高度成長期の歌姫・ペギー葉山/追悼(103)
「ドレミの歌」「南国土佐を後にして」で知られる歌手のペギー葉山さん(本名・森シゲ子さん)が12日午前、都内の病院で死去した。
83歳だった。
ペギー葉山さんは東京都出身で、昭和27年にレコードデビューしました。昭和33年には、NHK高知放送局の依頼で歌った「南国土佐を後にして」が、ふるさとを離れて働く人たちの望郷の歌として大ヒットしました。
その後も「ドレミの歌」や「ラ・ノビア」、「学生時代」など幅広いジャンルのヒット曲で人気を集め、昭和41年のNHK紅白歌合戦では紅組の司会を務めました。
また平成17年に亡くなった俳優の根上淳さんと仲のよいおしどり夫婦として知られ、根上さんの闘病生活を支えてきました。
その後も平成19年に、女性として初めて日本歌手協会の会長に就任するなど第一線で活躍し、おととし3月、放送文化賞を受賞しています。
所属するレコード会社によりますと、ペギー葉山さんは最近まで活動を続けていましたが、10日に東京都内の病院に入院し、12日昼前、肺炎のため亡くなったということです。
ペギー葉山さん死去 「ドレミの歌」「学生時代」など
「ドレミの歌」や「南国土佐を後にして」は、私もよく歌った。
伸びやかな高音で歌うペギーさんのようにはなかなか歌えないが、気持ちが良くなる宇多田。
Wikipediaより略歴をピックアップしてみよう。
1960年、オーストラリア・ゼネラルテレビの招きで、テレビ番組『今宵のメルボルン』に1か月間レギュラー出演する。
同年の8月にはロサンゼルスの日米修好百年祭に日本人代表として招かれる。この際にミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』を鑑賞。帰国後、自身の作詞で同ミュージカルの劇中歌「ドレミの歌」をペギー自身の訳詞で紹介した。ペギーの訳詞・歌唱による「ドレミの歌」はNHK「みんなのうた」でも使用され、音楽の教科書にも掲載されるなど、広く知られている。
しかし、生来病弱であったことに加え、その人気による過密スケジュールから、1963年の春に気胸を患い半年間の療養を余儀なくされたが、病気療養中に「ラ・ノビア」もヒットしたことも幸いし、ブランクをものともせず無事復帰した。また、復帰翌年の1964年には「学生時代」がロングセラーとなり、人気の健在ぶりを示した。
1965年に俳優の根上淳と結婚、1968年には長男を出産している。根上とは、芸能界きってのおしどり夫婦で知られ、1998年に根上が糖尿病の合併症から来る脳梗塞で倒れてから2005年に亡くなるまで歌手業の傍ら在宅介護を続けた。
東京新聞のコラム筆洗に「ドレミの歌」訳詞のエピソードが紹介されている。
どうも高度成長期の記憶とオーバーラップする。
暗い時代が続いているが、これが常態と思うべきなのかも知れない。
合掌。
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