花づな列島復興のためのメモ

2014年6月29日 (日)

公明党の存在理由/花づな列島復興のためのメモ(336)

集団的自衛権の行使容認で、与党が合意し閣議決定される見通しだという。

公明党の山口那津男代表は6月26日に出演したテレビ番組で、集団的自衛権の行使について、「一部限定的に容認する余地はあるのではないか」と述べ、容認する考えを示した。自民党の高村正彦副総裁が提示していた、集団的自衛権行使を容認する「新3要件」についても、「二重三重の歯止めがきいており、拡大解釈のおそれがない」と評価した。
山口代表が憲法解釈の変更を認める姿勢を示すのは、この日が初めて。政府与党は7月1日にも、集団的自衛権行使を容認すると憲法解釈を変更する閣議決定を行う方向で調整に入った。公明党は週明けまでに、党内をまとめる。
集団的自衛権、公明党・山口代表が自民党案受け入れを表明「拡大解釈のおそれがない」

公明党の地方組織には異論が強いようである。

 公明党は28日、集団的自衛権の行使について地方組織代表者の意見を聞く会合を党本部で開いた。容認に動く党執行部に出席者から異論が続出した。だが、執行部は連立を維持する立場から、30日に最終的な党内の意見集約を終え、行使容認のための7月1日の閣議決定を認める考えだ。
公明、地方から異論相次ぐ 集団的自衛権行使容認めぐり

まあ、公明党執行部が反対の姿勢だというのはポーズに過ぎないだろうと思っていた。
公明党は、集団的自衛権の行使を阻止するか自民党との連立政権を維持するかの岐路に立っていた。
できれば二匹のウサギを同時に得たいというのが執行部の意向だったのだろうが、安倍政権が行使容認に強い意欲を持っている以上、二者択一でしかあり得ないことは明らかであった。

連立維持に重きを置く執行部と「平和の党」の看板を重視する地方組織の温度差ということだろう。
しかし、結局は与党に留まることを選択するのであろうが、長い目で見れば禍根を残すことになると思われる。

集団的自衛権を使えるようにする閣議決定に関し、政府が、国会などで説明するための想定問答をまとめていた。
その中で、集団安全保障での武力行使について、公明党の反発で閣議決定案には盛り込まないとしたが、想定問答には「憲法上の武力行使は許容される」と明記しているという。
二枚舌というか、公明党の反対は「限定的」とを見切られている証拠だろう。
しかし、いわゆる後方支援の一部につき、2008年に名古屋高裁は、憲法9条及び法律に違反するとの判決を下している。

論理的な破綻は、根拠の援用の迷走という形で表れている。
田中秀征氏は次のように批判している。

 今回の議論の過程で究極の不見識と言えば、1959年の「砂川判決」と72年の政府見解の援用だろう。とても歴史の検証に耐えられるものではない。
 砂川判決の援用は猛反発を招き、いつの間にか引っ込められたが、実は土壇場で持ち出された72年の政府見解の援用に至っては開いた口がふさがらない。
 要するに「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」という結論に導くための理由を、何と行使するための理由として援用したのである。
公明党は結党以来、最大の岐路に立っている!!

公明党の存在意義とは何だろうか?
同党のサイトを見てみよう。
2006年9月30日に 第6回公明党全国大会で採択された「新宣言」は次のような言葉で結ばれている。

理念なき政治、哲学なき政治は混迷をもたらし、国を衰退させる。民衆、現場から離れた政治は迷走する。公明党は深き理念と哲学の基盤に立って、幅広い国民の理解と連帯と協力のもと果敢に諸改革の実現に取り組む。
https://www.komei.or.jp/komei/about/meeting/movement06/declaration.html

この言葉に照らしていえば、国会での正規の手続きを経ることなく、内閣が憲法解釈を変えるということが説明できるのだろうか?
歯止めというものは一度外れると、止め処がない。
そして、論理がすり替わってくる。
「集団的自衛権」は自衛の論理ではない。
他衛のために、日本の領土外で武力行使することには反対である。

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2014年6月28日 (土)

2014年W杯敗退の教訓/花づな列島復興のためのメモ(335)

2014年サッカーW杯ブラジル大会で、日本チームは1勝もできずにグループリーグで敗退した。
日本は5大会連続の出場であり、ヨーロッパ等のチームで活躍する選手も増えて、歴代最強チームなどと評されていた。
それに、東日本大震災が起きたりしたことなどから、期待が盛り上がっていたのは自然である。

にわかサッカーファンであるから技術論や戦略論を云々することはできないが、力量の差は明らかだったようである。
初戦のコートジヴォワール戦で、本田選手が見事なシュートを決め先制した時には、素人なりに「いけるかも」という感じがした。
Jリーグの隆盛もあって、日本選手の総体的なレベルが向上していることは間違いないであろう。

結果論であることを承知で言えば、この初戦を逆転負けしたことがグループリーグを突破できなかった1つの要因だ思う。
「流れ」というものがある。
スポーツに限らず、麻雀やブラックジャックなどのゲームにも、「流れ」はある。
ビジネスや人生などにも言えるのかも知れないが、その「流れ」に逆らうとうまく行かない確率が高い。
流れを冷静に観察し、タイミングを合わせて自分の方に引き寄せることが重要であろう。
今大会について言えば、コートジヴォワールのドログバ選手選手の投入によって試合の流れが変わり、それがグループリーグの敗退に繋がったように思う。
⇒2014年6月15日 (日):内戦状態のイラクと集団的自衛権/世界史の動向(18)

