水問題

2015年9月28日 (月)

東京の地政学と河川史/技術論と文明論(34)

東京の発展は、徳川家康が江戸城に入ってからである。
地理的な環境と政治(軍事、外交、経済等も含む)との関係を研究する分野が地政学である。
⇒2015年7月21日 (火):歴史理解のための地政学/技術論と文明論(31)

地政学的に見て、江戸あるいは関東はどういう条件を備えていたか?
現時点で、もっとも活発に地政学的知見を発表しているのは、『日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント』清流出版(2003年12月)以来活発な著作活動を続けている竹村公太郎氏である。
竹村氏はWikipediaでは以下のように紹介されている。

元・国土交通官僚、元・国土交通省河川局長、現・財団法人リバーフロント整備センター理事長、日本水フォーラム代表理事・事務局長。専門は、土木工学(特に河川)。博士(工学)。
建設省(現 国土交通省)在籍時より作家「島 陶也(しま とうや)」として、建設関係業界紙を中心に数々のエッセイを連載している。主に、竹村の専門である下部構造(土木に関する社会資本(インフラ))を中心に、日本史や世界史の仮説を立てており、「社会資本の論客」として注目されている。また、100年後には、北海道が日本の穀倉地帯になるという持論を持っている。また、建設(国土交通)行政に関する経験、意見等を述べる際は、「島 陶也(竹村公太郎)」と付記する場合もある。
中部地方建設局(以下、地建)河川部長在任時は、当時問題となっていた長良川河口堰建設問題で、当時保有していた地建の全生データを、パネルを用いて公開に踏み切った。
また、河川局長在任時(当時、建設省)は朝日新聞のコラム欄「窓」の「建設省のウソ」におけるデータ等に対して、公開質問状のやり取りをインターネット上で全文公開し、物議をかもした。また、この責任は竹村自身が負ったとされる。

ここでは、『竹村公太郎の「地形から読み解く」日本史』別冊宝島(2015年3月)を参考にしよう。
江戸時代以前においては、利根川は東京湾に注いでおり、荒川水系と渾然としていた。
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江戸時代の荒川

家康の江戸入府をきっかけとして、利根川を太平洋に流出するように流路を変更する大事業が行われた。
いわゆる利根川東遷事業である。
⇒2009年9月14日 (月):八ツ場ダムの入札延期 その3.利根川における水資源開発
⇒2013年10月24日 (木):カスリーン台風と利根川治水/戦後史断章(15)

竹村氏の上掲書では、以下の図が援用されている。
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巨大な土木プロジェクトであるが、その結果として、以下のように利根川と荒川が分離された。

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2014年8月 1日 (金)

水に学ぶ/日本の針路(17)

8月1日は「水の日」、7日までが「水の週間」である。
水資源の大切さを、学び・知ろうという趣旨だ。

静岡県の沼津市と三島市の間の清水町に、柿田川という一級河川がある。
かつて、柿田川の水目当てに、石油コンビナート計画が立てられたことがあった。
地域住民等の反対で、計画がとん挫し、現在も清冽な水環境が保全されてる。
⇒2014年7月20日 (日):石油コンビナート阻止闘争50周年/技術と人間(1)

現在でも、100万㎥/日≒10㎥/秒の湧水量があると言われるが往時はもっと多かったという。
上流域での取水等により減少した。
⇒2009年7月29日 (水):湧水量の減少の原因と影響

富士山への降水が、地下水あるいは伏流水となって、この地点で湧出する。
国道1号線のすぐ脇に水源地がsるというのも他に例がないのではないか。
⇒2009年7月31日 (金):富士山湧水の湧出モデル

初めて見る人は大いに感激する。
全長はわずかに約1.2kmで、日本で最も短い一級河川であるが、長良川、四万十川とともに日本三大清流に数えられている。
1985年に名水百選に選定された。

柿田川の横にある柿田川公園に水神を祀る貴船神社がある。
本家(総本社)の京都に比べるべくもないが、鳥居の前に「水五訓」の石碑が建っている。
「水五訓」は、大河ドラマでお馴染の『軍師官兵衛』によるとの説もあるが、出家してからの号・如水からのこじつけらしい。
⇒2014年7月 7日 (月):三島北高校のグローバル人材教育/日本の針路(5)

如水といえば、「上善如水」という言葉がある。
日本酒の銘柄として知られている。
良い酒は、限りなく水に近いものだ、というパラドクスのような話を聞いたことがあるが、原典は『老子』「老子」である。
「上善」とは、理想的な生き方のことで、そういう生き方をしたいと願うならば、水のあり方に学べということである。
学ぶべき「水」の特徴とは、以下のようなものだと書いている。

