ケセン語訳『石川啄木のうた』/私撰アンソロジー(51)
新井高子編著『東北おんば訳 石川啄木のうた』未来社(2017年9月)
帯に、俵万智さんが書いている。
訳というのは、単なる言葉の置き換えではない、心の共有なのだと感じました。
啄木の心を、おんばの声で聞くとき、東北の強さ、深さ、自在さが伝わってきます。
この言葉を見て、米原万里さんの『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』新潮文庫(1997年12月)を思い出した。
翻訳とか通訳の場合、次のような分類軸を考えてみる。
不実-貞淑:原文への忠実性
美女-醜女:言語的な美醜
翻訳された言葉の評価を考えた場合、不実な美女が好ましいか貞淑な醜女が好ましいか。
「貞淑な美女」が好ましいのは当然であろうが、この2軸は独立的なので、不実な美女を選ぶか貞淑な醜女を選ぶか、ということが現実にはあり得る。
米原さんは、実務的なケースでは貞淑性が、雰囲気を重視するなら美醜が大事としていたと思う。
ところで、冒頭の啄木の「東海の小島の磯の・・・」の歌に関し、西脇巽『石川啄木 東海歌の謎』同時代社(2004年1月)は、「東海とは何処か」を問うている。
そんな設問を考えてもみなかったが、東海という言葉でまず頭に浮かぶのは、東海道という場合の「東海」であろう。
しかし年譜を見ても啄木と東海地域との係わりは特にない。
啄木の娘婿・石川正雄は、原歌は「北海」だったが、推敲して「東海」にしたという。
「北海」であればすっきりするように思うが、その分象徴性は薄くなるように思う。
啄木が小説家を目指していた明治末葉は、近代の書き言葉がようやく確立されようとしていた時期である。
二葉亭四迷らの「言文一致運動」が、夏目漱石らの文学作品として結実しつつあった。
岩手県生まれの啄木は、少なくとも子供の時期は方言で話をしていたであろう。
それが、標準語で小説を書くのであるから、執筆はストレスフルであった可能性が高い。
まして小説に対する世評は余り芳しくなかったのだから。
そんな啄木にとって、東北の玄関口であった上野駅で「ふるさとの訛」のある言葉を聞くことは大きな慰謝であっただろう。
明治29年、三陸海岸を大津波が襲った。
盛岡中学時代に啄木は初めての「海の旅」として三陸海岸を訪れ、生々しい爪痕が残っているのを見た。
それが多感な少年に強い衝撃を与え、一種の原体験となったであろうことは想像に難くない。
そんな経緯を考えると、「東海」の歌には三陸海岸の記憶が刻印されているような気がするが・・・。
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コメント
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投稿: erikazh11 | 2017年12月24日 (日) 21時50分