経済・政治・国際

2011年8月29日 (月)

再生可能エネルギー特別措置法をどう評価するか

26日の参院本会議で、「再生エネルギー特別措置法」が可決した。
菅首相が自分の退陣条件の1つとしてこの法案の成立を挙げていたので、法案の評価よりも、退陣させることの方が優先されたような気がする。
菅退陣には賛成だが、本来エネルギー問題は、首相の退陣とは切り離して考えるべきものであろう。

同法の実効性については、これから定められる具体的な制度設計に依存する要素が多いが、現段階でどのように考えられるだろうか?
一般に同法への期待は大きいようだ。

同法はエネルギー政策を転換し、脱原発を進める手段にもなり得る。法を運用しながら、より実効あるものに育て上げ再生可能エネルギー普及を目指したい。
再生エネ法による発電は家庭、企業が主役だ。太陽光、風力、地熱、バイオマスなどで発電した電力を発電者から買い取ることを電力会社に義務付けている。
その価格を決めるのが第三者機関「調達価格等算定委員会」だ。価格の透明性を担保するために資源エネルギー庁に置かれる。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-180986-storytopic-11.html

福島原発事故は、未だにその骨格部分で具体的な事実関係が明らかにされていない。また、その影響範囲と程度についても、進行中の事態である。
しかしながら、少なくとも現在の情報量だけでも、将来的に再生可能な自然エネルギーへの依存度を高めるべきだということについては、大方のコンセンサスは出来上がっているであろう。
つまり、同法の立法の意図についてはほとんどの人が賛成するのではなかろうか。

しかし、実際的にどういうことになるのかという議論は十分といえるのだろうか。
田舎芝居のような民主党代表選にに目くらましされているのではないか。
民主党の代表は、日本国の総理大臣になるわけだから、重要案件であることに間違いはない。
野田氏が決選投票で海江田氏を破って新代表になった。自公との提携(あわよくば大連立)・大増税路線といわれる。
「何のための政権交代だったのか?」と言いたくなるような内閣が誕生するのであろうか。
野田氏は、明確に早期の解散を否定した。詐欺的政権交代を続けるつもりのようである。

ごくシンプルに考えてみよう。
ここでは、「エネルギーが本当に再生できるのか? エントロピーの概念は考えなくてもいいのか?」というような問題はとりあえず触れない。
太陽光等の導入が今まで期待以上に進まなかったのは、突き詰めれば経済合理性がなかったからだろう。
原発のコストに比べればずっと高いとされてきた。

それが福島原発事故によって、原発のコストが巷間言われているようなレベルではないことに気づかされた。
もちろん、気づかないことが悪いと言われればそれまでであるが、専門家が言っていることを信じざるを得ないのではないか。
原発事故に付随するコストを全部織り込めば、原発のコストはどうなるのか?
現在の状況では「禁止的なコスト」とでも言うしかない。つまり原発からは脱却せざるを得ないのだ。

つまり、エネルギーコストは高くならざるを得ない。
それをどう負担するのか?

(1)太陽光発電業者は、作りだした電力はコストに見合う金額で必ず買ってくれるのだから、絶対に損をしない。仮に買い取り金額を低く抑えても、事業者が赤字になるのでは普及しないから、必ず税金か何かで補填することになる。
(2)電力会社は、買い取った電力を買い値に見合う値上げでカバーしてもよいという法律があるから、絶対に損をしない。
原子力発電の20倍も高い電力を作り出して、「当事者である業者も電力会社も損をしない」となると、電気を使う国民と企業が損をするのは明らかじゃないですか。その総額は200兆円! 仮にコストダウンして設置費用が半分になっても100兆円! さらに原発の半分だけをまかなうことにしても50兆円! そんな「破綻の将来」に向かって後戻りできないようにする法律ではないかと思うのですが。
http://www.mentsu-dan.com/index.html#diary

私は市場主義者ではない。
しかし、市場の論理をまったく無視したような法律が成立してしまったことを深く憂慮する。
菅氏は、イタチの最後っ屁のような法律によって、退陣後までも最大不幸をもたらす気なのだろうか。

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2011年8月 4日 (木)

海江田経産相の号泣に価値はあったか?

海江田万里経産相が、経産省首脳を更迭し、自らも辞任する意向だという。

海江田万里経済産業相は4日、経産省の松永和夫事務次官、寺坂信昭同省原子力安全・保安院長、細野哲弘同省資源エネルギー庁長官を更迭する意向を固めた。東京電力福島第1原発事故の対応や、原発のシンポジウムで原子力安全・保安院が電力会社に「やらせ」を要請したとされる問題の責任を明確にする。
海江田氏は松永、寺坂、細野の各氏に更迭の意向をすでに伝えており、菅直人首相も了承している。経産省首脳の更迭について、海江田氏は3日夜、記者団に「人事権者は私だ」と述べ、自らの判断で行う意向を強くにじませていた。
海江田氏自身はすでに辞任の意向を表明しており、3日夜には民放番組で「必ずどこかで辞めなければいけない。覚悟は決めている」と重ねて強調した。更迭後、速やかに自らの辞表を首相に提出する考え。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110804/plc11080409180008-n1.htm

一方、今日の日経新聞は次のように報じている。

海江田万里経済産業相は3日、原発賠償支援法が成立したことを受け、記者団から「一定の責任を果たせたと考えるか」と聞かれ「一定ということでは果たせた」と語った。菅直人首相(党代表)の後継を決める代表選への出馬に関しては「考えたこともない」と述べた。
海江田氏は同日夜のTBS番組で「必ずどこかで辞めなければいけない。その覚悟はできている」と強調。経産省所管の再生エネルギー特別措置法案に関しても「責任を持たなければいけない」と話した。辞任時期には触れなかった。

経産相はつい先日(7月29日)の衆院経産委員会で号泣したことが話題になった。
「なでしこジャパン」に見られるように、女性ははつらつとして元気がいいが、男は大臣まで草食系になったのだろうか?
それにしても、大のオトナの代表である大臣が、国会審議の場で泣きだすとは尋常ではない。
号泣するに至った事情は下記の通りである。

自民党の赤沢亮正氏が、海江田氏が辞任を表明しながら辞めないのは「菅直人首相とそっくり」となどと指摘すると、海江田氏は「もう少しこらえてくださいよ」、さらに「政治家としての価値を落とす」と追撃されると「自分の価値はどうでもいいんですよ、本当に」と声を絞り出し、席に戻ると顔を手で覆い涙をぬぐった。ペテン師・菅首相と同類扱いをされて悔しいのはよ~く分かるが、本当に泣きたいのは政治に翻弄される国民だ。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110730/plt1107301406001-n1.htm

まったく国民の1人として泣きたくなるような状況だ。
海江田氏は、辞任のタイミングを間違えたのではないか。

Photo 辞任のタイミングはいくつかあった。最も有力だったのは、首相が全国の原子力発電所のストレステスト(耐性検査)実施を唐突に表明した今月上旬だ。原発の再稼働に消極的な首相と、電力不足を回避するため前向きな海江田氏が盛んに綱引きを演じていた。
・・・・・・
だが、想定外の事態が起きた。海江田氏は臨時会見で「やらせ質問」を認め、この問題を調査する第三者委員会の報告時期を「8月いっぱい」と明言。「忍」の一字で首相の不条理な方針転換に耐える海江田氏には同情も集まっていたが、風向きは変わりつつある。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110730/stt11073011470000-n2.htm

