経済・政治・国際

2009年12月 3日 (木)

「同じ」と「違う」(9)投資と費用-その2.政権交代

スーパーコンピュータ開発に関する事業仕分けが科学技術関係者などの批判を招き、予算としては復活しそうな成り行きである。
特に、理化学研究所の野依良治理事長の「科学技術振興や教育は投資であって、費用と混同して考えてはならない」という発言がかなりの影響力を持ったようだ。
確かに、投資と費用は別の概念であろう。

しかし、考えてみれば、ダムの建設も道路の建設もすべて投資として考えるべき問題ではないか。
これらの公共事業は、まさに産業や生活の基盤整備事業であって、長期間にわたる受益を前提にしている。
およそ公共事業の多くは、投資として行われるものであろう。
その意味で、事業仕分けにおいて、投資と費用とを区分して考えるべきだ、という論理は成立しがたい。

事業仕分けの進め方について、多くの批判を耳にする。
私などは、自公連立政権時代と比べれば、大きな前進ではないかと思うが、もちろん現在の方法や状態に欠陥がないということではない。
変えるべきは変えていけばいいだろう。

今年の新語・流行語大賞は、「政権交代」だそうだが、政権交代自体が、一種の投資と考えるべきだろう。
多くの国民は、決して一過性の流行現象として選択したわけではないと思う。
長期政権の後で、直ちに交代の効果を求めれば、拙速という結果に陥ることになるだろう。
政権交代の費用はもちろん発生するであろうが、重要なことは、投資と位置づけて、長期的な効果をいかにして発現させていくかだと考える。

一般論として、投資に不確実性はつきものである。
不確実性を前提として、意思決定を行わざるを得ない。
ハイリスクのものはハイリターンを期待するし、ローリターンしか期待できないとすれば、ローリスクの道を選ぶだろう。
ハイリスク・ハイリターンがあるレベルを超えると、投資というよりも投機と呼ぶべき領域に入ってくる。
もちろん、その境目のレベルは、手持ち資金の余裕度等によって変わってくるだろう。
私は、国民は、ある程度のリスクを織り込んだ上で、政権交代という選択肢を選んだのだと思う。

投資に際しては、長期的な目論見が重要である。
民主党政権は、日本という国の長期的な展望を示していない、という批判がある。
それも、自公政権との対比で言えばどうなのか、という気がするが、長期的な方向性の提示は、投資、すなわち多くの事業仕分けの判断の基礎になるものである。
政権交代が先に現実化してしまったわけであるが、この国の将来像については、これからでも遅くはないので、議論を重ねていくべきだろう。

しかし、例えばダム問題をとっても、将来的な水循環の望ましい姿などは、そう簡単には描けないのではなかろうか。
とすれば、現時点で、何らかの見切りは止むを得ないのではないかと思うのだが。

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2009年9月26日 (土)

マエハラ(タ)、頑張れ!(続)

八ツ場ダム、JAL、高速道路の無料化と、国土交通行政をめぐって難題が山積している。
そういう中で、JR西日本・福知山線の脱線事故の事故調査委員会をめぐって、信じられないようなことが報じられている。
結果的に起訴されることになった山崎正夫前社長が、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の山口浩一元委員から事故報告書案を入手し、JR西に不利にならない内容に書き換えるように働きかけていたというのである。

山崎前社長が修正を求めたのは、事故現場にATS(自動列車停止装置)がなかったことに関して、あれば事故が防げたと指摘している箇所だという。
この事件については、下記で触れたことがある。
2009年7月18日 (土):過失論と予見可能性

論点は、「ATSを設置していれば事故が防げたことを予見していたか否か」である。
事故が故意に起こされたものでないことは当然である。
問題は、責任を問われるべき過失があったのかどうか、であり、予見可能性がその判断基準となる。
山崎社長は、社内会議で「ATSがあれば(函館線の)事故は防げた」との報告を受けていた。
つまり、福知山線についても、危険性の認識があったと考えるのが相当であるとして起訴された。

山崎前社長は、「ATSがあれば事故が防げた」という認識は、「後出しじゃんけんのようなもの」だから、山口元委員に、表現を柔らかくするか、削除して欲しいと要請した。
これを受けて、山口元委員は、「後出しじゃんけんのようで、いかがなものか」と発言したという。
結果的に、他の委員や事務局の反発で受け入れられなかったという。

「ATSがあれば事故が防げた」という認識は、果たして「後出しじゃんけん」か?
山崎社長は、事前に認識できなかったということを主張したかったのだろう。
しかし、それこそが、第三者的な判断を求められるところではないのか?
当然のことながら、事故調査委員会の委員は、利害関係者との個別の接触を禁じられている。
山崎前社長は、まさに当事者中の当事者である。

