の学びやや日野川での思い出を「懐かしいなあ」と目を細めていたことが忘れられない。「子どもたちが自ら考え、発見し、行動に移す大切さを絵本に託した先生の足跡を、越前市や福井県、日本、世界の子どもに伝えたい」と力を込めた。
 0歳の長女と7日に同館を訪れた近くの女性(35)は「温かみのある加古さんの絵本が子どものころから好きで、新作が出るのが楽しみだった。高齢だけどお元気と聞いていたのに」と驚いた様子だった。
加古里子さん「ふるさとは武生」

加古氏は『こどものとうひょう おとなのせんきょ』という絵本で、民主主義の誤解について書いている。
選挙で選ばれた為政者が、少数派の意見をいっさい聞き入れず強権的な態度で議論を封殺することが、「多数決」のお題目のもとで強行的に行われるのは、本当の民主主義ではない。
まさに、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪など、安倍政権のもとで幾度も繰り返されてきたことである。

今朝の東京新聞のコラム「筆洗」は、追悼文である。
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「自由な発想の多様性とそれを認め合う寛容さ」は、今の政権に欠けているものである。
加古さんが、「安倍政権は大本営の参謀の戦後版」と痛罵したのも尤もと言えよう。

1926年3月31日生まれ。
東京大学工学部応用化学科を卒業し、昭和電工に入社。
研究所勤務と並行して、セツルメントなど地域活動を行い、47歳で退職して絵本専業となった。
野坂昭如、大橋巨泉、菅原文太、金子兜太のなどの戦中派の多くが鬼籍に入りつつあり、戦争をリアルに知らない世代が、過ちを繰り返そうとしている。
敗戦直後の初心を忘れてはならない。
合掌。

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