まあ、私も辞任するとしたら、菅首相との意見の相違が明白になった時点だったと思う。
⇒2011年7月 7日 (木):原発迷走で、閣内不一致は明らか。海江田大臣は辞任すべき(かどうか)
閣僚の辞任は菅降ろしの有効なカードになったはずである。
タイミングは重要である。海江田氏は自らそのチャンスを逃した。
結果として、菅夫人からも次のように揶揄される始末である。

菅直人首相の妻、伸子夫人(65)が、国会で号泣した海江田万里経産相を「私だったら涙を流すような人とはさっさと別れる」と揶揄していたことが分かった。四面楚歌の夫に続投意欲を強く吹き込みながら、逆らう者は冷徹に斬り捨てる。その姿は、権力者を狂わせて世を乱した歴史上の“傾国の美女”にどこか似ている。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110802/plt1108021140002-n1.htm

海江田氏の「政治家としての価値」や菅氏の夫婦関係はどうでもいいが、首相の居座りの姿勢がはっきりしてきたのをどうする気か。

国会会期が残り1か月を切ったが、菅直人首相の退陣への道筋は不透明なままだ。「菅首相は退陣すべきだ」と「鈴を鳴らす」議員は多いが、押しつけ合って肝心の「首に鈴をかける」人物が見あたらない。民主党内はまとまっておらず、結局ずるずると菅首相ペースでことが進んでいる。
菅首相は2011年7月末、首相公邸で開いた自身に近い議員らとの会合で、退陣3条件のひとつ、特例公債法案が8月中に成立しなければ、9月以降も続投する考えを示した。今国会の会期は8月末で終わり、再延長はできない。

http://www.j-cast.com/2011/08/02103242.html

3 民主党執行部は、あくまで3条件を整えて、首相退陣としたいようだ。
そのスケジュール感は左図のようである。
しかし、首相の退陣条件というのが当たり前のように考えられているのがそもそもおかしいのではないだろうか。
詐欺師の手口で不信任案を乗り切ったつもりになっている人を、いつまでやりたいようにさせているのか?
⇒2011年6月 8日 (水):菅首相は一流詐欺師(ビッグコンマン)たりえたか?

自分で退陣条件を決めるなどという不合理に唯唯諾諾としている与野党の議員(特に民主党)は何を考えているのか?
⇒2011年7月25日 (月):菅首相のいわゆる「退陣三条件」なるものについて

小沢一郎元代表が、内閣不信任案を提出するという観測もある。一事不再議の原則は、提出者と理由が異なれば該当しないという解釈だ。
しかし、小沢氏が動けば、朝・毎紙などのマスメディアを中心として、批判が湧いてくるだろう。
私は菅応援団化して批判精神を失った朝・毎の論調など気にする必要はないと考えるが、世論に対しては一定の影響力を持っているだろう。
猫の首に鈴をつけるのに手間取っている間に、失われた国益は膨大なものになっている。
こんな体たらくで、この国は、果たしてどうなるのだろうか?

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2011年8月 1日 (月)

次第に明らかにされていく菅首相の献金疑惑の闇

恒例の沼津狩野川花火大会を久しぶりに見た。
友人が、桟敷席があるからどうか、というので出かけることになった。
いつものU子、T重、Nクンと妻の4人で、声をかけてくれた当人は所用で来れないということであった。
隅田川ほどではないが、静岡県東部地域では随一であろう。昭和23年の第1回から数えて64回だという。
今年の開催についてはいろいろ意見があったようだが、実施することになった。
Photo_6

さて、菅首相の政治資金問題も背後に深い闇が存在するようである。
菅首相の政治資金管理団体が、北朝鮮の日本人拉致犯容疑者と深い係わりを持つ団体へ、常識外れの多額の献金をしていたことについては、すでに触れたところだ。
⇒2011年7月18日 (月):市民には快挙の感動が湧き、市民運動家には疑惑が明らかに
⇒2011年7月22日 (金):拉致問題への菅首相の係わり

7月19日の衆院予算委員会で、自民党の古屋氏の質問に、菅首相は「政治資金規正法にのっとって寄付をし、収支報告にきちんと記載しており、法令に沿っている」と強調しているが、法に抵触していなければいい、という問題ではないことは明らかである。
こういう行為を、「法の網をかいくぐって」というのだろうが、「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉もある。

今までマスコミでは、産経新聞以外には目だった扱いをしていなかったようであるが、昨日放映された「たかじんのそこまで言って委員会」で、須田慎一郎氏が背景の一端を明かしていた。
菅首相御用達の銀座の某飲食店(クラブ?)が、マスコミ政治部のお偉方の溜まり場にもなっているのだという。何となく想像できる。
番組では、宇都宮徳馬、安東仁兵衛、田英夫などの懐かしい名前も出ていた。
良識派と思われた彼らも、結局利用されたということか?
大阪のytvによるこの番組は、東京地上波では放送していないとか。是非大勢の人が視聴して欲しい番組である。

マスメディアの論調として、先ず、東京新聞の解説記事を見てみよう。

Photo_3菅直人首相の2つの政治献金問題に対し、自民党など野党側が厳しく追及している。一つは外国人による献金。もう一つは北朝鮮拉致事件容疑者の親族と関係する団体に対して、首相の資金管理団体が多額の献金をしていた問題だ。それぞれの問題点を整理する。
・・・・・・
Q 拉致事件容疑者の親族の関係団体への献金とは。
A 「草志会」は〇七~〇九年に政治団体「政権交代をめざす市民の会」に計六千二百五十万円を寄付している。野党側が問題視しているのは「市民の会」に関連した政治団体「市民の党」に欧州での日本人拉致事件容疑者の長男が所属していることだ。この長男は四月の三鷹市議選に出馬(落選)している。拉致問題に取り組む立場の首相がこうした団体に献金するのは問題だという立場だ。
Q 首相と「市民の党」の関係は?
A 首相は「市民の党」代表と旧知の仲であることを認め、献金は「ローカルパーティーとの連携・支援のため」と説明している。拉致事件容疑者の長男については「全く知らなかった」と言う一方で「そういう(拉致事件との)関係があるとすれば、連携などの活動をしたことは大変申し訳なく思っている」と謝罪した。
Q 今後、どうなる?
A 二つの献金問題は参院予算委員会の集中審議などでさらに追及されることになる。「連携」のためとはいえ、なぜ、多額な献金を行ったかなど首相の説明はあいまいだ。外国人献金問題での領収書の提出も含め、きちんとした説明が求められる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011073102000029.html

ようやくという感じではあるが、読売新聞も社説で取り上げた。

二つめの問題は、草志会が07~09年に、政治団体「政権交代をめざす市民の会」に計6250万円を献金していたことである。
首相は献金理由を「連携、支援のため」と言うだけだ。なぜ、これほど巨額の献金の必要があったのか、合理的な説明がない。この間、民主党は、草志会に約1億5000万円もの献金をしていた。党本部から「市民の会」などへ直接献金するのを避けるための“迂回献金”だった可能性も取りざたされている。
そうだとすれば、カネの流れの透明性を高めるという政治資金規正法の趣旨に反する。当時、党代表代行だった首相には、献金の実態を明らかにする責任がある。
「市民の会」は、今春の統一地方選で、北朝鮮による日本人拉致事件の容疑者の長男を擁立した政治団体「市民の党」と関係が深いことも明らかになっている。
首相は「そうした団体と連携したことは大変申し訳ない」と陳謝したが、首相の拉致問題への取り組み姿勢自体が問われよう。
首相はこれまで、カネが絡んだ「古い政治からの脱却」を訴えてきた。
二つの献金問題について国民が納得できる説明が必要だ。疑惑にフタをしたまま延命することは許されない。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110730-OYT1T00983.htm

(

)

産経新聞はさすがに先行している。
今朝の産経新聞では、一面トップで取り上げていた。

Photo_4 酒井代表は産経新聞の取材に、「10年ほど前に北朝鮮に行き、よど号の人間や娘たちと会った」と発言。「その中には(三鷹市議選に出馬した)長男の姉もいた」とした上で、「そうした縁もあって、長男が(日本に)帰国してきてからつながりがあった」と市議選に擁立した背景を明らかにした。
酒井代表は自身が長男の選挙応援に入ったことも認め、「今の10代、20代が今後、大変な思いをする。若い人に頑張ってほしかった。統一地方選には若い人間をいろいろ出しており、彼はそのうちの一人」と説明。一方、日本人拉致事件については「最低な問題と考えている。解決する一番いい方法は日朝国交正常化だ」と自説を展開した。
・・・・・・
市民の党の酒井剛代表がよど号ハイジャック事件犯との接触を明らかにしたことで、両者の関係性は決定的となった。菅首相が国会で「献金は連携・支援のため」と述べた政治団体の実態は、“革命の熱狂”に取りつかれた極左勢力そのものといえ、首相の政治姿勢や説明責任が改めて問われるのは必至だ。
・・・・・・
拉致被害者支援組織「救う会」会長で東京基督教大学の西岡力教授は、「酒井代表がよど号犯やその子供らと会えたことは、北朝鮮が酒井代表を同志と考えたか、対日工作に利用できると判断して許可を出したことになる。酒井代表や市民の党が北と密接な関係にあったのは明白だ」と強調。その上で、「こうした政治団体と『連携・支援』を図るため巨額献金をした菅首相は極めて軽率といえ、総理の資格が問われる問題だ」と指弾している。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110801/crm11080101150002-n1.htm

草志会へ献金した韓国人男性との関係も気になるが、現時点でより重要と考えられるのは草志会からの資金の流出であろう。
同会には民主党から多額の資金が流れているが、その原資は政党助成金である。
つまりわれわれの血税の一部が、拉致犯らに近い筋に流れたということだ。
「政治資金規正法にのっとって寄付をし、収支報告にきちんと記載しており、法令に沿っている」からOKということでは済まない。きちんと説明責任を果たさなければならないだろう。
朝・毎は、これでも菅続投支持か?
⇒2011年4月25日 (月):それでも朝日、毎日両紙は、菅続投支持か?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(16)
⇒2011年4月26日 (火):朝・毎両紙の社説検証/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(17)

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2011年6月 2日 (木)

哀しき奇兵隊内閣の末路

菅首相に対する不信任案は、大差で否決された。
菅首相は信任されたのか?
<不信任案の否決=信任>という等式が単純に成り立たないところが政治の世界である。

不信任案の採否が行われる衆議院本会議に先立って開催された民主党の代議士会で、菅首相が「退陣表明」を行った。
直接的には、それで賛成を表明していた議員のほとんどが、反対に転じたのである。
退陣の時期は必ずしも明瞭ではない。
「東日本大震災からの復旧・復興と東京電力福島第一原子力発電所事故への対応に一定の目途がついた段階で」という曖昧な条件である。
今後、その意味合いをめぐって齟齬が生じる可能性があるが、とにかく退陣すると自身の口で明言したのである。
これにより、賛成すると報じられていた鳩山氏や原口氏らは反対に転じ、小沢氏は欠席した。小沢氏に近いとされる議員もほとんどが反対票を投じた。

国民新党代表の亀井氏が自発的退陣を勧め、鳩山前首相が菅首相と話し合って出た結論ということである。
いささか不透明な形であり、復興も原発事故も長期に及ぶ課題であるが、鳩山氏は、「大震災復興基本法案の成立と今年度第2次補正予算編成にめどがついだ段階での退陣」と説明している。
私は、可及的速やかに「大震災復興基本法案の成立と今年度第2次補正予算編成にめどをつけて」欲しいと思う。そして、このゴタゴタによるロスを取り返すべく、復興への取り組みを加速して貰いたい。

不信任案が否決されたからといって、菅氏も安閑としてはいられない。
与党が絶対的な多数を占めている状況において、あわや不信任の成立というところまで追い詰められたのである。
それにしても、首相が不信任案が可決したら解散すると明言したことには驚かざるを得ない。
確かに解散権は首相の専決事項であるが、現在のような事態の中で総選挙の実施など、普通の感覚では考えられないことである。
「解散辞さず」という態度に、菅氏の本質が見え隠れしているのではないか。

菅内閣はおよそ1年前に発足した。
その時、内閣を何と名づけたいかと問われて、高杉晋作の「奇兵隊」としたいとしたことを思い出した。
自らを高杉になぞらえたわけであるが、出身が山口県ということもあって、高杉は、かねてから菅氏が尊敬する人物に挙げる人物であった。
高杉を、「果断な行動を取って、まさに明治維新を成し遂げる大きな力を発揮した人だ」と称賛し、「幅広い国民の中から出てきたわが党の国会議員には、奇兵隊のような志を持って勇猛果断に戦ってもらいたい」と、各閣僚の仕事ぶりに期待を示したのである。

菅内閣は、奇兵隊のような働きを成し得たであろうか?
首相は、高杉のように、果敢な行動をとり得たであろうか?

「No」と言わざるを得ないだろう。
首相就任直後の参院選で消費税増税を口にしたときから怪しかった。
民主党の源流の1つとして位置づけられる「新党さきがけ」の代表代行を務めた田中秀征氏は、昨年9月の時点で次のように批判している。

菅奇兵隊は、何といつの間にか“霞ヶ関幕府”を警護する“新撰組”に大変身してしまったのである。
私はかつて、これほどひどい政治家の変節を見たことがない。私の期待は失望に変わり、今では絶望を経て、退陣要求に至っている。

http://diamond.jp/articles/-/9323

私も、首相に就任する以前は、菅氏に期待を抱いていた1人である。
市民運動家であった首相とあらば、麻生、安倍、鳩山などの2世議員あるいはブルジョワ階級の出自の人間とは異なるに違いない。
霞が関の官僚とも正面から渡り合って、天下り禁止などの公務員改革にも力を発揮するのではないか。
しかし、その期待は、すぐに雲散霧消した。
⇒⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?
⇒2010年9月21日 (火):再び問う、「菅首相続投で、本当にいいのだろうか?」

私もまた、田中秀征氏と同じように、早く退陣することが望ましいと考えざるを得なかった。
⇒2010年10月17日 (日):危うい菅内閣
⇒2010年11月23日 (火):菅内閣における失敗の連鎖
⇒2011年1月12日 (水):出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢
⇒2011年2月 3日 (木):菅首相は、どういう局面で、いつ投了するのか?

