曽野綾子の悲惨な耄碌ぶり/人間の理解(19)
安倍首相の盟友・曽野綾子氏の言動がひどい。
11月16日付の産経新聞で、大阪府警機動隊員の「土人」発言について次のように書いている。
私は東京の八丁堀生まれの父の娘である。私は父のことを「東京土人」とか、「東京原住民」とかよく書いている。私を含めてすべての人は、どこかの土人、原住民なのだが、それでどこが悪いのだろう。「沖縄の土人」というのは、蔑称だと思う蓮舫氏の方こそ、差別感の持ち主だと思われる。
・・・・・・
土人も原住民も、それなりに自然な郷土愛や文化への自負を持っている。ましてや沖縄ほどの、料理にも焼き物にも染色にも、個性豊かな文化を持っている土地ならなおさらだ。父が生まれた土地の「土人」だと言われたら、「人の言うことなんざ、気にすることはないよ」と笑うだろう。
なぜ曽野綾子氏は「土人」発言を擁護するのか
「土人問題」については、鶴保庸介・沖縄北方相の発言に関連して、「土人」には辞書的には次の2通りの説明が載っているが、どちらであるかは文脈で決まり、機動隊員は②としては使わないだろう、と書いた。
① 原住民などを軽侮していった語。
② もとからその土地に住んでいる人。土着の人。
三省堂『大辞林』
⇒2016年11月13日 (日):不適格大臣列伝・鶴保庸介沖縄北方相/アベノポリシーの危うさ(104)
曽野氏は、②の用法があるから問題ないし、①の用法だと言って問題にするのは、その人の中に差別感があるからだ、と言う。
詭弁にもなっていない言い種である。
『月刊日本』編集部によれば、『最新 差別語・不快語』(にんげん出版)では「土人」について、次のように解説されている。
大和民族の社会において、「土人」は古い時代から、「土地の人々」「現地の人々」という意味で、異民族・外国人に対する蔑称は「夷人」でした。アイヌ民族が「夷人」と呼ばれたのも、また幕末の外国人打ちはらいが「攘夷運動」と呼ばれたのも、そのためです。ところが、1855年の日露和親条約で、日本政府は、アイヌ民族をほんらいの日本国民とし、アイヌ民族の居住地域を日本の領土だと主張するようになります。この論理からいえば、アイヌ民族を「夷人」と呼称しつづけることは、領土権をみずから放棄することになります。そこで、日本政府は、アイヌ民族の呼称を「土人」に切り替えたのです。これが、その後アイヌ民族が、「土人」「旧土人」と呼ばれる原因にもなります。
そして、この切り替えによって、「土人」という言葉の実体的な意味が「土地の人々」から「未開で野蛮な異民族」にすり替えられることになります。日本の植民地主義や侵略戦争が展開するなか、とくに、アイヌ民族に使われたことから、先住民族への蔑称として使われるようになりました。明治時代の初期には、琉球人に対して「土人」という呼称が使われ、また日本が委任統治領とした南洋群島などでも「土人」という呼称が使われました。1997年に「北海道旧土人保護法」が廃止されるまで、「土人」という差別語は、行政用語としても定着していたといえます。
言葉には文脈や歴史というものがあります。曽野氏のようにそこから切り離した議論をしても意味がありません。そのようなことさえ理解できないのは、作家として致命的と言わざるを得ません。
上記のような歴史的な知識が無くても、機動隊員が発した「土人」を差別語と感ずるのは成熟した大人にとって当たり前であろう。
曽野氏には『人間にとって成熟とは何か』幻冬舎新書(2013年7月)という著書があるが、ブラックジョークのようなタイトルである。
同書に、野田聖子氏が自分の障害を持つ子供に高額医療を受けている件について、曽野氏の周囲に「どうしてそんな巨額の費用を私たちが負担するんですか」という声があることが紹介されている。
医療保険制度が迷惑であるかのような声であるが、曽野氏がそれをたしなめたという話ではないのだ。
野田氏が自民党総裁選に立候補しようとした際、自民党のネット応援サイトには、障害児を持ちながら立候補するような「自分勝手な人間が増えたのも日本国憲法のせいで、だからこそ自民党は天賦人権論を否定する憲法案を出した」という趣旨の複数のアカウントによる投稿があった。
こういう考え方と、相模原市の障害者施設を襲い、大量殺人を実行した植松某だ地続きであることは明らかであろう。
⇒2016年7月30日 (土):相模原大量殺人事件と優生思想/日本の針路(282)
曽野氏はもはやファシストに親近的と言って良い。
曽野綾子さん、戦時の英知って何だ?
曽野氏の言葉に反応した以下のようなツィートがあった。
ISの残虐よりISの英智を伝えよ。泥棒の非道より泥棒の勇気を伝えよ。バカなクリスチャンの戯言より敬虔なクリスチャンの祈りを伝えよ。
Kusaka Arato @KusakaArato
また、いじめを受けて自殺をした子供を次のように言っている。
自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残したという点で、彼自身がいじめる側にも立ってしまったのである。
曽野綾子氏「(いじめで)自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残したという点で、いじめる側にも立った」
原発避難者をイジメるのはこういう大人がいるからであるが、これ位にしておかないと気分が悪くなってくる。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 藤井太洋『東京の子』/私撰アンソロジー(56)(2019.04.07)
- 暫時お休みします(2019.03.24)
- ココログの障害とその説明(2019.03.21)
- スキャンダラスな東京五輪/安部政権の命運(94)(2019.03.17)
- 野党は小異を捨てて大同団結すべし/安部政権の命運(84)(2019.03.05)
「思考技術」カテゴリの記事
- 際立つNHKの阿諛追従/安部政権の命運(93)(2019.03.16)
- 安倍トモ百田尚樹の『日本国紀』/安部政権の命運(95)(2019.03.18)
- 平成史の汚点としての森友事件/安部政権の命運(92)(2019.03.15)
- 横畠内閣法制局長官の不遜/安部政権の命運(91)(2019.03.12)
- 安倍首相の「法の支配」認識/安部政権の命運(89)(2019.03.10)
「人間の理解」カテゴリの記事
- 内閣の番犬・横畠内閣法制局長官/人間の理解(24)(2019.03.13)
- 緑のタヌキの本領発揮/人間の理解(23)(2019.03.04)
- 小川榮太郎というアベ茶坊主/人間の理解(22)(2018.09.24)
- 処刑された豊田亨と伊東乾氏の友情/人間の理解(21)(2018.07.29)
- 「緑のタヌキ」の化けの皮/人間の理解(20)(2018.05.04)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント