同時代の輝く才能・中村紘子/追悼(90)
国際的ピアニストの中村紘子(本名・福田紘子)さんが26日大腸がんのため亡くなった。
1944(昭和19)年7月25日生まれだから、72歳の誕生日を迎えたばかりということになる。
山梨県生まれ、東京都育ち。桐朋学園の前身「子供のための音楽教室」の1期生として、井口愛子に師事。全日本学生音楽コンクールの小・中学校両部を制して「天才少女」と呼ばれた。1959年、史上最年少の15歳で現・日本音楽コンクールの1位・特賞に。全額奨学生として米ジュリアード音楽院で学び、65年にはショパン国際コンクールで4位と最年少者賞を受けた。当時の演奏ぶりを毎日新聞は「その音色は新鮮で、若さに輝く」と報じている。
以来、日本を代表するピアニストとして活躍し、チャイコフスキー国際コンクールなどの審査員も歴任。経験をつづったエッセー集「チャイコフスキー・コンクール」で89年の大宅壮一ノンフィクション賞を受けるなど、文筆家としても名をはせた。
国際的ピアニストの中村紘子さん死去、72歳
「子供のための音楽教室」の同期には、小澤征爾、堤剛、江戸京子などがいる。
きらきら輝く才能が集っており、まさに黄金時代である。
1954年、全日本学生音楽コンクールピアノ部門小学生の部で全国第1位入賞を獲得した。
慶應義塾中等部に進み、1958年、全日本学生音楽コンクールピアノ部門中学生の部で全国第1位入賞し1959年、日本音楽コンクールで第1位特賞を受賞した。
プロの演奏家としては、1960年に岩城宏之指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会にソリストとしてデビューし、同年、NHK交響楽団初の世界ツアーのソリストに抜擢された。
1965年、第7回ショパン国際ピアノコンクールで、第4位入賞と最年少者賞を併せて受賞した。
このコンクール入賞以後、世界各国で演奏活動を続ける一方で、ショパン、チャイコフスキー、アルトゥール・ルービンシュタインはじめとする様々な国際コンクールの審査員を務める。
日本では第3回浜松国際ピアノコンクールから審査委員長を務め、コンクール創立10年たらずで国際ピアノコンクール連盟に加盟させるなど一級レベルの国際ピアノコンクールにまで持ち上げた。
1974年9月に芥川賞作家庄司薫(本名・福田章二)と結婚した。
福田章二は、東大闘争のあった1969年、庄司薫の名義で『赤頭巾ちゃん気をつけて』を発表し、第61回芥川賞を受賞した。
同年8月に中央公論社から単行本として刊行され、大ベストセラーになった。
私としては同時代を生きた才能が亡くなったことになり、喪失感が大きい。
合掌。
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