闘病記・中間報告

2013年8月31日 (土)

iPS細胞から脳を作製/闘病記・中間報告(60)

脳卒中の後遺症はやっかいだ。
私も発症後、12月が来れば満4年ということになるが、いまだに右半身はいうことを素直に聞いてくれない。
歩行のような普通の動作が難しいのだ。

それでも、下肢は歩行ができるようになった。
問題は上肢である。
右手は当初の「廃用」という診断からは脱したのではないかと思うが、「実用」には程遠い、といったレベルである。
⇒2011年10月25日 (火):簡易上肢機能検査/闘病記・中間報告(35)
しかし、極めて緩慢ではあるが少しずつは回復しているので、可能な限りリハビリに努めたいと思う。

医学の進歩は驚異的である。
オーストリアや英国の研究チームが、iPS細胞(人工多能性幹細胞)から、直径約4ミリの立体的な脳組織を作ることに成功したという発表があった。

 脳組織には大脳皮質に似た構造や髄膜などが含まれており、複雑な人間の脳の一部を形作った画期的な成果。脳の成長が滞る小頭症の患者のiPS細胞からも脳組織を作り、発達異常が起きることを確認した。
 チームは「脳が出来上がる仕組みを調べたり、人間の脳に特有な病気の仕組みを解明したりすることにつながる」としている。
 チームは実験用の人間のiPS細胞を神経系の細胞へ変化させ、培養液をかき混ぜるなどしながら培養した。すると変化を始めて2カ月で直径約4ミリの脳組織に成長した。ただ各部分の位置や形は本来の脳とは異なり、大きさは10カ月間培養を続けてもこれより大きくならなかった。中央部では、酸素や栄養が行き渡らず細胞が死んでいた。
http://sankei.jp.msn.com/science/news/130829/scn13082917000003-n1.htm

もちろん、血管がないなど、脳を完全に再現したわけではないらしいが、重要な大きな一歩といえよう。

Ips
出来た脳の組織は、ヒトの大脳皮質のように神経細胞の層が重なり、記憶をつかさどる海馬の細胞や目の網膜の組織も含まれていました。また、研究グループでは、脳が生まれつき小さい「小頭症」の患者からiPS細胞を作り出し、同じように脳の組織にしたところ病気の状態を再現することもできたとしています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130829/k10014117031000.html

今の時点では、神秘的ともいうべき脳の働きには程遠いというべきであろうが、進歩の速度は驚異的である。
神の領域に近づいてきたといえよう。

そこで問題になるのは、倫理である。
医学の分野でも研究者の不正の報道が相次いでいる。
⇒2013年8月 1日 (木):研究における成果主義の弊害/知的生産の方法(70)

とりわけ脳は、意識や感情という人間を人間たらしめている要因の司令塔である。
かつてはSFとして扱われていたテーマが現実化しているともいえる。
山中伸弥教授らのiPS細胞の研究は、日本人として誇るべき業績であるが、今後倫理の問題でもわが国はリーダーシップを発揮していけるであろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月15日 (金)

認知症の原因としての情報不全/知的生産の方法(42)

歳をとると、誰でも認知能力が衰えてくる。
しかし、肉体的な能力は20歳頃、記憶力については40歳頃にピークを迎えるが、語彙や日常的な問題解決能力は75歳までは増え続けるともいわれる。
加齢と認知能力の関係は、下図のように説明されている。
Photo
http://www.nikkeibp.co.jp/aging/article/report2011/20120402/08/01.html

この図でも短期記憶能力は、50歳ごろから急速に低下していく。
もちろん、個人差があることは個人的な体験でも分かることである。
一般に比べて病的に進行したのがいわゆる認知症であろう。

私が体験したのは、妻の昔からの知人の例である。
妻に対して、「お母さんはどうしている?」と聞く。
妻が「もう死んだよ」と答えると、「そうかねえ」といって納得する。
しかし、ものの2~3分くらい経つと、また同じ質問をして同じ答を聞き、同じように反応する。
私の子供の名前などは覚えているから、不思議と言えば不思議である。

この場合は、別に他人に迷惑をかけているわけではないが、次のような話もよく聞く。
自分の大切にしているもの、たとえば財布、をしまい込んで、その場所はおろか、しまい込んだことすら忘れてしまう。
本人は、きっと盗難にあったのだと妄想する。

悲劇的なのは、このような「もの盗られ妄想」は身近な人に向けられやすいことである。
家族が犯人呼ばわれされ、それを叱責すると、その経緯は忘れてしまうから、なぜ叱責されたかが認識されないで、攻撃されたという風な印象が残る。
介護者に対しても同様である。
介護者に対して叱責など嫌な思いをした印象が積み重なると、介護者に「もの盗られ妄想」が向けられる。

