戊辰戦争の敗者(6)上田寅吉/幕末維新史(17)
優れた造船技術者になった上田寅吉はその1人である。
明治維新直後、ほんの短期間ではあるが多くの人材を育成した沼津兵学校という学校があった。
西周頭取(校長)の下に、旧幕側の逸材を揃えた学校だった。
⇒2014年9月19日 (金) もし「沼津兵学校」が現存していれば・・・/知的生産の方法(103)
近代日本の造船学を牽引した赤松則良は教授の1人であった。
⇒2014年11月 4日 (火) 磐田市旧赤松家記念館/人物記念館(1)
⇒2014年10月25日 (土) 沼津と造船学の奇しき縁/知的生産の方法(107)
赤松と上田は、西周や榎本武揚らと一緒に幕末にオランダに留学した。
明治元年に帰国した赤松は、沼津兵学校の教授に招聘された後、新政府によって創設された海軍で要職を歴任し、退役後は、長く日本造船協会の会長を務めた。
その赤松が「造船史上の一大恩人」と讃えているのが上田である。
ペリーの浦賀来航の翌年の1854年、ロシア遣日使節プチャーチンの乗艦ディアナ号が、下田で東海トラフ地震による大津波で大破した。
修復のため西海岸の戸田(現沼津市)に回航中に沈没し、プチャーチンは戸田で代船を建造することを幕府に請願した。
幕府は韮山代官江川英龍を建造取締に任命する。
江川は、造船世話掛に7人の船大工を選んだが、上田はその中の1人だった。
上田は戸田生まれで、長崎海軍伝習所、オランダ留学、横須賀造船所と赤松と同じ経歴を辿る。
上田らはロシア乗組員の指導を受けながら、日本初の洋式帆船「ヘダ号」を完成させた。
君沢型
世界史的には18世紀半ばからの産業革命によって、黒船(鋼鉄製の蒸気船)や鉄道が実用化され、大量輸送革命が起きていた。
そのマクロな動きに乗り遅れることがなかったのは、旧幕側の力が与っているのである。
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