書籍・雑誌

2018年11月14日 (水)

組み合わせの論理(2)ポートフォリオ/知的生産の方法(181)

先日の『ブラタモリ』で有田をやっていた。
有田と言えばもちろん有田焼だが、何といっても柿右衛門であろう。

17世紀前半に、初代が酒井田柿右衛門を名乗り、代々子孫が襲名して当代は15代である。
柿右衛門様式と呼ばれる一目で分かる様式美を生み出した。
花鳥図などを題材として暖色系の色彩で描かれ、非対称で乳白色の余白が豊かな構図である。
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マイセンの磁器に似ているが、影響を受けたのはマイセンの方である。
面白かったというかなるほどと思ったのは、焼き物が市況産業であることから、安定的な売り上げを確保するためにガイシを産業化したという話である。
まさに事業ポートフォリオではなかろうか。

ポートフォリオには、いろいろな意味があるが、金融の世界では、資産(の割合)を一覧化したものを指す。
例えば
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これを会社の事業に応用して
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ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)が、キャッシュフローと事業の成長性等を管理する手法としてPPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)を提唱した。
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各事業は以下のように位置づけられる。
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もちろん有田焼の窯元はPPMの概念がない時代に、共通資源を使った事業組み合わせに辿りついたのである。

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2018年10月22日 (月)

敗者の戊辰戦争(2)奥羽越列藩同盟/幕末維新史(11)

戊辰戦争中の1868年(慶応4年/明治元年)5月6日に、陸奥国(奥州)・出羽国(羽州)・蝦夷地(北海道)および越後国(越州)の諸藩が、輪王寺宮・北白川宮能久親王を盟主とし、薩長中心の新政府の圧力に対抗するために、奥羽越列藩同盟を結成した。
薩長史観の教科書の世代の私は、あまり印象が残っていない。

最初は、奥羽諸藩が、会津藩、庄内藩の「朝敵」赦免嘆願を目的として結んだ同盟(奥羽列藩同盟)であった。
そのため、両藩は会庄同盟を結成して列藩同盟の盟約書には署名しなかった。
しかし、この赦免嘆願が拒絶された後は、列藩同盟は新たな政権(北日本政権)の確立を目的とした軍事同盟に変化した。
以下Wikipediaによる。

奥羽越列藩同盟の政策機関として奥羽越公議府(公議所とも)がつくられ、諸藩の代表からなる参謀達が白石城で評議を行った。
奥羽越公議府において評議された戦略は、「白河処置」及び「庄内処置」、「北越処置」、「総括」であり、全23項目にのぼる。
主に次のような内容で構成される。

・白河以北に薩長軍を入れない、主に会津が担当し仙台・二本松も出動する
・庄内方面の薩長軍は米沢が排除する
・北越方面は長岡・米沢・庄内が当たる
・新潟港は列藩同盟の共同管理とする
・薩長軍の排除後、南下し関東方面に侵攻し、江戸城を押さえる
・世論を喚起して、諸外国を味方につける
このほか、プロシア領事、アメリカ公使に使者を派遣し貿易を行うことを要請している。

石井孝『戊辰戦争論吉川弘文館(2008年1月)は、戊辰戦争の本質を「絶対主義形成の二つの途の戦争」と規定し、天皇制と大君制(徳川)の対立を幕末段階から説き起こした。
そして、戊辰戦争を以下の三段階に分けた。
1.「将来の全国政権」を争う「天皇政府と徳川政府との戦争」(鳥羽・伏見の戦いから江戸開城)
2.「中央集権としての面目を備えた天皇政府と地方政権・奥羽越列藩同盟との戦争」(東北戦争)
3.「封禄から外れた旧幕臣の救済」を目的とする「士族反乱の先駆的形態」(箱館戦争)

奥羽越列藩同盟は、第二段階における反政府行動であった。Photo
戊辰戦争

戊辰戦争は西南日本と東北日本の戦いという側面を持っていた。
2018年10月10日 (水) 敗者の戊辰戦争/幕末維新史(10)

そもそも西南日本と東北日本は成り立ちからして違うのかも。Photo_2
地球科学研究倶楽部編『日本列島5億年の秘密がわかる本 』学研プラス(2018年10月)

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2018年10月13日 (土)

垣根涼介『信長の原理』/私撰アンソロジー(54)

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信長の原理』角川書店(2018年8月)