介護者が嫁で、被介護者が姑であることは多いであろう。
ただでさえ問題が起きがちな嫁姑である。
かなりやっかいな事態になるのは、容易に想像できる。

「週刊朝日」2013年3月15日号に、「新名医の最新治療 Vol270」として、『認知症の周辺症状』という記事が載っている。
同記事に、聴力が弱くなって、上記のような症状が現れた例が示されている。
聴力が弱くなって、入ってくる情報が部分的になると、状況の理解も低下し、思い込みも激しくなる。
結果として、「もの盗られ妄想」が昂進した。
しかし、聴力改善により症状は劇的に改善されたということである。
認知症は記憶能力の低下によるというだけではなく、的確な状況判断を損なう情報取得能力の低下によるものでもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年2月25日 (月)

『脳の中の経済学』と将来事象/闘病記・中間報告(59)

脳という臓器は不思議である。
私のように、脳血管障害の後遺症患者にとっては、脳の働きを知ることは切実な問題でもある。
最近はMRI(特にfMRI)によってその一端を知り得るようになった。
⇒2012年12月23日 (日):『脳のなかの水分子』とMRI/闘病記・中間報告(56)
⇒2011年8月13日 (土):予兆を感知できるか?/闘病記・中間報告(26)
⇒2010年6月30日 (水):ロボットによる脳進化の理解

しかし、その働きの全貌はまだほとんど分かっていないと言うべきだろう。
特に高次脳機能と呼ばれる機能は、人間が人間らしく存在する上で重要であるが、不思議なことが多い。

高次脳機能障害とは、交通事故や脳血管疾患などにより脳に損傷を受け、言語・思考・記憶・行為・学習・注意などの知的な機能に障害を抱え生活に支障を来たすことをいう。
高次脳機能障害は、精神・心理面での障害が中心となるため、外見上は障害が目立たず、本人自身も障害を十分に認識できていないことがあり、家族からも理解されにくい状況にある。障害は、診察場面や入院生活よりも、在宅での日常生活、特に社会活動場面で出現しやすいため、医療スタッフからも見落とされやすい。障害を知らない人から誤解を受けやすいため、人間関係のトラブルを繰り返すことも多く、社会復帰が困難な状況に置かれている。身体の障害は完治または軽症で精神障害とも認められずに、医療・福祉のサービスを受けられず、社会の中で孤立してしまっている状況にある当事者もいる。

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/glossary/HBD.html

高次脳機能を実際の人間行動のあり方から解明しようとする試みの1つが、行動経済学である。
経済学は、合理的な判断をする人間を前提として、理論の枠組みを作ってきた。
しかし実際の人間行動は、合理的な判断から期待されているものと乖離していることが少なくない。

なぜ、「理論的に導かれる判断」と「実際に行われる判断」が違うのか?
行動経済学は、「合理的な行動」という仮説に拘らない。
「非合理な人間」を解明しようとするアプローチであり、いわば「非合理を論理的に」明らかにしようという矛盾のような学問である。

行動経済学をさらに進めて「神経経済学」と呼ばれている分野が発展しつつあるらしい。
「非合理的な判断をする人間」を、脳の中のしくみと関連させて解明できないか。
その理解のために、経済学の枠組みを利用しようという発想である。
行動経済学の方から脳神経学に接近する動きと、脳神経学から経済学に接近しようという動きが合流して、「神経経済学」が誕生した。

大竹文雄、田中沙織、 佐倉統『脳の中の経済学)』ディスカバー・トゥエンティワン(1212)は、おそかく初めての同分野の入門書である。
文部科学省の「脳科学研究推進プログラム」(脳プロ)という脳科学プロジェクトの一般向け成果報告の一環として、著者らによる鼎談が行われた。
この鼎談を元にした第1部を、第2部の大竹、田中両氏の対談で補足するという構成である。

夏休みの宿題を、いつやっていたか?
「近くのものが大きく見え、遠くのものが小さく見える」というのは、空間だけでなく時間についてもあてはまる。
誰だって、今日1万円貰える方が1年後に1万円貰えるよりは嬉しいだろう。

後になるほど小さくなるそのなり方を割引率という。
そして、割引率に個人差がある。
たとえば、指数割引と双曲割引である。

指数割引というのは、時間軸の小さくなり方の比率が一定である。
年率1%ならば、最初の1年間も次の1年間も1%である。
2年後は(1-0.01)×(1-0.01)=0.9801になる。