山口元委員は、山崎前社長の先輩に当たるという。
山口氏に協力を求めた見返りは、夕食の接待や菓子・新幹線の模型・チョロQなどの手土産だったという。
食事の場は、「赤ちょうちんに近い店で供応のイメージとは違う」と説明している。
たとえ「赤ちょうちん」そのものであっても、調査が進展している段階での接触そのものが論外というべきだろう。

山口元委員は、「法に触れるという認識はあった」と述べている。
それにもかかわらず、山崎前社長と接触して情報を漏洩しているのは、先輩後輩という間柄だったからだという。
ここにも「仲間主義という妖怪」がいたことになる。
2009年3月13日 (金):日本を徘徊する「仲間主義」という妖怪

前原国交相は、「今後は密接関係者を審議から外す」としている。
事故調査委員会は、国交省内に置かれ、調査官は同省から派遣されている。
それで委員会の独立性が保たれるのか、事故の遺族等からは、従前から疑問が呈されていた。
脱官僚主導の必要性が、こうしたところにも窺えるだろう。

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2009年9月18日 (金)

八ツ場ダムの入札延期 その7.政権交代と行政の継続性

鳩山内閣が16日に発足した。
各紙の報道によれば、国土交通相に就任した前原誠司氏は、早速、八ツ場ダムの建設中止を明言した。
国土交通省サイドは、八ツ場ダム建設問題は、新大臣の判断に委ねるとしていたので、事実上建設中止が決定したということになる。
民主党のマニフェストには、川辺川ダムと共に八ツ場ダムの建設中止が明記されていたので、ある意味では当然の判断といえよう。
しかし、これで一件落着というわけではもちろんない。
というよりも、新たな問題の始りと考えるべきだろう。

八ツ場ダムの周辺住民で、ダム建設を前提に、既に移転をしてしまっている人も少なくない。
1090913写真(産経新聞090913)で見るように、水没予定地域の川原畑地域では、代替地への墓地の移設を行っている。
墓地こそは、先祖伝来の地の象徴のようなものであり、この段階での中止の決定がさまざまな問題を派生させることは間違いない。

もちろん、前原国交相も、「やみくもに中止すると現場の方々も混乱するので、補償措置について地元の方々や関係自治体とも話し合いたい」と述べている。
新たな制度的枠組みを創設しても、補償には万全を期することが必要だろう。

八ツ場ダムについて、地元の群馬県の大沢知事は、「共同事業者である1都5県の意見を聞かずに建設を中止したのは言語道断で極めて遺憾」とする談話を発表している。
埼玉県の上田知事は、「ルール無視。手続き無視。あってはならないことだ」と猛反発している。
東京都の石原知事は、「負担金の返還を求める」意向を明らかにしている。
つまり、関係自治体は、基本的に建設賛成の立場である。

政権交代による政策の変更は、当然のことである。
しかしながら、住民の生活と密着した行政施策は継続性が求められるだろう。
行政担当者の困惑ぶりが目に浮かぶが、だからこそ計画段階にこそ注力が必要だということだと思う。

当然のことながら、建設反対派は、前原国交相の意向を歓迎している。
建設続行すれば、重大な公約違反となるから、建設中止の方向に進まざるを得ないだろう。
水資源開発については、近年の水需要の動向からすれば、八ツ場ダムが建設されなくても、さほど大きな問題にならないと考えられる。
しかし、ダムありきで検討されてきた地元の生活再建の問題、洪水調節機能の代替をどう考えるかという問題は、今後の大きな検討課題である。
八ツ場ダム建設に関する今までの経緯は、余りにも大きな犠牲を生んだとせざるを得ないだろう。

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2009年9月15日 (火)

八ツ場ダムの入札延期 その4.地域主権の実体化

今回の総選挙の論点の1つとして、地方分権のあり方があった。
民主党のマニフェストにも、「中央集権から、地域主権へ」という原則が明記されている。
原則としてはその通りであろう。
しかし、地域主権をどう現実化していくか、ということになると、途端に難問が発生する。
八ツ場ダムにしてから、地域のとらえ方をどう考えるかによって、賛否は逆転する。
経緯は別として、現時点で言うならば、水没地域の予定者の範囲でも、建設推進派が多数であろう。
下流の受益権の知事は、こぞって推進の必要性を主張している。

地域主権の立場にたった場合、八ツ場ダムの建設をどう考えるべきか?
同ダムの総事業費は、4600億円の予定とされ、既に3210億円が08年度までに支出されているという(日本経済新聞09年8月24日)。
Photo 写真をみれば、既に周辺の工事が相当に進捗していることが分かる。
入札延期となった本体工事などは、ダムの全体計画からすれば、最後の仕上げのようなものともいえるだろう。

これらの工事を推進するに際して、既に支出されているものには、下流都県の負担分もあるから、建設中止となった場合、その処理をどうするかも大問題だ。
また、予定されている4600億円で完了するのかどうか、という問題もある。
(写真は、http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/nation/CO2009090301000456.html
静岡空港などの場合、運営段階で発生する赤字を、どう負担するかということが問題になっているが、ダムにおいても当然運用コストは発生する。
開発利益は、当然全体のコストよりも大きいはずであるが(そうでなければ建設の論理が成り立たない)、その超過利益をどう配分するのか?