斬新な視点で織田信長像を描いたハードボイルドな時代小説といえよう。
イソップ寓話の「アリとキリギリス」のように、アリは勤勉な生き物の象徴と言って良い。
しかし、アリにも「働くアリ」と「働かないアリ」がいる。
「働くアリ」:「周りの状況次第のアリ」:「働かないアリ」は、2:6:2すなわち1:3:1になるというのが、掲出部分の信長が「蟻の試行」で得た結果である。
しかもこの比率は、「働くアリ」だけを集めて試行しても保存される。

信長と明智光秀は、その「何故?」を追求するタイプであり、木下藤吉郎(<羽柴→豊臣〉秀吉)は、2人と違って、プラクティカルである。

織田信長は尾張を領地に持つ戦国大名のOne of themであった。
1560(永禄3)年の今川義元を破った桶狭間(田楽狭間)の戦いが、全国大会へのデビュー戦であった。
しかし、翌1561年の勢力図は以下のようであり、周辺の諸大名に比べてもむしろ弱小だった。
1561

しかし短期間のうちに、隣国の美濃を併合し、岐阜を拠点として勢力を拡大し、さらには琵琶湖周辺の諸国を統合し、列島中央部に版図を築くのに成功した。
目の上のこぶのような存在だった石山本願寺(大坂)を退去させ、瀬戸内海の最深部を手中にし、甲斐武田氏を滅亡させて、1582(天正10)年には天下統一の目前まで来ていた。
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しかし、「本能寺の変」で有力家臣の明智光秀の謀反に遭い、人生を閉じる。
垣根氏は信長の成功と失敗の原因を、ビジネスでよく用いられる「パレートの法則」を援用して描き出す。
「パレートの法則」とは、2割の要素が、全体の8割を生み出しているというばらつきの状態を示す。
「20:80の法則」とか「パレート分布」など呼ばれているものである。
「選択と集中」戦略の基準を与えるものと言えよう。
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「パレートの法則」は、確かな論理や理論から成り立っているというよりも、ビジネスや生活の中で起きる現象を説明する経験則である。
「パレートの法則」は生物社会でも成立する。垣根氏は〈主要参考文献〉の1つとして長谷川英祐『働かないアリに意義がある』KADOKAWA(2016年6月) を挙げているが、短期的効率性だけを追求した組織は崩壊する。
一般に、短期的効率性と長期的安定性はトレードオフの関係にあるのだ。

信長は徹底した「成果主義者」だった。
しかし生物社会の中でも特に人間社会はメンタルという厄介な要素が重要である。
成果の効率を基準にしたことが光秀の謀反を招いたとも考えられる。
「売れ筋商品」の管理のような発想で部下を管理しようとしたことが信長の限界だったということであろう。
「働き方」の方向性についても重要なヒントになると思われる。

創造の要諦は「異質の要素の組み合わせにある」と言われる。
垣根氏は、ベストセラーになった『光秀の定理』角川書店(2013年8月)で、確率論と心理学に係わる「モンティホール問題」を応用して成功した。
2015年6月 1日 (月) 垣根涼介『光秀の定理』/私撰アンソロジー(38)

歴史と数学というかけ離れたジャンルを組み合わせることが、小説創作における「垣根の原理」かも知れない。

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2018年10月10日 (水)

敗者の戊辰戦争/幕末維新史(10)

いささか古い論文であるが一橋大学経済研究所が出している「経済研究」という雑誌の1975年1月号に、梅村又次氏の『治水と利水』というレビューが掲載された。
梅村氏は経済学者で、執筆当時経済研究所の所長を務めていた。
水問題に関しては圧倒的に理・工学系の論文が多く、社会科学の専門家による包括的なレビューは珍しく、コピーを取っておいた。
その一節である。
032

これは以下の図の説明である。
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2011年4月23日 (土) 暘谷(フォッサマグナ)論/やまとの謎(30)

何でこの論文を思い出したかと言えば、「・SPA!」誌の9月18・25日号の『敗者の戊辰戦争』の図を見たからである。
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戊辰戦争は、新政府軍VS幕軍の戦いであると同時に、西南日本と東北日本の戦いであった。
安倍首相のように官軍史観でしか考えられない人間は、一度石光真人編著『ある明治人の記録 改版 - 会津人柴五郎の遺書』中公新書(1971年5月)に目を通すべきである。
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柴五郎は明治維新の際に朝敵とされた元会津藩士である。¥明治維新の際に青森に移封されたが、旧領と職封を合わせると、70万石に達する大藩が、わずか3万石に減封されたのである。
苛酷な処遇であったが武士としての矜持・誇りを失わず、「西南の役」で薩摩軍を殲滅して快哉を叫んだ。
苦難の末に陸軍学校に入学し、陸軍大将となった。
明治人の魂の記録である。