双曲割引の場合は、小さくなっていくなり方、つまり減衰の仕方が双曲線になっている。
最初の割引が大きく、時間の経過とともに小さくなっていく。

夏休みの宿題を最後にやるというのは双曲割引の一例である。
双曲割引の場合は、今と明日の割引に差がある。
ということは、今立てた「明日の計画」が明日になれば違ってくる。
計画の実行は明日から明日へ、先延ばしされることになる。
私にも身に覚えのあることである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月28日 (月)

『<老い>の現在進行形』と未病の概念/闘病記・中間報告(58)

吉本隆明さんは、対談の記録を多く遺した人だ。
彼の言葉が他人(対談者およぶ読者)に浸み込んでいくことの証左であろう。
死者との対話ともいえる弔辞・追悼文にそれはもっともよく表れていると言えるかもしれない。
⇒2012年3月18日 (日):心にしみ通る吉本隆明の追悼文

1996年夏、伊豆市土肥の海水浴場で遊泳中に溺れ意識不明の重体になり緊急入院した。
1924年11月生まれだから、71歳の時ということになる。
以来、体調を崩されることが多かったようで、看護とか介護についても体験者ならではの発言がみられる。
三好春樹さんとの対談『<老い>の現在進行形』春秋社(0010)も、介護とかリハビリについて興味深いことが語られている。
「リハビリ老人「吉本隆明」の、もっとも切実で実感的な「老い」の体験」という案内が付されている。
ちなみに三好さんは、PT(Physical Therapist:理学療法士)であるが、特別養護老人ホーム等で、老人のリハビリに従事した経験を持つ。

対談集の終わりの方に、近代医学の限界といった話題が出てくる。
現在、私たちが出会う医者のほとんどが近代的な西洋医学に基づいて診療を行っているといえよう。
東洋医学的な療法は、民間療法などといって、下に見られている。

吉本さんが次のように言う。

 ぼくの自覚症状でいえば、前に比べれば、耳がすこし遠くなっているとかがあるんです。でもそれを言ったってしょうがないんです。お医者さんは、ぼくが自覚しているようにはわかってなく、精密検査でもひっかかってきません。何かで検査したことがあるんですが、「聞こえますか」と聞かれて、「聞こえます」と答えると、「だいたい年相応じゃないですか」とういうことですんでしまいます。

要するに、吉本さんは自分の身体について、「いいところなんてない」と思っているのに、医者は、「血糖値を除けば健全ですよ」と真剣には受け止めてくれないのである。
これに答えて三好さんは、次のように言う。

 一般的にいいますと、これまでは人間を元気と病気との二つに分けてかんがえればよかったんです。元気な人が何かあって発病する。病気になると病人ですから医者に診てもらって、治療してもらう。そして治癒してまた元気に戻る。つまり元気と病気と二元論でよかったわけですが、科学が発達して、医学が進んでくるとこれですまなくなったんです。たとえば糖尿病というのはインシュリンがないときは大勢死んでいたわけです。それがインシュリンによって死ななくてすむようになったんですが、じゃあそれで元気に戻れるかといったら戻れないんです。

糖尿病の人というのは、健常なときには感じなかったが、入院してみるとその比率の多さにびっくりする。
リハビリ病院で、4人部屋の場合、2人か3人は糖尿病であった。
三好さんは、病人というわけではないし元気でもない状態が慢性疾患で、老化というのも同じだという。
脳卒中も同じである。
命は助かるようになったが、手足がマヒ

して障害が残る。

人間を病気と元気に二分するのも、「キレ」の思考の産物といえよう。
ところが、実際はどちらとも言えない(=どちらとも言える)人が増えている。
私のような障害者は、病人ではないが、元気でもない。
障害とか老化とか慢性疾患を持った人は増えるばかりであろう。
私も回復期の病院に転院したとき、これは近未来の縮図ではないかと思ったことがある。
このような人に対して、病人を対象にしてきた近代医療は、無力ではないかと三好さんは言う。

最近耳にする未病という概念が当てはまる領域であろう。
Photo_2
http://blogs.yahoo.co.jp/knight_tukiomi_science/6907135.html

未病については、ホリスティック医学のアプローチが必要であろう。
ホリスティックとは西洋医学と東洋医学の統合である。
西洋医学は基本的に「キレ」の思考に基づいてきた。
医療の場にも(こそ)、「コク」の思考が求められる時代になってきたようである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月28日 (金)

「湯たんぽ」の<候・効・好>考/闘病記・中間報告(57)

病気のためか加齢のためかは判然としないが、最近手足の冷えが気になる。
発症前は、手足が冷たいと、ことさらに意識するようなことはなかった。
最近、自分の右手、つまり麻痺側、が冷たいなぁ、と感じることがよくある。
OT(作業療法士)の人と話をしたら、やっぱり動かし方が少なくなるからでしょう、ということだった。

