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2018年7月 5日 (木)

9条をカタキ視する「忖度」/ABEXIT(66)

国会でゾッとするような事件が起こった。
なんと、「9」とプリントされたTシャツを着た女性の国会傍聴を、参院警務部が制止したというのだ。
1807032
東京新聞7月3日

彼女は以下のようにツイートしている。
Photo
紫野さんが「1だったらいいですか」と質問すると、この職員は「1だったら大丈夫」と述べたという。
政治的なメッセージが、時や場所によって制限されることはあるだろう。
しかし「1はいいが9はダメ」というのは幼稚すぎないか。

さらに、東京新聞が参院警務部を取材したところ、サッカー日本代表・岡崎慎司選手の背番号「9」が入ったレプリカユニフォームの場合は「制止しない」し、九条ネギや「銀河鉄道999」のTシャツの場合も「政治的メッセージは含まれておらず、入場は拒まない」と回答している。
「憲法9条」が目のカタキにされているのだ。
しかし、「憲法99条」の憲法遵守義務がある。

 日本国憲法は、天皇・摂政、国務大臣・国会議員・裁判官その他の公務員に、「憲法を尊重し擁護する義務 obligation to respect and uphold this Constitution 」を課している(第99条)。憲法制定者である国民が、天皇や公務員に憲法尊重擁護義務を課しているのである。憲法制定者である国民は、憲法遵守義務を課せられる対象ではない。

参議院の係員には、当然憲法遵守義務があるはずだ。
 第99条にいう「この憲法」とは、日本国憲法の全体をさすのであり、自然権思想や社会契約論という日本国憲法の基幹をなす論理、ならびにそれを前提する具体的条文を度外視して、ただたんに憲法をほかのあらゆる法律のうえにたつ「最高法規」ととらえたうえで、「最高法規」であるから「尊重擁護」義務があるのだ、と解釈してはならない。
 この誤った解釈だと、「立憲主義的」憲法でない、たとえば大日本帝国憲法のように自然権や社会契約論を前提としない「憲法」に対する絶対的服従義務としての「尊重擁護義務」との区別がつかなくなる。

こういう観点からすると、主権者である国民の行動を制約する参議院係員の行動はおかしいと言わざるを得ない。
安倍首相をはじめとする9条改憲主義者に対する「忖度」であろう。
私には、さいたま市公民館が、「9条デモ」を詠んだ俳句を、月報に不掲載にしたことが思い出される。
2014年7月31日 (木) 「九条俳句」とさいたま市教育長批判/日本の針路(16)
⇒2014年7月 5日 (土) さいたま公民館の俳句掲載拒否と新興俳句事件/日本の針路(4)

過剰な「忖度」が国を亡ぼすことは、現代史の教えるところではないのだろうか。

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