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2017年8月31日 (木)

赤い背中の告発・谷口稜曄/追悼(110)

長崎への原爆投下から72年が過ぎた。 
⇒2017年8月 9日 (水):『母と暮らせば』と『シン・ゴジラ』/戦後史断章(27)

この原爆で焼けただれた自身の「赤い背中」の写真を掲げて核兵器廃絶を訴え続けた人がいた。
日本の被爆者運動をリードした日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員で、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)会長の谷口稜曄氏だ。
谷口氏が31日、十二指腸乳頭部がんのため長崎市内の病院で死去した。
88歳だった。

170831_2
東京8月31日

日本政府は核兵器禁止条約に参加しない姿勢をとったままだ。
私には、ヒロシマ、ナガサキの被爆者への裏切りのように思える。
⇒2017年8月 6日 (日):今こそ、主導して核兵器禁止を前に進めるべきだ/日本の針路(325)

 郵便局員だった16歳の時、長崎の爆心地から1・8キロの住吉町で、自転車に乗って配達中に被爆。熱線で背中に大やけどを負い生死をさまよい、激痛と苦しみのあまり「殺してくれ」と叫んだ。うつぶせのまま過ごした1年9カ月を含め、入院生活は3年7カ月に及び、奇跡的に一命を取り留めた。その後、被爆者運動の立ち上げに加わり長崎被災協には1956年の発足時から参加、2006年から会長を務めた。10年には被団協の代表委員に就任。08年度から8月9日に長崎市長が読み上げる長崎平和宣言の起草委員を務めていた。
 被爆地を訪れる修学旅行生に被爆体験を精力的に語ったほか、核兵器の恐ろしさを世界に知ってもらうため海外に25回渡航。大やけどを負った背中の写真を掲げ核廃絶を訴えた。10年には米ニューヨークの国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ渡米し、非政府組織(NGO)セッションで各国代表らに被爆体験を証言した。
 被爆70年を迎えた15年8月9日の平和祈念式典では被爆者代表として2回目の「平和への誓い」を読み上げ、多くの命を奪った核兵器と戦争への怒りをあらわにしたほか、安全保障関連法の成立を図る日本政府を批判した。
 一方、近年は体調を崩すことが多く、入退院を繰り返していた。核兵器を法的に禁止する核兵器禁止条約の採択を歓迎する今年7月の集会では、病床からビデオメッセージを送り「核兵器の非人道性を知る被爆者がいなくなった時にどんな世界になるのかが一番心配だ。被爆者が頑張らなければいけない」と呼び掛けた。
被爆者・谷口稜曄さん死去

安倍政権は、北朝鮮のミサイル発射を奇貨として、軍備増強を進めようとしている。
悲惨な戦争の実相の生き証人がまた一人居なくなった。
合掌。

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