『日本書紀』と「壬申の乱」/天皇の歴史(7)
大海人皇子(後の天武天皇)と大友皇子(天智天皇の長子)が争った「壬申の乱」は、古代史最大の争乱と言われる。
『日本書紀』の天武天皇紀は例外的に二巻で構成されている。
上巻が「壬申の乱」、下巻がそれ以降である。
つまり「壬申の乱」は、『日本書紀』でも特別な扱いである。
瀧音能之『封印された古代史の謎大全』青春出版社(2015年12月)で、その概略を見てみよう。
ことの発端は、病が篤くなった天智天皇が大海人皇子に位を譲ると言ったことである。
大海人皇子は固辞して、仏道修行のため吉野に入る。
天智天皇は大津宮で亡くなると、大海人皇子は村国連男依らを美濃国へ派遣し、東国の兵の確保と不破道の閉鎖を命じ、自身も鸕野讃良皇女(後の持統天皇)らと東国へ出発する。
その後、高市皇子(大海人皇子の長男)が加わり、体制が次第に整って行った。
大海人皇子が不破に入ると、尾張国守の小子部連鉏鉤が帰順し、大伴吹負が大海人皇子側について挙兵した。
体制を整えた大海人皇子側は、大和と大津に向かって進撃する。
そして大友皇子軍と瀬田橋で激闘の末、大海人皇子側が勝利し、大友皇子は山崎で自殺する。
『日本書紀』の記述は精細であるが、「壬申の乱」についての不明点は多い。
⇒2008年1月21日 (月):壬申の乱…(ⅰ)研究史
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コメント
天武天皇の出自について日本書紀は舒明天皇と斉明天皇の皇子と記していますが、天智天皇と違い前半生がはっきりしないのは変だと思います。天智が四人の実娘を嫁がせた事、天武が大皇弟と呼ばれていた事、皇親政治を行い外交方針を転換した事、天皇家の私的な菩提寺である泉涌寺が天武以降、八代の位牌をお祀りしていない事など、考えるほど畿内王権にとって正統な天皇ではなかったのかなと思います。乱勃発時、東国勢力が天武に味方をして、太宰府はどちらにも付かず傍観した事など傍証を挙げるほど、天智が天武を危険視する権力者であったことは間違いないと思います。本当に舒明の息子であり、天智の弟だったのでしょうか?
投稿: | 2016年11月27日 (日) 16時19分
コメント有難うございます。
おっしゃる通りですね。史料よれば、天武の方が歳上のように解釈するのが自然のような記載もあるようです。では、「天武の出自は?」ということになると、諸説に分かれるようです。舒明天皇は余り注目されてこなかったようですが、キー・パーソンになるのでは、という気もします。壬申の乱の性格をどう考えるかという問題とも絡んでくるのではないでしょうか。
投稿: 夢幻亭 | 2016年11月28日 (月) 14時28分
考察にお付き合いいただき有り難うございます。私なりに考えてみたのですが、天武には政権内部に天智のような彼を支持する勢力やパトロンがいなかったわけですが、政権奪取の勝算も無く行動を起こしたわけではないと思います。おそらく倭人勢力に大きな影響を行使出来た勢力の出身である可能性が大だと思うのです。例えば中国史書に記されている倭国の出身であるとかです。状況証拠しか無いので仮説でしかありませんが。
投稿: | 2016年11月28日 (月) 20時04分
コメント有り難うございます。
仰る通り、天武の出自は「倭人勢力に大きな影響を行使出来た勢力の出身である可能性が大」であり、「中国史書に記されている倭国の出身である」と思います。
その倭国をどう考えるか、ですね。
古田武彦氏の「九州王朝説」も魅力的ですが、十分に納得したというには至っておりません。
ただ、大和朝廷に先んじて、一定の影響力を持った勢力とは言えるだろうと思います。
投稿: 夢幻亭 | 2016年12月 9日 (金) 11時46分