戦後史

2009年12月 7日 (月)

専門家による「八ツ場ダム計画」擁護論(3)利根川改修計画の経緯

引き続き、虫明功臣東京大学名誉教授の『八ツ場ダムは本当に無駄なのか-治水と水資源の観点から考える』(「正論2009年12月号収載)を見て行こう。

2.明治時代における治水事業への要望の高まり
江戸時代を通しての新田開発の拡大と、沖積地への人口・資産の増加によって、全国的に洪水災害が顕在化した。
明治23(1890)年に第1回の帝国議会が開催されると、政府の責任において本格的な治水事業を行うよう要望が高まった。
明治29(1896)年に旧河川法が制定され、大河川における洪水防御を目的とする直轄治水事業が始まった。
地先水防から水系全体を見通した治水方式への転換である。

利根川については、明治33(1900)年に最初の改修計画が立案された。
この計画における計画洪水流量は、栗橋地点を基準地点として、3750立法m/秒であった。
この値は、集水面積を考慮すると、淀川、筑後川、木曽川などに比べて極めて小さく、中条堤の洪水調節効果を前提としたものであった。

明治43(1910)年に、吾妻川、烏川流域に大雨が降り、利根川の全川にわたり大規模な氾濫をもたらす被害が発生した。
中条堤が破堤し、東京まで氾濫流が流下するという事態だった。
中条堤の破堤とその修復をめぐって、上・下流の地域的対立が激化した。
埼玉県議会を2分する争いとなり、住民と警官隊が激しく衝突する事件も起きたりした。
結果的に、上流域側の遊水地化に対する強い反対が入れられて、本川に連続堤を築き、河道の流下能力を高める案が採用されることになった。
利根川治水の大きな転機ということになる。

明治43(1910)年の洪水後、治水計画の対象とする計画洪水流量を増大する改定が行われ、工事が進められてきた。
しかし、昭和10(1935)年、昭和13年と計画洪水流量を上回る洪水が発生し、計画対象洪水流量を引き上げざるを得なくなった。
しかし、戦時体制下となったこともあって、改修はほとんど進捗しなかった。

昭和22(1947)年の敗戦の傷跡も癒えていない時期に、カスリーン台風が利根川上流域に未曾有の大雨をもたらし、利根川流域の全域で甚大な災害が発生した。
この水害を契機として、カスリーン台風規模の降雨による洪水に耐える治水計画が検討され、基本高水は、基準点八斗島で17000立法m/秒とされた。
そのうり、3000立法m/秒を上流のダム群で調節する改修計画が立案された。
この時点で、八ツ場ダムが洪水調節を担うダムとして計画の中に位置づけられたのである。

その後、洪水出水が増大傾向にあることを踏まえ、昭和55(1980)年に、基本高水を八斗島で22000立法m/秒とし、上流ダム群で6000立法m/秒調節する計画に改定された。
さらに平成9(1997)年の河川法の改定時に昭和55年計画の見直しが行われ、上流ダム群の調節機能は5500立法m/秒とされた。

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2009年12月 6日 (日)

専門家による「八ツ場ダム計画」擁護論(2)中条堤の遊水効果

虫明教授は、明治29(1896)年に制定された旧河川法による利根川沖積平野の洪水対策の転換を次のように整理している。
1.江戸時代から旧河川法制定まで
連続堤防ではなく、重要地域を守る地先堤防だった。
埼玉平野の上流部に築かれた中条堤は、上流区域に洪水を貯留・調整する遊水機能を持っていた。
中条堤により、下流の洪水氾濫を大幅に軽減させ得た。
Photo http://www.jice.or.jp/room/200811140.html

虫明教授は、利根川治水の歴史に関しては、関東学院大学宮村忠教授の利根川研究の成果を参照していると書いている。
以下、宮村教授による中条堤の洪水調節効果の解説を見てみよう。
http://www.kubota.co.jp/urban/pdf/19/pdf/19_3_3_4.pdf