一つは、その柔軟な性質である、
四角な器に入れれば四角な形になり、丸い器に入れれば丸くなる。
器に逆らうことなく形を変える柔軟さである。

二つは、水低いところに流れていく。
低いところに身をおくのは嫌なものだが、謙虚な姿で、自分の能力や地位を誇示しようとしない。

三つは、内なる大いなるエネルギーを秘めていることである。
緩やかな流れは、人の心を癒す力を持っているし、速い流れは、硬い岩をも砕く力強い力も持ってる。

このような水の特徴に学べば、理想の生き方に近づくということである。
大岡信さんに『故郷の水へのメッセージ』という詩がある。
三島市の桜川沿いの水辺の文学碑に刻まれている。

地表面の七割は水
人体の七割も水
われわれの最も深い感情も思想も
水が感じ 水が考へてゐるにちがひない

水は地球上において普遍的な物質であるが、同時に生命維持に不可欠の物質でもあることを、見事なレトリックで表現している。
私たちは、「地表面の七割は水」であることに慣れてしまい、「人体の七割も水」であることを忘れがちである。

水は地球上を循環しているが、利用可能な淡水は偏在しており、かつ表流水の六割が国境をまたぐ河川を流れる。
「日本人は水と安全はタダと考えている」と批判されたことがあったが、「21世紀は水争いの世紀」と言われるように、水は戦略的資源になっているのである。

考えてみれば、液状の水が存在するのは奇跡に近い。
引力と水の物性(沸・融点、比重など)との絶妙なバランスの結果であるが、存在するのが難しいという意味においても、水は「有難い」物質といえよう。
そして、水こそ、グローカルすなわち、グローバル&ローカルな存在である。
上善を目指して、水に学びたいと「水の日」に思った。

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2013年4月21日 (日)

四川省の地震/花づな列島復興のためのメモ(209)

四川省でまた大きな地震が起きた。
2008年5月12日にも、死者8万7000人の巨大地震が発生している。
三国志の蜀の地で、劉備玄徳の名前や辛い四川料理で有名である。
私はかつては辛いものが大好きだったが、発症後は食道が過敏になり、刺激物は苦手になった。

震源の近くに、水問題の聖地とも称される都江堰がある。
都江堰は、四川という名前のもとになった4つの川の1つである岷江に設置されており、世界文化遺産に登録されている。

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http://www.asahi.com/international/update/0420/TKY201304200219.html

四川盆地は,その標高は200―750m程度の盆地であるが、その西側のチベット高原東端部は標高が4,000m以上に達し、その境界は非常に大きな標高差をなしている。
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http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/science_080526.htm

インドプレートがユーラシアプレートを圧迫してヒマラヤ山脈が形成されたといわれており、元来地質活動が活発な場所である。
⇒2008年5月24日 (土):四川大地震と都江堰
今回も、チベット高原と四川盆地の境界部部の断層帯で大きなズレが生じたのだろう。

Photo_5中国南西部の四川省雅安市芦山県で20日朝に発生した地震は、21日現在で死者・行方不明者が203人、負傷者も約1万1500人に上り、被害規模は拡大している。
マグニチュード(M)6.6の地震は同日午前8時過ぎに発生。被災地は2008年に約7万人が死亡した大地震の震源にも近い。死者の多くは芦山県に集中しており、現地では救助活動が行われているが、道路が狭いことや地滑りなどで救助は難航している。

国際赤十字・赤新月社連盟の関係者は、芦山県の中心部が落ち着きを取り戻しているものの、かなりの量のテントや物資が依然必要だと説明。交通渋滞のため、物資がなかなか届かないと話した。
一方、雅安市の地震当局者は記者団に対し、死者の数が今後急増することはないとの見通しを示したが、一部山間部では被害状況を完全に把握していない場所もあるかもしれないと述べた。

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE93K00020130421

レンガでできた家が崩壊している。
建築基準などないのであろうか?
また福島県で地震があったようだ。
なんだかマグマと地殻の動きが活発化しているようで気になる。

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2013年4月15日 (月)

福島第一原発の汚染水は他に対策がないのか?/原発事故の真相(68)

土曜日(4月)の朝、関西地方の人は肝を冷やしたのではないだろうか。
震度6弱の地震が、05時半過ぎに発生した。
1995年1月の阪神淡路大震災の時と似たような時間帯のはずである。
私は地震発生時には日本にいず、第一報はクアラルンプールの空港で、新聞記者らしき人の質問で知ったので、臨場感はないのだが。

 住宅の損壊は1200戸を超え、大阪管区気象台によると、最大震度3の余震が16回続いた。震源から遠く離れた場所でも高層ビルなどを大きく揺らすことがある「長周期地震動」も観測。気象庁は洲本、淡路両市について強い順に4~1の4段階中、3番目の強さの「階級2」を発表した。
 淡路市では、市役所駐車場や専門学校のグラウンドで液状化とみられる現象により水や泥が噴き出した。津名漁港付近では約10センチの地盤沈下も起きた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130414/dst13041401030000-n1.htm

肝を冷やしたのは関西人だけではない。
福島第一原発事故の現場は、未だに混乱している。
何よりも相次ぐ高濃度汚染水の漏出が止まらない。

東京電力福島第1原発事故現場で起った汚染水漏れで、廣瀬直己社長はきのう10日(2013年4月11日)、地下貯水池の使用を全面的に断念すると発表した。ポリエチレンを主とした貯水池の造りそのものが適当でなかったということらしい。
専門家によると、水漏れを起こした貯水池は普通のゴミ処理場と変わらない造りだった。「必ず漏れるものだから、それを高濃度汚染水に使うのははじめから間違い」(瀬戸昌之・東京農工大名誉教授)という。

http://www.j-cast.com/tv/2013/04/11172880.html

今頃何を言っているのか。
必ず漏れる構造の貯水池を高濃度汚染水の貯水に使うとは!

汚染水は400トン/日出てくる。
容量の問題で地上にある貯水池だけでは足りない。
⇒2013年4月 9日 (火):東電の当事者能力の欠如/原発事故の真相(66)

東電は、汚染水を入れるための貯水タンクを増強中であるが、綱渡りの状況で、計画に余裕がない。
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東京新聞2013年4月12日

高濃度汚染水の処理ができなくなる非常事態用の移送先タンクの7割がすでに満水だという。
3割でどれくらいもつのだろうか? Photo_3
東京新聞2013年4月14日

容量約一万トンと、小学校のプールにすると二十杯分の非常用タンクは、4号機南側の高台にある。高濃度汚染水はおびただしい放射線を放つため、タンク本体は地中に埋め、内部に水素がたまらないよう排気する配管も備えている。
 原子炉建屋地下は、毎日四百トンのペースで高濃度汚染水が増えている。非常用タンクは、除染装置が使えなくなり、あふれそうになった場合、緊急に移送するため造られた。
 東電は、昨夏の時点では「このタンクの大半は必ず空けておく」と本紙の取材に答えていた。その後、除染装置がフランス製の一系統のみから、米国製と日本製が加わって三系統に増え、長期にわたり汚染水処理が途絶える事態は起きないと判断。処理後の水をためるタンクが乏しくなってきたこともあり、一万トンのうち七千二百トンを処理水の貯蔵に使い始めたという。
 当初の空き容量一万トンがあれば、万が一の場合でも一カ月近くは余裕がある。しかし、現在の容量は三割弱の二千八百トンにまで減っている。これでは一週間分の除染停止しかカバーできない。
 東電の担当者は「現在、建屋地下の汚染水の水位は十分低い。除染装置が三つとも使えなくなったとしても、建屋内に空き容量があるため、一カ月ほどは大丈夫」と強調する。
 ただ、三月には仮設電源盤にネズミが入り込んで同時多発的な停電が発生。使用済み核燃料プールの冷却のほか除染装置の一つも停止した。
 さらに現在、発生中の地下貯水池の水漏れ事故で、池の水を全て地上タンクに移すことになり、タンク事情はさらに悪化。もし増設が追いつかなければ、除染装置自体は動くのに、処理した水の行き場がないため稼働できない事態も十分あり得る。こうした状況が長引けば、建屋地下の高濃度汚染水がまた海に漏出する恐れが出てくる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013041402000142.html

非常用タンクの容量は、言ってみれば治水ダムぼ容量のようなものだろう。
空けておいてこそ、いざという場合に機能する。
その容量を平時に使うということは、非常時には使えないということだ。

東電は汚染水対策として、以下を考えているという。
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東京新聞2013年4月12日

東電の汚染水処理計画は、次から次に破綻している。
何か他に方法がないのだろうか。

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2013年3月20日 (水)

福島第一原発の停電事故/原発事故の真相(60)

福島第一原発で、18日19時前に停電事故が起きた。
1、3、4号機の使用済み燃料プール代替冷却システムなどが停止した。
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http://webnews.asahi.co.jp/ann_s_000002215.html

幸いにして、停止した各号機プールと共用プールの冷却装置は、20日午前0時過ぎまでに復旧し、冷却を再開したと、東電から発表があった。
Photo_2 
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013031990135557.html

4号機では、4日半の余裕しかなかったわけである。
一昨年の12月、野田前首相が宣言した「事故収束」が、まったく現実的ではないフィクションに過ぎないことが露呈した。
⇒2011年12月17日 (土):フクシマは「収束」したのか?/原発事故の真相(14)でんの

停電の原因は何なのか?

