台風10号の経路と狩野川台風/戦後史断章(25)
台風10号の動きが不気味だ。
八丈島付近で発生し、南西方向に進んだ後、エネルギーを蓄えて、本州を狙っている。
あたかも意志あるものの戦略的行動のように見える。
日本付近の進路予想
通常今頃は、日本の南の海上に太平洋高気圧が張り出すため、その北側を吹く西よりの風や、ジェット気流と呼ばれる上空の強い西風に流され、日本付近では北東方向に進む。
ところが10号は、日本付近で北西に変わると予測されている。
台風10号 史上初ルートで本州接近・上陸へ
原因は、「いつもより東に偏った太平洋高気圧」と「寒冷渦」と言われる。
台風10号は、東日本に接近すると、寒冷渦の反時計回りの風に乗って、「東北太平洋側からの上陸」の可能性が高まっている。
台風10号 史上初ルートで本州接近・上陸へ
史上初ルートと言われるが、本州中央に上陸した台風に狩野川台風がある。
1958年(昭和33年)9月27日、台風第22号が神奈川県に上陸した。
伊豆半島と関東地方に大きな被害を与えたが、特に狩野川流域で被害が大きかったことから、狩野川台風と命名された。
伊豆半島の状況について、狩野川台風-Wikipediaには、以下のように記されている。
雨は25日から降り始めたが、台風と前線の影響で26日にはわーとなり、台風の中心が伊豆半島に最も接近した26日20時から23時頃が最も激しく、湯ヶ島では21時からの1時間雨量が120ミリメートルにも達し、総雨量は753ミリメートルに及んだ。
この大雨のために、半島の中央部を流れる狩野川では上流部の山地一帯で鉄砲水や土石流が集中的に発生した。天城山系一帯では約1,200箇所の山腹、渓岸崩壊が発生[。旧中伊豆町の筏場地区においては激しい水流によって山が2つに割れたほどだった。同時に、所によっては深さ12メートルにもなる洪水が起こり、これが狩野川を流れ下った。この猛烈な洪水により、川の屈曲部の堤防は破壊されて広範囲の浸水が生じ、また途中の橋梁には大量の流木が堆積し、巨大な湖を作った後に「ダム崩壊現象」を起こしてさらに大規模な洪水流となって下流を襲った。旧修善寺町では町の中央にある修善寺橋が同様の状態になり、22時頃に崩壊し鉄砲水となって多くの避難者が収容されていた修善寺中学校が避難者もろとも流失した。さらに下流の大仁橋の護岸を削り、同町熊坂地区を濁流に飲み込み多数の死者を出した。この地区の被害が大きかったために、当時の首相である岸信介がヘリで視察に来るほどだった。旧修善寺町の死者行方不明は460人以上。その他、旧大仁町・旧中伊豆町など狩野川流域で多くの犠牲者が出た。
狩野川流域では、破堤15箇所、欠壊7箇所、氾濫面積3,000ha、死者・行方不明者853名に達し、静岡県全体の死者行方不明者は1046人で、そのほとんどが伊豆半島の水害による。
台風第22号は進路を北北東ないし北東に取って26日21時頃伊豆半島のすぐ南を通過し、27日0時頃に神奈川県東部に上陸した。
勢力は衰えていたが日本付近に横たわる秋雨前線を刺激し、東日本に大雨を降らせた。
27日1時には東京のすぐ西を通過して、6時には三陸沖に抜け、9時に宮城県の東の海上で温帯低気圧になった。
狩野川台風-Wikipedia
今年の台風10号とは大分進路が異なる。
狩野川台風の被害は、静岡県では、空前絶後と言って良いだろう。
狩野川の洪水対策としては、狩野川放水路が、1951年6月に建設に着手されていたが、完成する前に狩野川台風の直撃を受けた。
完成したのは、それから7年後の1965年7月にであった。
狩野川放水路-Wikipedia
平成27年の台風第18号では、上流域の天城山で400mm超の大雨を観測し、この放水路がなければ浸水被害もあり得たと言われる。
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