根川治水の基本は,中条堤の機構によってささえられてきた.近世における各種の河川事業も,この機構を前堤として成立,または可能であった.
明治中期からの流域杜会の動向は,激しくこの機構をゆさぶり,ついに利根川治水の要をとりのぞいてしまった.そのため,治水計画は混乱し,混乱の中から次第に明瞭に利根川東遷が位置づけられるようになり,同時に江戸川拡大の方向が成立してきた.しかし,中条堤機構が破たんした負担分は,やっと高水計画にのった段階にすぎない.
……
に大きな差が生じる.そのことを考慮しながら仮りに11,000m3/s の効果を中条堤に期待して,明治33年改修計画の流量配分図と付合わせれば,図15のような流量配分図がえがける.
Photo_2                     この図で八斗島における14,750m3/s という数字は,現在の計画洪水流量14,000m3/s とほぼ一致する.
したがってこの図は,あたかも,中条堤を放棄したその負担分を,下流河道で受けもたせている構図のようになる.この意味では,利根川の治水は,基準地点(八斗島)流量で明治33年改修計画と変っていないことになる,他の主要河川は,すでに安全率を高める方向にすすんでいるが,利根川の場合は治水史の観点からみる限り,従来の治水の要の代替えをつくった段階といえよう,

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2009年12月 3日 (木)

「同じ」と「違う」(9)投資と費用-その2.政権交代

スーパーコンピュータ開発に関する事業仕分けが科学技術関係者などの批判を招き、予算としては復活しそうな成り行きである。
特に、理化学研究所の野依良治理事長の「科学技術振興や教育は投資であって、費用と混同して考えてはならない」という発言がかなりの影響力を持ったようだ。
確かに、投資と費用は別の概念であろう。

しかし、考えてみれば、ダムの建設も道路の建設もすべて投資として考えるべき問題ではないか。
これらの公共事業は、まさに産業や生活の基盤整備事業であって、長期間にわたる受益を前提にしている。
およそ公共事業の多くは、投資として行われるものであろう。
その意味で、事業仕分けにおいて、投資と費用とを区分して考えるべきだ、という論理は成立しがたい。

事業仕分けの進め方について、多くの批判を耳にする。
私などは、自公連立政権時代と比べれば、大きな前進ではないかと思うが、もちろん現在の方法や状態に欠陥がないということではない。
変えるべきは変えていけばいいだろう。

今年の新語・流行語大賞は、「政権交代」だそうだが、政権交代自体が、一種の投資と考えるべきだろう。
多くの国民は、決して一過性の流行現象として選択したわけではないと思う。
長期政権の後で、直ちに交代の効果を求めれば、拙速という結果に陥ることになるだろう。
政権交代の費用はもちろん発生するであろうが、重要なことは、投資と位置づけて、長期的な効果をいかにして発現させていくかだと考える。

一般論として、投資に不確実性はつきものである。
不確実性を前提として、意思決定を行わざるを得ない。
ハイリスクのものはハイリターンを期待するし、ローリターンしか期待できないとすれば、ローリスクの道を選ぶだろう。
ハイリスク・ハイリターンがあるレベルを超えると、投資というよりも投機と呼ぶべき領域に入ってくる。
もちろん、その境目のレベルは、手持ち資金の余裕度等によって変わってくるだろう。
私は、国民は、ある程度のリスクを織り込んだ上で、政権交代という選択肢を選んだのだと思う。

投資に際しては、長期的な目論見が重要である。
民主党政権は、日本という国の長期的な展望を示していない、という批判がある。
それも、自公政権との対比で言えばどうなのか、という気がするが、長期的な方向性の提示は、投資、すなわち多くの事業仕分けの判断の基礎になるものである。
政権交代が先に現実化してしまったわけであるが、この国の将来像については、これからでも遅くはないので、議論を重ねていくべきだろう。

しかし、例えばダム問題をとっても、将来的な水循環の望ましい姿などは、そう簡単には描けないのではなかろうか。
とすれば、現時点で、何らかの見切りは止むを得ないのではないかと思うのだが。

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2009年12月 2日 (水)

「同じ」と「違う」(10)「事業仕分け」と「裁判員裁判」

行政刷新会議による「事業仕分け」の様子に対して、人民裁判のようではないか、という批判があるようだ。
確かに、「仕分け人」なる言葉も流通しており、TVドラマの「必殺仕事人」を連想する人もいるのではなかろうか。
さしずめ、「仕分け人」は、長い間さまざまな利権を欲しいままにしてきた「悪い奴ら」を倒す仕事人である。
国民の支持の背後に、そのような勧善懲悪的な心情が作用していることは否めないだろう。
しかし、それは一時的なものに過ぎないと思われる。