上記日経新聞には、「地域の争点」として、以下が取り上げられている。
1.群馬県の八ツ場ダム
2.岐阜県の徳山ダム導水路
3.北海道の新幹線延伸
4.長崎県の諫早湾干拓事業
いずれも複雑な事情を抱えた事業である。

共同通信の記事によれば、八ツ場ダムの場合「関係自治体に反対ゼロ」ということである。
民主党がマニフェストに「八ツ場ダムの建設中止」を盛り込んだことに対して、上田清司・埼玉県知事は8月5日に、民主党の鳩山由紀夫代表宛に八ツ場ダムの建設中止の見直しを要請した文書を郵送している。
それによると、「八ツ場ダムは水道水の確保と利根川の洪水調節の両面において必要不可欠なダムである」ことや「地元・長野原町などの関係自治体の声を聞くことなくマニフェストに記載された」ことを理由に建設続行を求めた。なかでも、八ツ場ダムの建設を中止した場合、「逆に支出が増える」と、事実誤認を指摘した。
八ツ場ダムの地元、長野原町や東吾妻町もダム建設には賛成だ。高山欣也・長野原町長や茂木伸一・東吾妻町長らも8月6日に、民主党に対して建設中止の撤回を要請した。
長野原町役場は「ダム建設に反対している町民はいない」とまでいう。総選挙での「民主圧勝」後のいまも、「建設推進の立場に変わりはありません」と言い切る。

一方で、反対派グループの「八ツ場あしたの会」は、ダム建設が地方の雇用創出などに役立つという考えに理解を示しながらも、「治水と利水の目的も社会情勢の変化で、すでに失っています。
他のダムをみても、経済効果は完成後の10年程度を経過すると地域が衰退した前例もあります。
公費は別の使い方があるはずです」(事務局)と反対の理由を説明する。

いずれにしろ、今までの経緯の中で、水没を前提にした地域住民は、既に多大な犠牲を払っている。
民主党は、ダム建設を中止した場合、「ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法(仮称)」をつくり、ダム建設を中止した場合の生活再建・地域振興を進めるとしているが、是非住民参加の固いで、生活再建・地域振興が実行されることを願う。
地域主権の実体がそこで試されるのではなかろうか?

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2009年9月14日 (月)

八ツ場ダムの入札延期 その3.利根川における水資源開発

東亜・太平洋戦争に敗れたわが国は、まさに「国破れて山河あり」という状態だった。
したがって、山河のもたらす恵みを最大限に活用することが、敗戦からの復興の最優先テーマであった。
アジア・モンスーン地帯に属し、雨量の多いわが国にとって、山河の恵みの代表は水資源である。
大規模ダムの建設は、水資源の確保という側面と、洪水を貯めて下流域への流下水量を調節し、水害を防ぐという側面において、まさに公共性を有するものだったといえる。

利根川は、「板東太郎」と呼ばれ、わが国を代表する河川である。
群馬県の大水上山(標高1,840m)に源を発し、千葉県銚子市で太平洋に注いでいる。
幹川の流路延長は322km、水源から河口までの支川を含めた流路延長は約6,700kmで、流域は東京都、群馬県、千葉県、茨城県、栃木県、埼玉県の1都5県にまたがり、流域面積は16,840平方kmにおよぶ。
(図は、http://www.ktr.mlit.go.jp/kyoku/river/river_info/img/tone03.jpg
2 江戸時代以前には、現在の東京湾に注いでいたが、江戸時代に流れを東に遷し、太平洋に注ぐようにした。
この「利根川東遷」については、その目的、経緯等をめぐって多くの論議があり、まことに興味深いテーマであるので、機会をみて触れたい。

利根川水系におけるダム計画は、まさに戦後の公共事業の歴史だったということができる。
Wikipediaの「利根川水系8ダムの項(2008年11月16日最終更新)から引用しよう。

