親安倍イデオローグ(1)三浦瑠麗/アベノポリシーの危うさ(295)
サイトのバックナンバーを見ると、8月11日放映だったようである。
つけっぱなしで寝てしまったTVで、目が覚めると「朝まで生テレビ」をやっていた。
途中から視聴したが、相変わらず田原総一朗氏の耄碌ぶりが気になった。
⇒2016年1月17日 (日):いかさま経済政策の破綻(続)/アベノミクスの危うさ(68)
視覚的に目立つのは、やはり和服姿で出演している三浦瑠麗氏であろう。
Wikipediaでは、「朝生」出演に関連して以下にように記されている。
2015年から『ニッポンのジレンマ』『朝まで生テレビ!』の出演をきっかけに討論番組への出演が急増。議論について三浦は「日本に存在する『ハイ論破!』という文化は有害」「はい論破!という雰囲気が左右両方にあるのはわるいこと。論破なんかできるわけがない。自分の議論を示しつつ相手の議論の不備や死角を指摘できるだけ。昔は保守はそれがわかってて閉じこもりリベラルの方が教化を目指してたけど、最近両方憎しみで目が曇ってる感あり」「官僚が使う言葉を借りれば『議論するときは同期』という姿勢こそが正しい」と述べている。また、自身の学者としての姿勢については「自分の仮説が間違っていたらそれが如何に不都合でも直している。それをやらないと学問も人のためじゃなくて自分のためになってしまう」「自分と似ている人だけではなく、自分と似ていない人も愛せる人でないとリベラルの資格は無い」としている。
上記に書かれた限りでは、姿勢に異論はない。
しかし、番組における発言には違和感があった。
と感じていたところ、8月12日の東京新聞の「考える広場」らんの『気分はもう戦前? 今の日本の空気』に登場していた。
「全否定は過去見誤る」というタイトルはその通りだろう。
しかしその内容については、「おやっ?」と言うべきだろう。
三浦氏は、「人権を極端に抑圧した総動員体制」は、1943~45年の2年間だけだという。
総動員体制とは何か?
Wikipediaから引用しよう。
国家総動員法(こっかそうどういんほう)は、1938年(昭和13年)第1次近衛内閣によって第73帝国議会に提出され、制定された法律。総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。
つまり総動員体制は、1938年頃に始まる。
しかし人権抑圧はそれ以前に既に行われていた。
小林多喜二が築地警察署で拷問を受け、死亡したのは1933年2月20日のことであったし、治安維持法の適用で有名な「3・15事件」は1928年である。
新興俳句運動などに治安維持法の適用が拡大したのが1940年だった。
⇒2007年10月26日 (金):新興俳句弾圧事件…①全体像
決して「1943~45年の2年間だけ」ではない。
三浦氏の言葉を借りれば、氏の「思い描く「戦前」のイメージに不安を覚え」るのは私だけではないだろう。
こういう人が、メディアで知識人として扱われているのだ。
小池都知事が関東大震災時における「朝鮮人虐殺」の追悼文を寄せなかったことと、同じような匂いを感ずる。
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