私撰アンソロジー

2019年4月 7日 (日)

藤井太洋『東京の子』/私撰アンソロジー(56)

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藤井太洋『東京の子』KADOKAWA (2019年2月)

改元フィーバーがいつまで続くか分からないが、次は東京オリ・パラで何となくお祭り騒ぎが続きそうな気配である。
しかし、2月に亡くなった堺屋太一さんは『団塊の後 三度目の日本』毎日新聞出版 (2017年4月)で、「2020年の東京オリンピックを待たずして、日本経済は深い停滞期に入る」と予測している。
実際に、既に景気は後退局面に入っているかも知れない、というかその可能性が高いと考えるべきだろう。
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東京新聞3月21日

少なくとも、「戦後最大の景気拡大」などと浮かれている場合ではないだろう。
⇒2019年3月 8日 (金) 景気は後退局面入りか?/安部政権の命運(87)
統計の日の標語のパロディとして、「不景気も統計一つで好景気」という川柳が作られたが、正確な統計データを求める気風が失われている。

東京の子』の想定のように、五輪関連施設が負のレガシーになる可能性も大いにあり得るだろう。
ところが、主催都市の長・小池百合子東京都知事も桜田五輪相も至ってのんきなようである。
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週刊新潮4月11日号

『東京の子』は、五輪施設跡地を戦略特区として規制緩和し、働きながら学ぶための巨大な職能大学校を作るという想定である。
働き方法制は、見切り発車されたので、細部は不明であるが留学目的という建前で訪日した学生が、安い労働力として使われているのが現実である。
東京福祉大学では、約700人の留学生が「消えた」。
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5,000人の留学生を抱える東京福祉大、700人が行方不明に

訪日した側にもニーズがあることは確かであろうが、長期的に日本の評判を落とすことになるのではないか。
東京の子』で描かれている職能大学校・東京デュアルの姿を先取りしているような気もする。

東京デュアルの留学生の1人(ベトナム人)が行方不明になる。
捜索をする主人公は、両親に育児放棄され養護施設にいた時、ユーチューバーとして活躍した過去を持つ。
失踪者は名前を簡体字で自署するので中国人なのか?

ミステリー仕立ての中に、今日的な諸問題が凝縮されて詰まっている。
藤井さんは、元ソフトウェア開発技術者であるが、スマホで書いた小説を電子出版してデビューした。
時代が変わってきたことを実感する。

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2019年1月 3日 (木)

森下典子『日日是好日』/私撰アンソロジー(55)

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掲出部分は、「まえがき」であるが、「お茶」が「わかる」過程のエッセンスといえよう。
「すぐにわからないもの」の典型例が「お茶」の世界とされているが、それは人生そのものとも考えられる。
森下典子さんは小5の時、親と一緒にフェリーニ監督の『道』を見た。
「ジェルソミーナのテーマ」には聞き覚えがあったが、内容は初めて見たも同然だった。
小5の時にはつまらなかった映画に、胸をかきむしられて、ボロボロ泣いた。

この間の「人生の時間」が彼女を成長させ、成熟させたのである。
その結果、感受性が変容したのである。
私は河上徹太郎の私の詩と真実講談社学芸文庫(0706)の一節を思い出す。

人は、その青春にあたって先ず情熱を注ぐことは、激しい自己鍛錬によって自分の感受性の形式を確定することである。そしてこの形式の独自性の中に、初めてその人の個性とか資質と呼ぶべきものが芽生えるのだという風に私は考えている。

激しい自己鍛錬かどうかは別として、人は「人生の時間」の中で、否応なく「自分の感受性の形式」を変容させて行く。
意識的に行われる場合「修行」である。
「お茶」の稽古も、継続して行えば「修行」であろう。
そこ結果、境地が変わり、見えるものが変わるのだ。
比喩的に言えば、高みに至り、俯瞰できるようになって見える視野が広がるのだ。

結果として、季節を感じるもが増え、自分を見る自分を意識できるようになる。Photo

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2018年10月13日 (土)

垣根涼介『信長の原理』/私撰アンソロジー(54)

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信長の原理』角川書店(2018年8月)