入院中は、暖房完備で夜も暖かった。
退院して冬を迎える時、寝室のエアコンを新調した。
古くから使っているものに比べると、静かだが強力である。
今年は、居間のエアコンもリプレースした。

わが家は、いわゆるマンションである。
以前、会社の都合で単身赴任をしていた時、ワンルームのマンションを借りていたことがあって、真冬の夜でも半袖で居られるくらい暖かかった記憶がある。
マンションというのはそういうものだ、と思っていたら、自宅はそんなことはなかった。
角部屋のせいなのか、構造上の問題なのかは分からない。
結露はひどいので、内外の温度差があることは間違いないのだが。

退院してから、冬場は「湯たんぽ」を愛用している。
子供の頃は使っていた記憶があるが、永くご無沙汰だった。
使ってみるとすこぶる快適である。
湯たんぽのすすめ」というサイトに、「湯たんぽ」のメリット・効用が列挙されていた。

  • ヒーターの類いと異なり皮膚が乾燥しない。
  • 乾燥しないので、咽が乾かない。
  • ほかほかと自然な暖かさがあります。
  • 体全体(布団全体)が温かく、朝も快適に起きられます。
  • 電気の消し忘れがないので寝坊した朝でも安心。
  • 問題となっている電磁波が発生しない。
  • だんだんと温度が下がるので、体に優しい。
  • 電気代もかからずエコロジー。
    阪神大震災でも大活躍→
    阪神大震災時の「湯たんぽ」心尽くしの湯たんぽ
    まいにち中学生ニュース 被災地へ湯たんぽ トルコや雲南を救済 〔現在リンク切れ)
  • 一人分が安価なので、人数分揃えられる。
  • 翌朝も気分の良い温かさが持続。
  • 残り湯(まだ熱い)で顔や食器を洗える。
  • 屋外でも簡単に使えて温かい(テント泊の方、お試しを)。
  • 電源不要なので病院で入院中の人も使える。

子供の頃は金属製のものだったが、最近はいろいろな材質のものが出回っている。
わが家で使用しているのは、硬質プラスチック(PVC?)製である。

Photo
http://www.designgumi.com/blog/index.php?ID=133

「湯たんぽ」は、まさに「熱と温度」の問題の典型例である。
「湯たんぽ」は、熱容量と熱伝導、熱拡散のほど良いバランスを、低コストで実現している。
⇒2009年8月14日:「同じ」と「違う」(1)熱と温度 その1.熱容量と比熱
⇒2009年8月17日 (月):温度と熱 その2.水の特異性/「同じ」と「違う」(2)
⇒2009年8月26日 (水):熱と温度 その3.熱伝導率と熱拡散率/「同じ」と「違う」(5)
⇒2009年8月27日 (木):熱と温度 その4.熱伝導率と熱拡散率(続)/「同じ」と「違う」(6)

Wikipediaによれば、日本での「湯たんぽ」の使用の歴史は以下のようである。

日本では室町時代に使用されており、栃木県日光市の輪王寺に、徳川綱吉が使用したという犬型の湯たんぽが存在している。古くは陶器製が主で、金属製のものが現れたのは大正期以降である。戦時中は金属が貴重となったため、陶器製のものが使われるようになった。現在ではプラスチック製やポリ塩化ビニル製のものが主流となっているが、金属やプラスチック製の湯たんぽと違い、陶器製の湯たんぽは保温性が良く遠赤効果があるとされている。
1990年代になってから、保温性の高い液体をプラスチックの容器内に密閉し、電子レンジで加熱することにより湯水の出し入れをしなくてもよいものが登場したが、加熱のし過ぎによって容器が破損し、内部の高温の液体が漏れ出して火傷を負う事故があったため、メーカーのADEKAが利用者に商品の回収を呼びかけている。
2007年(平成19年)からは原油価格の高騰によって省エネルギー性が注目され、商品数・売上が増加している。

東日本大震災を体験し、本格的な省エネ時代を迎えているが、「湯たんぽ」はますます見直されて増加していくのではなかろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年12月23日 (日)

『脳のなかの水分子』とMRI/闘病記・中間報告(56)

天皇誕生日である。
79歳になられた陛下は、2月に心臓の手術を受けられたが、変わらぬご様子で公務に就かれている。
私は、天皇制という制度は必ずしも合理的でないし、歴史的には批判的に考えるべき要素も多いと思うが、国民の大多数が「是」としている現状からして、否定すべきものではないと考える。