東京電力が調べたところ、外部の送電線から電気を受けている3つの配電盤が停止していて、このうち2つの配電盤で復旧や切り替えなどを行った結果、停電からおよそ28時間たった19日午後10時43分までに、1号機と4号機、それに3号機の使用済み燃料プールで冷却システムが順次復旧しました。
東京電力は、その後、ほかの配電盤の切り替えなど復旧作業を続け、残る共用プールの冷却システムの運転を20日午前0時12分に再開させ、今回停止したすべての冷却システムを復旧させました。
一方で、東京電力は、今回停止した配電盤のうち、残る1つで異常があったとみて調べていますが、目立った損傷などはなく、トラブルの原因はいまだに分かっていません。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130320/k10013326961000.html

要するに、現時点で原因は分からないということだ。
ネズミのような小動物が原因ではないかとも言われている。
原因が特定できないということは、何時また再発するのかも分からないということだろう。
そして、停電は復旧したが、冷却システムの配電盤には予備が用意されていないという事実も。

発表のタイミングも問題ではないか?
事態発生から発表まで3時間が経過していた。

東京電力は発表が遅れたことについて「設備の状況を確認したうえで取りまとめて発表しようとしていたが確認に時間がかかってしまった。大変申し訳ない」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130318/k10013290991000.html

第一報は、「取りまとめて」発表するのではなく、最悪事態の予測も含めた速報性が求められる。
東京電力の隠蔽体質は少しも変わっていないと見られても仕方がないだろう。
この2年間は何だったのだろう。

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2013年1月 6日 (日)

八ツ場ダムの治水効果/花づな列島復興のためのメモ(181)

デフレ経済からの脱出を優先課題とする安倍政権の政策の柱の1つが公共事業である。
迷走を続ける八ツ場ダムはどうなるのであろうか?
⇒2012年10月20日 (土):象徴としての八ッ場ダム/花づな列島復興のためのメモ(153)

個人的には、今までのいきさつに問題があるにせよ、現実に工事が進んでしまっている状況からすれば、建設を速やかに進めるのが妥当ではないかと考える。
安倍政権の大田国土交通相も、12月27日未明の就任会見で、「民主党政権が継続と決定したことを尊重する。早期完成へ取り組みを進めていく」と述べ、建設を推進する考えを示した。
また、地元選出の小渕財務副大臣も、首都圏での利水だけでなく、防災・減災の視点からも「八ッ場ダムは1日も早く完成させなければならない」と年頭あいさつで語った。

しかし、計画決定のプロセスは完全に透明化して、今後の公共事業の進め方を考える材料とすべきであろう。
というのは、利根川の治水基準点・八斗島を通った最大流量を決める検証で、より大きく推計された値が採用されていた疑いがあることが報じられているからである。

130106 資料は「利根川改修計画資料」。流域に深刻な被害をもたらしたカスリーン台風を受け、新たな治水対策をつくる会議「建設省治水調査会利根川委員会」などの議事録(四七年十一月~四九年二月)が含まれている。岡本芳美(よしはる)・元新潟大教授(河川工学)が七三年、同省OBの技師から寄託された。
 八斗島は、神流(かんな)川が注ぎ込む烏(からす)川が利根川に合流した下流の地点。洪水時に八斗島で観測できなかったため、最大流量は三つの川の最寄りの観測三地点での実測値が、九月十五日午後八時に八斗島に到達すると仮定して単純合計した。
 資料によると、利根川委員会の小委員会は第四回まで建設省や委員が示した「一万五千立方メートル」で議論が進んでいたものの、第六回で突然、同省土木研究所が「一万七千立方メートル」を提示した。八斗島から利根川で五・七キロ上流の上福島の実測値について河道の深さを多めに見積もるなどしていたためだった。
 しかし第七回では、複数の委員から「八斗島の合流点までに(河道でため込まれた流量は)千立方メートルは減るはずだ」など疑問が出て、一万六千立方メートルとの両案併記でまとまった。
 ところが最大流量を決める四九年二月の利根川委員会では一万七千立方メートルのみが報告され、正式に決定。治水対策として上流部で造るダム群で三千立方メートルをカットし、残る一万四千立方メートルは下流の河道で流す方針となった。
 岡本氏は「私の計算では一万五千よりもっと少ない。国は当時ダム建設を推進していた。ダムを造るため治水名目をつくりだし、恣意(しい)的に最大流量を増やしたのではないか」と話している。
 国交省は現在、一万七千立方メートルを基に同台風並みの雨が降った場合、最大流量は二万一千百立方メートルと想定し、八ッ場ダム計画を進めている。この差は同台風時に上流域で氾濫した分と説明しているが、専門家から「氾濫分はねつ造の疑いがあり、過大な数値だ」との批判が出ていた。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013010602000084.html

利根川ダム統合管理事務所のサイトには、以下のような説明がある。

昭和22年関東地方に大きな災害をもたらしたカスリーン台風と同じ降雨があった場合、洪水(想定される洪水)が発生した場合、利根川・八斗島地点(河口より185km地点)では22,000m3/sが流れると予想されます。これは、おおよそ200年に1回の確率で起こる洪水に相当します。
利根川流域の洪水被害を防止するため、八斗島地点で最大16,500m3/sを流すことができる河道を整備し、八斗島地点より上流の利根川上流ダム群で5,500m3/sの洪水調節をする計画となっています。

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http://www.ktr.mlit.go.jp/tonedamu/tonedamu00065.html

群馬県のサイトでは、上流ダム群の洪水調節効果を以下のように説明している。

利根川上流域の約1/4を占める吾妻流域には大規模な洪水調節施設がありません。
 その吾妻流域に建設が進められている八ッ場ダムは、洪水調節容量が利根川上流のダムの中で最大となっており、治水効果が大きいダムです。
 このことから、利根川沿いの市町村からも治水対策上、八ッ場ダムの早期完成を強く要請されています。

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http://www.pref.gunma.jp/06/h5210004.html

八ツ場ダムは洪水調節効果のきわめて大きなダムである。
であればこそ、姑息な方法で必要性を強調したことが逆効果になっているのではなかろうか?
それよりも、いくら計画値を大きくしても、常に計画以上の自然の猛威が起こり得ると考えて、減災の方策を探るべきであろう。

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2012年8月20日 (月)

三分一湧水と先人の知恵

「水を治める者は国を治める」と言われる。
「水を治める」は、一般的にはいわゆる治水、すなわち水害の防御であろう。
しかし、広義には、水の活用すなわち利水や、水環境の保全すなわち親水等も含む、水との付き合い方全般を含むと考えるべきであろう。

戦国時代は、各地に割拠した武将が、全力で統治能力を競った時代であった。
そのため広義の治水にも優れた知恵が発揮された。
有名な「水五則(訓)」は、豊臣秀吉が最も頼りにしたといわれる黒田官兵衛の教えである。
官兵衛は如水という号でも知られる。
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http://matiere.at.webry.info/200702/article_2.html

武田信玄も、優れた戦国武将として、水問題に関して多くの治績を残している。
信玄堤はその代表である。
⇒2008年5月25日 (日):都江堰と信玄堤

今回念願の「三分一湧水」を訪ねることができた。
山梨県北杜市長坂町小荒間にあり、名水百選に選ばれている。

三分一湧水は古くから下流集落の生命の源泉であり、住民これにより田畑を耕し、くらしを立ててきました。三方向に等量に分水する独特の手法は、争いを避けるための先達の知恵であり、学術的にも高く評価されています。そのような歴史の中で、26代を数える旧小荒間村の坂本家は、累代「水元」と敬称され、湧水の維持はもとより、村落間の和平を維持するために心を砕かれてきました。今も毎年6月1日に、同家を首主座に関係集落立ち合いのもと分水行事が行われるのはその故です。平成14年7月甲府市にお住まいの坂本家当主静子様には待ちの懇望に応え、三分一湧水周辺一帯の所有地をお譲り下さることになりました。ここに本湧水と水元坂本家の由来の一端を記し深く感謝の意を表します。
(石碑記載文章より)

http://www.zephyr.dti.ne.jp/bushi/siseki/sanbu-ichiyusui.htm

「三分一湧水」のしくみを、実際に武田信玄が考案したかどうかについては諸説あるらしいが、信玄の手に成るということがしくみを維持する上で有効だったのだろう。

  • 1943年(昭和18)に「押ん出し(おんだし)」と呼ばれる山津波によって、当たり一帯が押し流されが翌年に再建された。
    現在は親水公園として整備され、観光スポットの1つとなっている。
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    真ん中の三角形の石が、水を三分する上で重要な働きをしている。
    厳密に三等分ということではないだろうが、利害関係者が納得することが重要である。
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    リハビリに好適な遊歩道である。
    もちろん、リハビリを意図しているわけではないが。
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    2012年7月11日 (水)

