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2017年6月 4日 (日)

宝暦治水を描いた『孤愁の岸』・杉本苑子/追悼(105)

『孤愁の岸』の作家・杉本苑子さんが、5月31日、老衰のため死去した。
91歳だった。

Photo_4 東京生まれ。文化学院卒業後、サンデー毎日の懸賞小説に応募したのを機に、選考委員だった吉川英治氏に師事。ほぼ10年間吉川氏のもとで文学修業を積み、昭和38年、幕府から治水工事を命じられた薩摩藩士の苦悩を描いた「孤愁の岸」で直木賞を受賞した。豊富な歴史知識をもとに、古代から近世まで幅広く描いた。
 53年に「滝沢馬琴」で吉川英治文学賞、61年に「穢土荘厳(えどしょうごん)」で女流文学賞。平成14年には文化勲章と菊池寛賞を受けた。生涯独身を貫き、著作権を含む全財産を静岡県熱海市に寄贈すると表明していた。
作家の杉本苑子さんが死去 91歳 「孤愁の岸」「滝沢馬琴」など歴史小説

『孤愁の岸』は、江戸時代に美濃国の揖斐川、長良川、木曽川の3川の治水難工事を成し遂げた薩摩藩士(薩摩義士)を描く。
いわゆる木曽三川が乱流する地帯は、輪中という治水・水防のしくみで有名である。
記憶しているのは、1976年(昭和51年)9月12日に、岐阜県安八郡安八町で長良川が決壊して大被害を生じた「安八水害」がある。
輪之内町などの地名が、輪中を彷彿とさせる。
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この辺り一帯を視察旅行したことがあるが、天気の良い日だったので、水害の様子をイメージすることが難しかった。

杉本さんは、吉川英治の唯一の弟子と言われるが、『孤愁の岸』は直木賞受賞作。
雄藩を消耗させるという狙いもあったと言われる「お手伝い普請」であるが、中心人物は薩摩藩の工事責任者である家老平田靭負である。
昔、鹿児島の仕事に携わっていた時があり、何代目かの末裔と会ったことがある。

1753年(宝暦3年)12月25日江戸幕府老中・西尾忠尚は薩摩藩に命じて濃尾地方の木曽川、長良川、揖斐川の3河川の治水事業にあたらせた。これは幕府の、雄藩をあまり富裕ならしめないための政策手段でもあったが、この3河川は、その流域が今日の長野、岐阜、愛知、三重、滋賀の五県にわたり、とりわけそのうち南北15里、東西2里では、多くの本支流が交錯し、容易ならざる難事業であった。そのうえ寛保年間以後、11年間にわたって洪水が頻発し、惨状を呈していた。
そのために幕府の厳命、督促は猶予がなく、薩摩藩は死力をつくしてこれにあたった。藩主島津重年の命によって家老平田靱負正輔、大目付伊集院十蔵久東らが工事を担当し、留守居山沢小左衛門盛福、普請奉行川上彦九郎親英らとともに、美濃国大牧村を本陣として、1754年(宝暦4年)2月5日から工事に着手し、5月22日ひとまず工事を中止し、同年9月21日さらに勘定頭倉橋武右衛門が参加し、翌1755年(宝暦5年)3月28日ついに工事を完成し、幕府目付牧野織部、勘定吟味役細井九郎助らあらたに江戸からくだった検使は、地元の検使とともに、同年4月16日から5月22日まで、一ヶ月余にわたって本検分をすませた。
薩摩藩はこの工事で、数十万両もの莫大な経費を負担した。幕府側の妨害工作などによる過労のため病となり生命を落としたり、あるいは横暴な幕府側への抗議のために切腹して果てる者を多数出した。総奉行平田靱負は工事完遂を見届け、この難事業の責任を取る形で切腹した。藩主重年も後を追う様に病没した。
1938年(昭和13年)に、平田靱負ら85名の「薩摩義士」を、「祭神」に『治水神社』(岐阜県海津市海津町油島)が建立された。
Wikipedia・薩摩義士

近年、治水工事の実相や義士の顕彰運動を見直す動きもあるようだ。
治水は、右岸と左岸、上流と下流で、利害が相反するので、単純な見方はできず、多くの人の関心を引き起こし、層の厚い研究が求められる。
『孤愁の岸』は、治水に対する関心の喚起という意味でも重要である。
91歳は大往生と言えよう。
合掌。

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