私撰アンソロジー

2017年9月16日 (土)

サン=テグジュベリ『星の王子さま』/私撰アンソロジー(49)

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サン・テグジュベリ/浅岡夢二訳『星の王子さま』

サハラ砂漠に不時着した飛行機の操縦士が、砂漠で一人の男の子(星の王子さま)に出会う。
王子さまは操縦士に、自分が生まれた星のことや、色々な星を旅したときの話をする。
2人は8日間一緒に過ごし、絆を深める。

Wikipedia:サン=テグジュベリから引用する。

1926年、26歳で作家として本格的にデビューし、寡作ながら以後、自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表。著作は世界中で読まれ、有名パイロットの仲間入りをしたが、仲間のパイロットの間では反感も強かったという。後に敵となるドイツ空軍にも信奉者はおり、サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいたという。1939年9月4日、第二次世界大戦で召集され、トゥールーズで飛行教官を務めた。前線への転属を希望したサン=テグジュペリは、伝手を頼り、周囲の反対を押し切る形で転属を実現させる。
・・・・・・
大戦中、亡命先のニューヨークから、自ら志願して再度の実戦勤務で北アフリカ戦線へ赴き、1943年6月に原隊である II/33 部隊(偵察飛行隊)に着任する。新鋭機に対する訓練期間を経て実戦配置されたが、その直後に着陸失敗による機体破損事故を起こし、1943年8月に飛行禁止処分(事実上の除隊処分)を受けてしまう。必死の尽力により復帰を果たすと、爆撃機副操縦士としての着任命令(I/22部隊)を無視する形で、1944年5月、サルデーニャ島アルゲーロ基地に進出していたII/33部隊に戻った。部隊は後にコルシカ島に進出。1944年7月31日、フランス内陸部グルノーブル、シャンベリー、アヌシーを写真偵察のため、ロッキード F-5B(P-38の偵察型)を駆ってボルゴ飛行場から単機で出撃後、地中海上空で行方不明となる。

掲出部分は、「大切なことは、目に見えない……」というフレーズで有名である。
「見える化」という奇妙な言葉が使われているが、人間の情報伝達のほとんどが視覚情報であるから、「目に見えない」ものも、それを「見える」ようにすることも重要だということだろう。

『星の王子さま』は1943年4月に出版された。
子供にも大人にも、それぞれの読み方が可能だろう。
読者に応じた読み方をされるものが古典になる。

また、「使った時間が長ければ長いほど、大切な存在」は、経済学の労働価値説の表現であろうか。
Wikipedia:労働価値説は以下のように説明している。

労働価値説(ろうどうかちせつ、labour theory of value)とは、人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論。アダム・スミス、デヴィッド・リカードを中心とする古典派経済学の基本理論として発展し、カール・マルクスに受け継がれた。

図で示せば以下のようである。
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人間機械と失業 第三次産業革命からみた社会・経済論

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2017年7月 7日 (金)

森谷明子『春や春』/私撰アンソロジー(48)

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本作は、俳句甲子園を目指すことになった「藤が丘女学院」という架空の女子高の生徒たちの話である。
掲出部は主人公の茜が、国語の授業で富士という女性教師から桑原武夫の第二芸術論を聞き、納得いかないものを感じたシーンで、このことがきっかけとなって俳句甲子園を目指すことになる。

先日、桑原武夫氏の蔵書を寄贈された京都市が、勝手に廃棄処分していたというニュースを目にした。

フランス文学者で元京都大教授、桑原武夫さん(1904~88年)の遺族から寄贈された蔵書約1万冊を、京都市が2015年に無断で廃棄していたことが、遺族側関係者などへの取材で分かった。利用実績が少なかったことから「保管の必要はない」と判断したという。市教委は判断が誤りだったと認め、遺族に謝罪した。
遺族に無断で1万冊廃棄 京都市が謝罪

