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2017年11月26日 (日)

伊都国の位置論(3)/やまとの謎(120)

もちろん、伊都国を「魏志倭人伝」に書かれているように、末蘆国の東南に読んで考える人たちもいる。

魏志倭人伝の記述によれば、
「末廬国(長崎県唐津市付近)から東南に500里」
だそうです。通説に従うと「1里=約80m」らしいので、「500里=約40km」です。 
するとどこに辿り着くでしょうか。何と佐賀市、小城市付近なのです。
あの有名な吉野ヶ里遺跡のある、佐賀平野。・・・・
なんとなく、納得出来ると思いませんか!?
となると、奴国と不弥国も自ずと判ります。 
魏志倭人伝の記述によると、伊都国の東南100里(約8km)に奴国、さらにその東100里(約8km)に不弥国があるそうです。
つまり、佐賀市東方から鳥栖、久留米、筑後、八女のどこか・・・・ではないでしょうか。おそらく筑後川流域でしょうね。
・・・・・・
「都市は水量豊富な大河の注ぐ、肥沃な平野において発展する」
という歴史の法則があります。
魏志倭人伝の記述から、伊都国は倭の重要拠点であることが読み取れます。比定地佐賀は現在でこそ、某お笑い芸人のネタになるような田舎(失礼)ですが、確かに歴史の法則に適っています。
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氷解!! 魏志倭人伝の謎 - 南へ水行20日は「薩摩」

邪馬台国を宮崎に比定するのは多数説ではないが、自然科学的発想のアプローチをしている『日本古代史を科学する  』PHP新書(2012年2月)の中田力氏も宮崎平野節であった。
⇒2012年11月20日 (火):「邪馬台国=西都」説/オーソドックスなアプローチ

やはり伊都国を「魏志倭人伝」の記述に忠実に、東南の方角に比定している。
Photo_11

中田説では、佐賀平野は現在より後退した位置にあり、有明湾の海岸線は現在より内陸側にあったとしている。
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これらの説は合理的であり、定説が「伊都国=糸島半島」としたことが、解決がないような混迷に陥った原因ではないかと思える。

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