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2018年9月16日 (日)

自民党総裁選の「信号無視話法」分析/メルトダウン日本(32)

大詰めの自民党総裁選が一向に盛り上がらないままだ。
安倍首相の逃げの姿勢のためで、有権者でもない私が言ってもしょうがないが、もう少し正面からの論戦はできないものかと思う。
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東京新聞9月15日

安倍首相の答弁を色付きで分析した「信号無視話法」や西日本豪雨時の「赤坂自民亭」と称する酒宴などにより災害対策に「空白の66時間が生じた」ことを可視化してみせた犬飼淳氏は「見える化」の分かりやすい説明のサンプルを提示した。
2018年6月27日 (水) 「ごはん論法」と「信号無視論法」では議論にならない/ABEXIT(62)
2018年7月11日 (水) 豪雨被害を拡大した「空白の66時間」/ABEXIT(71) 
2018年7月13日 (金) 「空白の66時間」が映し出す思考と志向/ABEXIT(73)

犬飼氏が、総裁選公開討論会を「信号無視話法」の観点で分析している。
自民党総裁選公開討論会の一部を「信号無視話法」分析してみた2_3

例えば「拉致問題」について、記者クラブから安倍総理に対し、以下のような質問がされた。
「安倍政権は一貫して拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと言われてきた。一体どうなっているのか? ご家族も高齢になっている。現状はどうなっているのか? 見通しはあるのか?」
判定は以下のようである。
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いくつかの論点に行いて、犬飼氏は次のように判定した。
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総裁選の討論会においても、安倍首相の赤信号(論点のすり替え、虚偽)は圧倒的である。
こんな人が三選確実というのだから、自民党の行く末は短い。

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2018年9月13日 (木)

この問題は、本当の問題です/知的生産の方法(179)

「分数のできない大学生」が話題になったことがある。
岡部恒司、戸瀬信之、西村和雄新版 分数ができない大学生』ちくま文庫(2010年3月)(原著は東洋経済新報社(1999年6月))という書籍もある。
2015年4月18日 (土) データからインテリジェンスへ/知的生産の方法(118)

新聞に次のような広告が載っていた。180907

ACジャパンが作成した、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの支援CMであるが、SNSで大きな話題を呼び、1万RTを超えるツイートもあるという。
まあ、典型的な文章題といえるが、「分数のできない大学生」には難しいかも。
書いてあることを正しく読解すればそれを式に置き換えれば計算できるわけだが、「問題」は読解する力である。

東大合格レベルの学力を持ったロボット=東ロボくん=の開発を目指していた新井紀子国立情報学研究所教授らが、方向転換を余儀なくされたのが「読解力の壁」であった。
東ロボくんは、例えば代ゼミの理系数学などにおいては偏差値76.2に達しており、一般の高校生に比べれば高い学力に達していたともいえる。
東大2次型の記述模試でも偏差値50以上を取っていた。
しかし、新井教授らはニューラルネットワークを真似るアーキテクチャでは限界があると判断せざるを得なかったのである。
2017年2月11日 (土) 読解力の研究(1)東ロボくんの方向転換/知的生産の方法(165)

ACジャパンのCMの意図は、文章題の奥にさらに「真の問題」が存在することを訴求するものであった。
・公共交通機関もなく、まともな道路も整備されていない中で、何時間も歩いて学校に通うこと。
・1日中、両親の手伝いやきょうだいの世話に追われること。
問題文にある「サラ」は、セーブ・ザ・チルドレンが世界各地で支援している子どもたちをモデルにしたものである。
例えばイエメンである。

イエメンでは2015年ごろから内戦が激しくなり、多くの地域で学校や病院が機能しなくなっています。
経済も崩壊し、総人口の約8割に当たる2220万人が人道支援を必要とし、その半分は子どもたち。多くの学校が破壊されたうえ、空爆や砲撃が激しく通学も危険な状況で、子どもたちの4分の1は学校に通えません。
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「この問題は、本当に問題です」このCMの背景には、本物の難問が数々