    渡良瀬遊水地と福島原発事故/花づな列島復興のためのメモ(107)

    現在、「逍遥」という言葉は、ほとんど死語のようになってしまった。
    「気ままに楽しむ。外物にとらわれず自適な生活を楽しむ。」などの意味で、「散歩」に近い。
    私の出身高校には、優れた逍遥歌があって、友人たちと高歌放吟したのは懐かしい青春の1コマである。

    小椋佳さんに「渡良瀬逍遥」というアルバムがある。
    小椋さん自身のプロデュースによる最初のアルバムで、1977年にリリースされた。
    その中に、「渡良瀬を行けば」という曲が含まれている。

    野を分けて風がゆくと
    ひとすじの河に似た跡
    風を追い白々と続いている

    歌われている「渡良瀬」は、渡良瀬遊水地のことであろう。
    下の写真に見るようなヨシの草原が広がるのどかな風景であって、歌唱の雰囲気にマッチしている。
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    http://ebinesaku.exblog.jp/15725451/

    渡良瀬遊水地は、渡良瀬川、思川、巴波川の3つの河川が合流する地点にある。
    湿地帯全体が堤によって囲われて、遊水地として機能するようになっており、利根川水系における治水の要衝といえよう。
    渡良瀬遊水地がなければ、人口と有形・無形の資産が集中する東京の治水は不可能ともいえる。
    Photo_3
    Wikipedia

    渡良瀬遊水地の中に、谷中湖という常時湛水の貯水池がある。
    足尾鉱毒事件で有名な谷中村の跡である。

    谷中村は、室町時代から肥沃な農地として知られていた。
    洪水が頻発していたが、その代償として、肥沃な土壌が形成された。
    洪水がない年の収穫は非常に大きく、1年収穫があれば7年は食べられるとも言われたほどだったという。
    Wikipedia から、遊水地化のプロセスの概略をたどってみよう。

    1902年、政府は、鉱毒を沈殿させるという名目で、渡良瀬川下流に遊水池を作る計画を立てたが、予定地の反対が強く、翌年谷中村に変更になる。
    1904年、栃木県は堤防工事を名目に渡良瀬川の堤防を破壊。以後、谷中村は雨のたびに洪水となった。
    栃木県会は秘密会で谷中村買収を決議したが、鉱毒により作物が育たなくなった時点での価格が基準とされたため、買収価格は近隣町村に比べ約5分の1だったとされる。

    栃木県は1906年、村民らに立ち退きを命令。
    1907年、政府は土地収用法の適用を発表。村に残れば犯罪者となり逮捕するという脅しをかけ、多くの村民が村外に出た。
    1908年、政府は谷中村全域を河川地域に指定。
    1914年、残留村民らが田中正造の霊を祀る田中霊祀を建設したところ、河川法違反で連行され、裁判で罰金刑を受けた。
    1917年、残留村民が藤岡町に移住して、ほぼ無人状態となる。

    勝谷誠彦氏が、野田政権を「棄民国家」といっている。

     かつて私は『偽装国家』という本を正続2冊、上梓した。国軍を自衛隊と言いくるめ、暴行窃盗恐喝をいじめと言い換えるようなこの国の虚妄を暴いたのである。しかし、今思えばまだしもそこには「民を騙す」というそれなりのテクニックがあった。今、日本国政府はそうした遠慮もかなぐり捨てて、文字通りの暴力装置と化しつつある。その手法は、国民に対する恫喝と、弱きもの貧しきものを「棄てる」ことだ。いくつもの現象面から、私はもはやこの国を『棄民国家』と呼ぶほかはない。
     人々はどう「棄てられて」いるのか。まず思い浮かぶのが、福島の原発事故であり、大震災の被災地であり、再稼働を強行される原発を持つ地元だろう。低所得層や中小企業に「死ね」という消費税増税もまたそのひとつに違いない。これらに共通しているのは、さきほど触れたような「恫喝統治」だ。原発を巡っては「この夏、大規模な停電が起きる」と脅した。その数字的な根拠はついに示されずじまいだった。何よりも、もっとも停電などの可能性が高いと言われている関西の住民たちはある程度「覚悟」していた。これはいくつも番組を持っている私が皮膚感覚で知っている。原発の事故で命や故郷を失う危険性と、ひと夏暑さを我慢する努力とを天秤にかければ、子どもでもわかる理屈だろう。

