日記・コラム・つぶやき

2017年9月19日 (火)

モリカケ疑惑の本質-官邸主導の「共謀」?/アベノポリシーの危うさ(298)

安倍政権は解散総選挙を利用して延命を図っている。
⇒2017年9月17日 (日):究極の国政私物化-大義なき解散総選挙/アベノポリシーの危うさ(281)
そんな身勝手が許されるわけもないが、安倍首相が逃げているモリカケ疑惑の本質について、再確認しておこう。
ズバリ、安倍官邸の主導している「共謀」である。

昭恵夫人のFacebookに有名な投稿がある。Photo

もちろんこの夜いかなる話があったかは当人たち以外には分からない。
しかし「加計ありき」のキックオフがこの年の4月だったことを考えると、なかなか意味深な写真である。
昭恵氏の自爆or自白と言うべきか?

Photo_2 急きょ東京出張の日程が変更になった。二〇一五年四月二日夕。帰りの航空機の便を遅らせて、愛媛県今治市の職員が首相官邸を訪れた。
 待っていたのは、柳瀬唯夫(やなせただお)首相秘書官(当時)。県職員と学校法人「加計学園」(岡山市)の幹部も同席した場で、県と市に学園の獣医学部新設を進めるよう対応を迫ったという。
 柳瀬氏は、安倍晋三首相が創設した国家戦略特区を担当。アベノミクスの恩恵を全国に波及させるとして、地方創生につながる特区提案を近く募ることになっていた。
 市の文書には、この日の午後三時~四時半、「獣医師養成系大学の設置に関する協議」のため、市の担当者が官邸を訪問した出張記録が残る。
 しかし、今年七月、国会の閉会中審査で、官邸での面会の事実を問われた柳瀬氏は「記憶にない」を連発。かたくなに面会を否定する政府に対し、県幹部も苦言を呈する。「何で国は隠すんですか」
 官邸訪問から二カ月後、県と市が国家戦略特区に提案すると、十年にわたって膠着(こうちゃく)していた獣医学部の計画が一気に動きだす。
 政府関係者は言う。「四月二日が『加計ありき』のキックオフだった」
<検証「加計」疑惑>(1) 始まりは15年4月2日

臨時国会冒頭の解散であれば、「加計隠し」という意図は丸見えである。
しかし、それでもなお、国会で追及されるよりはマシと考えたのであろう。
浅慮と言うべきではなかろうか。

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2017年9月16日 (土)

サン=テグジュベリ『星の王子さま』/私撰アンソロジー(49)

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サン・テグジュベリ/浅岡夢二訳『星の王子さま』

サハラ砂漠に不時着した飛行機の操縦士が、砂漠で一人の男の子(星の王子さま)に出会う。
王子さまは操縦士に、自分が生まれた星のことや、色々な星を旅したときの話をする。
2人は8日間一緒に過ごし、絆を深める。

Wikipedia:サン=テグジュベリから引用する。

1926年、26歳で作家として本格的にデビューし、寡作ながら以後、自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表。著作は世界中で読まれ、有名パイロットの仲間入りをしたが、仲間のパイロットの間では反感も強かったという。後に敵となるドイツ空軍にも信奉者はおり、サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいたという。1939年9月4日、第二次世界大戦で召集され、トゥールーズで飛行教官を務めた。前線への転属を希望したサン=テグジュペリは、伝手を頼り、周囲の反対を押し切る形で転属を実現させる。
・・・・・・
大戦中、亡命先のニューヨークから、自ら志願して再度の実戦勤務で北アフリカ戦線へ赴き、1943年6月に原隊である II/33 部隊(偵察飛行隊)に着任する。新鋭機に対する訓練期間を経て実戦配置されたが、その直後に着陸失敗による機体破損事故を起こし、1943年8月に飛行禁止処分(事実上の除隊処分)を受けてしまう。必死の尽力により復帰を果たすと、爆撃機副操縦士としての着任命令(I/22部隊)を無視する形で、1944年5月、サルデーニャ島アルゲーロ基地に進出していたII/33部隊に戻った。部隊は後にコルシカ島に進出。1944年7月31日、フランス内陸部グルノーブル、シャンベリー、アヌシーを写真偵察のため、ロッキード F-5B(P-38の偵察型)を駆ってボルゴ飛行場から単機で出撃後、地中海上空で行方不明となる。