皇位継承や女性宮家の問題が論議されている。
大統領のように選挙で選出するという性格ではないので、世襲によるしかないであろう。
しかし、いたずらに神聖化することは間違いを起こすことになるのではないか。
その点、宮内庁の陵墓に対する姿勢などは如何かと思う。
発掘を許さないという姿勢の結果、比定に疑問を持たれている陵墓が少なからずある。
比定いるされている天皇はもちろん、埋葬されている人物に対しても失礼というものではないだろうか?
⇒2008年11月 1日 (土):小林惠子氏の高松塚被葬者論…⑧高松塚に関する史料
⇒2008年11月28日 (金):御廟山古墳(陵墓参考地)を一般公開
⇒2009年5月29日 (金):箸墓は卑弥呼の墓か?
⇒2010年9月10日 (金):牽牛子塚古墳は、斉明陵か?

天皇誕生日は、私にとっては、記念すべき(?)脳梗塞の発症日である。
3年前の今日、椅子から立ち上がって外出しようとしたところ、歩行できずに倒れてしまったのだ。
自分では意識ははっきりしていたと思う。
しかし、脳梗塞の発症だという認識はまったくなかった。
⇒2010年3月 6日 (土):闘病記・中間報告

医者から、「元のようには戻りませんが、頑張ってリハビリに励んで下さい」という励ましにならない言葉を何回も聞かされたが、確かに後遺症はやっかいである。
ごく簡単・単純な動作(たとえばマウスの操作)が未だにできない。
あるいは、発声が以前と比べ不自由である。
日常生活のコミュニケーションで困ることはほとんどないが、たとえば、カラオケでは特に高音部が出にくいし、発声が遅れてリズム・メロディについていけないことがある。

私がラッキーだったのは、発症の時点での科学技術の水準である。
まず第一に、独りで倒れたのにもかかわらず携帯電話のおかげで、外部(娘)と連絡が取れたことである。
意識がはっきりしていたにも拘わらず、固定電話のあるところまで動けない。
焦ったけれど立ち上がることができず、携帯電話がポケットに入っていなかったら、と思うとぞっとする。

第二は、医学・医療の発達である。
緊急に搬送された救急病院で、血栓溶解治療を受けられたことが挙げられる。
日本でこの療法が承認されてから、まだ数年しか経っていなかった。

脳梗塞は、脳に行っている動脈が詰まることによって、血液が流れなくなり、脳に酸素や栄養などが届かなくなってしまい、脳細胞が死んでしまう病気ですね。
それでは動脈をふさいでいるものを溶かしてしまえば、血液が再び流れるようになって脳梗塞が治るのではないか? このような考えから始まったのが血栓溶解療法です。この溶かすための薬がt-PA(アルテプラーゼ)です。平成17年10月に承認を受け、日本でも治療ができるようになりました。
http://kagomc.jp/gairai/kessen/#h2-kessen01

そしてMRIの実用化である。
MRIはNMR(核磁気共鳴)をベースとしている。
MRI(磁気共鳴画像)のWikipediaの説明をみてみよう。

断層画像という点ではX線CTと一見よく似た画像が得られるが、CTとは全く異なる物質の物理的性質に着目した撮影法であるゆえに、CTで得られない三次元的な情報等(最近のCTでも得られるようになってきている)が多く得られる。また、2003年にはMRIの医学におけるその重要性と応用性が認められ、"核磁気共鳴画像法に関する発見"に対して、ポール・ラウターバーとピーター・マンスフィールドにノーベル生理学・医学賞が与えられた。

MRIが地方の病院にまで普及したのも最近である。
MRIのお陰で、格段に診断の精度は高くなった。
私も、「決して小さくはない脳梗塞」という診断を、搬送された当日の夜に聞いている。

日本古代史を科学する 』PHP新書(1202)の著者・中田力氏は、fMRIの研究の第一人者である。
fMRIのWikipediaの説明は以下の通り。

fMRI (functional magnetic resonance imaging) はMRI(核磁気共鳴も参照)を利用して、ヒトおよび動物の脳や脊髄の活動に関連した血流動態反応を視覚化する方法の一つである。最近のニューロイメージングの中でも最も発達した手法の一つである。

中田氏は、『脳のなかの水分子―意識が創られるとき』紀伊國屋書店(0608)で次のように書いている。

 MRIは、水分子の画像である。
 MRIとは、身体を形成する水分子が、与えられた特別な周波数に音叉のように共鳴して起こす、ほんのわずかな信号を捉えて画像を作り出す技術である。いわば、MRIの画像とは、水分子の奏でるシンフォニーのようなものである。

