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2018年8月20日 (月)

モリカケ疑惑の源流としてのノモンハン事件/メルトダウン日本(13)

8月15日に放映されたNHKスペシャル『ノモンハン 責任なき戦い』は久しぶりにNHKの良識を感じる見応えのある内容だった。
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多くの人が感じたようだが、安倍政治批判そのものだったと言えよう。
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NHKの中の良心的部分のささやかかも知れないが、無責任性という宿痾を抉った。
それはアベ政治そのものでもある。
例えば、事件に大きな責任を持つ辻政信少佐や服部卓四郎作戦主任参謀は、作戦が失敗しても責任を問われなかった。
船戸与一の畢生の力作『満州国演義六大地の牙』新潮文庫(2016年2月)に以下のような記述がある。
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もちろんフィクションではあるが、辻、片倉、石原、服部、板垣等は実在の軍人である。
いや書きあり得たであろう当時の雰囲気の一面である。
「モリカケ疑惑」とそっくりな構造である。
日本では戦争責任の追及が不徹底のままである。

武井昭夫と吉本隆明が『文学者の戦争責任』淡路書房(1956年)において、新しい視点を提示してからでも62年が過ぎた。
しかしながら、今なお徹底されているとは言い難い。
それを解く鍵の1つが岸信介の存在ではなかろうか?

戦争責任は以下の各過程に分けて考えられる。
1.戦争前史
2.開戦
3.戦争遂行
4.終戦
5.戦後

岸信介は、開戦時の商工大臣であった。
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なぜ岸信介は「A級戦犯」として起訴されなかったのか

戦争前史の岸はどうだったか。
Wikipediaの記述を引用する。

1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、山口県出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。
この頃から、岸はどこからともなく政治資金を調達するようになった。その後、満州から去る際に「政治資金は濾過機を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過機が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから関わり合いにならない。政治資金で汚職問題を起こすのは濾過が不十分だからです」という言葉を残している。

上記からも分かるように十分にA級戦犯の資格がある人物である。
ところが何故か訴追を免れ、釈放される。
その後東西冷戦という状況の中で公職追放も解かれ、政界に復帰して1957年2月には、病に倒れた石橋湛山の後を継いで内閣総理大臣になった。
日米安保条約の改定に政治生命を賭けたことは良く知られている。

岸がなぜA級戦犯を免れたかについては、戦後史の1つの謎であるが、収監中にCIAのエージェントになるという密約ができたというのが有力説である。
2014年3月24日 (月) 安倍晋三と岸信介/「同じ」と「違う」(68) 
2009年4月30日 (木) M資金とCIA 
2009年2月10日 (火) 岸信介と児玉誉士夫
2018年8月 7日 (火) 核兵器禁止条約に参加を拒む安倍首相/技術論と文明論(106)

岸信介=CIAエージェント説は確立されているわけではないが、整合的な解釈のための有効な仮説のように思える。

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