掲出部分は、「大切なことは、目に見えない……」というフレーズで有名である。
「見える化」という奇妙な言葉が使われているが、人間の情報伝達のほとんどが視覚情報であるから、「目に見えない」ものも、それを「見える」ようにすることも重要だということだろう。

『星の王子さま』は1943年4月に出版された。
子供にも大人にも、それぞれの読み方が可能だろう。
読者に応じた読み方をされるものが古典になる。

また、「使った時間が長ければ長いほど、大切な存在」は、経済学の労働価値説の表現であろうか。
Wikipedia:労働価値説は以下のように説明している。

労働価値説(ろうどうかちせつ、labour theory of value)とは、人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論。アダム・スミス、デヴィッド・リカードを中心とする古典派経済学の基本理論として発展し、カール・マルクスに受け継がれた。

図で示せば以下のようである。
Photo
人間機械と失業 第三次産業革命からみた社会・経済論

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2017年9月 9日 (土)

熱力学第二法則と量子力学/知的生産の方法(163)

熱力学は物理学や化学の基礎である。
特に熱力学第二法則は「エントロピー増大則 」として人口に膾炙している。
つまり現象の非可逆性に関する基礎を示した法則である。
しかしその含意を把握するのは容易ではなく、「煮ようと焼こうと勝手にしやがれエントロピー」という戯れ歌が化学系の学生に広く伝わっている。

不可逆性とは次のような現象を指す。
・室温の空気中の熱 いコーヒーは、放っておけば冷めて行くが、その逆の冷めたコーヒーがひとりでに熱 くなることはない。
・コップに垂らしたインク滴は均一に拡散して行くが、その逆の拡散したインクがひとりでに濃いインク滴にはならない。

熱力学はマクロな現象に関する法則性である。
マクロ現象の運動に関するニュートン力学は、分子や原子などのミクロな現象に関する量子力学とは別である。
マクロな系の不可逆性は、時間可逆なミクロな基礎法則から、どのように説明されるのか? 
いわゆる「時間の矢」の起源の解明は、現代科学の基本問題である。
Photo_2http://ridb.kanazawa-u.ac.jp/public/detail.php?id=2499

東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻の伊與田英輝助教、金子和哉大学院生、沙川貴大准教授は、な世界の基本法則である量子力学から、理論的に導出することに成功しました。これは、極微の世界を支配する「量子力学」と、日常を支配する「熱力学」という、二つの大きく隔たった体系を直接に結び付けることに成功した。

 本研究では、量子多体系の理論に基づき、単一の波動関数(注4)で表される量子力学系において、熱力学第二法則を理論的に導きました。従来の研究とは異なり、カノニカル分布などの統計力学の概念を使うことなく、多体系の量子力学に基づいて第二法則を導出したことが、本研究の大きな特徴です。さらに、ゆらぎの定理と呼ばれる熱力学第二法則の一般化を、同様の設定で証明することにも成功しました。
 本研究の成果は、量子力学だけに基づいて不可逆性の起源を理解する大きな一歩となるのみならず、冷却原子気体など高度に制御された量子多体系の非平衡ダイナミクスの理解にもつながると期待されます。
東大、量子力学から熱力学第二法則を導出することに成功

詳細は理解不能であるが、エントロピー生成の時間依存性の計算結果が下図で示されている。
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2017年9月 3日 (日)

『母と暮らせば』の医学生のモデル・土山秀夫/追悼(112)

長崎原爆の被爆者で、元長崎大学長の土山秀夫さんが2日、多臓器不全のため亡くなった。
92歳だった。

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東京新聞9月3日

1945年8月当時は長崎医科大付属医学専門部(現・長崎大医学部)3年だった。
山田洋次監督の『母と暮らせば』の亡霊となった学生のモデルとされる。
⇒2016年1月14日 (木):母と暮らせば』と複素的な世界観/戦後史断章(24)
⇒2017年8月 9日 (水):『母と暮らせば』と『シン・ゴジラ』/戦後史断章(27)

原爆投下時は母の疎開先の佐賀にいたが、翌日に長崎市内へ戻って被爆したが、負傷者の救護に奔走した。
爆心地に近い山里町に住んでいた兄一家4人は全員被爆死した。

Ws000000 その後、52年に長崎医科大を卒業した。専攻は病理学で、米国留学などを経て、69年から長崎大教授となり、82~86年に医学部長、88~92年には学長を務めた。
 学長退任後、核兵器廃絶や恒久平和を訴える市民運動に本格的に取り組んみ、運動を理論的な面からリードした。90年からは長崎原爆の日の平和祈念式典で長崎市長が読む平和宣言の起草委員を25年間務め、2004年からは「世界平和アピール七人委員会」のメンバーにもなった。10年に長崎市名誉市民に選ばれた。山田洋次監督が長崎原爆を題材に撮影した映画「母と暮せば」の主人公のモデルにもなった。
訃報 土山秀夫さん92歳=長崎で被爆・元長崎大学長

先日の谷口稜曄さんに続き、ナガサキ被曝の生き証人がまた亡くなったことになる。
⇒2017年8月31日 (木):赤い背中の告発・谷口稜曄/追悼(110)
戦後72年ということは、明治維新からの時間の半分近くになるということである。
しかし、戦後は終わってはいないどころか、再び戦争体制化しつつある。
⇒2017年8月15日 (火):再び戦争体制に向かう「母國」/永続敗戦の構造(10)

合掌。

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2017年9月 1日 (金)

子どもの自殺を防ぎたい/日本の針路(327)

昔は9月1日から一斉に2学期が始まったが、最近は前期・後期の二学期制などにする学校も増えて、8月中に学校が始まるところも多いようだ。
しかし長い夏休みが明けると、いじめや友人とのトラブルなどに悩む生徒の自殺が多いと言われる。
子どもたちに「死なないで」などと呼びかける団体や著名人のメッセージが、8月31日から9月1日にかけて、ネット上で広がった。

 8月30日から、夏休み明けの「駆け込み居場所」を開いたフリースクール「東京シューレ」(東京都)は1日午前1時前、ツイッターで「〈このまま夏休みだったらいいのにな、学校のことを考えるとつらくなってしまうあなたへ〉学校はつらいけど、行かないのも不安になる。どうしたらいいのかわからない気持ちを教えて下さい」と呼びかけた。
 昨夏は「学校に行くことは義務じゃない」という動画を動画投稿サイト「ユーチューブ」にアップ。今夏は、動画製作にかかわった仲間たちの言葉を改めて発信した。「学校へ行かないという選択をしている、または考えているあなたはおかしくない。なぜなら学校に行くことは義務じゃないから」などとしている。
Photo また31日夜、10代の悩みを特集したNHKの番組「ハートネットTV+ 生きるためのテレビ #8月31日の夜に。」に出演したタレントの中川翔子さんは番組前、「絶対に、死なないで。生きて。」などとツイートで発信。憲法学者の木村草太さんも31日、こうツイートした。「『学校が嫌で家が逃げ場になる子』と『家が嫌で学校が逃げ場になる子』と『学校も家も嫌で町を徘徊(はいかい)する子』のことを考えて、すべての人にもう一つ、二つ、安全な逃げ場がほしいと思う」
 林芳正・文部科学相は1日の会見で、子どもたちに向けて「もし悩み苦しんでいたとしても、決してあなたはひとりぼっちではない。誰にでもいいので悩みを話してほしい。誰かがきっと助けてくれます」と述べ、文科省による24時間対応の電話相談(0120・0・78310)などの利用を呼びかけた。
「絶対に死なないで」 自殺多い9月1日、著名人ら訴え

また、上野動物園は、「逃げ場がないのなら、動物園へいらっしゃい」とツイートした。
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東京新聞9月1日

東京新聞は、朝刊コラム「筆洗」でも、辻征夫さんの詩を引いて「行きたくない」という不登校が「生きたくない」にならないようにしようと書いている。
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2017年8月31日 (木)

赤い背中の告発・谷口稜曄/追悼(110)

長崎への原爆投下から72年が過ぎた。 
⇒2017年8月 9日 (水):『母と暮らせば』と『シン・ゴジラ』/戦後史断章(27)

この原爆で焼けただれた自身の「赤い背中」の写真を掲げて核兵器廃絶を訴え続けた人がいた。
日本の被爆者運動をリードした日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員で、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)会長の谷口稜曄氏だ。
谷口氏が31日、十二指腸乳頭部がんのため長崎市内の病院で死去した。
88歳だった。

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東京8月31日

日本政府は核兵器禁止条約に参加しない姿勢をとったままだ。
私には、ヒロシマ、ナガサキの被爆者への裏切りのように思える。
⇒2017年8月 6日 (日):今こそ、主導して核兵器禁止を前に進めるべきだ/日本の針路(325)

