火山リスクと伊方原発稼働/技術論と文明論(112)
火山の巨大噴火リスクを考慮した画期的な判断だった。
⇒2017年12月14日 (木) 伊方原発に高裁が停止命令/技術論と文明論(82)
ところが、四国電力による異議申し立てを認め、9月26日、仮処分決定が取り消された。
また大分地裁は9月28日、対岸の大分県の住民4人が運転差し止めを求めた仮処分の申し立てを却下した。
火山リスクに対するはどう判断するべきだろうか?
広島高裁は四電の異議申し立てを認めた理由を次のように説明している。
差し止めの理由とした阿蘇カルデラ(阿蘇山、熊本県)の破局的噴火について社会通念上、想定する必要がなく、立地は不適でないと判断した。
・・・・・・
高裁段階で初めて示された原発差し止め判断が約9カ月で覆り、3号機は法的に運転可能な状態となった。住民側は他の訴訟への影響などを考慮し、最高裁への特別抗告はしない方針。
三木裁判長は、差し止めの仮処分決定が重視した原子力規制委員会の手引書「火山影響評価ガイド」について「噴火の時期や程度が相当程度の正確さで予測できるとしていることを前提としており不合理」と批判。
その上で、日本では1万年に1度程度とされる「破局的噴火」について、発生頻度は著しく小さく、国が具体的対策を策定しようという動きも認められない。国民の大多数はそのことを格別に問題にしていない」と指摘。「破局的噴火が伊方原発の運用期間中に発生する可能性が相応の根拠をもって示されているとは認められない」とした。
伊方原発3号機、再稼働可能に 四電異議認める
「阿蘇カルデラ(阿蘇山、熊本県)の破局的噴火について社会通念上、想定する必要がな」いだろうか?
自然災害についての社会通念をどう考えるか?
特に今年は様々な自然災害が日本列島を襲い、多くの犠牲者が出ている。
社会通念が有効に機能しているならば、犠牲は局限されていただろう。
西南日本の縄文社会を壊滅させ、三内丸山に遷したとも言われる「鬼界カルデラ噴火」の例もある。
⇒2016年9月 6日 (火) 縄文の西南日本を壊滅させた鬼界カルデラ大噴火/技術論と文明論(64)
⇒2016年9月17日 (土) 三内丸山遺跡の出現と鬼界カルデラ噴火/技術論と文明論(67)
鬼界カルデラ噴火については仮説の要素もあるが、説明力は高い。
考慮すべき要素と考える。
例によって政府のスポークスマン高橋洋一氏がしゃしゃり出て次のように解説している。
伊方原発はもったとしてもあとせいぜい40年である。その40年の間に、阿蘇の破局的噴火が起こる確率を考えてみたらいい。
筆者は、この問題をニッポン放送のラジオ番組で解説した。破局的噴火はだいたい1万年に1回であるが、ちょっと考えにくいので、隕石の地球の突入で人が死ぬ確率を考えてみた。大雑把であるが、隕石事故は100年に1回くらいはあるとしよう。ラジオ放送中に、筆者が隕石によって死ぬリスクは確かにゼロではなく、ある。そのリスクがあるから、今ラジオ放送を中止したらどうなるのか、とラジオ放送で言った。そのくらい、阿蘇の破局的噴火を運転差し止めの理由にするのは馬鹿馬鹿しいことだ。
阿蘇の破局的噴火で、四国の伊方原発を気にするくらいなら、九州は人が住めないだろう。だからといって、今九州への居住禁止にするのだろうか。四国の伊方原発が火砕流に巻き込まれるなら、川内原発や玄海原発も同様である。もっとも、そのときには残念ながら九州には人は住めないだろうから、原発対策をしても意味がないという笑い話にもなる。
原発めぐる「火山リスク」 見直すべき「これだけの理由」
相変わらずトンマな見解を堂々と開陳しているが、ゼロリスクを要求しているわけではないことは当然である。
故武谷三男氏は『安全性の考え方』で次のように述べている。
裁判は“疑わしきは罰せず”だが、安全の問題は“疑わしきは罰しなくてはならない”ということだ.公共・公衆の安全を守るためには“安全が証明されなければやってはならない”のであって、危険が証明されたときには、すでにアウトになっているのである。
⇒2012年7月25日 (水) 政府事故調の報告書/原発事故の真相(41)
原判決は、伊方原発から約130キロ離れた阿蘇山など火山の影響を重視し、現在の科学的知見によれば「阿蘇山の活動可能性が十分小さいかどうかを判断できる証拠はない」とした。
原子力規制委員会の審査内規に沿い、160キロ先に火砕流が到達した約9万年前の過去最大の噴火の規模を検討した上で、「約130キロ離れた阿蘇カルデラで約9万年前に起きた破局的噴火を根拠に、火砕流が到達する可能性がある伊方原発を「立地不適」と断じた」のだ。
火山列島日本日本に原発適地があるのだろうか?
⇒2016年10月 9日 (日):巨大噴火リスクにどう備えるか/技術論と文明論(77)
⇒2016年4月15日 (金):熊本の地震と『死都日本』のメッセージ/技術論と文明論(48)
われわれは自然に対してもっと謙虚に向き合うべきだろう。
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