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2019年4月 4日 (木)

狂騒曲「令和」序奏(3)塚田国交副大臣発言は余りにトンデモだろう

塚田一郎国土交通副大臣が「総理とか副総理が言えないので、私が忖度した」と発言した問題は、安倍政権の本質がむき出しになった事例と言えるだろう。
塚田国交副大臣の発言を見てみよう。

「国土交通副大臣ですから、ちょっとだけ仕事の話をさせていただきますが、大家敏志さん(福岡県選出の自民党参院議員)がですね、私のもうひとり逆らえない吉田博美さんという参議院の(自民党)幹事長と一緒に、私の副大臣室にアポを取って来られました。『地元の要望がある』。これが下関北九州道路です。
 じつはこれ、経緯がありまして、11年前に凍結されているんです。なんでかわかります? 『コンクリートから人』っていう、とんでもない内閣があったでしょ。総理は『悪夢のようだ』と言いましたが、まさにそのとおりでございます。公共事業はやらないという民主党政権ができて、こういう事業は全部フリーズ、凍結しちゃったんです」
 事業がストップしたのは11年前の2008年であることは間違いないが、前述したように、それは福田政権時のことであって民主党政権時ではない。デマによって相も変わらずしつこい民主党政権叩きをつづけるのは安倍首相や麻生副総理とまったく同じだが、問題はこのあとだ。
「何とかしないといけないと。下関と北九州ですよ。よく考えてください。下関は誰の地盤ですか? 安倍晋三総理です。安倍晋三総理から麻生副総理の地元でもある北九州への道路事業が止まっているわけです。
 吉田(参院)幹事長が私の顔を見たら、『塚田、わかってる? これは総理の地元と副総理の地元の事業なんだよ』と。『俺が何で来たかわかるか』と。私、すごく物わかりがいいんです(会場笑い)。すぐ忖度します(会場笑い)。『わかりました』と。
 そりゃ総理とか副総理はそんなこと言えません、地元の。そんなこと、実際ないんですよ? 森友とかいろいろ言われていますけど、私は忖度します」
 吉田自民党参院幹事長といえば、2015年の安保法制の審議で自民党参院国対委員長として安保法制強行の先頭に立ち、先の総裁選では石破茂議員が掲げた「正直、公正」というスローガンに対し「(首相への)個人攻撃と受け取っている国民もいる」と批判するなど、安倍首相に近い人物だ。
 その吉田自民参院幹事長は国交副大臣にわざわざアポを入れ、「総理と副総理の地元の事業だとわかっているのか」「俺が何で来たかわかるか」と明確に圧力をかけ、塚田国交副大臣から見事に「忖度」を引き出していたのである。
 しかも、塚田国交副大臣の「総理とか副総理はそんなこと言えません」という発言は重大だ。加計問題で安倍首相は「私から指示を受けたという方はひとりもいない」などと主張しているが、実態は柳瀬唯夫首相秘書官や和泉洋人首相補佐官、杉田和博官房副長官といった官邸スタッフが暗躍していた。実際、和泉首相補佐官は「総理は自分の口からは言えないから、私が代わりに言う」と、吉田自民参院幹事長とそっくりの発言をおこなったとされている。ようするに、直接指示せずとも「総理のご意向」「首相案件」だというだけでこうした利益誘導はおこなわれるという証拠ではないか。
 そして、この下関北九州道路は「安倍首相と麻生副総理の地元」案件として、事業化に向けて動き出した。塚田国交副大臣はこう明言している。
「それでですね、この事業を再スタートするためには、いったん国で調査を引き取らせていただくということになりまして、これを、今回の新年度の予算に国で直轄の調査計画に引き上げました!(会場拍手)
 別に知事に頼まれたからではありません。大家敏志が言ってきた、そして私が忖度したということですので」
塚田国交副大臣「忖度」発言が嘘なわけがない! 安倍首相、麻生財務相の下関北九州道路“利益誘導”にこれだけの疑惑

自分から「忖度した」と言ってしまっては、忖度の語感からすれば違和感があるがそんなことはつゆ思わないのであろう。
恐るべき鈍感さと言うか、傲慢さである。
辞任もしくは更迭必至と思われるが、両方とも否定的なようである。
1904042
東京新聞4月4日

唖然である。
安倍首相に近い吉田自民参院幹事長や、北九州市を含む福岡県を選挙区とする大家議員に「総理と副総理の地元の事業だとわかっているのか」と迫られたことを明かした上、「私は忖度します」と誇り、国直轄の調査計画に引き上げたことを自身の手柄として公言しているのである。
そう言えば「令和」選定についての安倍首相周辺の『萬葉集』理解は、リベラルアーツに縁のない人だちの実態をよく表している。
安倍首相と親和性の高い作家・百田尚樹氏のツイートである。
Photo_3

こういう取り巻きの中で、首相は「国書から採った」と胸を張ったのであろう。
しかし典拠とされている部分は大和言葉ではない。
⇒2019年4月 2日 (火) 狂騒曲「令和」序奏

親切に注意を喚起している人に対して、なお百田氏は、万葉仮名で書かれた書き下しぶんであるから、大和言葉というのである、と言っている。
Photo_4  

当該箇所は万葉仮名で書かれているわけではない。
歌の部分の表記をみれば、万葉仮名か漢文かは明瞭である。
読み下し文でもない。
読み下し文とは「漢文を読み下した文。訓読文。書き下し文。」のことである。
よみくだし‐ぶん【読み下し文】の意味

これで日本国紀』幻冬舎(2019年11月) をベストセラーにしてしまうのだから、日本は大丈夫か?
平沢勝栄議員のような、およそ教養とは無縁だったはずの家庭教師について学習したのだから、安倍首相が日本国紀』を読んで歴史通になったかのように錯覚してしまうのであろう。
2019年3月18日 (月) 安倍トモ百田尚樹の『日本国紀』/安部政権の命運(95)

なお、私は「令和」に反対しているわけではないし、『萬葉集』から採ったことに反対しているわけではない。
ただ、安倍首相の「私物」のように説明する態度や、典拠理解に疑問を呈しているのである。

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