森下典子『日日是好日』/私撰アンソロジー(55)
掲出部分は、「まえがき」であるが、「お茶」が「わかる」過程のエッセンスといえよう。
「すぐにわからないもの」の典型例が「お茶」の世界とされているが、それは人生そのものとも考えられる。
森下典子さんは小5の時、親と一緒にフェリーニ監督の『道』を見た。
「ジェルソミーナのテーマ」には聞き覚えがあったが、内容は初めて見たも同然だった。
小5の時にはつまらなかった映画に、胸をかきむしられて、ボロボロ泣いた。
この間の「人生の時間」が彼女を成長させ、成熟させたのである。
その結果、感受性が変容したのである。
私は河上徹太郎の『私の詩と真実』講談社学芸文庫(0706)の一節を思い出す。
人は、その青春にあたって先ず情熱を注ぐことは、激しい自己鍛錬によって自分の感受性の形式を確定することである。そしてこの形式の独自性の中に、初めてその人の個性とか資質と呼ぶべきものが芽生えるのだという風に私は考えている。
激しい自己鍛錬かどうかは別として、人は「人生の時間」の中で、否応なく「自分の感受性の形式」を変容させて行く。
意識的に行われる場合「修行」である。
「お茶」の稽古も、継続して行えば「修行」であろう。
そこ結果、境地が変わり、見えるものが変わるのだ。
比喩的に言えば、高みに至り、俯瞰できるようになって見える視野が広がるのだ。
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