ACジャパンの意図は、人は問題を出されればつい考えてしまうとことに着目し、つまり問題文に真剣に向き合うことによって、本来のメッセージである子どもの権利について、多くの方々に深く考えてほしいということだという。
問題は重層的であり、表面だけを捉えるのではいけないということである。

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2018年8月18日 (土)

自民党総裁選と立憲主義/メルトダウン日本(11)

安倍首相は自民党総裁選の争点は憲法改正にあるとし、改憲への強い意欲を示している。
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東京新聞8月12日

安倍首相は、都合によって総理大臣と自民党総裁を使い分けているが、日本は議院内閣制であるから欺瞞であるとせざるを得ない。
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憲法遵守義務違反である。
2017年5月 6日 (土) アホな内閣(9)憲法遵守義務違反の首相/アベノポリシーの危うさ(200)

立憲主義は世界の常識である。
枝野幸男『緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』 扶桑社(2018年8月)に次のような箇所がある。
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だから現職の首相が改憲に意欲を示すこと自体がナンセンスであり、自身の憲法認識の浅さを露呈しているということになる。
安倍首相は、例えば、南野森九州大学法学部准教授とAKB48の内山奈月さんの共著『憲法主義:条文には書かれていない本質』PHP研究所(2014年7月)などを読むべきだろう。
2015年6月27日 (土) 言論の自由を蹂躙する狂気の安倍応援団/日本の針路(186)

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2018年8月12日 (日)

日航機墜落事故から33年/技術論と文明論(108)

8月には「鎮魂」のイメージが拭えない。
お盆があり、無辜の人間の無差別殺戮というべき原爆投下、敗戦の玉音放送などのためである。
1985年8月12日の日航機墜落事故もイメージを増幅している。
犠牲者520人という、世界の航空史上単独機としては最悪の事故であるが、33年という歳月はやはり長いというべきであろう。
ほぼ一世代にあたる時間である。
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東京新聞8月12日

この事故はリアルタイムで見聞していた。
子供たちとキャンプに出かけ、家に着く直前のクルマの中で、ラジオで聞いた。
「羽田発伊丹行きのJAL123便が18時56分頃、静岡上空で消息を絶っている模様――」
後に、歌手の坂本九やハウス食品の浦上郁夫社長などの著名人が搭乗していたことが分かった。

後年のことではあるが、原田眞人監督の映画『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫原作)の迫力あるシーンも印象に残っている。
衝撃的な事故であったことは間違いないが、事故原因は解明されているのか?
1987年(昭和62年)6月19日、運輸省事故調査委員会は事故調査報告書を公表した。
Wikipediaによれば、報告書の事故の推定原因は大要以下の通りである。

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事故機の後部圧力隔壁が損壊し、その損壊部分から客室内の空気が機体後部に流出したことによって、機体尾部と垂直尾翼の破壊が起こった。さらに、4系統ある油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出し、操縦機能の喪失が起こった。
圧力隔壁の損壊は、隔壁の接続部の金属疲労によって発生した亀裂により、隔壁の強度が低下し、飛行中の与圧に耐えられなくなったために生じたと推定される。
この亀裂の発生は、1978年に起きた同機の「しりもち事故」の際に、米国ボーイング社による修理が不適切なものであったことに起因する。また、点検でこれらの異常を発見できなかったことも事故原因に関与したと思われる。

ところが、事故についてまったく別の見方もある。

日航ジャンボ123便は、8月12日18時12分に、羽田を離陸した。
離陸後、順調に飛行を続け、18時24分には、大島上空を通過し、相模湾上空に差し掛かっていた。このとき、大きな衝撃音がして、機体に異常が発生した。
このときの模様を、123便の生存者で、日本航空CAを務めていた、落合由美氏が、次のように証言している。
3)水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がした!
「そろそろ、水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。
テレビ・ドラマなどで、ピストルを撃ったときに、響くような音です。
「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。
急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音だった。
前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」
「「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが、出ました。
かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」
「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような、空気の流れは感じませんでした。すっと消えた、という感じだったのです。」
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れは、ほとんど感じませんでした。
しかし、何が起きたのだろうと、私は、酸素マスクをしながら、きょろきょろ、あたりを見まわしていました。
4)私の座席からは、ベントホールは、 見えない位置にあり、確認できない!
あとになって、8月14日に公表された、いわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からは、ベントホールは、見えない位置にあります。ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。」
18時24分に衝撃があり、機体に異常が発生して、結局、18時56分、123便は、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に、墜落した。
捜索隊が、墜落現場を確認したのは、墜落から10時間が経過した、8月13日午前8時半ころとされている。
・・・・・・
日航ジャンボ機は、ミサイルによって尾翼を失い、調布に緊急着陸しようとしたが、事実関係の発覚を回避するために着陸が阻止され、群馬県山腹に誘導された疑いがある。
米軍は墜落直後に墜落地点を確認したが、迅速な救援活動を行わなかった。
32年の年月が経過しているが、真相は明らかにされていない。
日航機墜落事故には、マスコミ報道 と全く異なる真実が見えてくる! ミサイルで撃墜!

