「壬申の乱」と国体の危機/天皇の歴史(5)
「月刊日本」(9月号)に、『壬申の乱に思う』という南丘喜八郎氏(発行人)の巻頭言が載っている。
言うまでもなく、「壬申の乱」は、天智天皇の長子の大友皇子と大海人皇子(後の天武天皇)が皇位を争った古代最大の争乱である。
南氏は、有名な大海人皇子と額田王の相聞歌の紹介から入る。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(額田王)
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(大海人皇子)
大海人は実質的な皇太子と見られていたが、大海人の娘の十市皇女は天智の長子大友皇子に嫁いだ。
大友皇子と十市皇女の間に、葛野王が生まれる。
天智にとっての皇孫である。
天智は大友を後継者にすることを決意し、太政大臣に任命した。
大海人は剃髪して吉野に入った。
天智が崩御した翌年、大海人は蹶起を決意し、吉野を出る。
伊勢に着いた大海人の下に、東国の軍勢が馳せ参じた。
大海人は不破に軍を構え、近江攻略のため瀬田川で近江軍と激突する。
大津宮は陥落し、大友は命を断った。
十数年後、柿本人麻呂は大津宮を訪れるが、既に草が繁茂していて、都の跡は定かではなかった。
大津宮は6年足らずで滅び、都は大和へ戻った。
大海人は即位して天武天皇になり、新たな古代国家建設に向かう。
以上のように「壬申の乱」の概要を整理し、南氏は次のように結ぶ。
皇位継承と皇統継続は、判断を誤れば我が国の存亡に関る重大な事態を招来する。
政府は叡智の限りを尽し、天皇陛下のお言葉に応えねばならぬ、と強く思う。
私は「天皇陛下のお言葉に応えねばならぬ」という南氏の結論に賛成であるが、「生前退位は国体の破壊に繋がる」という小堀桂一郎氏(ら)の批判は分からない。
「壬申の乱」こそ「国体の危機」だったと言えるだろう。
里見岸雄『國體に對する疑惑』里見研究所出版部(1928年4月)でも、「壬申の乱の如き忌はしき歴史あり、何を以て國體を讃美するや。」と設問している。
里見岸雄は、「八紘一宇」の造語者・田中智学の子供であり、当時、国体論の第一人者であった。
里見は、「國初以来君臣其別を守り、民は君を犯す無く、君は民を虐ぐる事なし、などゝいふ主張がいたる處に裏切られてゐるではないか」と言う。
そして、先ず「國體ありき」という自覚から出発しなければならない、という循環論法に陥っている。
⇒2008年1月24日 (木):壬申の乱…(ⅳ)国体論
私は、「生前退位は国体の破壊に繋がる」とは思わないし、「天皇陛下のお言葉に応え」ることは可能だと考える。
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コメント
じゃあ、具体的にどうする?
投稿: | 2016年9月 9日 (金) 07時19分
あのなあ、天皇陛下のお気持ちに応えたくない日本人なんてほとんどいないんだよ。当たり前のこと言うなって。どうやったら応えられるのか、憲法は?国は?って、天皇陛下のお気持ちに応えるべくみんな具体的に考えてることなんだから。お前みたいに「お応えすべき」「可能なはずだ」で思考が止まってる人間よりよほど真剣に考えてると思うぞ。
投稿: | 2016年9月 9日 (金) 07時31分