 郵便局員だった16歳の時、長崎の爆心地から1・8キロの住吉町で、自転車に乗って配達中に被爆。熱線で背中に大やけどを負い生死をさまよい、激痛と苦しみのあまり「殺してくれ」と叫んだ。うつぶせのまま過ごした1年9カ月を含め、入院生活は3年7カ月に及び、奇跡的に一命を取り留めた。その後、被爆者運動の立ち上げに加わり長崎被災協には1956年の発足時から参加、2006年から会長を務めた。10年には被団協の代表委員に就任。08年度から8月9日に長崎市長が読み上げる長崎平和宣言の起草委員を務めていた。
 被爆地を訪れる修学旅行生に被爆体験を精力的に語ったほか、核兵器の恐ろしさを世界に知ってもらうため海外に25回渡航。大やけどを負った背中の写真を掲げ核廃絶を訴えた。10年には米ニューヨークの国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ渡米し、非政府組織(NGO)セッションで各国代表らに被爆体験を証言した。
 被爆70年を迎えた15年8月9日の平和祈念式典では被爆者代表として2回目の「平和への誓い」を読み上げ、多くの命を奪った核兵器と戦争への怒りをあらわにしたほか、安全保障関連法の成立を図る日本政府を批判した。
 一方、近年は体調を崩すことが多く、入退院を繰り返していた。核兵器を法的に禁止する核兵器禁止条約の採択を歓迎する今年7月の集会では、病床からビデオメッセージを送り「核兵器の非人道性を知る被爆者がいなくなった時にどんな世界になるのかが一番心配だ。被爆者が頑張らなければいけない」と呼び掛けた。
被爆者・谷口稜曄さん死去

安倍政権は、北朝鮮のミサイル発射を奇貨として、軍備増強を進めようとしている。
悲惨な戦争の実相の生き証人がまた一人居なくなった。
合掌。

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2017年8月29日 (火)

偉そうに振舞わない政治家・羽田孜/追悼(109)

羽田孜元首相が28日午前7時6分、老衰のため、東京都内の自宅で死去した。 
82歳だった。

82歳で老衰?
この長寿社会で、ちょっと違和感がある。
確か脳梗塞を発症し、半身不随の陥ったということを聞いたことがある。
脳血管障害の後遺症は人それぞれであるから一般論では語れない。
私の場合、右半身の麻痺は継続しているが、日常生活は自立で生活している。
この日常生活の活動(ADL:Activity of Daily Life)が重要である。
多少は不自由があっても、継続的に身体を動かしていることが、急速な衰えを防ぐと考えたい。

Ws000006 羽田氏は1935年8月24日、東京都大田区で生まれた。成城大経済学部卒業後、69年衆院選で父の羽田武嗣郎元衆院議員の後継者として、旧長野2区から自民党公認で初当選し、連続14選を果たした。
 中曽根、竹下両内閣で農相、宮沢内閣で蔵相を歴任し、小沢一郎・自由党共同代表らとともに「竹下派七奉行」の一人に数えられた。
 93年6月に宮沢内閣不信任決議案に賛成して自民党を離党。小沢氏らと新生党を結成し、党首に就いた。同8月、細川内閣に副総理兼外相で入閣し、94年4月の細川首相辞任後、第80代首相に就任した。
 内閣発足直前に社会党が連立を離脱したため、少数与党での不安定な政権運営となり、6月に総辞職した。在職日数は戦後2番目に短い64日だった。
 退陣後は新進党、太陽党、民政党を経て、98年4月の民主党結成に参加。2012年11月の衆院解散で政界を引退した。最近は、体調を崩しがちで、自宅などで療養を続けていた。
 夏場は、半袖の上着の「省エネルック」を愛用した。
羽田孜元首相が死去…82歳、「省エネルック」

せっかく自民党を離脱し政権交代の流れを作りながら、歴史的な非自民政権では首相を細川護煕氏に譲った。
「剛腕」小沢一郎氏に引き回された印象があるが、対話と改革を重んじた政治家だった。
寿命を縮めた要因として、脳血管性認知症を指摘する人もいるが、私がコメントすべきことではないだろう。