W杯は4年に1度の開催である。
リベンジは4年後であり、今大会からどのような教訓を得るべきは専門家に任せたいが、私の感想を記しておく。
ヨーロッパで活躍していると言っても、スペイン、イタリア、イングランド、ポルトガルなどが敗退していることをみれば、ヨーロッパの国といえども苦戦していることが分かる。
また、アジアサッカー連盟(AFC)からは、日本、韓国、イラン、オーストラリアの4チームが出場しているが、1勝もできなかった。
気候等のブラジルという風土が関係しているのかも知れないが、先ずは力の差というべきであろう。

まあ、世界のレベルを見ていて感ずるのは、スピード感である。
カウンター攻撃を受けて失点するシーンが多かったが、ボールを奪われてからシュートを放たれるまでの時間が短いし、蹴られたボールのスピードも速い。
オランダのロッペン、ブラジルのネイマール、アルゼンチンのメッシ選手などのスピード感あふれるプレーは、見ていても気持ち良く、サッカーの醍醐味というものだろう。

日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督は、「責任はすべて私にある。日本代表を離れないといけない」と述べ、退任の意向を示した。
ザッケローニ監督は就任以来55試合で采配を振るい、30勝12分け13勝という結果を残した。
勝率54.6%は、日本サッカーがプロ化して以降の代表監督で3位にあたる。
Photo
グラフで見る日本代表

次期監督に就任するのは誰であろうか?
今まで同じ監督が2大会連続で指揮を執ったことはない。
私は、ジェフ千葉の監督からシーズン中に異例の就任をしたオシム監督が続けていれば、と想像する。
「考えて走るサッカー」を標榜して、代表チームに新しい方向性を示したと言われるが、脳梗塞で倒れ退任せざるを得なかった。

ビッグデータといわれる時代である。
サッカーのマネジメントもビッグデータは活用されている。
データスタジアムという会社は、スポーツにまつわる分析サービス提供の草分けである。

同社はサッカーではJリーグオフィシャルデータサプライヤーとして、年間1000試合前後のデータをシステムに入力している。日本代表のデータなら2003年から全試合を、ワールドカップの試合は2006年のドイツ大会から全64試合をデータ化し、多様な分析結果を公開している。

同社のフットボール事業部の滝川有伸氏は、日本代表がベスト8進出を目指すための条件を、次のように予測していた。

日本は攻撃面を重視したメンバーで大会に臨んでいるが、試合終盤に差し掛かかってリードしたまま逃げ切りたい、または引き分けのままでもいいという状況となった場合に相手の猛攻やパワープレーをいかに防ぐかがカギになる
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20140610/562992/?ST=print

コートジヴォワール戦で逆転されたことを考えれば、首肯できるものだ。
データ活用のイメージは以下のようである。

 手間と暇をかけて入力したデータを基に、多様な視点で情報を解析するのが「Data Striker(データストライカー)」というシステム。試合中に発生したデータを多様な視点から分析することで、チームあるいは選手のプレーについて答えを導ける。現在はJ1、J2、J3全チームの半数程度がこのシステムを使っている。
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同上

システムの改良は不断に行われている。
代表チームがどこまで活用しているかは知らないが、ITの徹底利用は、日本チームの優位性を生かす1つの道ではなかろうか。
サッカーというゲームは、文化や伝統の影響が大きい。
つまり、ハイコンテクストなコミュニケーションが求められるということであろう。
⇒2014年6月27日 (金):ITビジネスの動向と日本の伝統/知的生産の方法(98)

私は、コミュニケーションの問題を考えると日本人監督の方が望ましいように思うが、もし外国人監督を迎えるならば、監督と一体になれる日本人コーチは必須であろう。

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2014年6月26日 (木)

「失言」体質と自民党の病理/花づな列島復興のためのメモ(334)

しつこいようであるが、政治の世界で流行している「失言」について付言したい。
⇒2014年6月20日 (金):品位を欠く政治家にレッドカードを!/花づな列島復興のためのメモ(332)
⇒2014年6月23日 (月):ホンネの表出としての失言/花づな列島復興のためのメモ(333)
一件落着とするには余りにも大きい問題が含まれていると考えるからだ。

第一は、石原伸晃環境相の「金目発言」。
お詫び行脚だそうである。

 石原伸晃環境相は23日午前、東京電力福島第1原発事故の除染に伴う中間貯蔵施設を巡る「最後は金目(かねめ)でしょ」との自身の発言について、建設候補地の福島県大熊町の渡辺利綱町長と面会し「深く反省している。町民に不快な思いをおかけし、心からおわびしたい」と謝罪した。渡辺町長は「多くの町民が不快な感情を持っているのは事実。ただ直接、速やかに来ていただいたことは大きなけじめと受け止める」と述べた。
 石原環境相は、同県会津若松市にある大熊町役場出張所を訪問。「品位を欠く表現で、お金で解決すると受け止められ、厳しい意見をいただいた」と頭を下げた。午後には、もう一つの候補地である同県双葉町の伊沢史朗町長や佐藤雄平知事とも会い、発言をわびる。
石原環境相:金目発言「深く反省。心からおわび」謝罪行脚

