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2016年8月17日 (水)

野武士から評論家へ・豊田泰光/追悼(92)

元西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)遊撃手で、引退後は辛口の野球評論家として活躍した豊田泰光さんが14日、肺炎のために亡くなった。
茨城県出身で81歳だった。

Ws000001_2 1952年に水戸商高の主力として夏の甲子園に出場。選手宣誓を務め、翌年西鉄に入団。守備よりも打撃が評価され、1年目から遊撃手のレギュラーとなり、115試合で27本塁打、打率2割8分1厘で新人王を獲得。56年には巨人との日本シリーズでMVPを獲得、以後57年は優秀選手、58年は首位打者と西鉄黄金時代となった3年連続日本一に貢献した。
 62年に中西太選手兼任監督の補佐として選手兼任で助監督を務めたが、翌年は国鉄(現ヤクルト)に移籍。69年に17年の現役生活にピリオドを打った。通算成績は1814試合に出場し、1699安打、263本塁打、打率2割7分7厘。
 引退後は72年に近鉄でコーチとなった以外は、スポニチ本紙特別編集委員を務めるなど評論家として活動。ニッポン放送、文化放送、フジテレビで評論、解説を行い、93年から2013年まで「週刊ベースボール」誌上でコラム「豊田泰光のオレが許さん!」を1001回にわたって執筆した。辛口で愛情のある評論はファンにも親しまれた。
元西鉄の強打者 豊田泰光さん死去 81歳 辛口評論でも人気

西鉄の黄金時代のことは、数々の語り草を遺している。
「神様、仏様、稲尾様」と言われた稲尾和久投手をはじめ、打線は別名流線型打線である。

西鉄黄金時代の監督・三原脩は、三宅大輔などの理論をふまえ、1番に一発もあるバッティングの巧い打者を据え、2番に入っている強打者で一気に得点を挙げ、3番に最強打者を、4・5番に長距離打者を、という、それまでの野球界の常識を覆す打線論を提唱した。それがこの流線型打線である。それなりの選手が揃っていなければ組めないものであるが、当時の西鉄にはそれを可能にするだけの面々が揃っていた。流体力学から着想を得たという説もあるが、真偽のほどは不明である。
Ws000002
Wikipedia-流線型打線

2番の豊田泰光は、2番打者でありながらクリーンナップ並の成績を挙げている。
恐怖の2番打者の先駆けである。

1969年のシリーズ終了後に引退し、1973年以降、評論活動を続けている。
『週刊ベースボール』にはコラム「豊田泰光のオレが許さん!」を1993年から2013年に終了するまでに通算1001回にわたって連載し、日本経済新聞ではスポーツ欄にコラム「チェンジアップ」を1998年から2013年まで続けていた。
文武両道の人だった。
合掌。

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