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2018年11月 2日 (金)

稲田朋美筆頭副幹事長の無知/安部政権の命運(4)

自民党の稲田朋美筆頭副幹事長が29日の衆院本会議で、安倍晋三首相の所信表明演説に対する代表質問に立った。
代表質問は各党党首や三役らが臨むことが多く、異例の抜てきと言えよう。
稲田氏は昨年7月に陸上自衛隊部隊の日報問題で防衛相を引責辞任したが、今月の党役員人事で表舞台に復帰した。
安倍首相と思想信条が近く、「お気に入り」の1人である。

自身は、「憲法改正や外交・防衛で自分らしい質問ができた」と満足そうに語ったというが、その内容はどうだったのか?
「自衛隊を誰からも憲法違反と言わせない改正が急務だ」と訴えるなど、首相に対する質問というよりもエールであり、抜擢に応えようとするものであったと言えよう。
いわば八百長である。

しかし、聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって貴しとなす」を引用して「民主主義の基本は日本古来の伝統」などと主張したのは、無知というより他にない。3
もちろん、1400年前の日本には民主主義という考えなどありようもなかった。
十七条憲法も、大王に仕える者の心得・服務規程のような性格のものだと見るべきである。
「憲法」という言葉だけで、今の「憲法」と同じように考えることは間違いである。

安倍首相は、10月26日の「日中第三国市場協力フォーラム」で次のようにスピーチした。

 日本と中国は、1,000年以上の長い間、お互いに影響を与え合ってきました。5世紀、日本に、初めての文字である漢字がもたらされました。6世紀に伝来した仏教は、日本人の考え方に大きな影響を与えています。そして8世紀に遣隋使(けんずいし)・遣唐使を通じて、中国の社会制度や、都市のつくり方を学びました。中国は、長きにわたり、日本のお手本でした。
 今も、日本の高校生は、日本の国語として、漢文、すなわち中国の古典を勉強しています。御来場の皆様にも、学生時代大変苦しい思いをした方がたくさんおられるのではないかと思います。でも、漢文の奥深さは日本語を豊かにしており、私自身、今でも漢文から学ぶことは多いと感じています。
 19世紀になると、日本人が西洋の技術を取り入れ、中国が作った漢字を使って、西洋の思想を翻訳しました。哲学、経済など、その時につくられた新しい単語は、中国に逆輸入され、今でも、中国語として使われています。
 1980年代、中国に、いち早く支援を始めたのが日本です。日本の政府と企業が投資を行い、中国の皆さんと共に近代化を進めてきました。現在の発展した中国を見ることができるのは、日本人としての誇りでもあります。
 そして今、発展した中国と日本が、ついに、共に世界に貢献する時代がやってきました。

首相自身がどこまでホンネでそう思っているかは疑問であるが、歴史認識としては概略正当であろう。
聖徳太子は、6世紀の後半から7世紀前半に存在したとされてきた人物であり、まさに首相のスピーチの「6世紀に伝来した仏教は、日本人の考え方に大きな影響を与えています。」の代表者とも言える。
多くの日本人は「蘇我VS物部」の「崇仏-拝仏」の争いの中で、崇仏派として登場する聖徳太子像を教えられたのではないだろうか。

ところが、このような聖徳太子像に大きな疑問がつけられ、歴史観の変革を迫られていることは良く知られている。
『世界一受けたい授業』で知られる河合敦・多摩大学客員教授の解説を引こう。
「聖徳太子は、推古天皇の摂政として冠位十二階、十七条の憲法を制定し、遣隋使の小野妹子を派遣した」
・・・・・・
みなさん、これらの文章を読んでどう感じましたか。懐かしいなあ。そうそう、昔一生懸命憶えたよ。…そんな感想を持った読者も多いかも知れません。
もしもあなたが、この文章に何の違和感もおぼえないとしたら、あなたが学校で学んだ歴史は、もう時代遅れと言わざるをえません。
・・・・・・
たとえば聖徳太子の肖像。40代以上の方なら、昔の一万円札を思い浮かべる人も多いでしょう。ところが、あの太子の肖像は、今の高校の日本史教科書からは消えてしまっているんです。なぜでしょうか?
それはあの肖像が、「太子を描いたものではない」という説が強くなっているからです。あの肖像は法隆寺の『唐本御影(聖徳太子三尊像)』(現・宮内庁所蔵)ですが、これが描かれたのは少なくても太子の没後100年以上経った8世紀半と思われ、太子を描いたという明確な証拠はないのです。
さらに驚くべきは「聖徳太子はいなかった」という説も有力になってきました。研究者の大山誠一氏が「推古天皇の時代に厩戸という皇子はいたが、有力な皇子の一人に過ぎず、政治を主導したわけでもないし、聖徳太子の名で呼ばれたこともない。太子の業績は『日本書紀』で創作だ」といった研究成果を発表したのが発端です。この説は学界で定着しはじめ、その結果、いまの教科書では、次のように記されています。
「推古天皇が新たに即位し、国際的緊張のもとで蘇我馬子や推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた。603年には冠位十二階、翌604年には憲法十七条が定められた」(2012年検定済『詳説日本史B』山川出版社)
自国の歴史を誇るのは良いだろう。
しかし正しい歴史認識に基づかないと、歴史修正主義に陥ることになる。

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