私には、「直接、速やかに」出向くことが、どうして「大きなけじめ」になるのか良く分からないが、それはともかくとして、念のため辞書で「金目」を引いてみると、以下にようである。

かね‐め 【金目】 
金銭的価値の高いこと。高価。「―の品」
金銭に換算した価値。値段。「―に積もらば拾七八貫目が物あり」〈浮・万金丹・五〉

この解説では、環境相自ら言うように、「品位を欠く表現」であるには結びつかないような気もする。
しかし、言葉の意味は文脈の中で確定する。
石原氏は否定しているが、補償交渉を金で解決しようという意図と解さざるを得ない。
文学者の子息にしては、著しくデリカシーに欠けているし、品位を欠いているのは間違いない。
慎太郎氏には家庭教育についての一家言があったはずであるが、その辺りはどうだったのだろうか?

都議会の発言については、自民党の鈴木章浩議員(51)が「早く結婚した方がいい」と発言したことを認めた。
私はよく知らなかったが、鈴木議員はいわくつきの問題議員のようである。
2012年8月19日に、尖閣諸島の魚釣島沖に戦没者の慰霊名目で洋上から接近した日本人のうちの1人である。
石原都知事が都で購入するとしていた時期であり、選挙区からしても石原慎太郎シンパと考えられる。
とすれば、2つの「失言」は、慎太郎的な何かで結びついているとも言える。
猪瀬前知事の徳洲会問題では、百条委設置を提唱して辞任のお膳立てをした「功労者」である。

自民党は、所属議員への聞き取り調査をした結果、吉原修幹事長が「『早く結婚した方がいい』以外のヤジを聞いた議員はいなかった」と結論づけた。
開いた口を閉じられないとはこのことだろう。
TVでさえ、他の発言があったことは聞き取れる。
このまま閉会して幕引きを図ろうとしている自民党の態度を有権者は忘れないようにすべきであろう。
140626
東京新聞6月26日

自民党の驕りであるが、何重にも卑劣な行為で、中学生のイジメに通じるのではないかと思う。
発言者が特定され難い状況で、事実存在したはず他の発言者は現時点では不明である。
選挙の時は自分の名前を連呼していたであろうにもかかわらず、匿名という仮面を被っているのである。
発言を認めた鈴木議員も、当初は否定していた。
仲間意識によってウヤムヤにしてしまえばしめたもの、というようなココロが手に取るように透いて見える。

「大げさに騒ぐな」という大人ぶった意見もあるようだが、陰湿で、幼稚と言わざるを得ない。
慎太郎氏は勇ましい発言がお好きなようだが、根底にあるのは弱いものイジメである。
安倍首相も、福島の復興や女性の活用を口にするなら、本気で毅然とした態度で臨むべきだろう。

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2014年6月23日 (月)

ホンネの表出としての失言/花づな列島復興のためのメモ(333)

石原環境相の「金目発言」や東京都議会での野次など、品位のない政治家の発言が波紋を呼んでいる。
⇒2014年6月20日 (金):品位を欠く政治家にレッドカードを!/花づな列島復興のためのメモ(332)

石原氏に対して、野党各党は「閣僚としての資質を欠く」と批判し、衆院に不信任決議案、参院に問責決議案を提出したが、いずれも与党の反対多数で否決された。
不信任決議案の提出に加わった日本維新の会の共同代表の石原慎太郎氏は本会議を欠席し、採決に加わらなかった。
不信任に反対した与党側にも「配慮が足りなかった点もあったかもしれない。大いに反省を促したい」(自民党の田中和徳氏)と苦言を呈する声があった。
野党は「今回の発言で中間貯蔵施設の稼働は間違いなく遅れ、福島の復興も遅れる。『石原氏の罷免なくして復興なし』だ」(民主党の辻元清美衆院議員)と手厳しかった。

 「用地補償など最後は予算措置の規模を示すことが重要だとの趣旨だった。お金ですべて解決する意図では全くない。品位を欠き、誤解を招く表現で心からおわびしたい」
 「国会閉会後、速やかに福島を訪れ、直接謝罪したい。発言が意図せざる理解をされた。撤回したい」
 石原氏は今回の「金目」発言について、19日の参院環境委員会でこう釈明し、謝罪した。
やはり出た! 懲りない石原伸晃環境相

おそらくは近く行われる内閣改造で交代となり、責任の所在はうやむやになるであろうが、この発言は、謝罪したり、撤回して済む問題ではないと思う。
私は、自民党の議席が圧倒的な現状では止むを得ない決議ではあろうが、石原氏の留任は自民党の驕りを示していると考える。
石原氏は、二世で甘やかされて育ったためであろうか、問題発言を繰り返してきた。
「それが彼の持ち味だ」と評する向きもあるが、いかにも軽いという印象は拭い難い。

2012年9月の自民党総裁選では有力候補として位置づけられていた。
しかし、以下のような軽率発言などがあったことなどにより、安倍、石破両氏に大きく差を付けられた。
・尖閣問題について、「中国は、攻めてこない。誰も住んでいないんだから」
・社会保障費の削減について、「私は尊厳死協会に入ろうと思っている」
・汚染土の処理について、「もう運ぶところは、福島原発の第1サティアンのところしかないと思う」

