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2016年10月28日 (金)

古代オリエント史学・三笠宮崇仁親王/追悼(99)

昭和天皇の末弟で、天皇陛下の叔父である三笠宮崇仁親王が10月27日朝、東京都内の病院で薨去された。
明治以降の皇族では最長寿の100歳だった。
1610282
東京新聞10月28日

三笠宮親王は、1915年(大正4年)12月2日、大正天皇と貞明皇后の第四皇男子として誕生した。
「三笠宮」の宮号は、1935年(昭和10年)12月2日に崇仁親王が成年式を行った際に賜ったもので、奈良市の三笠山にちなんで命名された。
お印は若杉。
長男・寛仁様、次男・桂宮様、三男・高円宮様の3人の子息がいたが、すでに亡くなられている。
9人の孫と4人の曾孫がいる。

三笠宮親王は、戦時中は旧日本軍の大本営参謀などを務め、陸軍参謀として中国・南京にも派遣された。
お印にちなんで「若杉参謀」の名を用いた。
次のような逸話が、Wikipediaに紹介されている。

日中戦争当時、進駐先で、事態が未だに解決しない理由について全員(およそ200人)に自由記述で答案を書かせた後、“日本人が真の日本人たり得ていないから”と答えた一人のみを及第判定。「そのとおりだ。皇軍がその名に反する行為(暴行略奪など)をしている、これでは現地民から尊敬などされるわけがない。今の皇軍に必要なのは装備でも計画でもない、“反省”だ。自らを顧み、自らを慎み、一挙一動が大御心に反していないかを自身に問うこと」と部下達を叱りつける。居並ぶ一同は三笠宮の叱咤に言葉がなかったという。

開明的な皇族だったと言えよう。
『紀元節についての私の信念』(「文藝春秋」59年1月号に次のように書いている。

日本人である限り、正しい日本の歴史を知ることを喜ばない人はないであろう。紀元節の問題は、すなわち日本の古代史の問題である。
・・・・・・・
昭和十五年に紀元二千六百年の盛大な祝典を行った日本は、翌年には無謀な太平洋戦争に突入した。すなわち、架空な歴史――それは華やかではあるが――を信じた人たちは、また勝算なき戦争――大義名分はりっぱであったが――を始めた人たちでもあったのである。もちろん私自身も旧陸軍軍人の一人としてこれらのことには大いに責任がある。だからこそ、再び国民をあのような一大惨禍に陥れないように努めることこそ、生き残った旧軍人としての私の、そしてまた今は学者としての責務だと考えている。

2015年3月の参院予算委で、「八紘一宇」という戦前・戦中のスローガンを唐突に持ち出し、「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」と言ってのけたのけた三原じゅん子議員は、この言葉をよく読んでみた方はいい。
おりしも天皇の生前退位に関する有識者会議の議論が始まったところである。
三笠宮親王は、生前退位については、基本的人権の問題として考えていたと言われる。
動乱の時代を生き抜いたが故に、平和の尊さを知っておられた。
言葉通り、「昭和は遠くなりにけり」という気がする。
合掌。

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