1951年(昭和26年)には国土総合開発法の施行に伴い利根川水系は『利根特定地域総合開発計画』の指定地域となり、より強力な河川開発を行うことと成った。1950年代には前記のダム事業の内藤原ダム・相俣ダム・五十里ダムが完成していたが、これに加え日本最大の多目的ダム事業となる予定の「沼田ダム計画」、印旛沼付近から東京湾へ利根川の洪水を放流する「利根川放水路」計画、そして利根川河口堰計画が新規事業として計画された。
だがこの頃になると戦後の混乱期を脱し次第に東京都の人口が増加、又京浜工業地帯の拡充による工業生産活動の増大により急速に上水道・工業用水道の需要が拡大した。1957年(昭和32年)には多摩川に小河内ダムが完成し東京の水がめとなったがこれだけでは安定した水供給は望めず、更に埼玉県・千葉県等の郊外も人口が増加し水需要の逼迫は明白となった。これに対処すべく政府は1967年(昭和32年)に『水資源開発促進法』を施行し総合的な利水事業の整備を目的とした水資源開発公団(現・水資源機構)を設立。関東と関西の急増する水需要に対応しようとした。利根川は淀川と共に水資源開発水系に指定され、以後『利根川水系水資源開発基本計画』(フルプラン)に基づく水資源開発が公団によって手掛けられるようになった。これより利根川の河川開発は洪水調節を主眼においた治水から、安定した水供給の確保という利水に重点が置かれるようになった。
公団発足の同年矢木沢ダム・下久保ダムが建設省より公団に事業移管され、その後フルプランの改定に伴い事業が拡大。草木ダム・利根川河口堰が新たに公団に事業移管した他奈良俣ダムが計画された。1968年(昭和43年)には思川開発が事業に加わり、1974年(昭和49年)には荒川が水資源開発水系に指定されて利根川水系と一体化した水資源開発が実施された。一方建設省は従来足尾銅山の鉱毒沈殿を目的としていた渡良瀬遊水地の利水目的付加にも乗り出し、1973年(昭和48年)より「渡良瀬第一貯水池」(谷中湖)建設事業を行い1989年(平成元年)に完成させた。翌1990年(平成2年)には奈良俣ダムも完成し、現在の利根川水系8ダムが形成されるに至った。8ダムより放流される水は利根川中流の利根大堰で取水され、武蔵水路を経て東京都へ送水される。この他見沼代用水や房総導水路、霞ヶ浦用水等を通じ埼玉県・千葉県・茨城県へも供給される。ダムの水は汚染しきった隅田川の水質改善にも寄与している)。

利根川水系の開発史は、国土開発史の中心であるから、問題性においても中心的な位置を占めることになる。
なお、戦後最初の日本共産党書記長に就任した徳田球一に、『利根川水系の綜合改革 : 社会主義建設の礎石』駿台社(5208)という著書(というよりもパンフレットに近い)がある。
世界大恐慌による打撃からの復興にテネシーバレー開発(TVA)が果たしたのと同様の役割を、利根川水系の総合開発に託そうとしていたということができよう。

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2009年9月13日 (日)

八ツ場ダムの入札延期 その2.官僚専権と公共事業

萩原好夫『八ツ場ダムの闘い』岩波書店(9602)に、「はしがきに代えて」ということで、経済学者の宇沢弘文氏が『官僚専権の弊害/新しい政治の流れを求めて』と題する一文を寄せている。
宇沢氏は、日本の経済・社会の現状(1996年当時)を、高速道路や新幹線、公共建造物などに代表される世界と、貧しい一般庶民の住居や環境破壊に代表される世界の対照によって特徴づけられるとする。
その対照は、戦後50年の間に形成され、ますます拡大・深刻化しつつある。

そして、その中心的な要因は、行政官僚、とくに中央官庁の上級官僚の強大な権限にある、としている。
これらの行政官僚群は、戦前・戦中を通じて、日本を悲惨な戦争に巻き込んでいった。
その同じ行政官僚が、ときとしては占領軍と手を組み、ときとしては占領軍からの指示を適当にサボタージュしながら、所属する官庁の権限と縄張りを拡大化し、強化してきた。
おそらくは、安倍晋三元首相の祖父・岸信介などは、その典型といえるだろう。

農商務省に入省した後、農商務省が商工省と農林省に分割されると商工省に配属された。
満州国の派遣され、産業部次長、総務庁次長などを歴任し、計画経済・統制経済を取り入れた「満州産業開発5ヶ年計画」を実施した。
満州国国務院総務長官を務めた星野直樹、関東軍参謀長の東條英機、日産コンツェルンの鮎川義介、満鉄総裁を務めた松岡洋右と共に、いわゆるニキ三スケと呼ばれた。

戦後は、A級戦犯容疑者として逮捕されたが、冷戦の激化に伴うGHQの方針転換により不起訴となり、釈放されて政治活動に携わる。
鳩山一郎と共に、日本民主党を結成し、幹事長に就任。
保守合同を主導して、自由民主党の幹事長に就任し、石橋湛山が病で倒れると、首相に就任し、60年安保の一方の主役となった。

岸信介は、まさに55年体制による自民党の長期政権構築の最大の功労者だった。
そして、自民党が政権を確保していた55年体制において、自民党は、各省庁の権限と縄張りを拡大・強化する役割を担ってきた。
岸信介こそ、官僚専権を体現した政治家だったということになる。
そして、官僚専権による公共政策、公共事業は、特定の官僚群、密接な関係を持つ個別企業・個別的産業、あるいは特定の利益集団に利益をもたらすものであって、本来の意味における公共性を欠くところとなった。
自民党、政府官僚、大企業を中心としたトロイカ体制の形成である。
官僚専権のもとでのトロイカ体制が、富の配分を不公正なものとしていった。
その結果が、上記の2つの世界の対照をもたらしたのである。