これらの履歴を踏まえれば、今回の「金目発言」が一過性の「失言」というよりも、石原氏の思考の反映であると考えるべきであろう。
とするならば、安倍首相は任命責任を自覚すべである。

一方、東京都議会の一般質問中にセクハラとも取れるやじが飛んだ問題は、国際的な反響も呼んでいるようである。
米紙ウォールストリート・ジャーナル電子版は、質問者だった塩村文夏都議のインタビューを掲載し、「女性軽視の議員に、結婚や出産をしたくてもできない女性を支援する政策は立案できない」との発言を紹介した。

 同紙は塩村都議が「セクハラ発言の集中砲火を浴びた」として、安倍晋三政権が女性重視の成長戦略を訴える中で、やじ問題が波紋を呼んでいるとした。
米紙、セクハラやじで「女性軽視」塩村氏会見の記事掲載

発言者の特定や処分を求めた議長への申し入れは不受理となった。
みんなの党は、声紋鑑定で発言者を特定するという。
何とも情けない話である。
早期の幕引きを図りたいという自民党の意向もあったにであろう、自民党都議の鈴木某が発言の一部について認めたという。
彼は会派を離脱するというが、一件落着としてしまってはならないだろう。

おそらくは、軽い気持ちで飛ばした野次だったのであろう。
それが反響が大きくなって、自分の発言だと言い難くなっていたのではないか。
当初は、自分だということを否定していたという。
石原氏の発言も、記者団に囲まれて軽いジョークのつもりだったと思われる。

私は、軽い気持ちのときこそ構えが甘くなって、本音が表れやすいものだと思う。
石原氏も都議も、普段思っていることが、図らずも表出してしまったということではないか。
であれば、「失言」という言葉が相応しいかどうか疑問である。
自民党の体質は、一時的に下野したくらいでは変わらないということであろう。

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2014年6月20日 (金)

品位を欠く政治家にレッドカードを!/花づな列島復興のためのメモ(332)

悲しいことに、驚くような低劣なレベルの話題が続いている。
1つは、石原伸晃環境相の、「最後は金目でしょ」発言。

発言は、首相官邸で、16日に菅義偉官房長官に住民説明会などについて報告した後、記者団の質問に答えるる中で出た。
住民説明会は、東京電力福島第一原発事故に伴う除染廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設の建設をめぐり、候補地の福島県双葉、大熊両町を対象としたものだ。
「最後は金目でしょ」は、ごく普通に理解すれば、「異論はあるでしょうが、金の多寡で決着がつく」ということである。

確かに、金の多寡でしか解決しようのないことも多い。
損害賠償、除染、帰還あるいは移転先での新しい生活・・・・・・。
金がなければ話にならないだろう。
しかし、それを口に出すのは、品位に欠けることであり、普通の大人ならば控えるだろう。

私は、石原発言を聞いて、「耄碌親父にバカ息子」と思った。
父の慎太郎氏は、日本維新の会を割って、自民党にすり寄ろうという姿勢がミエミエだ。

 日本維新の会の石原慎太郎共同代表は11日の安倍晋三首相との党首討論で、結いの党の江田憲司代表を「なんとかという党の党首」と呼び「自主憲法制定」を江田氏が嫌ったことが維新分党の一因となったことから「消えてなくなった社会党と同じような言い分だ」と痛烈に批判。さらに、石原氏は「維新内には他党との合流を熱願する向きがあった」とも述べ、江田氏との合流を目指す橋下徹共同代表グループの動きも牽制(けんせい)した。
 石原氏はその後、持ち時間のほとんどを使って日米同盟などに関する持論を展開。最後は「非常に大事な質問をしようとしたのに…」と延長を訴えたが、かなわなかった。
石原氏 結い江田氏を痛烈批判 橋下系を牽制

かつて颯爽と価値紊乱者の光栄を掲げていた人が、よぼよぼとした足取りで権力に媚びる。
本人は媚びている意識はないのだろうが、第三者の目にはそう映る。
⇒2014年3月 9日 (日):石原慎太郎の耄碌/人間の理解(3)
⇒2014年5月29日 (木):未熟橋下と老害石原の協議離婚/花づな列島復興のためのメモ(329)

老害と化した姿は見たくないが、ここまで頑張るのは息子伸晃が総理になるのを夢見ているからだとも言われる。
見果てぬ権力の夢ということであろうか。
確かに、伸晃氏は総裁選において対立候補の1人だった。
しかし、総理・総裁の器ではないことは、自民党員の目にも明らかであろう。

伸晃氏の発言は、地元などから厳しい反発を招き、国会では野党が参院に問責決議案を提出した。
軽率で無神経な発言であるが、安倍政権には留任するようである。
首相の任命責任を問わなければならないだろう。
首相の口にする「被災者に寄り添う」「福島の再生なくして日本の再生なし」とは全く相いれないのではないか。
伸晃氏は、19日の参院環境委員会で、発言について謝罪し、撤回したが、住民説明会では補償の話が多かった」と未練がましい。

