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2017年1月10日 (火)

川田順歌碑・裾野市/文学碑を訪ねる(5)

川田順は、戦前に住友財閥総本社の常務理事を務めたビジネスマンであった。
1907年東京帝国大学法学部政治学科卒業。
住友の新卒の第1期定期採用がスタートした際に入社した。

1930年(昭和5年)に理事就任後、同年一足飛びで常務理事に就任、
1936年(昭和11年)、鈴木馬左也の後任として住友の総帥の座である総理事就任がほぼ確定していたが、自らの器に非ずとして自己都合で退職した。
佐佐木信綱門下の歌人として「新古今集」の研究家としても活躍した。
京都大学経済学部教授・中川与之助夫人で歌人の鈴鹿俊子との恋に苦しみ、自殺未遂を起こし、いわゆる“老いらくの恋”と騒がれた末に結婚した。

歌碑が、裾野市の富士山を仰ぐ「忠ちゃん牧場」の入口にある。
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ビジネスマンとして『住友回想記』図書出版社(1990年2月)を遺した。

忠ちゃん牧場は、標高約800mの富士山麓にあ約60000㎡の牧場で、牛や羊が放牧され、牧歌的な風景が広がる。
併設されるジンギスカンハウスでは、名物のジンギスカンや人気のソフトクリ-ムが食べられる。
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忠ちゃん牧場 ジンギスカンハウス

すぐ近くに「富士サファリパーク」がある。







1942年4月に歌集『鷲』『国初聖蹟歌』で第1回帝国芸術院賞受賞[2]。1944年に朝日文化賞受賞。戦後は皇太子の作歌指導や歌会始選者をつとめた。

1948年1963年日本芸術院会員。従曾孫佐良直美がいる。

、川田ら東大法科出身者は7名、京大法科出身者が5名の計12名が入社した。東京帝国大学では当初文科文学部)に所属し小泉八雲の薫陶を受けた。小泉八雲の退任を受け「ヘルン先生のいない文科に学ぶことはない」と法科(法学部)に転科したという。

元来、

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