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2018年12月18日 (火)

敗者の戊辰戦争(5)土方歳三/幕末維新史(16)

幕末維新期において、新選組は武闘派のイメージが強い。
学校で教えられてきた「勝てば官軍」史観では、時代の動向を見通せないアナクロ集団と言えよう。
チャンバラ映画の主役ではあり得ても、時代を前進させるヒーローという感じはしない。
しかし、新選組の中でも、土方歳三や沖田総司の人気は根強い。

土方歳三の略歴を見てみよう。

幕末維新期の新選組副長,のちに箱館五稜郭政権の陸軍奉行並。名は義豊,俳号豊玉,別称を内藤隼人といった。武蔵国多摩郡石田村(東京都日野市石田)土方義諄の4男。生前に父を失い,6歳で母も失って兄喜六夫婦に育てられる。文久3(1863)年の上洛浪士組に参じ,近藤勇,沖田総司らと共に京都に残留し新選組副長となる。新選組の名を一夜にしてなさしめた池田屋騒動では,古高俊太郎の拷問で足の甲に五寸釘を打ちつけ,百目ろうそくを傷口に流し込んだといわれる。土方は法の番人的存在で局中法度を徹底的に貫き,山南敬助,河合耆三郎らを切腹に追い込むなど内部粛清に猛威を振るった。明治1年1月3日(1868年1月27日)の鳥羽・伏見の戦以後,新選組の戦闘指揮をとる。宇都宮,会津若松と転戦したのち榎本武揚らと五稜郭に渡り,翌年3月回天艦に搭乗して宮古湾の海戦に参じる。その後,箱館戦争の雌雄を決する激戦において壮烈な戦死を遂げた。<参考文献>釣洋一『新選組再掘記』
朝日日本歴史人物事典の解説

まさにクールな武の人と言えよう。
戊辰戦争の最終段階の箱館戦争において、五稜郭で壮烈な死を遂げたのである。
その意味で「時代の子」であり、明治期に生きたらどうであったかと思わざるを得ない。
Spa180918258
「SPA!」180918・25日号

日野市に土方歳三記念館がある。
Manganji

180314
朝日新聞3月14日

明治150年も終わろうとしている。
戊辰戦争の敗者を悼みたい。

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