宇沢氏は、官僚専権を脱する動きが展開されようとしている、として、次のような事例をあげる。
1.成田空港問題における共生委員会の成立
2.八ツ場ダム計画における新しい町づくりへの動き
つまり、八ツ場ダムは、官僚専権の公共事業の代表例であり、かつそれを脱却する動きの代表例でもある、と位置づけられているということである。
それにしても、宇沢氏が新しい動きを指摘してから、さらに10年以上の時間が過ぎているということになる。

水問題の関係者の間では、八ツ場ダムは有名な存在であるが、一般国民にとってはどうであろうか?
八ツ場ダムは、工事がかなりの程度進行してしまっていることが、問題をさらに複雑にしている。
生活再建のために、既に移転してしまっている人たちのことをどう考えるべきか?
過去に投じられた巨額の税金をどうするのか?
ダム建設を契機に新しい町づくりをめざしてきた萩原さんたちの動きにどう対応するか?
そもそものダム建設の目的には、何らかの代替的手段が存在するのかどうか?

本体工事が中止という事態になれば、また新たな問題が噴き出してくる。
ダム建設は中止されることになるのだろうが、中止後の諸問題について、民主党の真価が問われることになるのではなかろうか。

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2009年9月11日 (金)

詐欺のケーススタディ(3)メガバンクの内部協力者

詐欺のケーススタディとして、以下を取り上げてきたが、またまた格好の材料が現れた。
コシ・トラストという不動産会社が、三井住友銀行から融資金を騙し取った事件である。
2009年6月12日 (金):詐欺のケーススタディ-脱税容疑を入口に
2009年6月29日 (月):詐欺のケース・スタディ(2)-未公開株取引とマルチ商法
かつて、住友銀行といえば、攻撃的でありつつも、手堅い行風で知られていた。
例えばWikipediaでは、次のように記述されている(最終更新 2009年7月11日 (土))。

住友グループの中核で、本店は大阪市中央区の淀屋橋(現在の三井住友銀行大阪本店営業部)に置かれていた。2001年4月にさくら銀行と合併して三井住友銀行となった。また、先進的・効率的経営で定評がある一方、『逃げの住銀』・『石橋を叩いても渡らない』『住銀の歩いた後にはぺんぺん草も生えない』と評され、経済誌の顧客イメージランキングでは、常に他行の後塵を拝していた。同じ大阪に本店を置く三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)、大和銀行(現・りそな銀行)と並ぶ在阪三大都市銀行の一行でもあった。統一金融機関コード0009で、三井住友銀行に引き継がれている。

以前、私の関係していた会社も、住友銀行を準メインバンクとしていたが、業績が順調な時には新規案件の紹介に熱心であるが、業績に陰りが見えたりすると、手のひらを返したように債権管理に敏感になる。
これは銀行の一般的な態度でもあるが、住友の場合、特に顕著だったように思う。

Photo_2 今回の事件は、三井住友銀行高円寺支店を舞台としており、以下のような経緯である。
http://www.gendaisangyojoho.co.jp/cgi-bin/backnumber.cgi?NO=619&BODY=16

東京・渋谷に本社を置いていたコシ・トラストという不動産会社が、60数社を三井住友銀行に紹介、同行が約170億円を融資、100億円以上が回収不能となっている
……
『読売新聞』によれば、コシ・トラスト融資の仕組みは次のようなものだった。
「60数社の大半は融資の申し込みの際、偽造された経理書類を提出し、約20社は営業実態のないペーパーカンパニーだった」
この信じがたい迂闊さは、コシ・トラストを担当した三人の高円寺支店の行員が、程度の差こそあれ中林明久社長に籠絡されていたことで、ある程度、納得できた。最も親しかった元行員は、家賃補助を受けていたうえに、車やクルーザーの便宜を図ってもらっていたのだから、中林社長に「審査のくぐり抜け方」を伝授していたとしても無理はない。
……
マルチ商法と未公開株販売は、この商法に慣れ親しんだ人間たちが、くっついたり離れたりしながらビジネスを展開する場であり、最近は、そこに暴力団関係者が“しのぎ”として関与することが少なくない。今回、そこに三井住友、三菱UFJという二大メガバンクを引き連れた中林社長が飛び込んできた。

マルチ商法と未公開株販売は、上記のケーススタディ(2)でも取り上げたが、既に古典的な手口なのかも知れない。
ここで問題にしたいのは、三井住友銀行というメガバンクにおいて、内部に共犯者がいたと考えざるを得ない事態である。

高円寺といえば、ねじめ正一氏の『高円寺純情商店街』新潮文庫(9204)などで知られるように、ユニークな商店街を擁する下町(?)である。
高円寺で行われている「阿波踊り」は今や大人気のイベントで、静岡県の裾野市では、これを高円寺から移入し、数多くの連が踊りを競って、夏祭りを盛り上げている。