「学芸員はガンだから一掃すべきだ」という大臣がいたように、学芸の軽視の影響がこういう所にも表れていると言えよう。
桑原武夫氏は仏文学が専門であるが、京大人文研の共同研究のリーダーとして、優れた手腕を発揮した。
「第二芸術論」は、若い頃の桑原が放った伝統芸術への疑問であり、大きな反響を呼んだ。
⇒2007年8月25日 (土):第二芸術論再読
⇒2007年8月26日 (日):第二芸術論への応答

「〇〇甲子園」というのは、高校対抗のイベントの代名詞である。
運動部だけではなく、文化部でも行われている。
この4月に知り合いの娘が高校に入学し、書道部に入ったと言っていた。
「書の甲子園」で地区優勝したこともある高校で、やはり練習量は多いようだ。

「俳句甲子園」は、正岡子規や高浜虚子などを輩出し、俳句の聖地とされる松山市で毎年開催されている。
⇒2010年8月30日 (月):俳句甲子園
高校生とはいえ、なかなかのレベルである。
⇒2011年9月27日 (火):今年の俳句甲子園/私撰アンソロジー(7)

こういう世界でも開成高校が常連校として顔を出すのは、癪ではあるが納得もする。
本書によれば、全国大会へ進むための決め手は、実作もさることながら、鑑賞の優劣にあるという。
俳句作品の優劣を客観的に決めるのは難しいが、鑑賞ならば共通理解が得やすいということもあるのかもしれない。
⇒2007年8月22日 (水):選句遊び
⇒2007年8月23日 (木):「選句」の遊び適性

自分の高校時代を思い出しても、驚くような早熟な批評眼を発揮する友人がいたが、開成高校には、そういうレベルの高校生がぞろぞろいるのだろう。
大会の様子は以下のようである。
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俳句甲子園

森谷氏の小説は初めて読んだが、小川洋子氏と早稲田大学の同期生だという。
⇒2014年2月 4日 (火):小川洋子『博士の愛した数式』/私撰アンソロジー(31)
早大一文と言えば、作家志望の人間の集まりなのだろうな、と思う。

女子高生といっても、アニメの主人公たちとは異なり「萌え」ではないようだ。
最近、必要があって『ラブライブ!サンシャイン!!』というアニメを覗き見してみたが、サッパリ興味が湧かなかった。
ストーリーの違いなのか、アニメと小説の違いなのか。

私は、「プレバト」というテレビ番組で、夏井いつき氏が発する毒舌コメントと劇的に添削するのを楽しく視聴しているが、俳句の奥深さは底なしのような気がする。
まあ、俳句に限ったことではないのだろうが。
1字か2字の添削が多いが、確かに印象に大きな差異をもたらす。
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[プレバト俳句査定]味気ない添削と、好きになれないフジモンの俳句

「印象操作」を論ずるならば、こういう問題を題材にしたらいかがだろうか。
本書には、俳句の創作や鑑賞の手引きとしての性格もあり、楽しく読了した。

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2017年5月22日 (月)

谷川俊太郎『大岡信を送る』/私撰アンソロジー(47)

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戦後の詩壇を牽引してきた大岡信さんが4月5日に亡くなった。
⇒2017年4月 7日 (金):ことばの魔術師・大岡信/追悼(102)
⇒2017年4月16日 (日):大岡信『春のために』/私撰アンソロジー(45)

JR三島駅の近くに「大岡信ことば館」がある。
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東京新聞5月11日

この「ことば館」で盟友ともいうべき谷川俊太郎さんの朗読とDiVaの演奏会が開かれた。
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DiVaというのは、谷川さんの子息・賢作さんを中心とする音楽グループである。
賢作さんは、もちろん子供の時から大岡さんと面識があり、アットホームな会であった。
掲出の詩は、「ことば館」の壁にレリーフになっている。
朝日新聞に4月11日に発表されたものである。

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2017年4月16日 (日)

大岡信『春のために』/私撰アンソロジー(46)