もう1つは、東京都議会の本会議での出来事である。
6月18日、みんなの党会派の塩村文夏議員(35)が、一般質問で妊娠、出産、不妊に悩む女性への支援の必要性を訴えた際、男性の声で「自分が早く結婚すればいい」「産めないのか」などのヤジが飛んだという。
こちらも、耳を疑わせるような品位の無さである。
塩村氏のツィートが非常に多くリツィートされている。
Photo_2
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/6/2/6283.html

ヤジは自民都議らが座る一角から上がっていたという。
終了後、みんなの両角穣幹事長が、自民の吉原修幹事長に抗議した。
吉原幹事長は、発生源が自民かどうかは「わからない」としながらも、「各会派が品位を持って臨むべきだ」と話した。
自派が抗議を受けているというのに、「各会派が品位を持って臨むべきだ」と一般論で答えるのは誠実な態度ではない。

私たちは、こんな自民党に、圧倒的な議席を与え、政権への復帰を許したのである。
やりきれない気持ちにならざるを得ないが、このような政治家に、即刻退場を促すレッドカードはないものだろうか。

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2014年6月19日 (木)

集団的自衛権論議の胡散臭さ/花づな列島復興のためのメモ(331)

政府は、集団的自衛権を行使できるようにするための閣議決定をするという。
Photo
東京新聞6月18日

 政府の原案は、戦争には至らないが緊張状態にある「グレーゾーン事態」を記した「①武力攻撃に至らない侵害への対処」、多国籍軍への後方支援拡大や武器使用などの「②国際社会の平和と安定への一層の貢献」、集団的自衛権の行使に関する「③憲法第9条の下で許容される自衛の措置(検討中)」、「④今後の国内法整備の進め方」で構成されている。
 公明の説明によると、原案では、③は自公で協議中のため具体的な文言はなく、別紙で「国際法上は集団的自衛権が根拠となる」と明記し、国際法で使えるとされていることを理由に行使が可能だとの考えを盛り込んだ。また、1972年に出された政府見解をもとに、集団的自衛権の発動要件として「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」とした。ただ、公明が党内で閣議決定に関する議論をしていないことから、具体的な協議は行わなかった。
集団的自衛権、閣議決定原案示す 自公、機雷除去で対立

長年の国会論議を経て積み上げてきた政府の憲法解釈は、「日本も集団的自衛権を持つが、憲法9条によってて行使することはできない」である。
これを安倍内閣はひっくり返そうというのである。
しかし、一内閣の閣議決定という手続きだけでよいものであろうか?
先の総選挙において、解釈改憲を想定して投票した人は果たしてどの程度いたのであろうか?

私には、今行われている集団的自衛権論議は、相当に胡散臭いように思われる。
自衛権とは、急迫不正の侵害を排除するために、武力をもって必要な行為を行う国際法上の権利であって、自己保存の本能を基礎に置く合理的な権利であるとされる。
自国に対する侵害を排除するための行為を行う権利を個別的自衛権といい、他国に対する侵害を排除するための行為を集団的自衛権という。
⇒2014年3月25日 (火):個別自衛権と集団的自衛権/「同じ」と「違う」(69)

「他国に対する侵害を排除するための行為」であるから、他衛権という方が正確なように思えるが、それは措くとしよう。
集団的自衛権(Wikipedia)では、次のように説明されている。

集団的自衛権は、1945年に署名・発効した国連憲章の第51条において初めて明文化された権利である。憲章第51条を以下に引用する。

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

世論は二分されている。
メディアの論調も対照的である。
Ws000000
集団的自衛権(Media Watch Japan)

二分されている世論のどちらを支持すべきか?
防衛大学校名誉教授の佐瀬昌盛氏は、産経新聞「正論」欄で朝日新聞や大江健三郎氏などの反対論を批判して、次のように書いている。

 朝日も大江氏も「井の中の蛙(かわず)」の議論をやっている。大海には目を閉ざしている。なぜか。その方が大衆煽動には都合がよいからだ。が、それは国民説得の道ではない。煽動と説得とは大違いで、説得に煽動は不要。地味でよい。
 一言補うと、戦争という言葉は情況説明のために日常、しばしば使われる。私だって使う。が、こと自衛権の法理、文理的説明のためには、この用語を使ってはならない。この点、肝に銘ずべきだ。
 私は自分の経験から集団的自衛権について有権者の99%は理解ゼロだと考える。有権者1億400万強の1%は104万強だが、この抽象的概念を曲がりなりにも説明できる人数はそれ以下だ。99%の有権者にとり、それは正体不明の〈妖怪〉なのだ。
集団的自衛権行使は「戦争」に非ず 煽動と説得は大違い

妖怪とは、マルクスが「共産主義という妖怪が欧州を彷徨している」と言った意味と同じであると佐瀬氏は言う。
そして、「妖怪が彷徨すると戦争なのだぞ」という賢者のご託宣が聞こえると、大衆は「そうかもしれないな」と思う、とする。
佐瀬氏の主張は、大衆は無知であり操作できる対象だという大衆蔑視である。

東京新聞の本音のコラム欄は、権力に媚びない執筆者が多い。
本日(6月19日)は、竹田茂夫氏が『命と暮らし』と題して、安倍首相が記者会見で示したパネル(⇒2014年5月16日 (金):成長戦略の実体は原発と軍需産業か/アベノミクスの危うさ(31))を前提に、次のように書いている。

