琉球処分/幕末維新史(7)
名護市長選で、普天間基地の辺野古移設を進める安倍晋三政権が推した新人で元市議の渡具知武豊氏が、移設に反対する翁長雄志知事が支援した現職の稲嶺進氏の3選を阻み、初当選した。
安倍首相は、辺野古移設推進の民意が示されたと、移転に前のめりであるが、当の渡具知氏は、選挙結果が辺野古新基地建設に対する名護市民の容認の意思を示すかどうかについて、「そうとは思っていない。私は容認ということで選挙に臨んでいない」とした。
早急に移転を進めることになれば「琉球処分」に遡って問題になるだろう。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説を引用する。
1879年(明治12)に明治政府の手で行われた沖縄の廃藩置県のことで、これにより琉球王国は崩壊し沖縄県が設置された。なお後述のように、1872年の琉球藩設置から80年の中国(清(しん)国)と明治政府の外交問題である分島問題までの一連の過程(いわゆる琉球帰属問題)をさして広義に使う場合もある。
・・・・・・
前述したような背景・経過をもつ琉球処分とはいったいなんだったのか、第二次世界大戦前から多くの研究者がさまざまな評価を行っている。大づかみに整理すると、〔1〕日本における近代国家形成時の民族統一の一環として積極的に評価する見解、〔2〕民族統一の一環である点は疑いないが、統一の過程に現れた強権的・国家的側面を同時に重視すべきだとする見解、〔3〕民族統一というよりも侵略的な併合とみるべきではないかとする見解、に大別される。しかし〔1〕~〔3〕の見解内部でも論者によりニュアンスが異なるなど、評価はかならずしも一致していない。そのことは、民族統一であったはずの沖縄の廃藩置県の直後に、分島問題が惹起(じゃっき)した点に象徴されるように、もっぱら明治政府の都合により処分が推進され、琉球住民の意向を十分にくみ取ることなく、他律的な形で実施されたことが、評価をむずかしくさせているからである。琉球処分のこうした性格に絡んで、第二次世界大戦後、とくに1972年(昭和47)前後の沖縄返還問題をめぐる日本国政府の沖縄施策を批判する際に、「第二の琉球処分」という用語も登場したほどである。
沖縄に対する政権の対応を見ていると、確かに「新しい琉球処分」ではないかと思うことが多い。
沖縄に「琉球処分は不当だった」という感情・世論が存在する。
琉球新報2014年7月11日
琉球処分をどう評価するか。
民族統一の一環であったことは事実だとしても、武力を背景として強圧的になされたことも事実である。
警視庁の機動隊まで動員して、反対運動を排除する様子が放映されているが、前近代的な手法と言わざるを得ないだろう。
名護市長選のウラで何が行われていたのか、注視する必要がある。
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