    勝谷誠彦「日本人の正気と意気地を発露せよ!」

    勝谷氏の従来の言説には全面的には賛成しがたいものもあるが、『偽装国家』については全面的に賛同した。
    2007年9月 2日 (日):偽装国家
    また、上記の「棄民国家」に関しても同じくagreeである。
    勝谷氏は水俣病の認定打ち切り等にも触れているが、近代日本における「棄民」の代表例として谷中村を忘れてはならないだろう。

    渡良瀬遊水地で毎年3月に、ヨシに寄生する害虫の駆除と野火による周辺家屋への類焼防止、貴重な湿地環境の保全等を目的としてヨシ焼きが行われる。
    しかし、去年と今年は2年続けて中止となった。
    福島原発事故の影響で、ヨシから放射能が飛散する恐れがあるからである。
    福島原発事故と足尾鉱毒事件が、二重写しに見えてくる。

    勝谷氏は、次のような言葉で締めくくっている。

     すべての棄民よ、団結せよ!
     首相官邸を、国会を包囲せよ!
     それぞれの選挙区で、国会議員を、地方議員を問いつめよ!
     恫喝統治に加担して嘘八百を垂れ流す大マスコミを信用するな!
     原発の維持推進に安易に加担して、電力各社の株主総会で賛成票を投じた大企業をあぶり出せ!
     そいつらの製品を買うな!
     もちろん決戦の場は選挙だ。それまでこの怒りを忘れてはいけない。
     日本人の正気(せいき)と意気地(いきじ)を、今こそ発露せよ!

    何やら、竹中労・平岡正明・太田竜らによって唱えられた「窮民革命論」を思わせる。
    「窮民革命論」は、「一般の労働者は革命への意欲を失っており、革命の主体にはなりえない。疎外された窮民(ルンペンプロレタリアート)こそが革命の主体となりえる」という理論であった。
    Wikipedia

    今の連合は、革命どころか変革の主体にもなりえないだろう。
    絶滅危惧種の新左翼アジビラが、右翼ナショナリスト(たぶん)によって復活した!?

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    2011年12月26日 (月)

    八ッ場ダムの事業継続の判断は“まっとう”なのか

    八ッ場ダムの建設再開が発表された。

    建設の是非をめぐり議論が続いていた群馬県の八ッ場ダムについて、国土交通省は22日、建設再開を発表し、前田国交相はさっそく地元を訪れ、事業の継続を報告した。
    前田国交相は「お待たせいたしました。八ッ場ダム続行という結論を出させていただきました」と述べた。
    八ッ場ダムは、2009年の政権交代後、事業が凍結されていたが、国土交通省は22日、八ッ場ダムの完成による治水効果などを強調し、建設再開を発表した。

    http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00214137.html

    構想から60年になろうとし、賛否が鋭く対立してきた八ッ場ダムだ。
    私も、工事がここまで進んでいるのに、中止するのはどうかなと思う。
    また、利根川の治水上八ッ場ダムの有効な代替案があるのか疑問に思う。
    ⇒⇒2009年12月 5日 (土):専門家による「八ツ場ダム計画」擁護論

    しかし、民主党が政権を獲得した2009年のマニフェストの冒頭部分である。
    いわば民主党政権の正統性を判断する標識のようなものではないだろうか。
    その標識を扱うにしては、安易な態度のように思う。
    Photo
    http://www.dpj.or.jp/policies/manifesto2009

    今となっては、「衆院定数を80削減します」という文句が空しい。
    八ッ場ダムはムダな公共事業の象徴として名前が挙げられている。
    もちろん、民主党の中でもスンナリ建設再開が決まったというわけではない。
    前原政調会長は建設再開に慎重姿勢を崩さなかったし、群馬県連会長代行の中島衆院議員(比例北関東)はマニフェスト違反を理由として離党届を提出した。

    しかし、藤村官房長官は、「国土交通省で(検証の)手続きをしており、それを重視する。政治的判断はしない」と記者会見で述べている。
    「政治的判断をしない」政治家こそ仕分けされるべきであろう。

    建設再開の方向で検証を終えた国土交通省の方針を尊重するなら、官僚主導である。
    しかも同省の検証はもっぱら「河川ムラ」という閉鎖的な集団の中で行われたという批判もある。
    12月25日の産経抄欄は、この問題に関して、前原氏の野田首相に対する「嫉妬」に矮小化して、次のように書いている。