斬新な視点で織田信長像を描いたハードボイルドな時代小説といえよう。
イソップ寓話の「アリとキリギリス」のように、アリは勤勉な生き物の象徴と言って良い。
しかし、アリにも「働くアリ」と「働かないアリ」がいる。
「働くアリ」:「周りの状況次第のアリ」:「働かないアリ」は、2:6:2すなわち1:3:1になるというのが、掲出部分の信長が「蟻の試行」で得た結果である。
しかもこの比率は、「働くアリ」だけを集めて試行しても保存される。

信長と明智光秀は、その「何故?」を追求するタイプであり、木下藤吉郎(<羽柴→豊臣〉秀吉)は、2人と違って、プラクティカルである。

織田信長は尾張を領地に持つ戦国大名のOne of themであった。
1560(永禄3)年の今川義元を破った桶狭間(田楽狭間)の戦いが、全国大会へのデビュー戦であった。
しかし、翌1561年の勢力図は以下のようであり、周辺の諸大名に比べてもむしろ弱小だった。
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しかし短期間のうちに、隣国の美濃を併合し、岐阜を拠点として勢力を拡大し、さらには琵琶湖周辺の諸国を統合し、列島中央部に版図を築くのに成功した。
目の上のこぶのような存在だった石山本願寺(大坂)を退去させ、瀬戸内海の最深部を手中にし、甲斐武田氏を滅亡させて、1582(天正10)年には天下統一の目前まで来ていた。
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しかし、「本能寺の変」で有力家臣の明智光秀の謀反に遭い、人生を閉じる。
垣根氏は信長の成功と失敗の原因を、ビジネスでよく用いられる「パレートの法則」を援用して描き出す。
「パレートの法則」とは、2割の要素が、全体の8割を生み出しているというばらつきの状態を示す。
「20:80の法則」とか「パレート分布」など呼ばれているものである。
「選択と集中」戦略の基準を与えるものと言えよう。
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「パレートの法則」は、確かな論理や理論から成り立っているというよりも、ビジネスや生活の中で起きる現象を説明する経験則である。
「パレートの法則」は生物社会でも成立する。垣根氏は〈主要参考文献〉の1つとして長谷川英祐『働かないアリに意義がある』KADOKAWA(2016年6月) を挙げているが、短期的効率性だけを追求した組織は崩壊する。
一般に、短期的効率性と長期的安定性はトレードオフの関係にあるのだ。

信長は徹底した「成果主義者」だった。
しかし生物社会の中でも特に人間社会はメンタルという厄介な要素が重要である。
成果の効率を基準にしたことが光秀の謀反を招いたとも考えられる。
「売れ筋商品」の管理のような発想で部下を管理しようとしたことが信長の限界だったということであろう。
「働き方」の方向性についても重要なヒントになると思われる。

創造の要諦は「異質の要素の組み合わせにある」と言われる。
垣根氏は、ベストセラーになった『光秀の定理』角川書店(2013年8月)で、確率論と心理学に係わる「モンティホール問題」を応用して成功した。
2015年6月 1日 (月) 垣根涼介『光秀の定理』/私撰アンソロジー(38)

歴史と数学というかけ離れたジャンルを組み合わせることが、小説創作における「垣根の原理」かも知れない。

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2018年8月15日 (水)

敗戦の日の「平和の俳句」/私撰アンソロジー(53)

2015年1月1日から3年間、東京新聞(中日新聞)に掲載された「平和の俳句」が、8月15日に復活、掲載された。
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一面に紹介されたのは、金子兜太さんと共に「平和の俳句」を企画し、選者を務めていたいとうせいこうさんの選句した一句である。
2018年2月22日 (木) 戦争体験・前衛から平和の俳句へ・金子兜太/追悼(118)

今回の選者はいとうせいこうさんと金子さんの後を継いで17 年9 月から選にあたった黒田杏子さん、テレビ番組「プレバト」が評判の夏井いつきさんの3人である。
それぞれ10句ずつ計30句が7349通の投稿から選ばれた。
いとうさんの選句は以下のようであった。1808152_2
それぞれ「なる程」という気がする。
俳句の多様性が窺えるが、「平和の詩」の句は、6月23日の「沖縄慰霊の日」に朗読された「平和の詩」のことだろう。
2018年7月23日 (月) 官僚の作文を棒読みするだけの安倍首相/ABEXIT(76)