まったく水というのは不思議な物質である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月11日 (日)

感情失禁について/闘病記・中間報告(55)

11月9日の東京新聞に、早稲田大学教授(フランス文学)の芳川泰久氏が、『病気で発見 翻訳の世界』という文章を寄せている。
芳川氏は、3年半前に脳幹梗塞を患った、と書いている。
後遺症は、身体的にはほとんど残らなかったというから、ラッキーだったというべきだろう。
私も、入院して多くの脳疾患患者を見てきたが、多くは身体的な後遺症に悩まされている。

江藤淳は、「脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず」と遺書にしたためた。
⇒2010年9月 6日 (月):江藤淳の『遺書』再読
私も、「形骸に過ぎず」とまでは思わないが、後遺症がもう少し改善されないものか、と思いながらリハビリを続けている。
しかし、私も多くの同病者の中では、比較的にはラッキーだったのだろう(と自分自身を慰めている)。

芳川氏は、「軽い構音障害」と診断されたが、専門医から「使いながら慣らせ」といわれる程度だったらしい。
私も、回復期の入院中はST(言語聴覚士)の訓練を受けたが、退院後はリハビリ時間の制限もあって、もっぱら使いながらになっている。
自分では結構もどかしい思いをしているが、もともと能弁ではないこともあって友人・知人は、「良くなったなあ、以前と変わらないよ」などと言ってくれるが、自分自身が以前と同じでないことは承知している。

芳川氏は大学を半年間休職して散歩をしながら発声練習を繰り返したという。
その結果、記載はないものの、発声はほとんど障害としては残っていないだろうと推測する。
半年間の休職明けには、大学の講義等があるだろうからである。

興味深いのは、感情がコントロールできない後遺症が残ったということだ。
こういう現象を、感情(もしくは情動)失禁という。
失禁は、我慢できずに漏れてしまうことをいうが、文字通り感情(情動)が抑えきれないで、漏れてしまうことである。

感情失禁というのは、情動失禁とも言われますが、わずかな刺激で過剰に泣いたり、笑ったり、怒ったりすることをいいます。
感情失禁は、刺激に対して起こる情動の調節が障害された状態で、脳動脈硬化症や脳血管性痴呆症などの症状としてよくみられます。

http://kaigo01.cash-law.com/006.html

つまり、脳の病気では一般的なようである。
私も、元来涙もろいタチであったが、発症後いっそう亢進したことを自覚している。
「つまらない」と頭では理解している安手のTVドラマなどを見ていても、泣けてくるのを抑えられなくなる。
一緒に見ている妻などは、「バカじゃない」というような顔をするが、病気の後遺症なのだ。

芳川氏は以下のように書いている。

文字通り、何を見ても笑えてくる。かと思えば、理由もなく泣けてくる。しかしその理由が分からない。とつぜん、身体が勝手に反応しているのだ。自分であるのに、身体は自分ではない。

芳川氏は、「理由もなく」と書いているが、私の場合は、感情を刺激するモノはあるように思う。
しかし、リハビリを受けている病院の入院患者(だと思う)に、確かに「身体が勝手に反応している」ように笑ってばかりいる人がいる。
体が勝手に反応したり、麻痺して意図通りに動かなかったり、やっかいなことではある。
まあ、自然に笑う場合は、泣いたり怒ったりするのと異なり、周りも余り気にならないようであるが。

芳川氏は、病から得たものが一つだけある、という。
根気づよさが備わったというのだ。
裏返していえば鈍感になったということだと芳川氏は書いているが、同じ作業を繰り返しても飽きないという。
私は、もともと単純作業が好きだったので、この点で変化があったのかどうか良く分からない。
しかし、感情失禁と根気強さが両立するのだから、脳というものは不思議なものだと改めて思う。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2012年8月17日 (金)

生活習慣病の進展と対策/闘病記・中間報告(54)

昨日、某リサーチファームのOB3人で歓談する機会を持った。
同世代であるが、人生行路はそれぞれである。
1人は新卒で入社以来役員定年まで同じ組織で過ごし、悠々自適の生活を送っていたが、今年になって心筋梗塞を発症した。
手術をしたが、術後の経過は良好で、特に問題はないらしい。

私が脳梗塞を発症したのが2年半のことになるが、なんとか日常生活(ADL=Activity of Daily Life)をこなせるようになったことから、旧交を温めようということになった。
心筋梗塞も脳梗塞も、共に生活習慣病といわれている。
生活習慣と発症までの経過は、下図のように説明されている。
Photo
http://www.cityhosp-kumamoto.jp/health/lecture/talk/post-93.php

