日本文学への深い愛・ドナルドキーン/追悼(138)
太平洋戦争中には、米海軍語学将校として日本兵捕虜の尋問・通訳に従事した。
2011年3月の東日本大震災の津波被害と原発事故を憂えて、「大好きな日本に永住し、日本人になる」と表明年に日本国籍を取得し、2013年には、研究業績などを紹介する「ドナルド・キーン・センター柏崎」(同県柏崎市)がオープンした。
2012生涯独身で、後に養子に迎える新潟県出身の文楽三味線奏者、上原誠己さんと06年秋に知り合ったことが日本国籍取得(12年)の最大の契機になったという。
2012年から東京新聞等で『東京下町日記』を掲載し、日本文学への深い造詣と愛情を示した。
東京新聞2013年10月6日
戦後、大学に戻り、本格的に日本文学研究に打ち込み、53年には京都大大学院へ留学。後の文相で教育社会学者の永井道雄と親交を結ぶ中、中央公論社の嶋中鵬二社長を紹介されたのを機に、谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫ら多くの文学者と交流。古典から近現代文学まで幅広い日本文学作品に精通し、太宰治や三島、安部公房らの作品を積極的に翻訳、紹介した。谷崎、川端、三島らの名前が候補に挙がったノーベル文学賞の事前選考にも、大学の同僚だった日本文学研究者エドワード・G・サイデンステッカー(2007年死去)とともに関わった。
・・・・・・
日記文学を論じた「百代の過客」で読売文学賞と日本文学大賞(85年)、力作評伝「明治天皇」で毎日出版文化賞(02年)を受賞するなど多数の論考を著した。
近年でも評伝「正岡子規」(12年)、同「石川啄木」(16年)を刊行するなど晩年まで創作意欲は旺盛だったが、18年3月の米ニューヨーク訪問後に体調を崩しがちになり、都内の病院で入退院を繰り返していた。公には、同年5月に埼玉県草加市で上演された「幻」の古浄瑠璃「越後国柏崎 弘知法印御伝記(こうちほういんごでんき)」の記念座談会で元気そうな姿を見せたのが最後となった。
ドナルド・キーンさん死去 96歳 日本文学研究者、翻訳で国際化に貢献
合掌。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント