日航機墜落事故から33年/技術論と文明論(108)
8月には「鎮魂」のイメージが拭えない。
お盆があり、無辜の人間の無差別殺戮というべき原爆投下、敗戦の玉音放送などのためである。
1985年8月12日の日航機墜落事故もイメージを増幅している。
犠牲者520人という、世界の航空史上単独機としては最悪の事故であるが、33年という歳月はやはり長いというべきであろう。
ほぼ一世代にあたる時間である。
東京新聞8月12日
子供たちとキャンプに出かけ、家に着く直前のクルマの中で、ラジオで聞いた。
「羽田発伊丹行きのJAL123便が18時56分頃、静岡上空で消息を絶っている模様――」
後に、歌手の坂本九やハウス食品の浦上郁夫社長などの著名人が搭乗していたことが分かった。
後年のことではあるが、原田眞人監督の映画『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫原作)の迫力あるシーンも印象に残っている。
衝撃的な事故であったことは間違いないが、事故原因は解明されているのか?
1987年(昭和62年)6月19日、運輸省事故調査委員会は事故調査報告書を公表した。
Wikipediaによれば、報告書の事故の推定原因は大要以下の通りである。
事故機の後部圧力隔壁が損壊し、その損壊部分から客室内の空気が機体後部に流出したことによって、機体尾部と垂直尾翼の破壊が起こった。さらに、4系統ある油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出し、操縦機能の喪失が起こった。
圧力隔壁の損壊は、隔壁の接続部の金属疲労によって発生した亀裂により、隔壁の強度が低下し、飛行中の与圧に耐えられなくなったために生じたと推定される。
この亀裂の発生は、1978年に起きた同機の「しりもち事故」の際に、米国ボーイング社による修理が不適切なものであったことに起因する。また、点検でこれらの異常を発見できなかったことも事故原因に関与したと思われる。
ところが、事故についてまったく別の見方もある。
日航ジャンボ123便は、8月12日18時12分に、羽田を離陸した。
離陸後、順調に飛行を続け、18時24分には、大島上空を通過し、相模湾上空に差し掛かっていた。このとき、大きな衝撃音がして、機体に異常が発生した。
このときの模様を、123便の生存者で、日本航空CAを務めていた、落合由美氏が、次のように証言している。
3)水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がした!
「そろそろ、水平飛行に移るかなというとき、「パ-ン」という、かなり大きい音がしました。
テレビ・ドラマなどで、ピストルを撃ったときに、響くような音です。
「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。
急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音だった。
前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」
「「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが、出ました。
かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」
「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような、空気の流れは感じませんでした。すっと消えた、という感じだったのです。」
「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れは、ほとんど感じませんでした。
しかし、何が起きたのだろうと、私は、酸素マスクをしながら、きょろきょろ、あたりを見まわしていました。
4)私の座席からは、ベントホールは、 見えない位置にあり、確認できない!
あとになって、8月14日に公表された、いわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からは、ベントホールは、見えない位置にあります。ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。」
18時24分に衝撃があり、機体に異常が発生して、結局、18時56分、123便は、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に、墜落した。
捜索隊が、墜落現場を確認したのは、墜落から10時間が経過した、8月13日午前8時半ころとされている。
・・・・・・
日航ジャンボ機は、ミサイルによって尾翼を失い、調布に緊急着陸しようとしたが、事実関係の発覚を回避するために着陸が阻止され、群馬県山腹に誘導された疑いがある。
米軍は墜落直後に墜落地点を確認したが、迅速な救援活動を行わなかった。
32年の年月が経過しているが、真相は明らかにされていない。
日航機墜落事故には、マスコミ報道 と全く異なる真実が見えてくる! ミサイルで撃墜!
まさかとは思うが、未だ全容が解明されたとは言えないのも事実であろう。
事故の取材にあたった記者がまとめた、北村行孝、鶴岡憲一『日航機事故の謎は解けたか 御巣鷹山墜落事故の全貌』花伝社(2015年8月)なども同様の立場である。
事故調査の際の供述書が明らかにされたのを機会に、より深い検証がなされることを期待したい。
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