つまり、生活習慣により高血圧症等の生活習慣病を発症し、それが進展して脳梗塞や心筋梗塞等の疾病を発症する。
リサーチャーの業務は不定形なものが多い。
特にわれわれの所属したリサーチファームは、問題の構造が不明確で、アプローチの方法論が定まっていないようなテーマが少なくなかった。
つまり、well‐definedな問題ではないものである。

結果として、仕事は無限定、無定量ということになる。
「長時間の残業や休日抜きの勤務は美徳」というような風土にならざるを得ない面がある。
⇒2012年7月29日 (日):ポスト「3・11」の課題としての過労社会からの脱却/花づな列島復興のためのメモ(120)

「高血圧症の基礎疾患のある地方公務員のくも膜下出血の発症について公務起因性が認められた事例」(「判例ジャーナルNo.1367」(2012.5.15))に、「脳・心臓疾患の発症機序等について」記した項がある。

 脳・心臓疾患は、医学経験則に照らせば、被災職員に係る加齢等の属性と発症の基礎となる高血圧症、血管病変等個体的要因に生活的要因、職務上の要因が相加・相乗に作用して発症するものである。したがって、被災職員が有する発症の基礎となる高血圧症、血管病変等の素因・基礎疾患の病態が高度であると認められる場合には、公務が相対的に有力な原因となって発症したか否かついては、医学的経験則に照らし、慎重に判断することが必要である。

つまり、医師の胸先三寸次第ともいえるのであるが、この事例の場合も、原告に有利な意見を述べた医師と、被告に有利な意見を述べた医師がいた。
多様な要因が相加・相乗に作用するのであるから、単純には割り切れないのが普通であろう。

結局は業務の過重性を量的な面と質的な面とから検討して総合的に判断するということになる。
上記事例に照らせば、リサーチャ-時代のわれわれの業務は、量的にも質的にも、十分過重であったのではないかと思う。
しかし、発症した年齢を勘案すれば、加齢、生活習慣等の要因が相対的に大きくなっている。
業務起因を主張するには、距離があるだろう。
それにしても、かつての業務が潜在的な要因となっていることは十分に考えられる。
一般社会人よりも細心の注意をもって、生活習慣を形成しなければならなかったのではないかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2012年7月30日 (月)

脳疾患が労災と認められた判例/闘病記・中間報告(53)/因果関係論(17)

高血圧等の基礎疾患があるばあい、脳梗塞などの脳血管障害を発症するリスクが大きい。
脳血管障害を実際に発症した場合、業務の過重負荷が「相当因果関係あり」と認定されるのは、かなり難しいのではないかと想定される。
たまたま知人の法律事務所で「判例ジャーナルNo.1367」(2012.5.15)を眺めていたら、「高血圧症の基礎疾患のある地方公務員のくも膜下出血の発症について公務起因性が認められた事例」の解説が載っていた。

事案の概要は以下の通りである。
公立小学校の教員が授業終了直後、気分が悪くなって保健室で休んでいた。
容態が急変したので県立病院に救急搬送され、検査をしたら、くも膜下出血であると診断された。
入院加療しているが、後遺症が残った。
地方公務員災害補償基金に公務災害認定を請求したが、脳動脈瘤の形成は先天的原因(家族歴)又は後天的原因(高血圧症)によるものであり、破裂しやすい状態となっていたものが自然的経過において増悪し、発症したもので、公務起因性は認められないとした。

一般に、労災が認められる条件は下図のようである。
Photo_3
http://www.nenkin-support.com/rousai02.html

ここで、過重労働の影響は、下図のようである。
Photo_4
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/special/115/

つまり、おおまかな傾向はあるが、せいぜい蓋然性が認められるということである。
疾病の発症には、多様な要因が関係している。
そのどれが主因であるかを見極めるのは困難であろう。
Photo_2
http://lifestyle-disease.jp/

判例では、公務による負荷が基礎疾患を自然の経過を超えて増悪させ、発症に至らせたと認められたときに、相当因果関係を肯定することができる、と解している。
本件の争点を具体的に整理すると、以下のようである。
1.公務起因性の判断基準
2.原告の公務の過重性
3.公務以外の本件疾病発症に対する危険因子の有無

判決は、原告の本件疾病の発症は公務に起因すると認められる、とした。
その理由は以下の通りである。
a.原告は、くも膜下出血の最大の危険因子である高血圧症であったが、食事療法や運動療法を実施していたことにより、発症の直前期には基本的に血圧はコントロールされていた。
b.発症の直前期に、高度な疲労を来すような過重な公務があった。
c.過重な公務負担が、原告の高血圧症を自然経過を超えて増悪させたから発症したと認められる。
d.すなわち、本件疾病と原告公務の間には相当因果関係が認められる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年7月23日 (月)

メモを取れないハンディ/闘病記・中間報告(52)

三嶋大社で「古典講座」というのをやっている。
東洋大学の菊地義裕教授が、万葉集を題材に、日本文化の伝統について講義している。
http://www.mishimataisha.or.jp/classic/
⇒2009
年7月20日 (月):カタリの諸相

受講料も手ごろなので発症前から受講していたが、病気で中断を余儀なくされていた。
今年度から再受講しようと思っていたのが、再入院と重なり6月からの受講となった。
昨日は今年度の4回目、私としては2回目の講座だった。

講義を聴いていると、メモを取れないことの不便さを痛感する。
左手は何とか読めるくらいまでは訓練したが、速度が実用的なレベルではない。
右手は、自助具を付けて、やっとスプーンが持てるようになったところで、字を書くには程遠い。

私は、かつてメモ魔というほどではないが、比較的メモをよく取っていた方だと思う。
しかし、せっかく取ったメモも、自分が議事録を作成するとき以外は、あまり見直すことはなかった。
メモを取る労力はムダだったのだろうか?

メモは何のために取るか?
メモ(メモランダム)は、日本語で言えば、「覚え書き」とか「備忘録」である。
つまり、「覚え」のために、あるいは忘れないために(忘れたときに備えて)書く。
メモは普通手書きである。

私は右半身不随になって、気楽に手書きのメモを取れなくなった。
そして、メモがモノを考える上で、非常に大きな役割をしていることを再認識した。
アタマの中をメモ的に「見える化」することで、考えが前に進む。
アタマの中だけの作業だと、循環してしまいがちである。
つまり、メモを気楽に取れないということは、考える上での大きなハンディキャップである。

7月5日の東京新聞のコラム「筆洗」が、メモの重要性に触れていた。

 はっといいアイデアが浮かんでも、それを書き留めなかったため、思い出せないという苦い経験を持つ人は多いはずだ。一瞬のひらめきは、消えてしまうのもあっという間である▼ノーベル化学賞受賞者の福井謙一さんは枕元だけではなく、テレビを見る時も、散歩の時も鉛筆とメモ帳を用意していたという。「メモをしないでも覚えているような思いつきに、大したものはないようである。メモをしないと、すぐに忘れてしまうような着想こそ貴重なのである」(『学問の創造』)▼自宅や職場のあちこちに付箋やメモ帳を置き、つまらないアイデアでも、すぐにメモしようと身構えるわが身だ。ノーベル賞学者が地道な努力を重ねていたことを知り、なぜか安心してしまった

もちろんノーベル賞学者とわが身を比ぶべくもないが、コラム氏のように、「すぐにメモしよう」と思っても、それができないことが残念だ。
スマートフォンのメモ機能である程度は代替できるが、左手だけの入力速度には限界がある。

人間の手は、実に器用なものだと思う。
今までほとんど意識することなく、字を書いたり、箸を持ったりしている。
しかしこれらの作業は、かなり微細な制御を必要としている。

左手については、発症直後から機能向上訓練を始めた。
生存のためには先ず食が条件であるから、箸を使えることが重要になる。
もちろん、スプーンなどで代替できる部分はあるが、やはり日本人としては、箸で食事をしたい。

最初は、左手で箸を使うのは非常に難しいことだった。
2本の箸をバネで繋いだ「バネ箸」で、小さく千切ったスポンジから始めた。
次第に豆状のものなどを摘む訓練などに取り組むようになったが、体験上大きな効果があったのは、字を書く訓練だった。

右手で字を書いていた人間にとって、左手で字を書くのは容易ではない。
小学生のように、書き取り帳を埋めていった。
書き取り帳が何冊かになった頃、何とか読める字が書けるようになった。
利き手の交換ということになるが、書く速度が問題である。
会議などでメモを取るには、一定のスピードが必要である。
もたもたしていると、話題が変わってしまう。

回復期の病院を退院後、字を書くことの作業のほとんどは、パソコンで行うようになった。
この文章ももちろんパソコン入力である。
逆に言うと、せっかく練習した左手で字を書く機会は、病院の受付ぐらいしかない。

右手の機能回復には、発症後継続して取り組んできた。
2年半以上経過して、やっと手指はゆっくりと動くようになってきた。
しかし、実用になるためには、速度、持続力、保持力等の点で、まだまだほど遠い状況である。
右手の機能回復を願いつつ、思うに任せない「手をじっと見る」日々である。
⇒2012年5月26日 (土):霧島リハセンターを退院/闘病記・中間報告(51)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