半世紀前に出土木簡からペルシャ人情報/やまとの謎(116)
奈良文化財研究所は10月5日、現在の奈良市に位置し、1000年以上前の都、平城京の遺跡から発掘された木簡を改めて調査した結果、ペルシャ人の役人が働いていたことを示す新しい証拠が見つかったことを明らかにした。
「天平神護元年」(765年)と記された木簡に、ペルシャ人の役人とみられる「破斯清通」という名前があったことが分かった。
「破斯(はし)」はペルシャ(現在のイラン付近)を意味する中国語の「波斯」と同義で、国内の出土品でペルシャ人を示す文字が確認されたのは初めて。外国人が来日した平城宮の国際性を示す史料となりそうだ。
奈文研によると、木簡は平城宮跡東南隅の発掘で1966年に出土した、役人を養成する「大学寮」での宿直勤務に関する記録。当時は文字が薄いため名前の一部が読めなかったが、今年、赤外線撮影したところ、「破斯」の文字を判読できた。
「大学寮解 申宿直官人事」のほか、下部に、特別枠で任じられた役人を意味する「員外大属(いんがいだいさかん)」という役職名もあった。
、古代の日本が予想よりも国際色豊かだった可能性があると指摘した。
日本と現在のイランの間の直接的な貿易関係は遅くとも7世紀に始まったことが知られているが、1960年代に発見された木簡を改めて調査したところ、さらに広範囲な交流が見えてきたという。
古代の日本で紙の代わりとして使われていた木簡に書かれていた文字は、これまで判読不可能だったが、今回、赤外線を使って調査した結果、日本に住むペルシャ人の役人の名前とみられること分かった。
奈良文化財研究所の渡辺晃宏(Akihiro Watanabe)史料研究室長によると、このペルシャ人は日本の役人が教育を受ける施設で働いており、ペルシャが得意としていた数学を教えていた可能性があるという。
ペルシャ人の役人 765年木簡に「破斯」
シルクロードを経由して、ペルシャやヨーロッパと交流があったことは良く知られている。
ローマと日本人の相性は、良い!
また、ギリシャで発達した数学がインドの記法と合体することによってさらに発展していったが、中東諸国の媒介があったと言われる。
古代へのロマンを誘う解読だが、半世紀前に出土した木簡から新しい情報が得られるというのも技術進歩の賜物と言えよう。
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コメント
ご無沙汰をしておりますYasで御座います。
こんな昔から単身赴任者はいたのでありますねぇ。そう言えば、年代は多少違えど日本から外地に赴いていた方はいらっしゃる訳で、三笠の山に出でし月かも、と故郷を懐かしむところなど、現代の単身赴任者の心境に通ずるものが感じられます。今昔の違いで最も大きな部分として、留守宅を守る側が強くなっている点が挙げられましょう。サラリーマン川柳に次のような句が御座います。
父帰る 一番喜ぶ 犬のポチ
はい、本日は土曜日ですけれど、仕事に行って参りま~す。奈良時代の出張者に負けないように働かなきゃ!
投稿: Yas | 2016年10月 8日 (土) 09時41分
Yas様
コメント有難うございます。
そうですね。奈良時代の単身赴任者の方が使命感は強かったでしょうが、望郷の念に変わりはないでしょうね。当時の数学関係の証拠となる資料が出土すれば面白いと思います。
投稿: 夢幻亭 | 2016年10月 9日 (日) 10時29分