東京新聞には、アフガニスタンの在日大使の句も掲載されている。
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見事なものである。
さすがに相手国の文化に通暁している。
戦争が典型であるが、争いは相手を理解しないことによって起こると言われる。
これだけの作句ができる外交官は、それだけで信頼できよう。

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2018年1月29日 (月)

沢木耕太郎『黒石行』/私撰アンソロジー(52)

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「俳句」KADOKAWA(2017年12月号)所収

俳句における「取り合わせ」の技法が気になっていて、たまたま上掲誌を書店で購入したが、その中に沢木耕太郎さんが『黒石行』と題する紀行文を載せていた。
青森県の黒石である。
弘前や十和田には行ったことがあるが、あまり馴染みがない土地である。
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沢木さんは16歳の時、アルバイトで貯めたわずかの金を元手に東北一周旅行をした。
車中泊や駅のベンチなどで宿泊する貧乏旅行だったが、例外的に黒石温泉の国民宿舎に泊まったのだ。
およそ50年前のことである。

私もちょうど50年くらい前に、友人と2人で東北一周の貧乏旅行をした。
単位を取得するために福島で工場実習をして、日当まで出してもらったのだ。
今でいうインターンのようなものかと思うが、高度成長真っ盛りだったので、企業としては青田刈りの一環の費用だったのだろう。
大学の寮などを探して泊まれば東北一周するくらいの日当を頂いた。

沢木さんの泊まった黒石の国民宿舎はとうに取り壊されていたが、部分的にではあるが、徐々に記憶が蘇ってくる。
さすがに「巧い」という文章だ。
構成といい、ボキャブラリーといい、お手本にすべき文章だと思う。
掲出部分は、沢木さんが父の死に際して突然浮かんだ俳句について書いている箇所である。
昔電通の仕事を請けていたことがあり、オフィスが昭和通り沿いにあった。
「昭和通りを横断し、銀座四丁目に向かって歩きながら」というのもよく通った記憶がある。

そして、私の場合は母であるが、死後、遺してあった雑文・短歌・俳句を一冊にまとめる作業を行った。
意識はしていなかったが、あれも「喪の作業」だったのだろう。
父の死の時はまだ子供だったから、特別の感懐はなかったが、自分が寿命を意識するようになって、父の死についても考えることが多くなった。
敗戦後、家庭を捨てたような人だったが、子供たちのことはどう考えていたのだろうか。
ああいう人生は送りたくないと思っていたのだが。

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2017年12月23日 (土)

ケセン語訳『石川啄木のうた』/私撰アンソロジー(51)

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新井高子編著『東北おんば訳 石川啄木のうた』未来社(2017年9月)

帯に、俵万智さんが書いている。

訳というのは、単なる言葉の置き換えではない、心の共有なのだと感じました。
啄木の心を、おんばの声で聞くとき、東北の強さ、深さ、自在さが伝わってきます。

この言葉を見て、米原万里さんの『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』新潮文庫(1997年12月)を思い出した。
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翻訳とか通訳の場合、次のような分類軸を考えてみる。
 不実-貞淑:原文への忠実性
 美女-醜女:言語的な美醜

翻訳された言葉の評価を考えた場合、不実な美女が好ましいか貞淑な醜女が好ましいか。
「貞淑な美女」が好ましいのは当然であろうが、この2軸は独立的なので、不実な美女を選ぶか貞淑な醜女を選ぶか、ということが現実にはあり得る。
米原さんは、実務的なケースでは貞淑性が、雰囲気を重視するなら美醜が大事としていたと思う。

ところで、冒頭の啄木の「東海の小島の磯の・・・」の歌に関し、西脇巽『石川啄木 東海歌の謎』同時代社(2004年1月)は、「東海とは何処か」を問うている。
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そんな設問を考えてもみなかったが、東海という言葉でまず頭に浮かぶのは、東海道という場合の「東海」であろう。
しかし年譜を見ても啄木と東海地域との係わりは特にない。
啄木の娘婿・石川正雄は、原歌は「北海」だったが、推敲して「東海」にしたという。
「北海」であればすっきりするように思うが、その分象徴性は薄くなるように思う。