確かに、私も、TV映像を見ながら、何となく60年代末の学生反乱の状況を思い出すことがあった。
それは「知性の叛乱」としての要素も多分にあったが、一方で、碩学の教授たちに向かって、「テメェ、バカヤロー、ちゃんと答えろよ」などと罵声を浴びせる、およそ知性の感じられない状況もあったことは事実である。
しかし、今にして思えば、それは戦後史における一種の通過儀礼ではなかったかと思う。
戦後復興から高度成長へ。めまぐるしく変貌する社会を何事もなく過ごすわけにはいかなかったのではないか。

私は、「事業仕分け」の報道に接しつつ、裁判員裁判のことを考えた。
今まで専門家の手に委ねられていたことに関して、市民の目線を導入するという意味では、両者に共通するものがあるように感じられたのである。
もちろん、片や公共的な政策に対する判断、片や個人的な量刑に対する判断であるから、両者のテーマは全く異なるものである。
しかし、専門家の閉じた世界での判断から、より開かれた世界での判断へというベクトルは共通するものであろう。

私は、裁判員裁判の制度についてはいささか疑問を持つものである。
2009年1月24日 (土):裁判員制度に関する素朴な疑問
2009年5月16日 (土):裁判員制度と量刑判断
2009年6月 6日 (土):冤罪と裁判員制度
2009年6月10日 (水):刑事責任能力の判断と裁判員裁判
2009年8月 4日 (火):裁判員制度と刑法総論

社会的にみて如何なものか、と思う判決が出されることがある。
だから、「市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映させる」ために、市民が直接裁判に参加しなければならないものかどうか。
刑法的思考の訓練を受けたことのない一般市民が、的確な判断を示せるものなのか。
冤罪の可能性というのは常に存在すると考えられるだろうが、一般市民がその精神的負担に耐えるべきなのか。

これに対して、「事業仕分け」は公共政策の判断の問題である。
究極的には一般市民・大衆の多数決の論理によるべきものである。
専門性も必要とされる場合もあるのだろうが、すべての分野に対する専門家はいない。
また、すべての案件を、国民投票に付すわけにもいかなりことは自明である。
議員なり有識者に代理的に権限を委ねざるを得ないのが現実だろう。

「木を見て、森を見ず」ではないか、という批判もある。
しかし、森の姿を直ちに目に見えるものとすべきである、というのはないものねだりというものだろう。
今までと比べてより良いかより悪いか、と考えるべきだろう。
確かに劇場的な方式で行われたことにより、仕分け人にはキャストという意識があったと思うし、国民には観劇的な気分もあっただろう。

そして、先般の事業仕分けの風景には、佐伯啓思京都大学大学院教授が言うように、「反論の余地なき正義を振りかざして全権を行使する」(産経新聞12月2日「正論」欄)ように感じられる局面があったことは事実である。
しかし、「反論の余地」はもちろんあったのだろうし、仕分け人に全権が委ねられているというわけではないだろう。
佐伯教授が言うような、優等生が議論を誘導するようなイヤラシサの感覚は私も共有するものであるが、それはまだ不慣れだから、ということもあるのではないか。
公開されている以上、成熟してくるに従い、一般良識的な判断に収斂してくると思う。

しかし、裁判員裁判はこれとは異なる。
1回ごとに選任される裁判員には、判断を成熟させるプロセスは予定されていないからである。
市民の持つ日常感覚や常識は重要だろうが、専門性を軽視すると、衆愚の発露に陥る可能性があることを心しておかなければならないのではないだろうか。

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2009年12月 1日 (火)

事業仕分けの限界と可能性

およそモノ・コトには、「限界と可能性」がある。
そのどちらに着眼するかで、これからの方策に対する考え方は異なってくるだろう。
多くの国民の注目を集めた「事業仕分け」も、限界があることは当然である。
その限界をみて、否定的に考えるか、それとも可能性をみて、今後の改善を考えるか?