 羽田氏は結婚披露宴に招かれると、新郎新婦に詩人・吉野弘氏の「祝婚歌」を贈った。「二人が睦(むつ)まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい」から始まる。羽田氏の人生訓でもある。
 意見の違う人とも愚直に語り合う。もの別れになっても相手と、しこりが残らない。
羽田孜氏死去 「立派すぎない」政治家

偉そうに振る舞う政治家が多い中で、稀少な存在だったと言えよう。
今朝から北朝鮮のミサイル発射で大騒ぎである。
自由党京都支部の鈴木まりこという人のツイートである。
Ws000005
同感である。



合掌。

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2017年8月16日 (水)

延戦による被害増大責任/永続敗戦の構造(11)

1945年8月14日から15日にかけて、全国各地で空襲を受け、多数の犠牲者が出た。
日本の戦争指導者が「国体護持」に拘り、ポツダム宣言の受諾が遅れた。
『日本のいちばん長い日』に描かれているように、事実として「敗戦受容派」と「徹底抗戦派」の間で、緊迫した状況があった。
⇒2015年8月25日 (火):『日本のいちばん長い日』と現在/日本の針路(219)

映画で印象的だったのが、陸軍が責任追及を逃れようと関連書類を延々と焼却する作業を行った姿だった。
「モリ・カケ」はPKO日報に見るように、公文書を自分たちの都合に合わせるのは、今も変わっていない。
戦災の記録も市民によって復元する試みが続けられている。

 米軍資料から空襲の実態を調べる市民団体「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」によると、14日は米軍機約1000機が出撃した。日本は45年8月10日、降伏を求めるポツダム宣言を条件付きで受諾する方針を連合国側に伝え、米軍は空襲を一部停止した。しかし、受諾条件を巡って日本政府が揺れていると判断した米軍は14日の空襲を実行した。
 米軍の作戦任務報告書では、14日は光海軍工廠(こうしょう)(山口)など6地点が主な空襲目標とされた。京都・舞鶴の港湾などに機雷を敷設し、広島や長崎に原爆を投下した部隊は長崎原爆と同形で通常爆薬の模擬原爆を愛知に落とした。神奈川・小田原では、15日未明の空襲で12人が死亡。米軍機が帰還途中に爆弾を投下したとみられる。Photo
終戦直前 空襲10カ所 米機1000機、犠牲2300人

北朝鮮のミサイル発射をめぐって緊迫した事態となっている。
8月10日の衆議院安全保障委員会で、小野寺五典防衛相は、米軍基地のあるグアムが攻撃された場合、集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」にあたる可能性があると答弁した。
元経産官僚の古賀茂明氏は次のように述べている。

トランプ政権は「アメリカ・ファースト」を掲げ、これまでの常識を覆すような言動を続けている。トランプ政権誕生が決まった昨年末の時点で、日本人は、立ち止まって冷静に考え直してみるべきだった。しかし、安倍政権は、何も考えずに、従来の日米関係の延長線上で行動している。そして、今や、トランプ政権とともに戦争を始めるかもしれないというのっぴきならないところに追い込まれているのだ。
古賀茂明「グアムへの北朝鮮ミサイル迎撃すれば、戦争状態  日米安保に殺される日本」

「もう一度冷静に日米関係を根本から考え直す最後のチャンスだ」とする古賀氏の意見に耳を傾けたい。

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2017年8月15日 (火)

再び戦争体制に向かう「母國」/永続敗戦の構造(10)

今日の日経新聞朝刊のコラム「春秋」は次のように書いている。

終戦の日と月遅れのお盆が重なるこの時期、列島は人々の鎮魂の祈りに満たされる。無謀で悲惨だった先の戦争を振り返り、犠牲者を静かに追悼する大切なひとときだが、今年は何か心がざわつく。トランプ米大統領と北朝鮮の言葉の応酬が激しさを増しているせいだ。

全面的に同感であるが、今日を「終戦の日」と言うべきか、「敗戦の日」と言うべきか。
私は、「終戦の日」と呼びならわしてきたことが、戦争責任を曖昧化してしまった一つの要因ではないかと思う。

戦争責任とは何か?
いろいろな局面での責任が考えられる。
もちろん、開戦の責任は大きい。
そして、戦争を継続して、犠牲を増やした責任も同様であろう。

NHKスペシャルは、昨日(8月14日)が『知らぜらる地上戦』、今日が『戦慄の記録 インパール』だった。
8月15日、天皇の詔勅がラジオで放送されたが、降伏文書に署名したのは9月2日だった。
『知らぜらる地上戦』は、ソ連の北海道侵攻を防ぐため樺太死守が命じられ、樺太で戦闘せざるを得なかった人たちの記録である。
⇒2007年8月10日 (金):ソ連の対日参戦