啄木が小説家を目指していた明治末葉は、近代の書き言葉がようやく確立されようとしていた時期である。
二葉亭四迷らの「言文一致運動」が、夏目漱石らの文学作品として結実しつつあった。
岩手県生まれの啄木は、少なくとも子供の時期は方言で話をしていたであろう。
それが、標準語で小説を書くのであるから、執筆はストレスフルであった可能性が高い。
まして小説に対する世評は余り芳しくなかったのだから。

そんな啄木にとって、東北の玄関口であった上野駅で「ふるさとの訛」のある言葉を聞くことは大きな慰謝であっただろう。
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明治29年、三陸海岸を大津波が襲った。
盛岡中学時代に啄木は初めての「海の旅」として三陸海岸を訪れ、生々しい爪痕が残っているのを見た。
それが多感な少年に強い衝撃を与え、一種の原体験となったであろうことは想像に難くない。
そんな経緯を考えると、「東海」の歌には三陸海岸の記憶が刻印されているような気がするが・・・。

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2017年12月 6日 (水)

北村薫『ビスケット』/私撰アンソロジー(50)

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北村薫『遠い唇』KADOKAWA (2016年9月)の中の『ビスケット』の一節。
北村氏は本格ミステリー作家クラブの発起人の一人であり、初代事務局長を務めたことでも分かるように、本格派のミステリー作家である。
本格派ミステリーは論理性を旨とするが、小説である以上、文学性も重要な要素であろう。
私は、文学趣味が横溢した『六の宮の姫君』創元推理文庫 (1999年6月)を読んで、熱心な読者とは言えないけれど、ファンになった。
芥川龍之介の短編『六の宮の姫君』角川文庫(1958)の創作意図を解き明かすために、芥川の交友関係を探っていく設定のミステリーである。

遠い唇』も、論理性と芸術性が融合した極上の一冊である。
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同書の後書きにあたる「付記ーひらめきにときめき」に、次のような文がある。

わたしが好んで書く《名探偵》は、論理というより、常人の持たないひらめきによって真相に到達するのです。瞬時に、別世界を見てしまう特別な目を持っている。わたしはそれにときめくのです。

著者の言う「ひらめき」とは、セレンディピティと言われるものだろう。
セレンディップは予期しない創造的な発見のことで、ノーベル化学賞を受賞した白川英樹博士の受賞記念講演で有名になった概念である。
「偶然に掘り出し物を見つける能力」などと説明されている。
⇒2016年9月26日 (月):回路から漏出する電子とセレンディピティ/技術論と文明論(72)

ノーベル賞に繋がる業績は、偶然得られた結果かも知れないが、その意味や価値を見逃さない認識力があったからこその業績であると言えよう。

北村氏の言葉を目にしたとき、電通の第4代社長・吉田秀雄氏の「広告は、科学であり、芸術である」という言葉を連想した。
吉田氏は、同社を現在のような広告の巨人なる礎を築いた人として知られ、同社の社訓だった「鬼十則」は同氏の言葉である。
「鬼十則」は、私などのように電通に無関係の人間にも大きな影響力を持ったが、最近は「働き方」の悪しき例として有名になってしまった。
5 取り組んだら放すな! 殺されても放すな! 目的を完遂するまでは・・・
などが、過労死を招いた要因であるとされ、電通の社員手帳からも削除されたという。

しかし、クリエイティブな仕事は本質的にキリがないもので、成果は時間の関数ではない。
「鬼十則」の精神が、同社発展の原動力となったことは否定できない。
「鬼十則」の否定は、電通の自己否定のように思われる。
⇒2016年10月30日 (日):電通「鬼十則」の功罪/日本の針路(301)

前川佳一『パズル理論』白桃書房 (2013年5月)によれば、研究開発業務は「ジグソーパズル型」と「知恵の輪型」に大別される。
前者は、ゴールのイメージが明確で、努力を継続すればいずれはゴールに到達できるもので、後者は完遂できるかどうか不確定なものである。
新車の開発などが前者であり、青色LEDの開発などが後者である。