かれらの本当の願望は、情報と教育とメディアを統制し、抵抗を振り払って原発再稼働や沖縄の基地移転を強行し、欧米並みに海外派兵を行う、つまり国内外で強制力や暴力の行使を躊躇しない強面の国家を打ち立てることにある。

なぜ、安倍首相は集団的自衛権に強く執着しているのか?
田原総一朗氏は次のように解説している。

日米安保条約の第5条では、日本が危機に陥ったときアメリカが日本を助けると定められているが、これはアメリカが世界の警察だった時代に作られたものだ。
いまは事情が変化している。もし尖閣諸島に中国が攻めこんできたとき、アメリカは本当に日本を助けてくれるのか。「世界の警察」をやめたということで、日本を助けてくれない危険性があるのではないか。アメリカ国内の世論からも、なぜ日本のためにアメリカ人が命を捨てないといけないのかと反発が起きる可能性がある。
そこで、アメリカに「有事のときは、ちゃんと助けてくれよ」と念押しするために、アメリカが危機のときは日本が助けるという集団的自衛権の行使に踏み切るというわけだ。つまり、集団的自衛権の行使を認めるのは、アメリカへの念押しという意味がある。
もう一つは、精神的な意味だ。日本の外交政策について「対米従属外交をやめて、自立せよ」という主張がこれまでにも政治家や有識者から出ていたが、集団的自衛権の行使を認めることで、アメリカに従属するのでなく、より対等に近い関係になることができるという考えだ。アメリカに対してプライドがもてるような関係にしたいという気持ちがある。

http://blogos.com/article/86968/

どうも良く分からない。
集団的自衛権を分かりやすい絵で示せば、以下のようである。
Photo_2
仲間の国を守るため武力使う権利

繰り返すが、攻撃されているのは日本ではなく、同盟国(仲間の国)である。
仲間の国は、さしあたっては絵に描かれているように、安保条約を結んでいるアメリカである。
斎藤美奈子氏は、6月18日付の「本音のコラム」欄で、国家を我が家にたとえて次のように書く。

 御町内の親しい家に強盗が入ったら知らんぷりはできんだろ、というのが政府の言い分だが、彼らが想定している「親しい家」は番犬を山ほど飼っている町内会長、しかも凶暴な犬を町じゅうに放って迷惑をかけまくっているヤバい一家だ。
そんな一家に協力したら自分が強盗になるのがオチ。しかも我が家に害が及ぶ「おそれ」まで許容したら、町の不審者はみんな撃ってもいいことになっちゃうぞ。

戦後のアメリカの軍事介入は以下のようである。
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東京新聞6月19日

胡散臭い概念の行使を、憲法を変えるのでなく、解釈を変えるという胡散臭い方法でやろうとしている。
しかも「必要最小限の」というような胡散臭い限定をするのは、「義」も「理」もないことを表しているのではないか。

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2014年6月 4日 (水)

超高齢社会と限界自治体/花づな列島復興のためのメモ(330)

5月1日にNHKで放映された『極点社会 ~新たな人口減少クライシス~』は、ショッキングな未来像を伝えるものだった。

わが国が急速に高齢化しつつあることは良く知られている。
65歳以上の高齢者が、総人口に占める割合を、高齢化率という。
高齢化率によって、社会の状態は次のように区分けされる。

高齢化社会:高齢化率7%超
高齢社会:高齢化率14%超
超高齢社会:高齢化率21%超

わが国の高齢化率の推移は下図のようである。
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http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2011/gaiyou/html/s1-1-1.html

すなわち、わが国は1970年に高齢化社会に、1994年に高齢社会に、2009年に超高齢社会になった。
ここまでは、事態の深刻さは別としても、比較的馴染みがあることである。
その結果として、わが国の人口は、ドラスティックな変化をしていくだろうと予測されている。
国土交通省が発表した「国土の長期展望に向けた検討の方向性について」と題するレポートによると、日本の人口は2004年の1億2784万人をピークとし、今後100年間に100年前(明治時代後半)の水準に戻っていく。
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http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111118/201698/

この図をみると、われわれが日本史において、実に特異な時代に生きているのだなあと、感慨のようなものを覚える。
大東亜(太平洋)戦争中に大政翼賛会が掲げたスローガンに、「進め一億火の玉だ」というのがあるが、わが国の人口が1億を超えているのは、だいたい1950年~2050年の間ということになる。
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進め一億火の玉だ

一億というのは、大東亜(太平洋)戦争中は、 朝鮮半島や台湾などの植民地人口も含めて称したのであろう。
また、大東亜戦争(太平洋)によって、このような大きなグラフにも表れるような人口減少(戦死および戦争関連死)があったことも分かる。

『極点社会 ~新たな人口減少クライシス~』は、人口減少によって、従来余り意識されなかった問題が生ずることを指摘した。
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http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3493.html

超高齢社会になると、高齢者の数が増えるような印象であるが、多くの地方では高齢者すら減少していくのだ。
高齢者すら減少を始めた市町村は、年金で成り立ってきた経済がシュリンクする 。
そして、東京の都心部である豊島区ですら、地方から流入する若い人が枯渇し、結果として消滅する危機だという。
⇒2014年5月12日 (月):人口減少の過程と問題②/ケアの諸問題(8)