    ▼民主党政権発足と同時に建設を中止させたのは当時の国交相、前原氏だった。それだけでも再開はおもしろくない。しかも同じ松下政経塾出身の野田氏が自分を追い抜いて、首相になっている。その幸運を嫉妬する気持ちが恨みに輪をかけた、と見られても仕方ない。
    ▼むろん前原氏は「感情で動いてはいない。国のためだ」と反論するだろう。だが八ツ場ダムがそこまで争わねばならない政治課題とはとても思えない。中止時点で総事業費の7割が投入されていた。水没地からの移転も進み、いわば「解決済み」だったのだ。
    ▼それを民主党がむりやり「公共事業見直し」のシンボルにしてしまった。遅すぎたとはいえ、地元の要求を受け再開に踏み切った政府の判断の方が、はるかにまっとうである。願わくば政治はもう少しカラッとありたい。
    http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111225/plc11122502550000-n1.htm

    私はマニフェストの冒頭に掲げた政策を、地元の要求や官僚の意向に屈し、反故にする政府判断が「はるかにまっとう」とは到底思えない。
    そんなことでは、衆院定数の削減も覚束ないだろう。
    対照的に、消費税アップだけは妙に熱心に見える。
    橋下大阪市長の“突破力”が頼りがいがあるように見えてくるのは、危険な兆候だろうか。

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    2011年9月26日 (月)

    富士六湖の水文学/花づな列島復興のためのメモ(6)

    今年は水文現象から目が離せない。
    水は地球を循環する過程で、さまざまな形で人間活動と係りを持つ。
    和辻哲郎が『風土―人間学的考察 (岩波文庫)』(7905)において、風土の類型を、モンスーン、沙漠、牧場の3つとしたことはよく知られている。
    水資源は人間だけでなく、あらゆる生物に必須の資源であり、その存在の仕方が「風土」を規定する根本要因である。

    水は恵みだけでなく、災厄ももたらす。
    今年は特にその印象が強い。
    大津波、台風12号、13号……

    大津波は、日本史に残る被害を遺した。
    台風12号等は、紀伊半島を中心に記録的な大雨を降らせた。
    ⇒2011年9月 6日 (火):台風12号による降水被害/花づな列島復興のためのメモ(3)
    台風15号は、日本列島の脆弱化している部分を狙い撃ちした。
    ⇒2011年9月22日 (木):台風15号と国土の条件/花づな列島復興のためのメモ(5)
    これらの台風は、富士山とその周辺にも大量の水を降らせ、その雨は富士山麓地域を潤す。
    ⇒2009年7月30日 (木):富士山湧水の水文学

    大量の雨は当然富士山麓地域の地下水位を上昇させる。

    富士山と共に有名な富士五湖。
    山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖をいう。
    しかし、降水量が多く地下水位の高い年にはプラス1の湖が出現する(10年に1度くらいの頻度)。
    今年は、7年ぶりに赤池が出現した。
    110925n_2
    110925撮影

    富士山のふもと富士五湖の一つ、精進湖の近くで幻の池・幻の湖と呼ばれている「赤池」が2011年9月22日に姿を現しました。
    この池は精進湖の水かさが増えた時にだけ現れるもので、富士五湖の6番目の湖ということで富士六湖とも呼ばれています。
    大きな被害を山梨にもたらした台風15号の副産物でもあるわけです。
    前回は7年前に現れました。

    http://yamanashinow.blog137.fc2.com/blog-entry-423.html

    赤池と精進湖は繋がっているらしい。
    各湖の断面高は次のようである。
    Photo_4
    また、赤池の位置は下図を参照。
    Photo_3
    http://www.navi-city.com/tokusyu/akaike.html

    三島市内の小河川も水量が増加している。
    これらの河川はかつては豊富な水量だった。
    太宰治の『老ハイデルベルヒ』にも、次のように描かれている。

    三島は取残された、美しい町であります。町中を水量たっぷりの澄んだ小川が、それこそ蜘蛛の巣のように縦横無尽に残る隈なく駈けめぐり、清冽の流れの底には水藻が青々と生えて居て、家々の庭先を流れ、縁の下をくぐり、台所の岸をちゃぷちゃぷ洗い流れて、三島の人は台所に座ったままで清潔なお洗濯が出来るのでした。昔は東海道でも有名な宿場であったようですが、だんだん寂れて、町の古い住民だけが依怙地に伝統を誇り、寂れても派手な風習を失わず、謂わば、滅亡の民の、名誉ある懶惰に耽っている有様でありました。
    ⇒2009年6月18日 (木)」
    太宰治と三島・沼津http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/238_20005.html

    上流域の開発が進んだ結果、太宰の描いたような様子は、時折の増水期しか味わえないことになった。
    市内の楽寿園の小浜池も普段は枯山水状態であるが、現在は写真のような状態である。
    110925n
    110925撮影

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