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4月5日に亡くなった大岡信は、昭和6年、満州事変の年に静岡県三島市に生まれ、旧制沼津中学在学中に詩作を始めた。
⇒2017年4月 7日 (金):ことばの魔術師・大岡信/追悼(102)

新幹線三島駅北口に「大岡信ことば館」があるのはその縁である。
⇒2011年7月 9日 (土):「大岡信ことば館」における『私の万葉集とことば』座談会

同館の展示には工夫が凝らされていて面白い。
⇒2012年8月26日 (日):大岡信『二人の貧窮者の問答』/私撰アンソロジー(15)

掲出の詩は処女詩集『記憶と現在』に収められている。
25歳の時の上梓であり、以後詩歌界を牽引してきたことは周知の通りである。
建築家で詩人の渡辺武信氏は、思潮社版現代詩文庫『大岡信詩集』(1969年7月)の解説「大岡信論-感覚の至福からのいたましき目覚め」で、次のように言っている。

詩集《記憶と現在》は、一つの感受性が開花に至るまでの、みずみずしい混沌に満ちた彷徨の記録である。

掲出詩の第三連については、次のように解説している。

 ここでは、視像から視像への動きが、たたみかけるような詩句の呼吸と一体化して、ほとんど官能的な視覚的運動感をつくり出している。次々と提示される視像は決してあらかじめ予定されたスタティクな構図にはめこまれることはない。
・・・・・・
運動が官能的にすら感じられるのは、この詩が戦後の恋愛詩の傑作であり、<おまえ>と呼びかけられているのが恋人であるというような主題からくるのではなく、読む者が言葉にとらえられて一緒に動くというこの感覚からくるのだろう。

見事な読解と言えるが、主題と言葉のリズムが見事に一致しているからこその効果だと思う。
この詩人の新作を読めないというのは寂しいが、死は生命体の宿命である。
そのことを、子ども向けの絵本にしたのが、レオ・バスカーリアというアメリカの哲学者が書い『葉っぱのフレディ-いのちの旅』である。
私には、1998年10月27日の日本経済新聞朝刊のコラム『春秋』と産経新聞朝刊のコラム『産経抄』で、この絵本を紹介した時のことが忘れられない。

掲出詩のような青春を経て、朱夏、白秋、玄冬と季節と同じように、人生も移り変わって行く。
いかに長寿化しようが、死は避けられないのだ。

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2017年1月30日 (月)

恩田陸『蜜蜂と遠雷』/私撰アンソロジー(45)

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今期の直木賞受賞作。
第6回芳ケ江国際ピアノコンクールを舞台に、若きコンテスタントたちの戦いと友情を描く。芳ケ江は浜松がモデルで、随所にそれを思わせる描写が出てくるが、浜松とは無関係に楽しめる。
「ノスタルジアの魔術師」と言われ、青春群像の描写に定評がある著者の手練れの作品だ。
⇒2017年1月21日 (土):恩田陸『夜のピクニック』/私撰アンソロジー(43)

