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2016年6月 6日 (月)

伊勢志摩サミットとは何だったのか/永続敗戦の構造(2)

伊勢志摩サミットが終わったが、祭りの後に何が残ったのか。
いろいろ問題はあるが、先ずはオバマ大統領の広島訪問は画期的なことと言えよう。
サミットがなければ実現しなかったと思われる。

サミットの評価は今後の安倍政権の動き方でも変わってくる。
現時点ではっきりしているのは、戦後レジームからの脱却を口にする安倍首相自身が、戦後レジームである永続敗戦レジームに絡め取られ、身動きできないことである。
白井聡氏『永続敗戦論ー戦後日本の核心』太田出版(2013年3月)で提起された永続敗戦の構造を、「教科書問題を考える 小石川有志の会」のサイトを参照しよう。
白井氏を招いて行った学習会の報告である。

白井氏は、「永続敗戦レジーム」は敗戦を終戦と言い換えることから始まったという。

 「敗戦の終戦へのすり替え」がなされなければならなかった最大の理由は、敗戦の責任を有耶無耶にし、敗北必至とあらかじめ分かっていた戦争(対米戦)へと国民を追い込んで行った支配層が、戦後も引き続き支配を続けることを正当化しなければならないという動機であった。
 この策動は、玉音放送において「降伏」や「敗北」といった表現が慎重に避けられたことから早くも開始され、東久邇宮内閣の「一億総懺悔」という標語の提示に見られるように、明確な意図を持って推進されたと言えよう。こうした流れの果てに、敗戦したことそのものが曖昧化され、「敗戦ではなく終戦」というイメージに、日本人の歴史意識は固着してゆく。そもそも敗戦していないのであれば、誰も責任を問われる道理がなくなるのだから、実に見事な(!)論理である。
Photo_6

安倍晋三首相が、祖父・岸信介を尊敬していることは周知のことである。

 以上のような視点から見た場合安部政権は何なのか。実質は戦後レジームからの脱却ではなく、永続敗戦レジームを死守しようということだろうと思います。これをさらに支えるというのは難しいから、かなり強引な手段をとらざるを得ない。閣議決定で実質憲法を変えてしまうというあり得ないことをしてしまう。憲法改正をめざしているのだろうが、実際に戦争に入っているのではないか、他国民と殺し殺されということをやってしまうのではないか。
 戦争をやる、ということも永続敗戦を維持する一手段です。どういう形で行われるか。
護憲の立場では「憲法を変えて戦争をする国にしようとしている」といいますが順番は逆。まず戦争をする。それから憲法を変える。これが今彼らがやろうとしていることです。 彼らからすれば改憲したいが最終的に国民投票で失敗は許されない。絶対必勝。もうすでに戦争してるじゃん、という状態をつくってしまう。その状態をつくってしまえばそこに存在する矛盾は憲法 9 条と自衛隊どころではなくなります。あとは、その状況を追認する、現状追認していくということだけです。
 どうやったら戦争を始められるか。いきなり、隣国と始められない。ここに集団的自衛権が出てくるわけです。これを使うことを国家として認める状態になると、戦争を実行する可能性が飛躍的に高まる。だから最短ルートを着々と安部政権は走っていると言えます。この流れを、残念ながら日本国民の少なからざる部分が知ってか知らずか、支持しています。どうやっても支持率はある一定以下には下がりません。岩盤のように強い支持層が居るということでしょう。どうしていかなければいけないか。方策が無い。
何が起きているかわかっていない人たちを、どうやって目覚めさせていくかが大切であり、今後の課題であると思います。
教科書問題を考える 小石川有志の会

岸信介は、60年安保の立役者だ。
沖縄の米軍による不条理を存続させている日米地位協定もこのとき結ばれた。
Photo_2
安倍晋三と彼のお爺様のお仕事によって、沖縄は泣いている❗

改憲も、集団的自衛権も、原発推進も、日米地位協定も、永続敗戦レジームの産物である。

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