「奇兵隊内閣」というネーミングはどうだったのだろうか。
以下はあるブログからの引用である。

「奇兵隊」を知らない人のためにここで説明すると、今話題の大河ドラマ「龍馬伝」の舞台である幕末、長州藩士・高杉晋作の発案によって結成された戦闘部隊で、農民や町民など身分にとらわれない形で組織された軍隊。士農工商すべてが世襲だったこの時代、革命的な組織だったわけだが、何故このような組織が生まれたかというと、この時期の長州藩は攘夷運動によって英、仏、蘭、米の列強四国相手に戦った下関戦争で多くの戦士を失い、加えて幕府による長州征伐の攻撃を受け、まさに満身創痍の状態で人材不足が甚だしい状態に陥っていたわけで、この「奇兵隊」は、いうなれば苦肉の策だったわけだ。奇兵隊の「奇兵」の意味は、武士のみの部隊である「正規兵」の反対語で、つまりは「奇兵」=非常勤といった意味合いの言葉。となれば、菅総理の名付けた「奇兵隊内閣」は、人材不足による苦肉の策で非常勤、ということになる。
 もうひとつ、奇兵隊出身の代表的な人物に
山縣有朋という人がいる。足軽という低い身分から身を起こしてこの奇兵隊に入隊し、明治政府では第3代・第9代の内閣総理大臣にまで昇りつめた人物だが、この山県は日本陸軍の基礎を築いた人物で、「国軍の父」とも称され、後の大東亜戦争における陸軍の暴走の道を作った人物だと言ってもいい。加えて、民主党が忌み嫌う官僚制度の確立にも尽力した人物でもあり、さらに、こちらも民主党が嫌う「政治と金」の部分でも、明治政府最初の汚職事件とも言われる「山城屋事件」においてもこの山縣有朋が深く関わっている。言ってみれば、民主党の目指す政治から見れば「悪の権化」ともいえる人物で、そんな人物が軍監という中核を担っていた組織が「奇兵隊」だ。
http://signboard.exblog.jp/12774574/

結果的に、上記の引用のような意味で、まさに「奇兵隊内閣」であったことになる。
第一には、人材不足という点において、である。
こともあろうに、自民党の重鎮だった与謝野馨氏を重要閣僚に起用した。
⇒2011年1月13日 (木):与謝野氏が政府に入って、いったい日本の何が変わるのか?
⇒2011年1月14日 (金):再改造菅内閣への違和感
⇒2011年3月 5日 (土):与謝野馨氏は疫病神か?

官僚機構を大事にする点でも、自分自身の「政治と金」の問題でも、まったく期待を裏切ってきた。
その意味でも奇兵隊内閣であった。
奇兵隊の末路については以下のようである。

明治二年、大楽源太郎を首謀者とする奇兵隊の一部が蜂起、山口県庁を包囲するという事件が起こりました。いわゆる奇兵隊の反乱です。
これには木戸孝允自らが兵を率い、鎮圧に当たります。大楽はじめ主だった130人あまりが処刑され反乱は鎮圧されました。しかしその残党はその後に起こった農民反乱や萩の乱にも参加し明治新政府への抵抗を続け、そして儚く散っていきました。
幕末期、歴史の主役として躍り出てきた奇兵隊、その末路はあまりにも哀れでした。

http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/627015/528771/62799902

菅氏が退陣を表明したことにより、政権が終わりに近いと言っていいだろう。
残念ながら、菅氏は自ら退陣を判断する機会を逸したと言えよう。
参院選で大敗した責任を曖昧にしたままズルズルと続投してきたが、2月の名古屋市長選等のいわゆるトリプル選挙で、事実上不信任され、末路を問われていたのである。
⇒2011年2月 8日 (火):トリプル選挙の結果と菅政権の末路

4月の統一地方選の結果も同様である。
⇒2011年4月11日 (月):民意は明らか/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(4)
⇒2011年4月25日 (月):それでも朝日、毎日両紙は、菅続投支持か?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(16)
もちろん選挙結果に一喜一憂する必要はないが、連戦連敗という結果である。
奇兵隊内閣の新撰組に変じた末路を後世の人はどう評価するであろうか?

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2011年5月30日 (月)

王様は裸だ、いやガレキだとの声も/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(39)

菅首相は、政府あるいは民主党の内部で本当に支持されているのであろうか?
静岡6区選出の渡辺周議員は、自分のサイトで次のように語っている。

国会では野党の不信任案提出と党内で同調者がどれくらいいるのか、と政局対応で記者の方々がバタバタしている。確かに情報開示の遅さ、度重なる訂正など許せぬこと、苛立つことは私も一緒。
現地の声を政府に浴びせるように伝えているが、その成果が迅速と思えない悔しさもある。非常時に不信任案を突き付けられるに至った菅政権には、震災対応への批判を受け止め、改善してほしい。
しかし、野党は追い詰めろ、立ち往生させよ、たとえ否決されても民主党内にヒビが入るのだから損はなし、と政局優先での提出によもや党内から同調することはあってはならない。・・・・・・
http://shuwata.exblog.jp/ 

要するに、菅政権は落第だが、政局優先だから不信任案に同調するべきではない、ということのようである。
残念ながら、政局優先という認識はまったく間違っている。
本来、3月11日に、辞表を提出すべきであったのが、震災によってモラトリウム状態になっているだけである。
一刻も早く退陣するのがスジというものであろう。

震災対応において、目覚ましい働きをしたというのならまだしも、である。
評価しないという意見が圧倒的である。
このままズルズルと居座ることが適切だというのだろうか?
渡辺氏は、権力闘争を批判する形を装って、自ら権力闘争に走っているのだ。

例えば、福山官房長官のように、「原発事故が起きた時、(東工大出身の)菅首相で本当に良かった」とオフレコの場で語ったという(http://yama1.iza.ne.jp/blog/entry/2218729/)人もいるが、そんな人間に囲まれているとしたら、菅首相は気の毒な人であるとも言える。

それは、彼が自分で言うように、「頑張っているのにそれを評価してもらえない」からではない。
小学生ではあるまいし、「頑張っている」ことだけでは政治家は評価されない。
彼が「頑張る」ことは、むしろ「みんなの迷惑」になっている。

気の毒だ、というのは、彼は結局「裸の王様」ではないかと思うからだ。
そう、アンデルセンの童話でお馴染みの王様だ。
念のためWikipedia(110304最終更新)により粗筋を引用しておく。