大多数の人は、「事業仕分け」については肯定的な評価のようである。
ノーベル賞受賞者や大学関係者から批判が噴出したスーパーコンピュータの開発に関する査定も、予算では復活となりそうである。
政治評論家の屋山太郎氏が高く評価しているのは、「国交省の下水道事業(5188億円)は財源を移したうえで、地方自治体が判断する」とした仕分け作業である。

「民主党政策集INDEX2009」は、下水道政策について、次のように記述している。

環境・暮らしにやさしい下水道法等の改正
下水道整備が各自治体の大きな負担要因になっているとの認識に立ち、硬直的な接続義務を見直す法改正を行い、下水道に偏重した汚水処理対策を正します。
合併浄化槽は、汚水処理性能が下水道と比較して遜色のない水準に達していること、過疎地域において経済効率において優れていること、循環型社会の形成に寄与する機能を有することが指摘されています。このため、下水道法を改正し、公共下水道の排水区域内において合併処理浄化槽で汚水を処理している場合、公共用水域の水質の保全や公衆衛生の見地から著しく不適切な場合を除き、公共下水道への接続義務を免除する等の措置を講じます。
浄化槽方式の汚水処理については、民主党会派に属する新党日本の田中康夫氏が熱心に取り組んできた。
以下は、自民党政権時代の国会での質疑応答である。
(田中康夫君 これは弘友さんのデータではなく、これから申し上げるのは総務省が実際に出している資料なんでございますが、今申し上げました、一億二千七百万人くらいいる中の二千二百三十七万人、七百四十六万世帯の汚水処理ができていないという方々に関して、これを仮に下水道ですべて進めていくと四十七兆二千億円掛かるという形でございます。
 これに対して、仮に浄化槽というものを用いれば、これは六兆円でできるという形でございます。ですので、約年間二兆円という、こうした汚水処理の事業の新規に用いていくお金を使えば、約三年間でまさに基本的な生活という点において、前回も言いましたように、個別銘柄かもしれませんが、ウォシュレットも使える、そして水洗のトイレを、そして生活用水もきちんと環境に配慮して処理していくことができるわけでございます。
国務大臣(金子一義君) 下水道をどの手法でやるべきか、公共下水でいくのか、農村集落排水でいくのか、あるいは合併浄化槽でいくのかということについて地域がそれぞれ計画を作っていただいておりまして、あれは、委員も御担当でありましたから、県の知事の権限で作っているんですね。地図を書いてあるんですね。県が決めるんですよね。)
参議院国土交通委員会平成21年4月9日議事録抜粋 質問者民主党会派田中議員
私たちの世代は、下水道整備が文明のバロメーターのような感じがすることは事実である。
つまり、下水道の延伸を無条件で是と考えてしまいがちである。
しかし、整備が進むにつれて、人口密度が疎な地域が対象になってくる。
当然のことながら、下水道整備の限界効率はどんどん低下してくる。
浄化槽技術の進展により、浄化槽で処理した水も、環境の構成要素として利用できる水質になっている。
下水道管の中を流れている間は、生活と遮断された流水である。
経済的な効率面からだけでなく、環境面からも、排水の有効利用を考えるべきだろう。
「事業仕分け」はスタートしたばかりである。
改めることは多々あるだろう。
しかし、密室の作業をオープン化したことは何物にも代えがたいのではなかろうか。

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2009年11月 6日 (金)

水銀の化学(11)「古い化学」と「新しい化学」

西村肇、岡本達明『水俣病の科学 』日本評論社(0106)の著者によれば、メチル水銀の生成機構について、従来の成書における説明は、いずれも「古い化学」に基づくものであって、今日の「新しい化学」のレベルからすると、その説明は到底受け入れられるものではない。
著者のひとりである西村肇氏は、東京大学で化学工学を専攻し、同大学でプロセス工学を講じてきた。
「あとがき」によれば、上掲書は、プロセス工学の完全な応用を示した最初の仕事である。

西村氏によれば、有機化学は1960年ごろに革命的な変化をした。
特に、有機反応における金属の役割については、この「新しい化学」の誕生によって、初めて新しい理解が可能になった。
言い換えれば、それまでの理解は誤りであったということになる。
メチル水銀の生成機構については、今でも「古い化学」による化学式が使われることが多く、上掲書の刊行時の状況としては、「最近、環境庁が発表した水俣病に関する社会科学的研究の報告書でも同じです」。

