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2017年7月17日 (月)

加計疑惑(35)今治市の情報不開示の不可解/アベノポリシーの危うさ(256)

「加計学園」の獣医学部新設問題で、愛媛・今治市が情報公開請求に応じて開示してきた職員の首相官邸訪問記録などの関係書類を一転して全面非開示とした。
170715
東京新聞7月15日

まさに「語るに落ちる」であろう。
国家戦略特区での獣医学部新設の決定に関わった諮問会議の竹中平蔵東洋大学教授らがいうように、「今回の決定プロセスには1点の曇りもない」のならば、すべてオープンにすれば良い。
それをわざわざ非開示にするというのは、インチキや不明朗だったと認めたのも同然だろう。

全面非開示とされたのは、市が国家戦略特区に申請する直前の2015年4月2日、特区担当の市職員が首相官邸を訪問した出張記録など9件である。
今治市は開示判断を変えたことについて「再度精査した結果」と説明し、一方、国の関与は否定した。

いま、世論調査で、多くの国民が「安倍首相は信用できない」という結果が出ている時に、誰が信じるだろうか。
自分たちにとって都合の悪い情報は隠す。
『森友、加計問題』の本質は情報公開と公文書管理にアリ」と言われている。

 そもそも今回の森友・加計問題は、通常とは異なる権力の行使が行われ、その結果として普通では降りないはずの許認可が降りたと同時に相当額の税金が投入されているにもかかわらず、その権力行使の正当性を裏付ける記録が何も残っていないところに問題の核心がある。権力行使の妥当性をめぐる議論が交わされているのではなく、そもそもそこで権力が行使されたかどうかが確認できないまま、時間ばかりが過ぎているのだ。
 もし安倍政権が、森友にしても加計にしても、一切不当な政治介入はなかったと主張するのであれば、一連の手続きが適正だったことを示す文書を公開すればいいだけの話だ。しかし、安倍首相やその周辺は、当時の記録は既に「廃棄」され、交渉担当者たちも当時の「記憶」がないの一点張りで逃げ切ろうとしている。それはそれで政治的には大きな問題だが、そもそもその記録が残っていないことや、その保存や情報公開が義務付けられていないことの方がより大きな問題なのだ。
 「国家戦略特区」も「岩盤規制への風穴」も、それはそれで政治的には重要な論点かもしれない。しかし、もし権力が行使されたのであれば、その妥当性を証明する挙証責任は政府側にあり、それを裏付けるための証拠となる文書を保存しておくことは、権力が不正に行使されていないことを証明する上では必須となる。政府や官僚にとっては、その証拠を保存しておくことは、国民に対して自分たちの行為の正当性を証明する上では必要不可欠なものだ。ましてや今回のように、評価額の8分の1の値段で国有地が払い下げられていたり、従来の基準では認められていない新設の獣医学部の設置が特別に認められたのであれば、その決定の正当性の裏付けを残しておくことは、国民に対する説明責任は言うに及ばず、政府にとっても担当の官僚にとっても、身の安全を保障する命綱になるはずだ。繰り返しになるが、それを残していないということは、まずあり得ない。

今治市の姿勢は全く不可解であり、この一事だけでもクロの心証だろう。

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