ちなみに浜松国際ピアノコンクールの概要は以下の通りである(Wikipedia)。

現在では、国際音楽コンクール世界連盟に加盟する国際コンクールである。第1回大会は浜松市市制施行80周年を記念して1991年(平成3年)に開催され、若手ピアニストの育成を図るとともに楽器の街から音楽文化の街への昇華を図る近年の浜松市政の代表的なものとなっている。第1回審査委員長は小林仁、第2回審査委員長は安川加寿子。安川の没後に中村紘子が後任に選ばれてからは、課題曲、審査員、コンテスタントの人選が以前よりも変化に富み、コンテスタントのレベルや選べるコンチェルトも次第に上がっていった。開始当初、レパートリーやコンチェルトの選曲の異様な狭さが問題となっていた。
開始当初はピアノの「ビッグスター」あるいは「スーパースター」が来場することで有名で、彼らはその後に国際コンクールの主要タイトルを連取した。ショパン国際ピアノコンクールやヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの優勝者すら複数名も輩出し、予選落ちですらチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門の優勝者やクリーブランド国際ピアノコンクール]やソウル国際音楽コンクールピアノ部門の優勝者を出すなど、華やかな激戦が繰り広げられた。ただし、中村紘子が審査から退任後は国際コンクールの「周遊組」が目立つようになり、2012年は優勝こそイリヤ・ラシュコフスキーであったものの、彼はその後チャイコフスキー国際音楽コンクールに失敗し、第二位第三位受賞者もことごとくメジャー国際コンクールで落選した。2015年度はヴィオッティ国際音楽コンクールピアノ部門、ショパン国際ピアノコンクール、ブゾーニ国際ピアノコンクールの予選落ち同士が本選で対決するなど、レヴェルの膠着化が顕著になってきている。
現時点で「メジャーデビュー」を成功させた優勝者は、チョ・ソンジンだけである。これも「メジャーデビューが難しい」とされているヴァン・クライバーン国際コンクールの在り方に酷似しているが、ツアーが3年ついて回るということはない。また、予選で落ちた人物の演奏CDを販売しており、人気のあるコンテスタントは即SOLD OUTになるなど、市民にピアニストの音が根付く仕掛けが施されている。

掲出部分は、かつて天才少女と言われた栄伝亜夜が、自然児的天才風間塵の才能に触れ、再び音楽に意欲を復活させるシーン。
コンクールの期間中に劇的に進化を遂げて行く若者たちが感動的だ。
音楽性の進化という不可視のテーマを、恩田さんは一幅の絵のように見事に描写している。
全日本卓球選手権で優勝した平野美宇選手が、「少女から勝負師に変身した」と言われているが、上達するときは昆虫の変態のように進化するのだろう。
コンクールが舞台だけに、ふんだんに楽曲名が登場する。

ちなみにファイナルに残った6人のコンテスタントの演奏する楽曲は、以下の通りである。
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http://ml.naxos.jp/playlist/naxos/565625

こんなことがアップされていることでも分かるように、クラシック音楽ファンには「一粒で二度も三度もおいしい」作品と言えよう。

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2017年1月21日 (土)

恩田陸『夜のピクニック』/私撰アンソロジー(44)

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第156回芥川・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が1月19日で開かれ、芥川賞に山下澄人さんの「しんせかい」(新潮7月号)が、直木賞に恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎)が選ばれた。
恩田さんは6回目の候補であり、実力はよく知られている。
私は若い人たちが本屋大賞の話で、小川洋子さんの『博士の愛した数式』と共に、恩田さんの『夜のピクニック』の支持が高かったので読んでみた。
『小説新潮』誌に、2002年11月号から2004年5月号まで連載。
2004年7月、新潮社から刊行され、第2回本屋大賞、第26回吉川英治文学新人賞を受賞した。

ストーリーは、以下の通り(Wikipedia)。

全校生徒が24時間かけて80kmを歩く高校の伝統行事「歩行祭」。3年生の甲田貴子は、最後の歩行祭、1年に1度の特別なこの日に、自分の中で賭けをした。それは、クラスメイトの西脇融に声を掛けるということ。貴子は、恋心とは違うある理由から西脇を意識していたが、一度も話をしたことがなかった。しかし、ふたりの不自然な様子をクラスメイトは誤解して…。

モデルは、著者の母校である茨城県立水戸第一高等学校の名物行事「歩く会」であるが、いわゆる伝統には似たような行事が少なくないと思われる。
掲出したように、普通の高校生の会話が中心で、それをどう感ずるかが評価の分かれ目だろう。
私は、遠い日の、甘いような切ないような気分が蘇ってきた。
瑞々しい秀作だと思う。