1312_2地方で雇用のPhoto_4場を失った若年女性が首都圏にこれまで以上に流入していくが、首都圏では子供を産み育てられないことは、出生率が示しているところだ。
地方は若年女性が消え、必然的に急速な人口減少を招く。
すなわち、“限界自治体”化し、壊死していく。
一方で過密と集中が予想される首都圏は、少子化が進む。
結果的に日本全体が縮小していくのだ。

出産可能な女性の数は、20年先程度までは現時点でほぼ確定している。
ドラッカー流の表現をすれば、『すでに起こった未来』なのである。

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2014年5月29日 (木)

未熟橋下と老害石原の協議離婚/花づな列島復興のためのメモ(329)

日本維新の会の石原慎太郎、橋下徹共同代表は5月28日、名古屋市内で会談し、石原氏が、維新の分党を提案。橋下氏も了承したという。
「分党」というのは、双方の合意の上で分かれることだというから、協議離婚のようなものだろう。
橋下氏が目指す「結いの党」との合流に、石原氏が憲法観の違いなどから反対し、溝が埋まらなかった。

維新は2012年9月に結党した。
11月に石原氏が率いる「太陽の党」が合流して、衆院53人、参院9人と議席を伸ばしてきたが、約1年半の寿命だった。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S11161080.html

そもそも、両者の合流からして無理があったと考えるのが常識であろう。
合流時の夕刊紙の紙面である。
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http://www.asyura2.com/12/senkyo139/msg/154.html

理念や大義がどこにあったのか?
石原氏の看板がプラスになると考えたのなら、橋下氏の未熟というべきであろう。
石原氏と橋下氏には、大衆の支持がある(あった)という共通性がある。
ある意味でのスター性ということだろうが、石原氏と橋下氏の発言内容には齟齬があったことは明らかであろう。
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東京新聞2012年11月30日

石原氏は、テレビで見ても明らかに老いている。
こういう人が政党の代表の座にいることは、老害以外の何物でもないだろう。
⇒2014年3月 9日 (日):石原慎太郎の耄碌/人間の理解(3)

分かれることが決まってホッとしている人も多いだろう。
1党多弱の弱が細分化したわけだが、野党がしっかりしてこそ民主主義である。
野党再編は新たな局面を迎えている。
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石原系とみんな、橋下派と結い 野党再編新局面、綱引き激化

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2014年5月21日 (水)

画期的な2つの判決/花づな列島復興のためのメモ(328)

奇しくも同日に、時代を画するような2つの判決が下りた。
関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命ずる福井地裁の判決と、厚木基地の自衛隊機の午後10時~午前6時の間の飛行差し止めを命じた横浜地裁の判決である。
いずれも控訴される見通しであり、確定判決ではないが、少なくとも地裁レベルで判断が下されたのである。

大飯原発の当該号機は、福島原発事故以後稼働した唯一の原発であって、その再稼働には大きな問題があった。
⇒2012年4月23日 (月):なぜ急ぐ、大飯原発再稼働/原発事故の真相(27)
⇒2012年7月 2日 (月):「国民安全の日」に大飯原発を再起動させる無神経/花づな列島復興のためのメモ(100)

福井地裁は、地震の揺れに対する安全性の判断に、厳しく一石投ずるものものと言えよう。

福井県にある関西電力大飯原子力発電所の3号機と4号機の安全性を巡る裁判で、福井地方裁判所は「地震の揺れの想定が楽観的で、原子炉を冷却する機能などに欠陥がある」と指摘し、住民側の訴えを認め、関西電力に対し運転を再開しないよう命じる判決を言い渡しました。
東京電力福島第一原発の事故のあと、原発の運転再開を認めないという判断は初めてで、原発の安全性を巡る議論に影響を与えそうです。
大飯原発 運転再開認めない判決

当該号機は、福島第一原発の事故のあと運転を再開したが、去年9月に定期検査に入った。
裁判を起こした周辺住民などは「安全対策が不十分だ」として運転を再開しないよう求め、これに対し関西電力は「安全上問題はない」と反論していた。
大飯原発については、かねてから安全性に問題があると指摘されていたところだ。
⇒2013年9月 7日 (土):大飯原発活断層判断の怪/原発事故の真相(83)
⇒2012年10月24日 (水):活断層定義問題と大飯原発の稼働/花づな列島復興のためのメモ(154)

福井地裁の樋口英明裁判長は、「原発の周辺で起きる地震の揺れを想定した『基準地震動』を上回る揺れが、この10年足らずの間に全国の原発で5回も観測されていることを重視すべきだ。大飯原発の基準地震動も信頼できない、楽観的なものだ」と指摘した。
福島第一原発の事故のあと、原発の運転再開を認めないという判断は初めてでであるが、全国の原発で行われている地震の想定の根拠について「楽観的な見通しに過ぎない」と厳しく批判したことは、今後の原発政策にも影響を与えることになる可能性がある。

厚木基地訴訟の原告は、基地がある大和市、綾瀬市のほか東京都町田市など計8市の住民約7千人である。
住民側はこれまでの騒音訴訟で退けられてきた民事上の飛行差し止め請求に加え、行政訴訟でも、飛行を差し止め、米軍機の滑走路使用を認めないよう求めていた。

