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2016年6月16日 (木)

猪瀬直樹と舛添要一/「同じ」と「違う」(95)

それにしてもどうしたことだろうか。
首都東京の顔であるべき人物が、2代続けてカネの問題で辞職せざるを得なくなった。
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東京新聞6月16日

猪瀬直樹氏も舛添要一氏も、自民党(および公明党)、つまり安倍政権の下に擁立された。
猪瀬氏は石原慎太郎元知事の下で副知事を務めており、ある意味では順当なところだろう。
実際、433万8936票を獲得し、日本の選挙史上では個人としては最多得票記録で当選を果たした。

しかし、副知事と知事ではまったく違うということが分かっていなかったようである。

昔、帝人の社長を長く務めた大屋晋三氏が、社長と副社長の間の距離は、副社長と運転手の間の距離よりも大きい、という意味のことを言ったことがある。
要するに、社長と副社長は質的な懸隔があるということだろう。
リーダーとスタッフの違いである。
猪瀬氏は辞任に際して次のように語った。

まずは政策について、自分はかなり精通していると思っておりましたが、いわゆる政務ということは大変その、アマチュアだったと反省していて、政治家としてずっとやってこられた方は、常にどういうものを受け取ったらいけないかとか、そういうことについて詳しいということもありますし、皆さんに対しても非常に腰が低い。そういうところがあると思います。しかし僕の場合は、政策をちゃんとやればいいだろうと、ややそういう生意気なところがあったと反省しております。
⇒2013年12月20日 (金):猪瀬氏の決定的な勘違い/花づな列島復興のためのメモ(284)

まあ、この認識自体がバランス感覚とかリベラルアーツというものに対する無定見さを表している。
⇒2014年6月24日 (火):遠藤麟一朗とリベラルアーツ/知的生産の方法(98)
私は猪瀬氏には少し期待するところがあったので、まことに残念であった。
猪瀬氏は有能な参謀だったかもしれないが、将としては落第だったのである。

舛添氏にはもともと期待していなかった。
何の志があって都知事になるのか、まったく見えてこなかった。
だから自公両党が、舛添バッシングに走るのを、冷ややかに眺めていた。

公私混同のオンパレード(というか公の観念がないのでは?)の舛添氏は、言わば「ゲスの極み!知事」である。
⇒2016年2月12日 (金):「ゲスの極み」をアップデートする自民党/アベノポリシーの危うさ(17)

発端は週刊文春のスクープで、千葉県のホテルに家族旅行したのを、会議をした強弁して墓穴を掘った。
⇒2016年5月15日 (日):舛添都知事の醜態と支援責任/アベノポリシーの危うさ(65)
会議自体の実在性を証明できなくなって、観念したのだろう。
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週刊文春6月23日号

舛添氏のニュースは気分が悪くなるが、疑惑は解明されなければならない。

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