直木賞受賞作の『蜜蜂と遠雷』はモデルは浜松で開催されている)国際ピアノコンクールだ。
まだ読了していないが、ドキドキワクワク感がある導入部である。
「郷愁を誘う情景描写に巧みで「ノスタルジアの魔術師」と称される」と紹介されているが、「むべなるかな!」であろう。

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2016年4月27日 (水)

石黒耀『死都日本』/私撰アンソロジー(43)

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スクープを連発している「週刊文春」の3月17日号に、池澤夏樹氏の『3.11を読む』という書評が載っている。
小松左京『日本沈没』、石黒耀『死都日本』、北野慶『亡国記』である。
いずれも、地学的な変動が日本国を滅亡の淵に追い詰めるというストーリーである。
⇒2016年3月23日 (水):浜岡原発撤退の論理と倫理/技術論と文明論(42)

発行は『日本沈没』が1973年、『死都日本』が2002年、『亡国記』が2015年である。
日本沈没』と『死都日本』では、先見性のある政治家が危機を救うが、『亡国記』では安倍晋三首相をモデルにしていることが明らかであるが、危機におけるリーダーとしてまったく機能しないリーダー像である。

私は今回の「別府-島原地溝帯」と呼ばれる地域で起きている地震の第一報を聞いたとき、この作品のことが頭に浮かんだ。
霧島火山帯の古層の加久藤カルデラが30万年ぶりに噴火し、日本が壊滅の危機に瀕する……。
初版は2002年だが、東日本大震災が起きて、ストーリーの現実味が増した。

日本列島はプレートの押し合いで成り立っている。
押す圧力と岩盤の強度のバランスが崩れると断層になる。
大断層帯として中央構造線と中央地溝帯(フォッサマグナ)があるが、静岡県はそのシンボル的な地域である。
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富士川河口断層帯では中央地溝帯が露出している。
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東西を結ぶ要衝であり、地震が起きれば被害は甚大である。
浜岡原発は中央構造線と中央地溝帯に挟まれた地点にある。

偶然かも知れないが、太平洋の対岸のエクアドルでも大地震が起きた。
地下で何が起きているのか? 
気象庁はどう推移するか予測できないとしている。
「別府-島原地溝帯」という限定された範囲でも分からないののが現在の地球科学の水準である。
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地震連鎖と愚か者の無責任

「火の国」の由来となった阿蘇で巨大噴火が起きる可能性もゼロとは言えないだろう。
今回は内陸断層型地震で、南海トラフ地震との関連性は薄いとされているが、南海トラフ地震の発生確率は確実に高まっていると考えられる。
死都日本』は先見的な警告の書として読まれるべきであろう。

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2016年3月22日 (火)

清水昶『開花宣言』/私撰アンソロジー(42)

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気象庁は3月21日、東京・靖国神社にある桜標本木を観察し、東京都心のソメイヨシノの開花を宣言した。
平年より5日早く、昨年より2日早い観測という。
関東で最初に開花である。

清水昶の<デジタル版 日本人名大辞典+Plus>の解説は以下にようである。

1940-2011 昭和後期-平成時代の詩人。
昭和15年11月3日生まれ。清水哲男の弟。同志社大在学中「現代詩手帖」に投稿,昭和39年「暗視の中を疾走する朝」を発表,40年正津勉(しょうづ-べん)と詩誌「首」を創刊。41年現代詩手帖賞。「長いのど」「少年」などに時代の意識をうたう。「詩の根拠」などの評論集でも知られた。平成23年5月30日死去。70歳。東京出身。

私より少し早い生まれだが、ほぼ同時期の空気を吸っていた人である。
村上一郎は、吉本隆明、谷川雁とともに雑誌『試行』の創刊メンバーであった。
私は学生時代、学校の近くの古書店で二束三文で購入した春秋社の「現代の発見」シリーズの第3巻に収載されていた『日本軍隊論序説』でこの人の名前を知った。
日本浪漫派に通ずるパセティックな文章だった記憶がある。

