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2016年6月 5日 (日)

仏像写真と古代史の謎・小川光三/追悼(85)

仏像写真家で、古代人の太陽信仰など歴史研究でも知られる小川光三さんが、5月30日亡くなった。
死因は、特発性血小板減少症、88歳だった。

私が小川さんの名前を記憶しているのは、NHKのテレビディレクターとして、古代史等の番組を制作していた水谷慶一氏の『知られざる古代史―謎の北緯三四度三二分をゆく』日本放送出版協会(1980年2月)に登場するO氏というイニシャルである。
水谷氏の文章を引用しよう。

ぼくの前には写真家のO氏がいた。O氏は父子二代、奈良に在住して仏像や大和の風物を撮影している人で、奈良国立博物館のまえの通りに店を出している。奈良をなん度か訪れたことのある人なら、ああ、あの店かと気づくはずである。
・・・・・・
仏像の写真がところせましと並んだO氏の店先で、ぼくは秋篠寺の伎芸天や山田寺の仏頭の美しさにしばしば時のたつのを忘れた。

5年ほど前の日本経済新聞に、小川氏の「太陽の道」が紹介された。

 万葉集の冒頭に登場する枕ことば「そらみつ」は「大和(の国)」にかかる。日本書紀に記された謎の言葉「空見つ日本(やまと)の国」が語源で、「大空から眺めて良い国だと選ばれた」の意だ。「天の岩船」というUFOを思わせる飛行物体に乗ったニギハヤヒノミコトが「国の中心地」に着陸し、後に神武天皇が「畝傍山の東南の橿原の地」を「ここは国の真中だ」と考えて今の奈良県橿原市に都を置いたという伝承に由来する。くしくも、大和盆地を「空から」の視点で研究した説は少なくない。多くの学者が認める定説ではないが、歴史ファンを魅了してきた「太陽の道」「聖なるライン」など、「空見つ日本」の異説を紹介しよう。
 「あれは稲作と密接につながる太陽信仰、つまり日本人の信仰の原点にかかわる話だった。だから多くの人の心に響いたのでしょう」と振り返るのは、「大和の原像」(大和書房、1973年)で「太陽の道」を提唱した小川光三さん。著名な仏像写真家でもある。「太陽の道」は80年にテレビのNHK特集「知られざる古代~謎の北緯34度32分をゆく」で紹介され、多くのファンを生んだ。Photo_3
奈良・大和盆地に「太陽の道」 一直線上に遺跡・社寺 

秋篠寺の初めて行ったのは学生時代であった。
秋の夕方、閑静な本堂で初めて対面して深い印象を覚えた。
以来、奈良を訪問する時にはできるだけコースに入れるようにしてきた。
Photo_2
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kazu_san/hyaku_akishino.htm

小川氏の写真館は飛鳥園という。
Wikipediaの解説は以下のようである。

1922年(大正11年)小川晴暘が創業。晴暘は1894年(明治27年)兵庫県姫路市生まれ。有馬温泉の日野写真館で写真術の基礎を身につけたのち、画家を志して上京。丸木利陽に入門して彼の写真館で働き、写真技術を学んだ。晴暘の号は師利陽からもらった「陽」の1字を「暘」に改めたもの。1918年(大正7年)文展に《雪解けの頃》で初入選するも、大阪朝日新聞社に写真部員として入社し、奈良に下宿。奈良で撮っていた石仏の写真が、會津八一の目に止まり、八一の勧めを受けて新聞社を退社し、飛鳥園を創業した。晴暘のあとは晴暘の三男小川光三が継いでいる。後に奈良国立博物館写真室の矢沢邑一、五味義臣、京都国立博物館の金井杜道ら文化財写真家が輩出し、現在も若松保広が所属している。1968年(昭和43年)株式会社飛鳥園を設立。晴暘は八一のほか、志賀直哉・武者小路実篤らとも親交があり、現在でも飛鳥園撮影の写真は多くの書籍・写真集・図録等に掲載されている。2001年(平成13年)には飛鳥園の写真を一般公開するため仏像写真ギャラリーがオープンした。

静かに冥福を祈るとしよう。
合掌。

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コメント

視野を地球規模に広げてみると、北緯34度のライン上には、世界的にも重要な古代遺跡がズラリと並んでいます。
ですから、このラインが、日本列島を通過している、ということが、私は、思えば思う程、不思議であり、又、幸運なことであると思えてなりません。
そのラインを、発見した人が、そして、現代に現れた、ということも又、私はとても、感銘的なことに感じています。
現代、と言っても、でも、一昔前のこと、になってしまうかもしれません。
人の寿命には限りがありますが、地球上のラインは永遠に存在します。

投稿: 五節句 | 2016年6月 6日 (月) 17時06分

五節句様

コメント有難うございます。
世の中には不思議な事象がいろいろありますが、「そうだったのか!」と思う日も来るのでしょうね。素人ながらその日を(その日まで)楽しみたいと思います。

投稿: 夢幻亭 | 2016年6月 7日 (火) 22時20分

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