新しい服が大好きな王様の元に、二人組の詐欺師が布織職人という触れ込みでやって来る。彼らは何と、馬鹿や自分にふさわしくない仕事をしている者には見えない不思議な布地を織る事が出来るという。王様は大喜びで注文する。仕事場に出来栄えを見に行った時、目の前にあるはずの布地が王様の目には見えない。王様はうろたえるが、家来たちの手前、本当の事は言えず、見えもしない布地を褒めるしかない。家来は家来で、自分には見えないもののそうとは言い出せず、同じように衣装を褒める。王様は見えもしない衣装を身にまといパレードに臨む。見物人も馬鹿と思われてはいけないと同じように衣装を誉めそやすが、その中の小さな子供の一人が、「王様は裸だよ!」と叫んだ。ついにみなが「王様は裸だ」と叫ぶなか王様一行はただただパレードを続けた。

「服」というのは、モードの象徴と読めば、そのままだ。
「強い経済、強い財政、強い社会保障。」「新しい日本へ」「第三の道」「好循環のニッポン」・・・・
菅内閣が、マニフェスト・政権公約の最初のページに掲げた言葉。今の時点で読めば、何と白々しいだろう。
サミットで言った「2020年代の早い時期に、自然エネルギーを全発電量の20%以上に増やすことを柱とする新たなエネルギー政策」も、いつものように、思い付きの域を出ていない。

上掲の「裸の王様」の解説には、次のようにある。

転じて、高い地位にあって周囲の反対がなく自分の思いが全て叶うため、自己を見失っている気の毒な人の事を指す。
http://yugioh-wiki.net/index.php?%A1%D4%CD%E7%A4%CE%B2%A6%CD%CD%A1%D5

「裸の王様」は、リーダーの条件を考えるのに格好の材料のようである。
多くのリーダー的立場の人が、「裸の王様」状態になって無惨な結果を迎える。
それは、次の2つの条件を欠くからである。
http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/0812/17/news007.html

1. 自分に苦言を呈する人を周りに置く
2. パブリックな視点を持つ

誰でも完璧ではない。自分に足らざるところ、弱点などを言ってくれる人がいるかどうか。
「イラ菅」などと呼ばれているように、菅氏は人の苦言を聞きたがらない人のようだ。
結果として、人が寄り付かなくなる。
官僚も東電もひょっとすると党内の人間も、である。
「内閣官房参与」だとか「内閣特別顧問」といった肩書は、苦言を呈する人のものかと思ったが、この人の場合、「私の発言ではない」などと、もっぱら責任逃れのためらしい。
しかもその人たちからも、発言に従ったという内容が、「学者生命の終わり」「そんなことを言うはずがない」と否定される始末である。

パブリックな視点とはどういうことか。
上記サイトでは次のように解説している。

パブリックな視点とは、社会に貢献するという視点である。自分だけ勝てばいい、自分の組織だけ勝てばいい、そういう人は真のリーダーにはなれない。

首相が、社会に貢献しようという視点を持たないとはいわない。
それを除いたら首相の仕事はあり得ない。
しかし、彼が党内で権力を握る過程やその後の人事を見ていると、「自分(の回り)だけ勝てばいい」というようにしか見えない。

童話には深い意味が隠されていることが多く、「裸の王様」も表層だけでは捉えられないだろうが、さしあたって上記だけでも、菅氏が「裸の王様」状態ではないかと思える。
もっとも、もはやガレキであるという人もいる。
雑誌「WiLL」11年7月号では、堤堯・久保紘之氏が「菅総理は政界の“瓦礫”だ!」という対談を行っている。

虚心になって考えてみないと、それこそかつて野党に投げかけた言葉、「歴史に対する反逆行為」が、ブーメランのように自分に向かってくることになるだろう。
⇒2011年1月27日 (木):言葉の軽さが裏付ける首相の真摯さの欠如

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2011年5月27日 (金)

情報の秘匿によりパニックは回避されたのか?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(37)

菅首相は念願のサミットに行き、フランスのサルコジ大統領から手厚い接遇を受けてご満悦の様子である。
しかし、国内では、東日本大震災の被災者がまだ11万人以上の人が避難所暮らしを余儀なくされている。
避難所には入っていなくても、自宅を出ざるを得なくなった人も数多いと思われる。

私の知り合いに南福島市出身者がいる。
本人は実家を離れて都内に住んでいるが、両親は南福島市に在住していた。フクシマから24kmほど離れた場所である。
幸いにして津波の災害は逃れることができたものの、計画的避難地域に指定されたため、都内の息子と同居する覚悟を決めた。
前から体調を崩していたものの、さほど重篤という状態ではなかった。

それが周囲も予期せぬ早さで悪化していき、とうとう先週末に他界することになった。
避難(疎開)生活が影響したことは間違いないであろうが、因果関係を立証することは困難である。
原発の被害死ではあるが、補償の対象にはなりにくいと思われる。

知人は、今日震災後初めて南福島市に入った。
今朝方の電話によれば、実家の周辺はやっと瓦礫が路肩に寄せられた状態で、重油や腐敗臭などが混じった異臭が立ち込めているという。
要するに、フクシマのために、地震や津波の被害から立ち直る機会が失われたままなのだ。

フクシマは収束に向かうどころか、ますます混迷していると言わざるを得ない状況である。
朝のみのもんた司会の「朝ズバ」でのやりとりである。

政府と東京電力は本気で福島原発事故を収束させようと考えているのか――。東日本大地震の翌日の3月12日(2011年)、1号機の炉心を冷やすために海水を注入したが、首相官邸の意向で55分間にわたって注水を中断していたと東電はこれまで発表していた。ところが昨日、福島第一原発の吉田昌郎所長が独自の判断で注入を継続していたことが明らかになった。
・・・・・・
コメンテーターの吉川美代子(TBS解説員)「現場を知り尽くしている人だと聞いています。命がけで事故防止にあたっている現場の人には心強い味方ではないでしょうか」
与良正男(毎日新聞解説委員)「当初、菅総理は海水注水は自分の判断で指示したと手柄話のように語っていた。その後、班目春樹・内閣府原子力安全委員会委員長の再臨界うんぬんという進言で、中断を求めたとしていた。しかし、班目発言問題が起こり、これだけでもお粗末な事態なのに、今回また新たな問題が判明した。政府と東電は正面から事故と向き合っているとは思えない」
みのも「今回のことで東電本社の中には、吉田所長を処分しろという声があるようだが、これだけの気骨を持って懸命に事故対策に当たっている人はいない。その人を現場から外すというのは考えられないことだ」と力説した。
たしかに、今回の吉田所長の判断は適切だったが、所長は東電内で「原子力村」と揶揄される原発担当部署のエリート技術者で、原子力村が本社の意向さえ無視できる一大社内勢力であることをはしなくも明らかにした。その原子力村こそが、これまで「安全神話」を喧伝し、原発をアンタッチャブルにしてきた元凶でもある。単純に、気骨のある人と評価するわけにはいかないのではないか。

http://www.j-cast.com/tv/2011/05/27096705.html

結果論から言えば、吉田所長の判断がもっとも適切だったといえる。
しかし、これだけのことが明らかになるのに、極端なことを言えば日本中が大騒ぎだった。
東電も政府もマネジメント能力に欠けることが改めて浮き彫りにされているといえよう。
こんな状態では、いつになったら収束するのか全く予断を許さない。

それと言うのも、政府自ら都合の悪い情報は隠蔽しようとしてきたからではないか。
例えばSPEEDIの予測である。

福島第一原発事故で、放射能汚染が原発から北西方向を中心に広がると、原発2号機が破損した当日の3月15日時点で政府は予測していた。
・・・・・・
政府が当初、避難を求めていたのは、原発から半径20キロ圏内の住民。だが4月11日になって、北西方向で20キロ圏外にある飯舘村や葛尾村など5市町村に対しても、5月末までに住民避難を求めることにした。対象は約3千世帯、計約1万人とされる。
SPEEDIによる試算約5千件はこれまで未公表だった。その理由について、細野豪志首相補佐官は2日の会見で「国民がパニックになることを懸念した」と説明した。

http://www.asahi.com/national/update/0504/TKY201105040273.html

細野補佐官が独断で情報を開示しなかったとは思えない。
政府ぐるみの隠蔽と考えるのが自然である。
未だに尖閣ビデオもオープンにしていない政府である。
この先、フクシマがテロの標的になった場合などにおいても、パニックになるからという理由で情報を隠しておくのだろうか?

パニックになるから、という理由で情報の秘匿を図った政府は、その引き換えに信頼を失った。
小田嶋隆『パニック回避の代わりに彼らが失ったもの』日経ビジネスオンライン110527号は次のように書く。

政府および東電は、これまでの一連の情報コントロールを通じて、あるいは、国民の突発的な怒りや、驚きや、爆発的な不安の高まりを回避し得たのかもしれない。が、その代わりに、国民全般に根の深い「不信」を植えつけることになった。端的に言って、彼らは信頼を失ったのだ。
・・・・・・
気象予報士だって、たとえば雨天の到来を期して職を辞さねばならぬ条件下で勤務しているのであれば、容易に降雨を認めないはずだ。彼は精一杯抵抗するだろう。
「空気中の水蒸気が突発的に水滴化する事象が観察されてはいるものの、まだ降雨と呼ぶには足りない」
「一部において粒子の大きい霧が発生しているのは事実だが、全体的な観察からすれば、必ずしも雨天という認識には至っていない」
「地面への降水という局面に限って言うなら、ご指摘のとおり、土砂降りに近いデータは当方の観測所においても報告されている。しかしながら、豪雨という言い方は無用の混乱を招くので、この際、排除したい。断続的な空中水結晶の落下およびそれらの結果としての地表面への浸水というふうに理解している旨を申し上げてご報告にかえさせていただく」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110526/220252/

国会ではようやく「菅不信任」が現実味を帯びてきたようだ。

菅直人首相が、仏ドービル・サミットで不在のなか、おひざ元の民主党内から「菅降ろし」の狼煙が続々と上がってきた。東日本大震災や福島第1原発事故に迅速に対応できず、場当たり政治を続ける菅首相に堪忍袋の緒が切れているのだ。天敵・小沢一郎元代表の怪しい動き。サミット後の「6月大政局」が現実味を帯びてきたのか。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110526/plt1105261145000-n1.htm

サミット前に退陣を求めるべきであった。
余りにも遅すぎるし、不甲斐ないと思うが、その人たちを選んだのは私たちでもある。

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2011年5月20日 (金)

東電の賠償スキームをめぐって/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(33)

政府は13日、東京電力の福島第1原子力発電所事故の損害賠償支援スキームを発表した。

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東電の存続が前提で、債務超過にさせないことを明示。公的資金を投入して支援する一方、政府は東電の経営合理化を監督する。東電は政府の管理下で経営し、賠償を進めることになる。
http://www.asahi.com/politics/update/0513/TKY201105130140.html

この枠組みにはいくつかの問題点がある。
損害賠償額がいくらになるのか現時点では不明だが、債務超過に陥らないことが予め約束されている。
常識的に考えて、賠償債務は株主資本(約2.5兆円)を超える可能性が高いだろう。
とすれば、普通は株式は100%減資であり、次に貸出金や社債が棄損されるべきところであろうが、株主や債権者は保全(免責)されるというスキームである。

東電の株式は年金基金も多く組み込んでいるほか、社債の発行額は国内最大の約5兆円に上る。
海江田万里経済産業相は11日の都内の講演で、東電の救済策で経営破たんした日本航空(JAL)と同様な減資や債権カットの手法を取らない理由を問われ、「JALとの決定的な違いは損害賠償を受ける人たちが大変たくさんいることだ」と述べた。
東電の破綻処理は金融市場のシステミック・リスクに直結しかねず、“too big to fail”(大きすぎて潰せない)というわけだ。

しかし、減資や債権カットしないのでは責任が曖昧になるのではないか。
次のような解説がある。

「2003年のりそな(ホールディングス)のように実質国有化すれば株主に損失が及び、昨年の日本航空のように破綻させると債権者が大幅減免という損失を受けかねない。前者だと東電など電力に多い高齢者などの個人株主に損を負わせ、後者は銀行や生命保険会社などの2010年度以降の決算に巨額の損失を与えかねない」
「そうなると、関係者の不満が噴出しかねない。そうした不満を回避しようとすると機構方式で株主、債権者の損失を抑える方法しか残らなかった」

田村賢司『その場しのぎの原発賠償策』日経ビジネスオンライン(110517)

田村氏の言うように、その場しのぎで通すのはこの政権の常套手段である。
本質的な議論に踏み込むことが必要なのだが、そんな気配は感じられない。
東電は、損害賠償の目安をつくる原子力損害賠償紛争審査会に対し、賠償能力を考えて目安となる判定指針を策定するように注文したという。

福島第1原発事故の賠償問題で、東京電力が賠償限度への配慮や算定基準の明確化などを求める要望書を、原子力損害賠償紛争審査会に提出していたことが5日、分かった。審査会の議論に東電の主張を反映させる狙いがあったとみられ、審査会の独立・中立性を損ないかねないとの批判も出そうだ。
審査会は原子力損害賠償法に基づき、政府や産業界から独立した立場で賠償の目安となる指針を策定。4月28日に原発事故の賠償範囲の第1次指針をまとめたが、要望書は3日前の25日に提出された。この中で東電だけで賠償費用を負担するのは困難だと指摘。東電が負担可能な賠償限度に配慮しつつ、第1次指針を策定するよう要望した。

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/05/05/kiji/K20110505000761670.html

また、、「異常に巨大な天災地変」で原発事故が起きた場合、事業者は免責されるという原賠法の例外規定に、今回の事故が該当する可能性があるとする見解を持っていることも明らかになった。

福島第一原発の事故に絡み、福島県双葉町の会社社長の男性(34)が東京電力に損害賠償金の仮払いを求めた仮処分申し立てで、東電側が今回の大震災は原子力損害賠償法(原賠法)上の「異常に巨大な天災地変」に当たり、「(東電が)免責されると解する余地がある」との見解を示したことがわかった。
原賠法では、「異常に巨大な天災地変」は事業者の免責事由になっており、この点に対する東電側の考え方が明らかになるのは初めて。東電側は一貫して申し立ての却下を求めているが、免責を主張するかについては「諸般の事情」を理由に留保している。

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104280255.html

原子力損害の賠償に関する法律
第三条
 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S36/S36HO147.html