村上一郎が、武蔵野市の自宅で日本刀により頸動脈を切り自刃したのは、1975年3月29日であった。
つまりこの年の開花宣言は、平年よりやや遅かった。
全共闘運動の活動家だったという清水昶は、村上一郎の感情過多のような生き方(死に方)にシンパシーを抱いていたと思われる。

絢爛と咲き誇って、すぐに散ってしまうというはかなさが大和魂と共通すると思われてきた歴史がある。

敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花

そして、それが死のイメージを呼び起こす。
死者が埋められた場所の桜は成長が早いともいう。

21日の日の夕方、房総へのバスツアーの一員として、暗くなる頃、アクアラインを通って東京駅に帰着した。
開花宣言を記念して、東京タワーがピンク一色のダイヤモンドヴェールのイルミネーションで彩られるのに遭遇した。
一夜限りというイベントであるところが桜らしいと言えようか。
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一夜限定!東京タワーがピンクダイヤモンドに染まる

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2015年8月22日 (土)

阿川弘之『雲の墓標』/私撰アンソロジー(41)

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先日亡くなった阿川弘之さんの代表作『雲の墓標』の末尾。
私は高校時代から繰り返し読んだ作品である。
⇒2015年8月 6日 (木):落暉よ碑銘をかざれ・阿川弘之/追悼(74)

主人公は吉野次郎。
藤倉、坂井、鹿島と共に、京大の国文で万葉集を学んでいた。
昭和18年に学徒出陣で応召する。
学徒出陣について、Wikipediaは以下のように記す。

学徒出陣(がくとしゅつじん)とは、第二次世界大戦終盤の1943年(昭和18年)に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。日本国内の学生だけでなく、当時日本国籍であった台湾人や朝鮮人、満州国や日本軍占領地、日系二世の学生も対象とされた。なお、学徒動員と表記されることもある。
中では、鹿島と藤倉が戦争に「きわめて批判的乃至傍観的であった」。

鹿島は一般兵科で、横須賀武山海兵団に行き、3人とは別れる。
吉野、藤倉、坂井は、飛行科で土浦航空隊に配属される。
その後、大竹海兵団に移って訓練を受ける。
藤倉は、ずっと反戦的な気分を持続させていたが、昭和20年3月に訓練中に事故死する。
坂井は、昭和20年4月に特攻出撃し、戦死する。

吉野の出撃は、7月9日である。
あと1カ月余で敗戦であり、もちろんその頃は必敗ということは分かっていた。
吉野の鹿島宛の遺書が、、次の言葉で始まる。

雲こそ吾が墓標
落暉よ碑銘をかざれ

そして、唯一生き残った鹿島は吉野の両親あての手紙を書き、詩を同封する。
その詩の後半部分を掲出した。
まさに絶唱というべきであろう。

安倍政権の手で、積極堤平和主義という名の下に、戦争ができる国へと大きく舵を切ろうとしている。
しかし、多くの国民はその欺瞞性をすでに理解している。
安倍首相の言うように、「国民の理解が進んでいない」のではなく、理解したから反対しているということが、政府・与党には「理解が進まない」らしい。

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2015年7月15日 (水)

声明書・自由と平和のための京大有志の会/私撰アンソロジー(40)

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http://www.kyotounivfreedom.com/manifesto/

多くの国民が反対する中で、また憲法学者や歴代内閣法制局長官が違憲を表明しているのにも拘わらず、政府・与党は安保法案を衆院特別委で可決した。
歴史的な暴挙として長く記憶される日となろう。

そんな中で、久しぶりに我が意を得た。
「自由と平和のための京大有志の会」による声明書である。

一篇の詩のようにも読めるが、精選された言葉に込められた意思と意味は重い。
たとえこの国会で安保法案が通ってしまったとしても、反撃に移ろう。
国民的レベルで意思表示の時だ。

ヤンキー的な政治家がいつまでも大きな顔をし続けられるわけがない。
私も激しく同意する。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりもは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

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