今回の事件は、このような街におよそ相応しくないものであるが、事情通の間では、闇勢力のメッカとも言われているようである。
http://facta.co.jp/article/200806036.html
上記サイトには、以下のような言葉が載っている。

「コシ・トラスト? ああ、三井住友銀行の高円寺支店から、なんぼでもカネ引けるちゅう会社やろ。有名だったわ。ブローカーの集まるような高円寺の喫茶店じゃ、関西弁が飛びこうとるって聞きましたで」(関西在住の企業舎弟)

3  9月10日の日経新聞では、他に逮捕された人物として、元コシ社役員で元暴力団組員や行政書士、法律事務所職員らがいる。
これらの事件関係者は、経営実体のない会社の虚偽の決算書類などを同行高円寺支店法人営業部に提出するなどして、融資を申し込んで詐取した。
銀行内部に協力者がいなければ、そう簡単に審査は通らなかったと思われる。
金額の大きさもさることながら、メガバンクに闇社会が深く食い込んでいる構図が明らかにされたことは重要であろう。
(図は、産経新聞9月10日)

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2009年9月10日 (木)

自由民主党・自壊の構造 その7.ガバナンスの欠如

今さらではあるが、総選挙への対応をめぐって、麻生首相では戦えない、という声が自民党の中に広がったことは記憶に新しい。
結果的にはその通りであったわけだが、武部勤、中川秀直、加藤紘一氏らの幹事長経験者がその先鋒だったことは、自民党という政党のガバナンスの欠如を示すものだったといえよう。
2009年7月16日 (木):混迷深める自民党
2009年7月17日 (金):反麻生勢力は、“一日天下”か?

ガバナンスとはどういうことか?
次のように説明されている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%ac%a5%d0%a5%ca%a5%f3%a5%b9?kid=129014#seeall

governance
1.「統治」を意味する名詞。
2.統治の対象が私企業の場合の「コーポレートガバナンス」は、特に法令遵守性や「報・連・相」の徹底などの文脈で使用されることも多い。

関連用語としてよく用いられるものに、ガバナビリティという言葉がある。
被統治能力、すなわち統治されやすさ、という意味で、GHQに対する日本国(民)などがその例かと思われるが、統治する能力すなわち統率力・リーダーシップなどの意味として誤用されることもある。
いずれの意味にしても、総選挙前の自民党が著しくガバナンス、ガバナビリティに欠けていたことは事実であろう。

およそ組織にとって、ガバナンスは最重要事項であろう。
ガバナンスが欠けている状態では、組織である意味がなくなるからだ。
ところで、ガバナンスの基盤になるものは何か?

人は何をもって行動するのだろうか?
近代経済学は、合理的な経済的判断が人間の行動原理だという仮定に基づいて体系が組み立てられている。
しかし、現実社会においては、このような基準だけで行動する人はいない。
というよりも、そもそも何が合理的な経済判断かが不明だと考えるべきだろう。
もちろん、判断の要素は多数あり、まさに複雑系ともいうべき環境の中で、直観的に判断をせざるを得ないことがほとんどであるが、それが合理的なものである保障はないからである。

また、経済性の範囲をどう考えるかにもよるが、人間が人間である所以は、理念によって動くというところが大きいのではないか。
吉本隆明風にいえば、共同幻想ということになるのかも知れない。
自民党の理念は何だったのだろうか?

冷戦時代は、西側の自由主義陣営ということがあった。
また、経済成長なども、多くの国民の支持するところだっただろう。
しかし、冷戦終結の辺りから、自民党を成立させていた共同幻想が失われ、既得の権益構造を維持することが党の存立基盤に変質してしまったのではないか?
「構造改革」という言葉は、この既得の権益構造からの脱却を目指すかのように見えて、権益の帰属先が変わっただけだったのではないか、と考えられる。

ガバナンスの基盤として考えられる別の要因として、論理性がある。
しかし、自民党は、もともと論理性よりも、義理人情に頼る部分が多かったように思う。
もちろん、論理整合性よりも、義理人情が重要な局面は多々あるので、否定すべきものではないのだが、余りにも論理が破綻していれば、ガバナンスは低下するだろう。
宗教は、多くの場合、論理性が薄い。
幸福の科学(幸福実現党)の場合などは、特に顕著で、多くの人が異様な感じを持つのではないだろうか。
2009年8月20日 (木):「幸福の科学」の奇怪な世界観

また、統治者の人格・人間性もガバナンスの大きな要因であろう。
魅力的な人物の下には多くの人が集まる。
それを、大衆的な人気と勘違いしたポピュリズムに陥っていたのが、ポスト小泉の自民党だと思う。
麻生氏自身の数多くの失言・迷言をみれば、人格・人間性についての評価も自ずから明確ではなかったのか?
2009年9月 8日 (火):自由民主党・自壊の構造 その5.逆statesman
結局、自民党は敗れるべくして敗れたのだというしかないと思う。