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http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/10/10060401/02.gif

関係閣僚会議でも、この条項の適用の可否をめぐって、激しい論争があったらしい。

会議では、免責を認めていない原案に対し、与謝野経済財政相が「3条ただし書きを適用すべきだ」と強い口調で求めたが、枝野官房長官は「法改正しない限り、今回の事故に免責条項が適用できるとは解釈できない」と反論。2人の言い争いはどなり合いにエスカレートしたが、最後は枝野氏が押し切った。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110513-OYT1T01346.htm

東日本大震災は、確かに「異常に巨大な天災地変」によるものだろう。
しかし、原発事故が果たして「異常に巨大な天災地変」によって生じたものと言えるのか?
私は人災としての要素が大きいし、それゆえにこそ責任の所在を明確にすべきと考える。
責任の所在を曖昧にして国民の負担を大きくする与謝野氏は、さすが厄病神と呼ばれるに相応しい。
⇒2011年3月 5日 (土):与謝野馨氏は疫病神か?
最大不幸招来内閣である。

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2011年5月 8日 (日)

日本のエネルギー政策をどうする?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(24)

菅首相の唐突な浜岡原子炉の運転中止要請は、さまざまな波紋を広げることになるだろう。
波立たせること自体が狙いのようにも見えるので、先ずは首相の思惑が的中したということになるのだろうか。
小泉元首相の郵政民営化の手法に倣ったのかもしれない。
大衆的な支持が得られれば、すなわち政権の延命ができれば、後のことは我関せず、である。
しかし、郵政に比べて、エネルギー政策の影響の範囲は格段に大きい。言いっ放しで終わりにできる問題ではないことは明らかである。

中部電力は、7日開催の取締役会で結論を出せなかった。
問題が多岐にわたるためである。
周知のように、電力会社の事業は、電気事業法という法律によって許可を与えられており、そこには「供給義務」の規程がある。

第18条 一般電気事業者は、正当な理由がなければ、その供給区域における一般の需要(事業開始地点における需要及び特定規模需要を除く。)に応ずる電気の供給を拒んではならない。
 一般電気事業者は、供給約款又は選択約款により電気の供給を受ける者の利益を阻害するおそれがあるときその他正当な理由がなければ、その供給区域における特定規模需要(その一般電気事業者以外の者から電気の供給を受け、又はその一般電気事業者と交渉により合意した料金その他の供給条件により電気の供給を受けているものを除く。)に応ずる電気の供給を拒んではならない。
 特定電気事業者は、正当な理由がなければ、その供給地点における需要に応ずる電気の供給を拒んではならない。
・・・・・・

http://www.houko.com/00/01/S39/170.HTM

つまり、中部電力は、域内の需要を拒んではならない。言い換えれば、(正当な理由がない限り)需要をすべて賄う義務がある。
要請を受け入れた場合、今夏の「予備率」は17%から3%程度に急減し、適正水準とされる8~10%を大幅に下回って、猛暑となれば管内に大停電を引き起こす可能性がある。
その他、火力に振り返ると燃料費が高騰し、赤字に陥ることも考えられ、株主への説明も難しい。

取締役会で、これらの見通しが直ちには立たなかったということである。つまり、菅首相の要請が事前に何の調整も図られず、中電とすれば突然に降ってきたものであることが分かる。
しかし、最終的には首相の要請を受け入れざるを得ないだろう。
それを「政治主導」と言えなくもないだろうが、やはりある程度の見通しを踏まえることは必要だと考える。

朝日新聞の社説は、浜岡原発―「危ないなら止める」へ、と題し、以下のように結ぶ。

濃淡に差はあれ、ハイリスクと懸念される原発は浜岡以外にもある。活断層の真上に立つ老朽原発、何度も激しい地震に見舞われた多重ストレス原発……。立地条件や過去の履歴などを見極め、危険性の高い原発を仕分けする必要がある。
すべての原発をいきなり止めるのは難しい。しかし、浜岡の停止を、「危ない原発」なら深慮をもって止めるという道への一歩にしたい。

http://www.asahi.com/paper/editorial20110507.html#Edit1

その通りであろうが、「すべての原発」が「危ない」だろうし(地震国日本で「安全だ」と言い切れる原発はないだろう)、現時点で「すべての原発」を止めるのは難しいというジレンマがある。
「危ない原発」なら深慮をもって止めるという道への一歩、というのは、市民運動に好意的な朝日らしい。つまり何も積極的に責任をもって主張していないようなものだ。
一方、日経新聞は、浜岡原発停止は丁寧な説明が要る、として次のように書く。

海江田万里経済産業相は5日に、同原発を視察し、今月半ばをめどに緊急対策が十分かどうか判断を下すとしていた。その翌日の停止要請は唐突と言わざるを得ない。
これでは、浜岡原発を緊急に止めなくてはならない理由があり、政府が隠している印象を国民に与えかねない。首相は「浜岡は特別」としたが、他の原発とはより具体的にどこが違うのか議論になろう。首相の判断は重い。結果として同じ結論に至るにしても、科学的な事実を基礎にした議論を経ないと混乱を招く。
・・・・・・
電力不足は震災から立ち直りを目指す産業界に厳しい制約を課す。東海地方は日本のモノづくりの中核的な地域だ。社会や産業への影響を最小限にとどめられるのか。政府は電力需給の実情を踏まえた上で、国民にきちんと説明する責任がある。

これもその通りであって、電力供給は生活・産業の死命を制することになりかねないから、「供給義務」があるのであり、電力不足は大きな社会問題だ。
菅首相の、唐突ぶりは、またもか、という感じだがことの重大性からすると看過し得ない。
当初予定の「今月半ば」を待てない事情は何か?

浜岡で何か隠していることがあるのか?
ないとすれば、フクシマからの逃走、あるいは「菅降ろし」への対抗策、ということになろう。
エネルギー政策を、個人的な事情で判断されてはたまらない。

個人的には、浜岡の即時停止に賛成である。
「30年以内にマグニチュード8程度が想定される東海地震が発生する可能性は87%」などという判断のしようのない確率論はともかく、東海地震が切迫していることは事実だろうし、それは明日かも知れないからだ。
この夏は、必要ならば、(愚策ではあると思うが愚策であることを実感するために)「計画停電」止む無し、というのが、「浜岡のリスク&東電の供給」エリアの住人の率直な感想である。

LED照明等現時点でも利用可能な技術はかなりある。
もちろん、白熱灯等の既存業界は強く抵抗するだろう。
蓮舫節電啓蒙担当大臣のように、「権力の行使は如何なものか」という考え方もあり得るだろう。
⇒2011年4月16日 (土):節電の優先順位をつけられない蓮舫節電啓蒙大臣/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(8)
⇒2011年3月27日 (日):計画停電を避けるために、省エネルギーをどう実現していくか

蓮舫大臣の「権力の行使」の反対概念は、「市場における選択」であろうか。
しかし、そもそも電力には自由な市場など存在しないし、菅首相の唐突な要請こそ、権力の行使というものであろう。
適正な権力を行使して、電力危機を、脱原発・電力省消費型社会への転換を図る好機とすべきだと考える。