北村氏が「論理」と言っているのは「ジグソーパズル型」に相当し、「名探偵のひらめき」を必要とするのが「知恵の輪型」といえるだろう。
「知恵の輪型」業務のマネジメントは、今後重要性を増す課題だと思うが、上意下達を旨とする日本社会の弱点である。
青色LEDの開発に成功した中村修二博士なケースが典型であろう。
⇒2007年12月11日 (火):青色LEDの場合
⇒2009年4月23日 (木):LEDの技術開発への期待
⇒2014年10月 7日 (火):青色LEDでの三教授のノーベル賞受賞を寿ぐ/知的生産の方法(104)

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2017年9月16日 (土)

サン=テグジュベリ『星の王子さま』/私撰アンソロジー(49)

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サン・テグジュベリ/浅岡夢二訳『星の王子さま』

サハラ砂漠に不時着した飛行機の操縦士が、砂漠で一人の男の子(星の王子さま)に出会う。
王子さまは操縦士に、自分が生まれた星のことや、色々な星を旅したときの話をする。
2人は8日間一緒に過ごし、絆を深める。

Wikipedia:サン=テグジュベリから引用する。

1926年、26歳で作家として本格的にデビューし、寡作ながら以後、自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表。著作は世界中で読まれ、有名パイロットの仲間入りをしたが、仲間のパイロットの間では反感も強かったという。後に敵となるドイツ空軍にも信奉者はおり、サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいたという。1939年9月4日、第二次世界大戦で召集され、トゥールーズで飛行教官を務めた。前線への転属を希望したサン=テグジュペリは、伝手を頼り、周囲の反対を押し切る形で転属を実現させる。
・・・・・・
大戦中、亡命先のニューヨークから、自ら志願して再度の実戦勤務で北アフリカ戦線へ赴き、1943年6月に原隊である II/33 部隊(偵察飛行隊)に着任する。新鋭機に対する訓練期間を経て実戦配置されたが、その直後に着陸失敗による機体破損事故を起こし、1943年8月に飛行禁止処分(事実上の除隊処分)を受けてしまう。必死の尽力により復帰を果たすと、爆撃機副操縦士としての着任命令(I/22部隊)を無視する形で、1944年5月、サルデーニャ島アルゲーロ基地に進出していたII/33部隊に戻った。部隊は後にコルシカ島に進出。1944年7月31日、フランス内陸部グルノーブル、シャンベリー、アヌシーを写真偵察のため、ロッキード F-5B(P-38の偵察型)を駆ってボルゴ飛行場から単機で出撃後、地中海上空で行方不明となる。

掲出部分は、「大切なことは、目に見えない……」というフレーズで有名である。
「見える化」という奇妙な言葉が使われているが、人間の情報伝達のほとんどが視覚情報であるから、「目に見えない」ものも、それを「見える」ようにすることも重要だということだろう。

『星の王子さま』は1943年4月に出版された。
子供にも大人にも、それぞれの読み方が可能だろう。
読者に応じた読み方をされるものが古典になる。

また、「使った時間が長ければ長いほど、大切な存在」は、経済学の労働価値説の表現であろうか。
Wikipedia:労働価値説は以下のように説明している。

労働価値説(ろうどうかちせつ、labour theory of value)とは、人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論。アダム・スミス、デヴィッド・リカードを中心とする古典派経済学の基本理論として発展し、カール・マルクスに受け継がれた。

図で示せば以下のようである。
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人間機械と失業 第三次産業革命からみた社会・経済論

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2017年7月 7日 (金)

森谷明子『春や春』/私撰アンソロジー(48)

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本作は、俳句甲子園を目指すことになった「藤が丘女学院」という架空の女子高の生徒たちの話である。
掲出部は主人公の茜が、国語の授業で富士という女性教師から桑原武夫の第二芸術論を聞き、納得いかないものを感じたシーンで、このことがきっかけとなって俳句甲子園を目指すことになる。