上掲書の巻末に、「新しい化学」=量子化学による説明が「補論」として記載されている。
水銀がアセチレンの三重結合に結合することを配位結合と呼ぶ。
中学校の段階では、原子にはそれぞれ結合手がある。水素は1本、炭素は4本の結合手を持っていて、それが手を結んで結合する、と教えられる。
高校の段階では、結合手は実は電子である、と教えられる。
双方から電子を1個ずつ出し合って、電子対を作る。それが化学的な原子と原子の結合である、ということになる。
大学になると、電子は雲のような状態で、原子核の周りに広がっている、と教えられる。
それでは、この電子雲は、どう作用して化学的な結合となるのか?

それを説明するのが量子化学という「新しい化学」である。
西村氏は、量子化学の基本的な考え方を、次のように集約する。
1.2つの原子の間に力が働くのは電子雲が重なり合うとき。
2.しかも、その力が引力であるのは、電子雲をあらわす波動関数の位相が一致する場合。位相が反対なら斥力。
3.したがって、決動力が働くのは、重なり合う電子雲が位相を含め同じ対称性を持つ場合。
4.それに加え、引力または斥力が働くためには、合成された軌道(=波動関数)の中にスピンの向きが違う電子が1個ずつ入らなければならない。

上記の中で、3の対称性の原則が、有機化学の革命に相当する知見であると、西村氏は評価する。
1981年のノーベル化学賞は、ウッドワード、ホフマン、福井謙一の3人が受賞したが、この対称性に関する発見によるものである。
配位結合は、上記の4つの原則と有機分子と金属の電子雲による知識によって理解することができる。

波動関数は、電子の存在する範囲と確率を示す。
西村氏は、この波動関数は直観を超える内容であって、さらに抽象的な「波動関数の位相」とか「電子のスピン」は直観的理解を受け付けない、という。
しかもそれは専門家にとっても同じことで、専門家は分かることをあきらめて、理論の結果だけを鵜呑みにして利用しているのだという。
「本当かな?」と思うが、西村氏は、分かることが目的の素人に対して、何とか位相やスピンの意味をわからせようと、電子の走る軌道に注目したモデルを提示する。

そのモデルは、原子核の周りには電子が走る「軌道」ある。
軌道は複線で、外回り線と内回り線がある。
つまり、核を右手に見て走る電子と左手に見て走る電子があり、それが電子のスピンに対応する。
軌道は、外側は右回り専用、内側は左回り用と決められている。
軌道の状態には、電子が全く走っていない空状態、右回りか左回りかどちらかの向きに1個だけ走っている単占状態、どちらの向きにも1個ずつ合計2個で走っている複占状態の3つの場合がある。

さらに、軌道が表にある場合と裏にある場合とがある。
これが位相に相当する。
軌道は、係数を掛けて足したり引いたりできる。
マイナス1を掛けると位相が反転する。
反転軌道ともとの軌道を足すと、軌道は消失する。

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2009年11月 5日 (木)

水銀の化学(10)メチル水銀生成実験

アセチレンの水和反応によって、アセトアルデヒドを合成する工程において、メチル水銀が副生するかどうかを確認する実験が、1960年代初期に、熊本大学研究班によって行われていた。
西村肇、岡本達明『水俣病の科学 』日本評論社(0106)に、その実験報告をもとにしたメチル水銀濃度の時間的変化を示した図が掲載されている。
この実験により、チッソの反応器と同じ条件の実験によって、メチル水銀の生成が確認できた。

図では、アセトアルデヒド濃度は一定の割合で上昇しているが、メチル水銀濃度は濃度が12~13ppmに達したあたりで飽和していることが分かる。
これは、以下のようなメチル水銀の挙動に関する仮説と一致している。
(1)アセチレンを原料として、メチル水銀が生成する。
(2)メチル水銀の濃度の上昇と共に、生成速度が減少し、最終的には低指する。その結果として、メチル水銀濃度は右肩上がりで上昇した後、最大濃度に達して頭打ちとなる。

