舒明天皇と皇統/天皇の歴史(10)
舒明天皇は『万葉集』2番歌、いわゆる国見の歌の作者として知られる。
⇒2016年9月29日 (木):象徴の行為としての「国見」/天皇の歴史(8)
舒明天皇は推古天皇を継ぐ第34代天皇で、系譜は以下のようである。
先代が推古天皇、次代が皇極天皇で、女性天皇に挟まれる形である。
『日本の女帝の物語 ――あまりにも現代的な古代の六人の女帝達』 橋本治
推古天皇は、在位36年余だったが、628年4月15日に崩御した時、継嗣を定めていなかった。
蘇我蝦夷は群臣にはかってその意見が田村皇子と山背大兄皇子に分かれていることを知り、田村皇子を立てて天皇にした。
すなわち舒明天皇である。
蝦夷が権勢を振るうための傀儡にしようとしたという説と他の有力豪族との摩擦を避けるために蘇我氏の血を引く山背大兄皇子を回避したという説がある。
また近年では、欽明天皇の嫡男である敏達天皇の直系(田村皇子)と、庶子である用明天皇の直系(山背大兄皇子)による皇位継承争いとする見方もある。
いずれにせよ、政治の実権は蘇我蝦夷にあったと言える。
しかし、舒明天皇の皇后が次の皇極天皇であり、大化の改新を実行した孝徳天皇を挟んで斉明天皇として重祚している。
百済救援のための航海中に亡くなるという対外的にも波乱の時代であった。
斉明天皇下の百済救援政策が、白村江での大敗という存亡の危機をもたらした。
そして「壬申の乱」という内政上の大転換に至るのである。
『日本書紀』の系図上、天智、天武の両天皇の父であるから、古代史におけるキーパソンということになる。
『万葉集』の巻頭に、雄略天皇の次に舒明天皇が置かれている。
編者の意図はどうことだったのだろうか?
Wikipediaでは、編者について、次のように解説している。
『万葉集』の成立に関しては詳しくわかっておらず、勅撰説、橘諸兄編纂説、大伴家持編纂説など古来種々の説があるが、現在では家持編纂説が最有力である。ただ、『万葉集』は一人の編者によってまとめられたのではなく、巻によって編者が異なるが、家持の手によって二十巻に最終的にまとめられたとするのが妥当とされている。
『万葉集』二十巻としてまとめられた年代や巻ごとの成立年代について明記されたものは一切ないが、内部徴証から、おおむね以下の順に増補されたと推定されている。
- 巻1の前半部分(1 -53番)…
- 原・万葉集…各天皇を「天皇」と表記。万葉集の原型ともいうべき存在。持統天皇や柿本人麻呂が関与したことが推測されている。
- 巻1の後半部分+巻2増補…2巻本万葉集
- 持統天皇を「太上天皇」、文武天皇を「大行天皇」と表記。元明天皇の在位期を現在としている。元明天皇や太安万侶が関与したことが推測されている。
- 巻3 - 巻15+巻16の一部増補…15巻本万葉集
- 契沖が万葉集は巻1 - 16で一度完成し、その後巻17 - 20が増補されたという万葉集二度撰説を唱えて以来、この問題に関しては数多くの議論がなされてきたが、巻15までしか目録が存在しない古写本(「元暦校本」「尼崎本」等)の存在や先行資料の引用の仕方、部立による分類の有無など、万葉集が巻16を境に分かれるという考え方を裏付ける史料も多い。元正天皇、市原王、大伴家持、大伴坂上郎女らが関与したことが推測されている。
- 残巻増補…20巻本万葉集
- 延暦2年(783年)頃に大伴家持の手により完成したとされている。
ただし、この『万葉集』は延暦2年以降に、すぐに公に認知されるものとはならなかった。延暦4年(785年)、家持の死後すぐに大伴継人らによる藤原種継暗殺事件があり家持も連座したためである。その意味では、『万葉集』という歌集の編纂事業は恩赦により家持の罪が許された延暦25年(806年)以降にようやく完成したのではないか、と推測されている。
「万葉集」は平安中期より前の文献には登場しない。この理由については「延暦4年の事件で家持の家財が没収された。そのなかに家持の歌集があり、それを契機に本が世に出、やがて写本が書かれて有名になって、平安中期のころから『万葉集』が史料にみえるようになった」とする説 などがある。
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