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2016年9月22日 (木)

キトラ古墳の極彩色壁画/やまとの謎(114)

キトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)の展示施設「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」が古墳の北隣に完成した。
同古墳は、奈良県高市郡明日香村の南西部、阿部山に築かれた古墳で、亀虎古墳とも書く。
墳丘にある石室内に極彩色の壁画が発見され、高松塚と共に保存事業が進められている。
Photo
キトラ古墳

壁画は1983年に発見された。
劣化が進んでいたため2004〜2010年に順次剥ぎ取って、カビや汚れを除去するなどの修復を続けている。
四神像のうち、「青龍」「玄武」は年内に修復を終える予定だ。

 金箔(きんぱく)で表現された約350個の星、それを朱で結んだ少なくとも74の星座たち。この美しい天文図の存在は、最初の壁画の発見から15年後、1998年に確認された。他にも、北極星を中心に常に星が地平線下に沈まない範囲を示す円(内規)、天の赤道などが精密に描かれている。いつ、どこで見上げた夜空なのか。その謎解きに挑んだ2人の天文学者の研究成果が昨年7月、発表された。
 地球が自転する際の軸となる「地軸」の傾きは時代によって変わり、星の見え方も変化する。
 中村士・元帝京平成大教授(天文学史)は、古代中国で国家の運命を占う際に使われた28星座「二十八宿」の位置に着目し、天文図が描いたのは紀元前80年の前後40年の星空だと推定。一方、国立天文台の相馬充助教(位置天文学)は描く際の誤差が少ないと考えられる内規や赤道に近い星11個で計算し、紀元後300年の前後90年に、古代中国の都、洛陽や長安(現西安)を通る北緯約34度で観測したと結論付けた。
 二つの分析は一見矛盾するように思えるが、キトラ古墳の調査を担当する奈良文化財研究所飛鳥資料館の石橋茂登・学芸室長は「古い星図に修正を加えながら、中国や朝鮮半島との交流を通じて日本にもたらされたのでは」と想像する。紀元前4世紀に活躍した中国の天文学者、石申の観測記録と伝わる「石氏星経」が原典になったと考えられるという。
息をのむ極彩色壁画 世界最古天文画も

キトラ古墳の被葬者は誰か?
高松塚と同様に、ほぼ藤原京の中央、朱雀大路の南への延長上、いわゆる「聖なるライン」のやや西へずれたところに位置している。
この中央線上に、菖蒲池古墳、天武・持統天皇陵、文武天皇陵がある。
⇒2008年9月 4日 (木):高松塚古墳のポジショニング
その位置からすると、やはり天武・持統天皇の近親者ということになろうか。
Photo_2
飛鳥プロジェクト

天武天皇の長男、高市皇子(696年死去)や、陰陽師の安倍晴明が子孫ともされる右大臣、阿倍御主人(703年死去)との説があるようだ。

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