まさかとは思うが、未だ全容が解明されたとは言えないのも事実であろう。
事故の取材にあたった記者がまとめた、北村行孝、鶴岡憲一『日航機事故の謎は解けたか 御巣鷹山墜落事故の全貌』花伝社(2015年8月)なども同様の立場である。
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事故調査の際の供述書が明らかにされたのを機会に、より深い検証がなされることを期待したい。

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2018年7月29日 (日)

処刑された豊田亨と伊東乾氏の友情/人間の理解(21)

オウム死刑囚の未執行者全員が7月25日に処刑された。180726
東京新聞7月26日

私は知人の1人が国選でオウム事件に係わっていたというが、もちろん特別の情報を聞いたことはない。
同時代を生きてはいたが、オウム真理教との接点はないといって良い。
しかし、今回処刑された豊田亨にはちょっと関心を持った。
それは東大で素粒子論を専攻した秀才だった。
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東京新聞7月26日

彼は、東大准教授の伊東乾氏(作曲家、指揮者)の同級生であった。
その経緯は、伊東乾『
さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生』集英社(2006年11月)に書かれている。
2018年7月 6日 (金) オウム真理教の死刑囚の死刑執行/戦後史断章(30)

私は、豊田亨こそ、知力のバランス感覚が偏っていた典型ではないかと思う。
端的に言えば(端的に言ってしまって良いかどうかは問題があるが)、出題されたことについては優れた解答をするが、自分の頭で問題を考えることが遅かったのである。
⇒2011年11月25日 (金):オウム真理教事件と知的基礎体力(?)

彼の処刑を受けて、伊東氏が「AERA」8月10日号に寄稿している。
ここでは「AERA dot.」の『オウム豊田亨死刑囚 執行までの3週間に親友が見た苦悩 麻原執行後に筆記具を取り上げられた』から引用する。

 7月26日、先週の約束通り小菅の東京拘置所に向かった。特別交通許可者として日常的に接見するオウム事件の死刑確定者、豊田亨君と面会するためだ。書類を窓口に提出すると程なく年配の刑務官から「面会は出来ません」と告げられた。私が待合室にいる間に、彼を含む6人のオウム事犯の死刑が執行された。
 大学1年で知り合い東京大学理学部物理学科、同大学院で共に学んだ親友が突然行方知れずになったのは1992年3月。次に彼が私達の前に現れたときは地下鉄サリン事件の実行犯となっていた。
・・・・・・
 6日金曜朝の「麻原執行」後、ご家族等と予定がぶつからないよう確認の上、週明けの9日月曜朝に小菅を訪ねた。さすがにやつれきっていた。彼も彼を囲む人々、私自身も大変に焦燥して厳しい一週間になった。覚悟して迎えた13日金曜、生存を確認して訪れた時の彼の表情を私は生涯忘れない。この金曜を乗り越えて明らかに彼は強くなった。こんな拷問に人は適応してよいのか?という疑問。そしてこんな状況にすら気丈に立ち向かう豊田君の姿。
「残された時間を精一杯生きる」と、落ち着いた表情で語る豊田君と、私はブロックチェーンや暗号の数理を考え、エジプト式分数を一緒に計算し、古代ハンムラビ法典の野蛮と中世イスラム法の寛容の差を議論した。
・・・・・・
 今だから記すが、兵庫出身の豊田君は手元にあった現金にいくばくか足し、匿名で西日本水害被害者救済の義援金に全額寄付して身辺を整理した。
 3月にオウムの死刑確定者が各地の拘置所に移された際、豊田君も東京拘置所内で収監される階が変わり、昔長らく在房した階に戻った。彼は明らかに看守諸氏から一目以上置かれ、大切に遇されていた。9日に面会したときは「命の限り贖罪し、社会に役立ちたい」と語っていた。こんな人を亡きものにしてはいけない、今後も再発防止などもっともっと働いて貰わなければならなかった。最期の2回の接見で彼はこう繰り返した。
「日本社会は誰かを悪者にして吊し上げて溜飲を下げると、また平気で同じミスを犯す。自分の責任は自分で取るけれど、それだけでは何も解決しない。ちゃんともとから断たなければ」
 大切な人を今日失った筈だが未だ全く実感ない。

