北方領土の日/戦後史断章(34)
今日は内閣府が定めた「北方領土の日」である。
「北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るために制定された記念日」である。
「北方領土の日」をいつにするかについては、ソ連が択捉島への侵略を開始した8月28日などいくつかの候補があったが、最終的に、1855年(安政元年)に江戸幕府とロシア(当時は帝政ロシア)との間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれた2月7日に決まった。
歴史を江戸時代まで巻き戻してみよう。
1855(安政元)年「日露(魯)通好条約」が結ばれた。
この条約で、両国の国境を択捉島とウルップ島の間に定め、ウルップ島より北につらなる千島列島はロシア領、択捉・国後・色丹・歯舞の四島は日本の領土、樺太については「どちらにも帰属しない、と定められた。
日露通好条約
1875年「樺太・千島交換条約」が結ばれ、樺太はロシア領、千島列島は日本領になった。
1905年、日露戦争の戦後処理である「ポーツマス条約」によって、樺太の南半分が日本領になった。
私は日露戦争は日本が勝ったと学習したが、実態は「限りなく引き分けに近い」ものだった。
Wikipedia:ポ-ツマス条約の記述は以下のようである。
日露戦争において終始優勢を保っていた日本は、日本海海戦戦勝後の1905年(明治38年)6月、これ以上の戦争継続が国力の面で限界であったことから、当時英仏列強に肩を並べるまでに成長し国際的権威を高めようとしていたアメリカ合衆国に対し「中立の友誼的斡旋」(外交文書)を申し入れた。米国に斡旋を依頼したのは、陸奥国一関藩(岩手県)出身の日本の駐米公使高平小五郎であり、以後、和平交渉の動きが加速化した。
講和会議は1905年8月に開かれた。当初ロシアは強硬姿勢を貫き「たかだか小さな戦闘において敗れただけであり、ロシアは負けてはいない。まだまだ継戦も辞さない」と主張していたため、交渉は暗礁に乗り上げていたが日本としてはこれ以上の戦争の継続は不可能であると判断しており、またこの調停を成功させたい米国はロシアに働きかけることで事態の収拾をはかった。結局、ロシアは満州および朝鮮からは撤兵し日本に樺太の南部を割譲するものの、戦争賠償金には一切応じないというロシア側の最低条件で交渉は締結した。半面、日本は困難な外交的取引を通じて辛うじて勝者としての体面を勝ち取った。
この条約によって日本は、満州南部の鉄道及び領地の租借権、大韓帝国に対する排他的指導権などを獲得したものの、軍事費として投じてきた国家予算4年分にあたる20億円を埋め合わせるための戦争賠償金を獲得することができなかった。そのため、条約締結直後には、戦時中の増税による耐乏生活を強いられてきた国民によって日比谷焼打事件などの暴動が起こった。
日比谷焼打事件が起きたのも、「日本が勝った」ということがミスリードした結果だろう。
そして1945年である。
8月6日:広島原爆投下
8月8日:ソ連対日宣戦布告
8月9日:長崎原爆投下
8月14日:ポツダム宣言受諾
8月15日:玉音放送
8月28日:択捉占拠
9月5日:ソ連が北方四島の編入を宣言
上記過程からすれば、ラブロフ外相が「第二次大戦の結果、南クリール諸島(四島)がロシア領になったことを日本が認めない限り、領土交渉の進展は期待できない」というのもムリがあるだろう。
少なくとも、歯舞、色丹は、降伏後の領有というべきだろう。
しかし日本は一貫して「北方領土(四島)は日本固有」を主張してきた。
東京新聞1月23日
しかし、岸信介元首相が日米安全保障条約を改定したことにより、米軍基地は日本国内のどこにでも置ける。
モスクワで行われた日ロ首脳会談でも特段の前進はなかったようである。
⇒2019年1月26日 (土) 日ロ領土問題の経緯と落としどころ/世界史の動向(73)
そういう前提で考えれば、容易にロシアが了解するとも思えない。
安倍首相は成果を得たいために前のめりであるが、国益を損なうような交渉であってはならない。
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