横浜地裁の佐村浩之裁判長は21日、自衛隊機の夜間飛行差し止めを命じた。
全国の基地騒音訴訟で飛行差し止めの判断が示されるのは初めて。
・・・・・・
過去の同種訴訟では米軍機への飛行差し止め請求は「国の支配が及ばない第三者の行為に対する請求で主張自体失当」などとして認められてこなかった。住民側は第4次訴訟で、国が管理する基地の滑走路を米軍が使用する許可は「防衛相の行政処分」と主張、行政訴訟でも訴えていた。
自衛隊機夜間飛行差し止め命令 厚木基地訴訟で横浜地裁

いずれの判決も、従来にない新しい判断である。
このような裁判の場合、高裁レベルで逆転されるケースが多いが、司法の存在意義が問われているといえよう。

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2014年5月18日 (日)

安倍首相の憲法解釈論/花づな列島復興のためのメモ(327)

最近、若い人と話していると(私の場合、若い人には20歳代から50歳代まで含む)、安倍首相の評価が高いことが多い。
それは、中国、韓国等に対する反感、いわゆる嫌中・嫌韓とセットになっていることがほとんどである。
特に、南シナ海での中国の覇権主義的な態度、珍島沖での客船セウォル号沈没事故における韓国の対応等のニュースにより、嫌中・嫌韓のボルテージが上がっている。
安倍首相が強引に、集団的自衛権の行使を容認すべしと意欲的なのは、このような嫌中・嫌韓感情が高まっている現在が絶好のチャンスだと捉えているのかも知れない。

最初に、安倍首相が記者会見で説明に使用した2枚のパネルを見てみよう。
A 紛争地から邦人を救出する米艦の防護
Orightofcollectiveselfdefense570
B PKOの駆けつけ敬語
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集団的自衛権、限定的行使容認へ

邦人救助のパネルには、母子の図が添えられている。
赤ちゃんを抱いた母親を護ろうとするのは、訴える力が強い。
「自分の家族が殺されるんなら家族を守るため戦争もやむを得ない」という気持ちにもなるだろう。
つまり、家族や邦人の防護は戦意高揚の常套手段でもある。

邦人救出の問題は、1993年の朝鮮半島有事を想定した時から検討されてきた。
統合幕僚会議(現統合幕僚監部)は、米軍や民間人に頼らないで救出する成果をまとめた。
20年も前に想定済みで、しかも安保法制懇で検討してきた集団的自衛権の事例には含まれていないという。
国民の共感を呼べるような事例を、官僚に考えさせたのではないかと言われる。

Bのパネルについて、「NGOの日本人ボランティアや他国の国連平和維持活動(PKO)の要員が、現地の武装集団に攻撃されても、PKOで派遣された自衛隊が警護できない」と訴えた。
しかし、これは集団的自衛権とは無関係の問題ではないか?
PKOの武器使用の問題である。
わざわざ集団的自衛権という概念を持ち出さなくてもいい事例を用意して、集団的自衛権の行使容認の必要性を訴えているのである。

2枚のパネルに、集団的自衛権問題の本質からそれたものをわざわざ選んでいるわけである。
国民の感情に訴えやすい事例をあえて選んでいるのは、首相自ら「命を守るべき責任を負っている私や日本政府は、本当に何もできないということでいいのか」と情緒的に訴えるのを強調しるためであろう。
集団的自衛権の行使容認に向けた空気を醸成する狙いが滲んでいる。

ヒトの脳は、大まかに言えば次図のような構造をしている。
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http://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/brainscience1.htm

脳の中で一番早く反応するのは、大脳辺縁系の感情を司る扁桃体である。
つまり、論理的な判断以前に、感情的な判断がある。
⇒2013年4月20日 (土):脳の3層構造とコミュニケーション/知的生産の方法(49)
あえて集団的自衛権と言わずも、個別自衛権で十分対応できる事例による安倍首相の説明には、感情に響くことを狙いとしていることが、見え透いている。

ドイツは、ワイマール憲法という当時最も優れた憲法を持っていながら、ヒトラーを選びファシズム国家になった。
麻生副総理兼財務大臣、金融担当大臣は、憲法改正についてナチスを引き合いに出して、「うまく」改正すればいい、と言ったことがある。
⇒2013年8月 4日 (日):撤回では済まされない麻生副総理の言葉
いま、まさに、そのように事態は進行しているのではないか。

集団的自衛権の本質は何か?
行使事例をあるtwitterで紹介されている図で見てみよう。
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https://twitter.com/no_soy_bonito/status/466957718436057088/photo/1

これらの事例から帰納されるのは、大国の軍事介入である。
端的に言えば「他国のケンカ(戦争)を買う」ということである。
自衛という言葉に惑わされてはならない。
集団的自衛というのは、「他衛」のことである。

若い人とのメールのやり取りでは、自分の意見を確立できていないとしつつ、「集団的自衛権を行使するような有事が想像しにくい」「限定的な行使とはどういった場合を想定しているのか?」「グレーゾーン状態とは?」「憲法9条に込められた思いは消してはならない」というような意見であった。
最後に、歌人岡野弘彦氏の歌集から引用する。

親ゆづり祖父(おほぢ)ゆづりの政治家(まつりごとびと)世に傲(おご)り国を滅ぼす民を亡ぼす

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