全総と共に生きた計画の人・下河辺淳/追悼(93)
元国土事務次官の下河辺淳氏が、13日亡くなった。
92歳だった。
1947年に東京大学第一工学部建築学科を卒業した。
在学中に終戦を迎えたため高山英華氏の下で戦災復興都市計画に参画し、卒業後戦災復興院に勤務した。
1961年、「工業地の立地条件 - 計画単位及び必要施設に関する研究」で、日本都市計画学会石川賞論文調査部門受賞。
1962年からは経済企画庁総合開発局。「国土の均衡ある発展」を謳い、戦後日本における国土開発の根幹をなした全国総合開発計画(通称「全総」、1962年閣議決定)の策定に携わる。以後、2000年の21世紀の国土のグランドデザイン(五全総)に至るまで、長らく国土開発・国土行政に力を及ぼし続けた。1977年、国土事務次官に就任。1979年退官し、総合研究開発機構(通称NIRA)の理事長に就任。
退官後も「多極分散型国土」を掲げる第四次全国総合開発計画(四全総)の策定にも尽力。1992年から株式会社東京海上研究所理事長。「ボランタリー経済」に取り組む。社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)裁定委員会委員などを経て1995年からは阪神・淡路大震災復興委員会委員長として復興政策の立案に参画。 2003年に下河辺研究室を設立。
下河辺淳-Wikipedia
全総の系譜は以下のようである。
成長戦略とガバメント・リーチ
私は、三全総の頃、リサーチャーをやっていた。
NIRAがスタートした頃、リサーチャーから転向したが、リサーチの世界の頂点にいた人と言えよう。
米軍用地強制使用手続きを巡る代理署名訴訟で、大田県政と橋本政権との関係が緊張した際、梶山静六官房長官の要請で沖縄と政権との間を仲介した。「沖縄問題を解決するために」とする「下河辺メモ」は大田知事と橋本首相を和解に導いた。
下河辺淳氏が死去 普天間返還にも深い関わり 大田県政と政府を仲介
市場主義が優位になり、国土計画の存在感が薄くなっている。
安倍政権に至っては、「PDCAサイクル]さえない。
⇒2016年5月14日 (土):PDCAなき安倍政権の政策/アベノポリシーの危うさ(64)
⇒2016年7月25日 (月):アベノミクスの帰結としてのヘリコプターマネー/アベノポリシーの危うさ(93)
しかし政策に計画は不可避である。
今、この人が現役ならば、どう考え、行動していたであろうか。
合掌。
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