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2009年9月 9日 (水)

自由民主党・自壊の構造 その6.連立の相手

自由民主党の歴史を振り返ってみよう。
自民党が衆議院で単独過半数割れしたのは、言い換えれば「55年体制」が終焉したのは、宮沢喜一内閣への不信任案に、小沢一郎や武村正義ら一部の自民党員が賛成票を投じて成立し、解散して実施された1993年の第40回総選挙であった。
自民党の獲得議席は223。
それでも第一党の座は維持しえた。

この選挙において、自民党から離党し羽田孜氏を党首とした小沢一郎氏らが結成した新生党は55議席を獲得し、同じく自民党から脱退したグループで作られた新党さきがけは武村正義氏を党首にして13議席を獲得した。
公明・民社・共産は微増または微減で、際立って惨敗したのは、議席を半数(70)に減らした社会党だった。
つまり、「55年体制」の終焉である。

され、この総選挙の結果、何が生じたか?
本来、第一党の自民党を中心とした連立内閣が誕生するところを、「豪腕」の力というべきか、35議席を獲得した日本新党を率い、国民的人気も急上昇していた元熊本県知事・細川護煕氏を首相とする、社会党も取り込んだ非自民・非共産の連立内閣がスタートしたのだった。
しかし、8カ月の短命に終わった。
その要因として、当初は盟友関係にあった武村氏と不和になっていったことが大きいとされる。

バブル崩壊が明白になり、実質GDP成長率はぎりぎりプラスの状態で、平均株価はピークの半分まで落ち込んだ。
「就職氷河期」という言葉が生まれるほど労働市場は冷え込んでいった。
官房長官職にあった武村氏は、政治改革より景気対策を優先させるよう細川首相に進言するが、細川氏は聞き入れず、次第に距離が開くようになってきた。
細川首相は次第に武村氏よりも「1・1ライン」=小沢一郎・市川雄一(公明党書記長)らに接近していくようになる。

93年末田中角栄が死去。
そして、細川内閣は、当時3%だった消費税を7%の「国民福祉税」とする構想を発表するもののすぐに撤回せざるを得なくなった。
根回しがなく、寝耳に水だった社会党や武村が強く反対したからで、社会党と細川=小沢ラインの距離が離れ、社会党と武村氏が接近することになる。

こうした状況で、景気対策が遅れ、予算審議も難航して、株価は下落の一途をたどる。
「佐川急便問題」で細川氏が政権を放擲すると、「1・1ライン」は、社会党が与党第1党の状況をなんとか変えようとする。
羽田孜を首班とする政権誕生直後、民社党委員長・大内啓伍が社会党とさきがけ抜きの統一会派「改新」の結成を発表。
社会党の倍ちかい130議席を持つ衆議院第2会派が誕生した。

これに対し、寝耳に水の社会党が激怒して政権離脱し、さきがけも閣外協力という形で距離をおくことになった。
羽田政権は過半数に届かない少数与党政権になった。
6月に予算がようやく成立した直後、自民党が内閣不信任案を提出し、羽田氏は悩んだあげく総辞職を選んで、羽田政権はわずか64日で倒壊した。

自民党幹事長の森喜朗氏は、社会党の幹部・野坂浩賢らに接近を図っていた。
羽田政権崩壊後、自社両党の接近は公なものとなり、自民党は村山富市社会党委員長を首相に擁立する案を提示する。
これに対し、小沢一郎氏らは、自民党の海部俊樹を離党に導き擁立する。
状況が混沌とする中で、決戦投票により村山氏が首班指名を受け、自社さ連立政権が成立する。

しかし、村山政権がムリの産物で、長続きしないことは誰の目にも明らかだったといえよう。
第3党党首で、格別のリーダーシップがあるわけでもない。
1995年は、いわゆる「戦後50年」という節目の年であったが、社会党が独自性を発揮することはできなかった。
沖縄基地問題が表面化し、日米安保条約を違憲とすら考えていた社会党の委員長には、この問題を現実的に処理する能力がなかった。

95年夏の参院選で社会党は惨敗。
自民党も大幅な議席回復はならず、河野洋平総裁の責任論となり、橋本龍太郎氏が総裁になって、村山氏は橋本氏に政権を譲る。
その後の政党の改編と連立の枠組みの変化はめまぐるしい。

自社さ連立-橋本内閣
自自連立-小渕内閣
自自公連立-小渕内閣
自公保連立-森内閣、第1次小泉内閣
自公連立-小泉内閣、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣

自公連立内閣は、2000年の森内閣からおよそ10年間で終止符を打つことになった。
小選挙区を中心に票を集める自民党と比例代表を中心に票を集める公明党による選挙協力が、自公両党が連立する大きなメリットだった。
しかし、小泉首相が掲げる構造改革路線によって、同党の支持基盤だった建設業や農漁業などの業界団体や後援会組織の多くが離反し、自民党は公明党の支持母体である創価学会への依存を強めざるを得なくなる。
それに対して、それまでの自民党支持層が反発し、党勢がさらに低下する悪循環に陥った。

