ことばの魔術師・大岡信/追悼(102)
大岡信さんが亡くなった。
幅広い文芸のジャンルで活動した詩人・評論家だった。
私は大岡さんの世代の何人かに親しくさせていただいていたので、何度か酒席を共にさせていただいたことがある。
著名な詩人にもかかわらず、たいへんフランクで楽しい人柄だった。
31年、歌人大岡博の長男として現在の静岡県三島市に生まれ、旧制沼津中在学中から詩を書き始めた。旧制一高を経て、東大国文学科在学中の51年、日野啓三らと同人誌「現代文学」を創刊。53年、読売新聞社に入社し、外報部勤務のかたわら詩作を続け、54年に川崎洋や茨木のり子らの詩誌「櫂(かい)」に加わった。55年に「現代詩試論」を刊行し、批評家として頭角を現す一方、56年の第1詩集「記憶と現在」でみずみずしい作風が注目された。
63年に退社後、本格的な創作活動に取り組んだ。主な詩集に「水府 みえないまち」「草府にて」「春 少女に」(79年無限賞)、「故郷の水へのメッセージ」(89年現代詩花椿〈つばき〉賞)、「地上楽園の午後」(93年詩歌文学館賞)など。古今東西の文学・芸術の知識に裏打ちされ、豊かな叙情をたたえた作品群は戦後詩史の中で重要な地位を占める。
評論活動では伝統的な詩歌の世界に目を向けた。主な評論集に「蕩児(とうじ)の家系」(69年歴程賞)、「紀貫之」(72年読売文学賞)、「うたげと孤心」「詩人・菅原道真」(90年芸術選奨文部大臣賞)など。
和歌や俳句から歌謡や漢詩、近・現代詩に至るまで多彩なジャンルの詩歌を取り上げた人気コラム「折々のうた」を79年1月に始め、詩歌の魅力を広く読者に伝えた業績で80年に菊池寛賞。コラムは休載をはさみながら07年3月まで計6762回続いた。
連歌や連句の伝統を踏まえながら詩を共同制作する「連詩」の創始者でもある。実相寺昭雄監督の映画「あさき夢みし」の脚本、武満徹らとの歌曲の共同制作、丸谷才一や井上ひさしらとの連句の会、放送劇や戯曲など活動は多方面にわたった。
明治大や東京芸術大の教授を務め、89~93年に日本ペンクラブ会長、01~07年度に朝日賞選考委員。95年恩賜賞・日本芸術院賞、96年マケドニアの国際的なストルガ詩祭で金冠賞、97年朝日賞と文化功労者、02年国際交流基金賞、03年文化勲章、04年には仏レジオン・ドヌール勲章オフィシエ。
詩人の大岡信さん死去 朝日新聞コラム「折々のうた」
1931(昭和6)年は満州事変の年だ。
終戦が14歳。
ものごころついてから多感な少年期を戦争と共に過ごしていたことになる。
東京新聞4月7日
戦争の記憶を持った人が去って行く。
それと同期するように、教育勅語が、否定はしないという議論を含め、肯定論するような論調が高まっている。
共謀罪の審議も始まった。
処女詩集のタイトルは『記憶と現在』。
この国の自分の「記憶」を振り返りつつ、「現在」に心を痛めていたのではないだろうか。
合掌。
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