2_2 頭打ちが実証されたから、反応機構が実証されたというわけにはいかない。
別の反応が起きていて、メチル水銀の濃度が飽和した可能性もあるからである。

上掲書には、この他に、アセトアルデヒドを原料にしたメチル水銀の生成反応、酢酸を原料にしたメチル水銀の生成反応、アセトアルデヒドに酢酸を加えた場合のメチル水銀の生成反応の結果について比較検討している。
詳細は割愛するが、メチル水銀生成反応には、酢酸へのバイパスが存在する有力な根拠が得られた。
酢酸に容易に変化するのは、水銀化酢酸であり、中間体として、水銀化酢酸が生成しているという著者らの仮説が裏付けられたことになる。

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2009年11月 4日 (水)

水銀の化学(9)メチル水銀の生成機構

アセトアルデヒドの反応器の中で、メチル水銀はどのようにして生成したのか?
アセチレンは炭素2個であり、そこから出発した中間体はすべて炭素2個である。
メチル水銀が生成するとすれば、その炭素と炭素の結合が切れて、炭素が1個になる反応があるはずである。

炭素と炭素の結合が切れる反応は、熱分解反応か、脱炭酸反応(炭素の1個が二酸化炭素になって離脱する反応)である。
脱炭酸反応によってメチル水銀を生成するとすれば、その元の物質は、メチル水銀と二酸化炭素からできている物質ということになる。
それは酢酸のメチル基の水素の1つが水銀で置換されたものである。
西村肇、岡本達明『水俣病の科学 』日本評論社(0106)は、この物質を水銀化酢酸と略称するとし、この水銀化酢酸の生成機構を考察する。

Photo_5水銀イオンがアセチレンの三重結合の1つを切り開いて、中間体1>をつくり、この二重結合の1つをさらにすぎんイオンが切り開いて 、水銀2個と水酸基2個を結合した<中間体3>をつくる。
その後、1個の水銀が還元離脱して<中間体1>に酸素分子1個が付加した水銀化酢酸が得られる。
この水銀化酢酸が脱炭酸反応を起こしてメチル水銀が得られる。

上掲書には、アセトアルデヒド合成反応器の中で起こっていたであろう水銀の関与する反応の全容が示されている。
その中で、特筆すべき点として次が挙げられている。
1.水銀化酢酸が、水銀イオンと水素イオンの交換で容易に酢酸に変わってしまうこと。
<中間体1>の酸化によって生成した水銀化酢酸は、メチル水銀になるか、酢酸になるか2つの経路があって、どちらに進む可能性もある。

2.水銀イオンと水素イオンに置き換わるイオン置換反応の向きが逆の反応が起こるとすれば、<中間体1>はアセトアルデヒドから、水銀化酢酸は酢酸からできることになる。
言い換えれば、アセトアルデヒドや酢酸を出発原料として、メチル水銀が生成する可能性があることになる。
とすれば、反応器内でメチル水銀が生成する場合、アセチレンを出発原料として直接できるのか、あるいは生成したアセトアルデヒドからできるのかが問題になる。
Photo_7著者らは、メチル水銀生成の反応機構を実験的に確認するため、アセトアルデヒド合成反応器と同じ反応を実験し、メチル水銀が生成することを確かめる。
しかし、メチル水銀の生成が確認できても、その機構は確認できない。
反応の機構を確認するためには、中間体の生成と消滅を把握できればいいが、中間体の寿命はきわめて短いので、それを実験的に確かめることは不可能である。

そこで、濃度の計測が可能なメチル水銀イオンに着目して、その経時的変化を測定した。

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2009年11月 3日 (火)

水銀の化学(8)アセチレンからアセトアルデヒドへの転換

メチル水銀は、次のように説明されている(Wikipedia:最終更新 2009年10月24日 (土))。

メチル水銀(メチルすいぎん、Methylmercury)とは、水銀がメチル化された有機水銀化合物であり、ジPhoto_2 メチル水銀 (CH3)2Hg とモノメチル水銀 CH3HgX(X = Cl, OH など)が知られており、いずれも毒性が強い。
(図は、ジメチル水銀)

このXが取れた状態は、電子1個分のプラスの電荷を持つイオンであって、水に溶けた状態で存在する。
人間や動物の体内では、メチル水銀はこのイオンの状態で損際するといわれる。
チッソ水俣工場では、アセチレンを水和してアセトアルデヒドを得ていた。
アセチレンの分子式は、C2H2、構造式は HC≡CHで、炭素間の結合は三重結合と呼ばれる。
アセチレンの三重結合は付加反応を受けやすい。ニッケルを触媒として水素を付加させるとエチレンになり、さらに水素を付加させるとエタンになる。

アセチレンは燃焼するときに多量の燃焼熱を発生するので、バーナーの燃料として用いられる。
かつては アセチレンランプ(カーバイドランプ)として照明用に使われていた。
私が子供の頃は、お祭りの夜店の照明にアセチレンランプが使われていて、その臭いが何となく郷愁をそそる感じがするものである。

アセチレンからアセトアルデヒドを得る反応は、水和反応、すなわちアセチレンに水が付加した形となっている。
HC≡CH+H2O → [CH2=CH(OH)] → CH3CHO
Photo しかし、アセチレンに水がつくわけではなく、実際はアセチレンの片方の炭素に水素イオンが、もう1つの炭素に水酸イオンがついてビニルアルコールとなり、その後二重結合の位置が移ってアセトアルデヒドになる。

図(西村肇、岡本達明『水俣病の科学 』日本評論社(0106))に示されているように、アセチレンがアセトアルデヒドに転換するには、<中間体1>とビニルアルコールという2段階の反応中間体を経る。
<中間体1>は、炭素の一方に水銀が結合したものであり、これが水素と入れ替わってビニルアルコールになる。
水素は、自分の力では三重結合を切って自分がそこに入りこむ力がなく、水銀イオンが三重結合を切る働きをしている。
水銀イオンは、ビニルアルコールを生成する段階で放出されるから、反応の前後では元通りになる。
つまり触媒である。

このような過程を経ていれば、水銀イオンは反応の前後で量は不変である。
つまり、メチル水銀は発生しないはずである。
ところが、実際は、反応器の中では2価の水銀イオンが減って、金属水銀が増えるという現象が起こっている。
触媒反応だけではない、別の反応が起きていることになる。

Photo_3 この反応は、ビニルアルコールから酢酸が生成する反応である。
ビニルアルコールとアセトアルデヒドは、二重結合の位置が異なるだけの異性体であって、容易に移り変わる。
実際の存在形態としては、両者が混在していると考えられる。

ここで<中間体2>が生成するが、この<中間体2>から酢酸が生成する際、水銀イオンではなく、電荷を失った水銀としての形で抜ける。
つまり、水銀イオンが元の形に戻らないということになる。

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2009年11月 2日 (月)

水銀の化学(7)チッソ水俣工場からの廃液と水俣病の発症

私たちは、水俣病については、因果関係の科学的な解明はずっと以前に終わっており、救済措置が政治的な判断や法的な手続きなどの関係で遅延してきた、と考えがちである。
ところが、西村肇、岡本達明『水俣病の科学 』日本評論社(0106)によれば、同書以前には、「何が原因でこの大惨事が起こったのか、その原因と結果をつなぐ連鎖が科学的なレベルでは全く未解明、謎につつまれたまま」の状態であった、という。

たとえば、無機水銀を触媒に用いてアセチレンからアセトアルデヒドを合成するプロセスにおいて、メチル水銀が副生する生成機構が分かっていない。
もちろん、簡単な反応式は示されている。
2009年10月29日 (木):水銀の化学(3)嫌われ元素?
しかし、著者らによれば、その説明は「古い化学」に基づくものであり、「今日の化学」のレベルでは説明になっていない。
あるいは、メチル水銀の排出量を定量的に把握し、「なぜ水俣で」「なぜ操業から20年経って突然に」を説明できなければならない、とする。

著者らは、工場のプロセス内でメチル水銀が生成する段階から、水俣病が発病するまでの因果関係を図のように示す。
Photo_2 ①~④までは工場の化学プロセスである。
④~⑦は、自然界でのプロセスである。
前者は、データがあれば推論の精度は高い。
しかしながら、メチル水銀排出に関するデータは全くといっていいほど存在しない。
後者は、現実に起きている現象であり、情報量は多いが、推論の精度(定量性)に問題がある。
著者らは、上方からの推論と下方からの推論を組み合わせて、全体像を把握する努力を行った。

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