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2018年1月21日 (日)

小学校上空の米軍ヘリ/永続敗戦の構造(14)

昨年12月に、市立普天間第二小学校の校庭に米軍大型ヘリコプターが窓を落下させるという事件が起きた。
すると、同校や宜野湾市教育委員会に「やらせだろ」「基地のおかげで経済発展しているじゃないか」などの誹謗中傷の電話が相次いだ。
これが一部の「愛国的」日本国民の姿である。

 市教委に「なぜこんな場所に学校を造ったのか。造った教育委員会の責任だ」との電話があり「(移転先の)土地がない」と返答すると「住宅地をつぶせ」と返ってきたという。
 普天間第二小は1969年4月、普天間小の児童増加に伴い分離して開校した。
 一方、普天間飛行場は沖縄戦の最中に建設され、当時は航空機の離着陸は少なかった。運用が過密になったきっかけは69年11月、山口県岩国基地を拠点としていた米海兵隊のヘリ部隊が普天間に移ってきたことだ。
 小学校移転計画も浮上したが、用地の問題などから断念した経緯がある。市教委は「宜野湾市のどこに移転したら安全だというのか。どこにいても事故は起こり得る」と指摘した。
被害校に誹謗中傷の電話 宜野湾市教委にも /沖縄

18日にも、同校上空を米軍ヘリコプター3機が飛行した。
同小に設置した4台の監視カメラの映像という証拠もある。
にもかかわらず、米軍は操縦士の証言やレーダーの航跡を根拠に「ヘリの操縦士らは学校の位置を把握し、避けて飛行した」と主張している。

 沖縄の怒りが激しいのは、米軍の振る舞いに苦悩させられるのが今に始まったわけではなく、常態化してしまっているからだ。日米両政府は1996年、米軍機の騒音軽減を目的に普天間飛行場(宜野湾市)と嘉手納基地(嘉手納町など)での午後10時~午前6時の飛行を制限する航空機騒音規制措置に合意。だが、実際には米軍は早朝、夜間の飛行を繰り返しており、合意は形骸化している。
 12年10月のオスプレイ配備の時も、日米両政府は飛行について「学校や病院を含む人口密集地域の上空をできる限り避ける」などとする運用ルールで合意したと強調したが、配備直後からルール違反とみられる飛行が相次いで目撃された。米軍の「約束」破りに沖縄側は煮え湯を飲まされてきている。日本政府は米側に改善を実行させられず、翁長知事が事件や事故の度に「日本政府には当事者能力がない」と批判するのもこうした実態があるからだ。
 今回は子供たちが過ごす学校を巡るトラブルだけに、県民の怒りはとりわけ強い。翁長知事は19日の記者会見で「沖縄防衛局は毅然(きぜん)とした対応をしてほしい」と注文した。
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小学校上空か否か 米否定に政府困惑

折しも名護市長選というタイミングで、何としても翁長雄志知事の再選阻止に全力を挙げる安倍政権は、なりふり構わぬ選挙戦を展開しているところである。
小野寺防衛相や菅官房長官も、沖縄側に立つ発言をしているが、「選挙にらみ」の政権の思惑では真の解決は望めまい。

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