優しき視点の映画人・松山善三/追悼(95)
映画監督で脚本家の松山善三さんが、8月27日死去したと報じられている。
91歳だった。
既に近親者で葬儀を営んだ。
松山善三さん死去
松山善三:Wikipediaから、主な略歴を引いてみよう。
1944年、横浜第三中学校卒業。
1948年、助監督公募に合格して松竹大船撮影所助監督部に入社。中村登、吉村公三郎につくかたわら、同期入社の斎藤武市、中平康、鈴木清順らと「赤八会」というグループを作り、同人雑誌にシナリオを発表。
1950年の『婚約指輪』で木下監督につき、次の『カルメン故郷に帰る』からは、シナリオの口述筆記に携わった。
1954年、川口松太郎の原作を映画化した『荒城の月』で脚本家デビュー。
1961年、若くして結婚した聴覚障害者の夫婦の第二次世界大戦末期から戦後にかけての生活を描いた『名もなく貧しく美しく』で監督デビュー。
サリドマイド薬害で肢体が不自由に生まれた女性が自ら主演し、明るく生きる姿を描いた劇映画「典子は、今」(1981年)は大きな反響を呼んだ。
社会的弱者をヒューマニズムの視点から描いた作品が中心だった。
「二十四の瞳」に主演した俳優の高峰秀子さんと1955年に結婚し、おしどり夫婦として有名だった。
結婚時には、大女優とほとんど無名の助監督で、先行きを危ぶむ声が多かったという。
意外な側面として、ゴルフ場開発に携わったことがあった。
昭和61年頃、映画プロダクション等経営の小川安三氏と共に、(株)飯能くすの樹カントリー倶楽部の前身の(株)西武飯能カントリー倶楽部の開発許認可を取得し、着工した。
同社は、平成15年9月、東京地裁から破産宣告を受けた。
ゴルフ場用地・施設には、元の埼玉銀行の抵当権が付いていて、債権譲渡された㈱整理回収機構(RCC)が破産を申し立てた。
なお、ゴルフ場の現経営会社は、(株)マス・コーポレーションという別会社であり、関係はない。
地元には反対もあり、完成が遅れたことも破綻の要因だと言われるが、バブル期にはこの人にもそんなエピソードがあったのだ。
合掌。
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