私たちは、同じ空気を吸った中でも最良の人間を処刑してしまったのではないだろうか?
もちろん、彼自身が言っているように、犯した罪は償わなければならない。
しかし、処刑する代表者たちが、異例の警報が発せられるなかで、「赤坂自民亭」と称して酒宴を開き、その後、賭場法案を強行採決した退廃と比べてしまうのである。
2018年7月10日 (火) 西日本豪雨禍と不誠実な政治屋たち/ABEXIT(70)
2018年7月11日 (水) 豪雨被害を拡大した「空白の66時間」/ABEXIT(71) 
2018年7月13日 (金) 「空白の66時間」が映し出す思考と志向/ABEXIT(73) 
⇒2018年7月15日 (日) 「赤坂自民亭」の耐えられない軽さ/ABEXIT(73) 
2018年7月21日 (土) カジノ法を成立させて国会閉会/ABEXIT(75)

死刑の廃止もしくは停止は世界の基本的な動向である。
142カ国が死刑の廃止・停止であり、欧州連合(EU)に加盟するには、死刑廃止国であるのが条件になっている。
OECD加盟国でも、死刑制度があるのは日本と韓国・米国だけで、韓国はずっと執行がない事実上の廃止国である。
米国も19州が廃止、4州が停止を宣言して、死刑を忠実に実行しているのは日本だけと言って良い。
人間の判断には誤りが避け得ず、万が一の冤罪は取り返しがつかない。
死刑は廃止し、終身刑を最高罰とすることを考えるべきチャンスではないか。

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2018年7月22日 (日)

シナリオ界の巨人・橋本忍/追悼(128)

黒澤明監督の「羅生門」や「七人の侍」など数多くの名作を手掛けた脚本家の橋本忍さんが19日、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去した。
100歳だった。
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東京新聞7月21日

昔、リサーチの仕事をやっていた頃、訴求力のある報告書を作成するため、シナリオ・ライティングの技法を学ぼうという話になった。
新井一『シナリオの基礎技術』ダビッド社(1968年)等を参考にしようとしたが、メンバーの歩調が合わず、長続きしなかった。
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橋本さんのシナリオの技術研鑽の方法として、次のようなことが伝えられている。1807222
東京新聞「筆洗」7月22日

日本映画の黄金期を支えた脚本の巨人であり、私も思い出の作品がいくつかある。

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 名作の数々を手がけた橋本さんは、骨格のしっかりした構成とスリリングなストーリー展開で知られた。「砂の器」(74年)に代表される回想形式で時間軸を巧みに交錯させる手法は圧巻。小説を映画化する際、原作にとらわれない構成の妙は、まさに“脚本の巨人”として他の追随を許さなかった。
 黒澤明監督との出会いが、脚本家人生の礎となった。初めて脚本化に取り組んだ芥川龍之介の短編「藪の中」を目にした黒澤監督が気に入り、映画化が浮上した。だが「(脚本が)ちょっと短いんだよな」と言われ、とっさに思いついて「羅生門」を入れ込み改稿。満足いかない出来だったところ、黒澤監督が手を入れた脚本に驚かされたという。橋本さんのひらめきを黒澤監督は見事に脚本に反映させていた。以降、黒澤監督の鋭い洞察で磨かれた橋本さんは「世クロサワ」を“黒子”として支えた。
 脚本だけでなく、マルチな才能の持ち主だった。無類の競輪好きとしても知られ、勝負事に強く、実業家としても頭角を現した。独立プロダクションを設立し、それまで“量産主義的”だった日本映画に、脚本重視の流れを生みだした。師である伊丹万作監督の教え通り「字を書く職人」に徹し「良い脚本から悪い映画ができることはあるが、悪い脚本から良い映画はできない」が信条だった。

平成が終わるのと同期するように、昭和の巨人たちが亡くなっていく。
当然ではあるが、やはり寂しいものだ。
合掌。

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