今回の総選挙でも、自民党は、「比例区は公明党に」などと、公明票をあてにしなければ当選の見込みが立たない状況に追い込まれることになった。
当選しなければ意味がないのが個人としての政治家であるが、党としてのアイデンティティを失ってしまったと言わざるを得ないだろう。

今回の総選挙の結果を、自公対民主としてみると、以下のようになる。
       解散時勢力   当選者
自公      334       140
民主      112       308

単に自民党の惨敗ということではなく、自公連立という政権のあり方が否認されたとせざるを得ないだろう。
それは、宗教団体が政権の立場にあることへの拒否感ではないだろうか。

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2009年9月 8日 (火)

自由民主党・自壊の構造 その5.逆statesman

政治家を和英辞典で引くと、次のように出ている。

政治家 a statesman; a politician

両者の違いについて、高校時代に英語の時間に教えられた記憶がある。
politicianは、政治的な策を弄する人、statesmanはstatementを発信する人、というような説明だったように思う。
ちなみにstatemenは、以下のように説明されている。

━━ n., vt 陳述; 言ったこと; 声明(書); 報告[明細]書

言い換えれば、政治家にとって、言説というものがきわめて重要だということだろう。
自民党の幹部とされる人たちの失言・迷言は数知れない。
特に、麻生首相に関しては、あきれるくらい多かったというべきだろう。
wikipedia(09年8月3日最終更新)に掲載されているものから、首相就任後になされたものの一部を抜粋(多すぎて全部は引用しきれない)してみよう。

首相就任後、麻生は毎晩のように高級ホテル(帝国ホテル、ホテルオークラニューオータニなど)のバーや、料亭で会食していることを報道された。記者団に「庶民の感覚と懸け離れているのでは」と質問された際に麻生は「高級料亭、毎晩、みたいな話で作り替えている。引っかけるような言い方はやめろ」などと答え、その後も攻撃的な口調で答えた。

2008年9月24日、毎日新聞が「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」と発言したと報道した。

2008年10月26日に行われた自民党の秋葉原街頭演説会の様子がYou Tubeに投稿され、九州でのある事例で、非正規社員が正規社員に転換されたことで婚姻率が上昇したことを紹介したうえで「女性がもう、結婚する相手が、なんとなーく、食いっぱぐれそうな顔してるとこりゃちょっと、結婚したらあたしが一人で働かないかんと。そら、なかなか結婚したくないよ。そら、女性のほうも選ぶ権利がある」と演説した。前後の文脈から「食いっぱぐれそうな顔をしている」というのは非正規雇用の男性を指していることは明白であり、非正規雇用の男性を差別する発言だとしてインターネット上で話題になった。

2008年11月20日、全国知事会議で「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」「(医師不足の)責任はおたくら(医師)の話ではないですか」と発言した。会議後、記者団に発言の真意を問われ、「まともなお医者さんが不快な思いしたっていうんであれば、申し訳ありません」と謝罪した。

2008年11月20日の経済財政諮問会議において、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金 (医療費)を何で私が払うんだ」「私の方が(多額の)税金は払っている」「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない」と、発言していたことが、2008年11月26日に公開された議事要旨から判明した。

2008年11月14日のワシントンでの同行記者団との懇談で、定額給付金について「給付なんておれはいらない、というプライドもある人もいっぱいいる」と、定額給付金を受け取る国民はプライドが無いとも取れる発言をした。

2008年12月14日、北九州エコタウン(北九州市)を視察し、「民間で銭にしちゃおう、『しのぎ』にしようというのがすごい」と発言し、毎日新聞は暴力団の資金集めなどを指す時に使われることが多く品位に欠けるとの指摘もありうる問題発言として報道した。

2008年12月15日、参院決算委員会で健康増進策に関する質問に対して、自身の朝の散歩を挙げ「いい年こいて朝歩いているなんて、徘徊老人と間違われたりする時代があった。呼び止められたことが何回もありますから」と答弁したところ、記者団から「配慮に欠ける発言ではないか」と質問を受けると「どうして?何かよく分からない、言っている意味」と発言した。

余りにも素直過ぎるというべきか、他者に対する配慮が足りないというか、このような発言を繰り返していては、支持者を減らすばかりなのも当然といえるだろう。
statementによって支持を得るのではなく、支持を失うという意味で、逆statesmanである。
そして、重要なポイントは、他者に対する配慮が足りない、ということに関して、ほとんど自覚がないように見えることだ。
政治は、畢竟「他人のため」に行うものではないだろうか。
漢字の読み間違いも相当なものだと思うが、上記の発言は、いわば本音が吐露されたものである。
このような人が圧倒的多数で総裁に選ばれた自民党が自壊していくのは必然だったと思う。

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