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2011年4月26日 (火)

朝・毎両紙の社説検証/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(17)

統一地方選に惨敗した民主党では、ようやく「菅降ろし」が具体化してきた。

民主党の山岡賢次副代表ら小沢一郎元代表に近い議員が26日午前、国会内で「震災に対応できる連立政権に向けた総調和の会」を発足させ、約60人が参加した。顧問に就いた鳩山由紀夫前首相は菅首相の政権運営を批判し「国難の中で求められるのは国民の暮らしを守る政治を取り戻すことだ。両院議員総会で議論すべきだ」と強調した。総会が開催されれば首相退陣要求が噴出する可能性がある。
会合には原口一博前総務相、山田正彦前農相、田中真紀子元外相、松野頼久元官房副長官や政務三役の樋高剛環境政務官、小泉俊明国土交通政務官も参加。「国民から信頼される党に生まれ変わり、早急に体制を立て直す」として両院議員総会開催を求める署名を集めることで一致した。
趣意書では、参院選から統一地方選までの一連の選挙に連戦連敗しているとして「菅政権が国民の支持を失っているのは明らか。しかるべき野党との連立ができる体制に民主党を作りかえなければならない」としている。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110426dde001010009000c.html

私としては遅すぎると思うし、その分民主党の信頼性を減殺してもいる。
しかるに、朝・毎両紙はこの期に及んでも、「菅降ろし」の動きに対して批判的である。

ただ、いまはまだ危機のただ中である。時間の浪費、判断の遅れは日本の命取りになる。「菅おろし」の余裕はない。
自分たちが選んだリーダーである。欠けている点は補い、一致して当面の危機対応にあたるのが政権党の筋目だろう。
この国難に及んで、なお内紛という宿痾(しゅくあ)を繰り返すようでは、民主党の明日はない。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

民主党内には菅直人首相の責任を問う声が強まっており、野党が菅内閣への不信任決議案を衆院に提出した場合、与党議員が造反し同調する議論すら一部にはある。だが、震災対策が一刻を争う中で与党が内紛にかまけるようでは、あまりに無責任だ。首相は野党との協議に謙虚にのぞみ、復興や諸課題に取り組む態勢の立て直しを急がねばならない。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110426k0000m070131000c.html

「時間の浪費、判断の遅れは日本の命取りになる」や「震災対策が一刻を争う」のはまったくその通りであろう。
だからこそ、一刻も早く菅退陣を迫らねばならないのだ。3月11日から1ヶ月半が過ぎたというのに、未だに復興構想会議の進め方で議論しているありさまである。
他の人がやっても同じことではないか?
よく耳にする。
違う!
菅という人の存在が障害になっていると思うべきだ。

何故ならば、菅首相就任以後の出来事を振り返ってみれば歴然だろう。
⇒2011年4月25日 (月):それでも朝日、毎日両紙は、菅続投支持か?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(16)

平時において、自分のことを「仮免」だったという人に、心構え・準備ができていたとは到底思えない。
防災訓練の重要性が言われるように、災害において備えの有無が大きく被災の程度に影響する。
準備なしに「政治主導」をしようと思ったツケが、対応の遅れとなったことは否めない事実だ。
震災なかりせば、苛烈な退陣要求が起きていたところだろう。
「内紛」や「造反」もすさまじいものになっていたに違いない。
震災対応のために執行猶予されているにもかかわらず、その間にも失態を犯したのであるから、許されないのが当然であろう。

折しも今日はチェルノブイリ25周年だということである。
世界で核爆弾の被害を受けた唯一の国が、世界で2例目の「レベル7」の核利用における事故を起こしたのだ。
もう少し事態を直視したほうがいい。
何度でも言うが、この人の器では乗り切ることのできない事態なのだ。
朝日・毎日の2紙が菅続投の社説を掲げていることの異常さを、私たちは忘れてはならないだろう。

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2011年4月25日 (月)

それでも朝日、毎日両紙は、菅続投支持か?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(16)

24日に投票が行われた統一地方選の後半戦の様子が明らかになった。
予想通り民主党の惨敗としか言いようのない結果だ。

統一地方選挙の後半戦で、民主党は、自民党との対決型の市区長選挙で負け越し、同時に行われた衆議院愛知6区の補欠選挙も不戦敗となるなど、厳しい結果となった。今後、民主党内で、菅首相の責任を問う声が強まるのは必至で、菅首相は厳しい局面を迎えた。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00198123.html

菅首相の敗北に対する責任は明確である。
ところが、民主党の議員諸氏は責任追及を逡巡しているらしい。

民主党内は、「菅政権では事態は改善しない」という不信感と、「この非常時に、党内抗争をしている場合ではない」という不安感のはざまで揺れている。
同上

確かに「この非常時に、党内抗争をしている場合ではない」だろう。求められているのは、党内抗争ではなく、菅退陣である。
「抗争」などと思うから「不安感」にとりつかれる。
菅首相は、震災の前から投了すべき状態だったのであり、未練がましく椅子にしがみついている時に、たまたま発生した未曾有の震災によってモラトリウム状態になっただけなのだ。

民主党の内部はどうでもいい。
朝日、毎日という代表的な2紙はどう考えるのか?
前半戦の結果が出た段階で、民意が明らかに菅政権に鉄槌を下したのにもかかわらず、両紙は社説で次のように積極的にではないにしろ、菅続投を支持した。

朝日(11日)
地域ごとに争点、政策課題が違う地方選の勝敗を、直ちに政権の存亡や首相の出処進退に結びつけるべきでもない。
毎日(14日)
だからといって今、首相退陣を求める意見にも到底、賛同はできない。

後半戦の結果が出ても同じことを言うのだろうか?
だとしたら、退陣要求をどういう形で示せというのか?
どういう状況になったら、首相退陣を求めることが解禁されるのか?
首相が望むように、財政再建もこの人に任せようということなのか?
まさか!

菅政権の軌跡を振り返ってみよう。

・参院選における唐突な消費税増税への言及
・参院選敗北の責任を取らない無責任体制
・尖閣諸島沖における中国漁船に対する処理、特に衝突ビデオの非公開
・熟議といいながら、消費税増税議論の立ち消え
・小沢氏及び小沢グループの排除
・与謝野氏の起用に見られる論理的一貫性の欠如
・マニフェストのなし崩し的放棄
・菅首相、前原前外相への外国人からの献金、特に首相が十分に説明しない責任感のなさ
・東日本大震災に見られる危機管理能力の欠如
・福島原発における風評源となるような発言
・問責を受けて降板したばかりの仙谷氏の官房副長官としての任命
・菅首相や仙谷官房長官による安易で節操のない大連立の呼びかけ etc.

主な事柄をピックアップしただけでも、以上のようである。
参院選敗北の責任を取って辞任していれば、このような無残な姿をさらすこともなかったろうに、と思う。
しかし、そのような美学とはもともと縁のない人なのだろう。

菅氏の事績をみると、ことごとく、私には失政と思えるものである。
それでも、朝日、毎日の両紙は、首相の出処進退を問うべきではないというのだろうか。
菅政権の延命は、日本国民の不幸以外の何物でもないのではない。

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