先日、桑原武夫氏の蔵書を寄贈された京都市が、勝手に廃棄処分していたというニュースを目にした。

フランス文学者で元京都大教授、桑原武夫さん(1904~88年)の遺族から寄贈された蔵書約1万冊を、京都市が2015年に無断で廃棄していたことが、遺族側関係者などへの取材で分かった。利用実績が少なかったことから「保管の必要はない」と判断したという。市教委は判断が誤りだったと認め、遺族に謝罪した。
遺族に無断で1万冊廃棄 京都市が謝罪

「学芸員はガンだから一掃すべきだ」という大臣がいたように、学芸の軽視の影響がこういう所にも表れていると言えよう。
桑原武夫氏は仏文学が専門であるが、京大人文研の共同研究のリーダーとして、優れた手腕を発揮した。
「第二芸術論」は、若い頃の桑原が放った伝統芸術への疑問であり、大きな反響を呼んだ。
⇒2007年8月25日 (土):第二芸術論再読
⇒2007年8月26日 (日):第二芸術論への応答

「〇〇甲子園」というのは、高校対抗のイベントの代名詞である。
運動部だけではなく、文化部でも行われている。
この4月に知り合いの娘が高校に入学し、書道部に入ったと言っていた。
「書の甲子園」で地区優勝したこともある高校で、やはり練習量は多いようだ。

「俳句甲子園」は、正岡子規や高浜虚子などを輩出し、俳句の聖地とされる松山市で毎年開催されている。
⇒2010年8月30日 (月):俳句甲子園
高校生とはいえ、なかなかのレベルである。
⇒2011年9月27日 (火):今年の俳句甲子園/私撰アンソロジー(7)

こういう世界でも開成高校が常連校として顔を出すのは、癪ではあるが納得もする。
本書によれば、全国大会へ進むための決め手は、実作もさることながら、鑑賞の優劣にあるという。
俳句作品の優劣を客観的に決めるのは難しいが、鑑賞ならば共通理解が得やすいということもあるのかもしれない。
⇒2007年8月22日 (水):選句遊び
⇒2007年8月23日 (木):「選句」の遊び適性

自分の高校時代を思い出しても、驚くような早熟な批評眼を発揮する友人がいたが、開成高校には、そういうレベルの高校生がぞろぞろいるのだろう。
大会の様子は以下のようである。
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俳句甲子園

森谷氏の小説は初めて読んだが、小川洋子氏と早稲田大学の同期生だという。
⇒2014年2月 4日 (火):小川洋子『博士の愛した数式』/私撰アンソロジー(31)
早大一文と言えば、作家志望の人間の集まりなのだろうな、と思う。

女子高生といっても、アニメの主人公たちとは異なり「萌え」ではないようだ。
最近、必要があって『ラブライブ!サンシャイン!!』というアニメを覗き見してみたが、サッパリ興味が湧かなかった。
ストーリーの違いなのか、アニメと小説の違いなのか。

私は、「プレバト」というテレビ番組で、夏井いつき氏が発する毒舌コメントと劇的に添削するのを楽しく視聴しているが、俳句の奥深さは底なしのような気がする。
まあ、俳句に限ったことではないのだろうが。
1字か2字の添削が多いが、確かに印象に大きな差異をもたらす。
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[プレバト俳句査定]味気ない添削と、好きになれないフジモンの俳句

「印象操作」を論ずるならば、こういう問題を題材にしたらいかがだろうか。
本書には、俳句の創作や鑑賞の手引きとしての性格もあり、楽しく読了した。

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2017年5月22日 (月)

谷川俊太郎『大岡信を送る』/私撰アンソロジー(47)

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戦後の詩壇を牽引してきた大岡信さんが4月5日に亡くなった。
⇒2017年4月 7日 (金):ことばの魔術師・大岡信/追悼(102)
⇒2017年4月16日 (日):大岡信『春のために』/私撰アンソロジー(45)

JR三島駅の近くに「大岡信ことば館」がある。
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この「ことば館」で盟友ともいうべき谷川俊太郎さんの朗読とDiVaの演奏会が開かれた。
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DiVaというのは、谷川さんの子息・賢作さんを中心とする音楽グループである。
賢作さんは、もちろん子供の時から大岡さんと面識があり、アットホームな会であった。
掲出の詩は、「ことば館」の壁にレリーフになっている。
朝日新聞に4月11日に発表されたものである。

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