元号と改元と日本建国/やまとの謎(125)
1979年に制定・公布された「元号法」によって、「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める」とされた。
いわゆる「一世一元の制」の法制化であり、天皇が譲位される今年は改元の年でもある。
⇒2017年12月 3日 (日) 改元のスケジュール/日本の針路(356)
安倍晋三首相は4日、三重県伊勢市で年頭記者会見を開き、5月1日の新天皇即位に伴う改元について「国民生活への影響を最小限に抑える観点」から、4月1日に改元の政令を閣議決定した上で事前公表すると正式表明した。今の天皇陛下が政令に署名して公布する方針も示した。民間のシステム改修などを巡る混乱を避けるため、1カ月間の準備期間を設け、国民生活に配慮した。・・・・・・改元発表時期を巡っては、自民党内外の保守派は当初「明治以来の一世一元(天皇1人に元号は一つ)に反する」と事前公表に反発。その後、事前公表容認に転じたが、「天皇と元号の一体不可分性」を維持するため、政令に新天皇が署名して公布することを求めていた。首相は会見で「公布は通常の政令制定の手続きに従って行う」と明言した。
明治以前は、天皇の在位中にも災害など様々な理由によりしばしば改元が行なわれていたし、寛永や慶長のように、新たな天皇が即位しても、元号が変わらない場合もあった。
「民間のシステム改修などを巡る混乱を避けるため、1カ月間の準備期間を設け、国民生活に配慮」するならば、もっと早く決めるべきであろうが、保守派に配慮したということであろう。
このように、日本の伝統と技術・文明の進歩はしばしば矛盾する。
それを弥縫的にやりくりしてきたのが、まあ「日本の智慧」ということだろう。
憲法9条と自衛隊の関係も、論理で割り切れない部分があるが、今まで何とか弥縫的にやってきたのである。
その矛盾が大きくなって現実とどうしてもフィットしなくなった時、どうするか?
それはケースバイケースというしかない。
ところで、元号はいつから使われたのか?
天皇制を神武にまで遡らせて考えたい三原じゅん子議員らの認識においても、大化以前の元号について言及はしていないと思われる(良くは知らない)。
⇒2015年3月18日 (水) 確信的「無知」の「無恥」・三原じゅん子/人間の理解(10)
現在の歴史教科書では「乙巳の変」で孝徳天皇になって、「大化」の年号が使われたということになっている。
初期の年号については謎が多い。
たまたま書店で手にした日本の元号研究会編『日本の元号』池田書店(2018年12月)に以下の図がある。
うまり、最初の元号と次の元号はいずれも孝徳朝であって、次の改元は「朱鳥」である。
天武紀15年(686)7月のことで、その年の9月9日に天武は亡くなっている。
そして朱鳥には、「阿訶美苔利(アカミトリ)」と和訓されているが、年号に和訓は施されないのが通例である。
⇒2008年1月11日 (金) 「朱鳥」改元について
そして、「白雉」と「朱鳥」の間に、「白鳳」「朱雀」という謎の年号がある。
天皇紀で言えば、斉明、天智、弘文、天武であって、白村江の敗戦と壬申の乱という外・内の2つの戦争があって、日本列島が大きく変動した時代である。
この時期こそ、日本建国の本質があるのではないだろうか。
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