『戦慄の記録 インパール』は、無謀なインパール攻略戦の記録である。
インパール攻略戦の作戦計画は、結局誰も負わず、犠牲は現場の戦闘員である。
無責任体質は、安倍政権とそっくりのようにも思える。
樺太や南方のセンチだけでなく、旧満州からの引き揚げ者も大変な苦難をしたことは良く知られている。
東京(中日)新聞が掲載している「平成の俳句」に英文学者の小田島雄志さんの句が選ばれた。
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北朝鮮のミサイルがグァムを狙い、日本の上空を通過するという予告で、あたかも臨戦のような雰囲気である。

北朝鮮が、グアム島周辺の海上を狙ってミサイルを発射する計画を検討中と発表した。ミサイルが発射された場合に備えて、米国も迎撃を検討している可能性が大きい。だが専門家は、米軍が北朝鮮のミサイルを撃墜できる保証はないと指摘している
Photo_2 
グアムを狙う北朝鮮ミサイル、米国は撃墜できるか

政府は迎撃準備をしている。
72年を経て、戦後生まれは90%を超えたという。
「戦争を知らない世代」が再び戦争を繰り返すことになるのだろうか?

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2017年8月 8日 (火)

民主党政権の「顧客満足度」から学ぶ/戦後史断章(26)

このブログを始めて10年。
入院してネットへ接続できなかった期間を除き、基本的には関心の向くままに書いてきた。
当初の想定とはだいぶ変わってきた。
想定していなかった最大の出来事は、やはり東日本大震災と福島原発事故だと思う。
⇒2011年3月11日 (金):大規模地震で日本国はどうなるのか?

私は2012年8月と2016年8月に東北旅行をしたが、2012年の時は、未だ爪痕が生々しい状態であった。
⇒2012年8月27日 (月):大川小学校の悲劇と避難誘導の難しさ/因果関係論(20)・みちのく探訪(1)
去年は直接の被災地へは出向かなかったが、南相馬市出身の知人の話等を聞くと、東日本大震災、とりわけ原発事故からの復興は未だ途上だと感じざるを得ない。

福島原発事故は廃炉の工程の入り口にも立っていない。
規制委の適合性審査は必要条件に過ぎないのに、合格したら可及的速やかに稼働させるというのは明らかに短絡だろう。
⇒2013年7月 9日 (火):規制委の安全性審査は必要条件ではあるが十分条件ではない/花づな列島復興のためのメモ(243)

政治・社会的には民主党への政権交代(とその失敗)が残念であった。
⇒2009年9月 1日 (火):総選挙における「風」と「空気」
政権交代の総選挙の盛り上がりは、戦後史の特筆すべき事象と言える。
自民党政権へのウンザリ感が、空前の風を呼び起こした。

似たような「風」の威力は、最近の都議選でも見られた。
自民党へのウンザリ感の受け皿となったのは、都民ファーストの会であり、民主党の後継である民進党は、戦う前から敗北していたのだった。
⇒2017年7月 2日 (日):都議選の結果は国政にどう影響するか/日本の針路(323)

民進党(旧民主党)は、なぜ、かくも人心から離れてしまったか?
マーケティングにおいて、顧客満足度は次のように表されるという。
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顧客満足度を高めている企業は「事前期待」を掴んでいる

つまり、期待か大きかった分、結果に落胆したのである。
そのガッカリ感が未だに尾を引いている。

現政権不支持の理由の第1位が「首相が信頼できない」であるにかかわらず、支持の理由は「他の政権よりマシ」である。
地方首長選に事例があるように、与野党対決型の選挙では結構反自民側が勝利しているケースが多い。

民進党は細野豪志氏が離党して新党を目指すという。
若狭勝氏の「日本ファーストの会」との合流・統合も噂されている。
どういう形で反自民党政権の受け皿が現実化するのか想定は難しいが、小異を捨てて大同に付くことが必要である。
小沢一郎氏の唱えている「オリーブの木」方式しかないのかも知れない。
次の総選挙では、野党統一候補を何人立てられるかが鍵になると思う。

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