伊都国の位置論(3)/やまとの謎(120)
もちろん、伊都国を「魏志倭人伝」に書かれているように、末蘆国の東南に読んで考える人たちもいる。
魏志倭人伝の記述によれば、
「末廬国(長崎県唐津市付近)から東南に500里」
だそうです。通説に従うと「1里=約80m」らしいので、「500里=約40km」です。
するとどこに辿り着くでしょうか。何と佐賀市、小城市付近なのです。
あの有名な吉野ヶ里遺跡のある、佐賀平野。・・・・
なんとなく、納得出来ると思いませんか!?
となると、奴国と不弥国も自ずと判ります。
魏志倭人伝の記述によると、伊都国の東南100里(約8km)に奴国、さらにその東100里(約8km)に不弥国があるそうです。
つまり、佐賀市東方から鳥栖、久留米、筑後、八女のどこか・・・・ではないでしょうか。おそらく筑後川流域でしょうね。
・・・・・・
「都市は水量豊富な大河の注ぐ、肥沃な平野において発展する」
という歴史の法則があります。
魏志倭人伝の記述から、伊都国は倭の重要拠点であることが読み取れます。比定地佐賀は現在でこそ、某お笑い芸人のネタになるような田舎(失礼)ですが、確かに歴史の法則に適っています。
氷解!! 魏志倭人伝の謎 - 南へ水行20日は「薩摩」
邪馬台国を宮崎に比定するのは多数説ではないが、自然科学的発想のアプローチをしている『日本古代史を科学する 』PHP新書(2012年2月)の中田力氏も宮崎平野節であった。
⇒2012年11月20日 (火):「邪馬台国=西都」説/オーソドックスなアプローチ
やはり伊都国を「魏志倭人伝」の記述に忠実に、東南の方角に比定している。
中田説では、佐賀平野は現在より後退した位置にあり、有明湾の海岸線は現在より内陸側にあったとしている。
これらの説は合理的であり、定説が「伊都国=糸島半島」としたことが、解決がないような混迷に陥った原因ではないかと思える。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 藤井太洋『東京の子』/私撰アンソロジー(56)(2019.04.07)
- 内閣の番犬・横畠内閣法制局長官/人間の理解(24)(2019.03.13)
- 日本文学への深い愛・ドナルドキーン/追悼(138)(2019.02.24)
- 秀才かつクリエイティブ・堺屋太一/追悼(137)(2019.02.11)
- 自然と命の画家・堀文子/追悼(136)(2019.02.09)
「思考技術」カテゴリの記事
- 際立つNHKの阿諛追従/安部政権の命運(93)(2019.03.16)
- 安倍トモ百田尚樹の『日本国紀』/安部政権の命運(95)(2019.03.18)
- 平成史の汚点としての森友事件/安部政権の命運(92)(2019.03.15)
- 横畠内閣法制局長官の不遜/安部政権の命運(91)(2019.03.12)
- 安倍首相の「法の支配」認識/安部政権の命運(89)(2019.03.10)
「やまとの謎」カテゴリの記事
- 元号と改元と日本建国/やまとの謎(125)(2019.01.10)
- どんどん焼き・左義長/やまとの謎(124)(2019.01.07)
- 今上天皇在位最後の誕生日/やまとの謎(123)(2018.12.23)
- 沼津市が「高尾山古墳」保存の最終案/やまとの謎(122)(2017.12.24)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント